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結婚式
しおりを挟むいつからだろう。気づけばずっと憧れている恋の形がある。
相手の幸せを願い、身を引く健気さ。そして、それが報われる瞬間。
地下鉄で、漫画を読みながら思わず涙したことだってある。
だから、いつかもし、自分が恋をして、けれどその恋が相手のためにならないとしたら。その時は潔く身を引こう。みっともなく足掻いたりせず、気づいたときには相手の心の中に居るだけで、綺麗さっぱり姿かたちが見えないようにしよう。そう、心に決めていた。はずだった。
(これは……。アレだ、完全に。黒スーツに黒サングラスのべらぼうに足が速いお兄さんたちから逃げ切れば勝ち、的なやつ……。)
物陰からこっそりと様子を伺いながら、マリーはそっとため息をついた。
閉鎖された門、行き交う兵士たち。王都から少し離れた、山岳地帯にひっそりと佇む城壁の街エアクは物々しい雰囲気に包まれている。
ここが、というよりも、今はもはや国全体の話。王都から続くこの厳戒態勢は国の全てを飲み込んで異様な緊張感が支配している。それもこれも自分のせいだなんてとても考えたくはなかった。
そもそもマリーはここの生まれではない。この国の生まれですらない。あれは遠いようでつい昨日のことでもあるような、少し前のこと。
私は突然この世界に「落っことされた」。乗っていた飛行機がエンジントラブルで墜落したのだが、気づけば教会の祭壇に着地し、人々の注目の的になっていたのである。そこが私の知らない、所謂「異世界」だということにはすぐに気がついた。こちとら筋金入りのオタクである。世に溢れる異世界転生モノ関連は脳みそが溶けるほど読み漁った。ここまでくるともはや自分が異世界トリップしても冷静でいられる。
「あ、貴女様は……?」
どうやら葬儀の準備を取り仕切っていたらしいすごい髭のおじさんに尋ねられた。が。
(私の名前……なんだっけ??)
あろうことか、前世の記憶とやらを一部落っことしてきたらしい。数秒の間、すごい勢いで回転した脳みそがたたき出した答えが「マリー」だった。好きな名前なわけでも、自分の名前を思い出したわけでもない。ただ咄嗟に浮かんだ「今食べたいもの」。大好きなおやつ!サクサク食感最高のビスケット!!!……彼女の異世界生活はこうしてお菓子の名前を名乗るところから始まってしまった。やれやれ。
それはさておき、ありがたいことに落下した祭壇は今まさに葬儀の準備中だったため、そこに居たのは業者やら葬儀を取り仕切るお偉いさん方で、大勢の前に落ちるなんてことはなかった。ただ、あと数十センチズレていれば故人の真上だったのだが。
見ると棺の中にはむせ返るような白ユリがこれでもかと詰め込まれ、当たり前だが生気が全く感じられない老人が静かに眠っている。けれど……え?今鼻がピクッと動かなかった??ていうかどこの花屋よ、この百合手配したの!花粉付いたままじゃない!!これは生きていたらさぞしんどいだろうよ……!せっかくの異世界、治癒魔法なんて使えないものだろうか。これでこのおじいちゃん起きたら順中満帆な滑り出しじゃない??とか考え、小声で「ステータスオープン」と呟いてみる。ゲームのようなステータス画面が出て、自分の能力が分かったり他人の強さが見える、なんてオプション、憧れるではないか!という期待を裏切って、ステータス画面は何も出なかった。
ヤバい、さっき名前を聞いてきたおじさんを始め、そこに居る人たちの視線がだんだん訝し気なものに変わってきている。とりあえず不敵な微笑みを浮かべておき、また小声で「ヒール」と唱えてみた。すると、なんとなく右手に温かさを感じるではないか。もうここは賭けるしかない。一世一代の勝負のつもりで祭壇から飛び降り、故人に手をかざして唱えてみた。
「ヒール!!!」
今度は右手だけでなく、左手にも熱を感じる。そして、白い光が噴出し、故人を包み込んだ。ものすごく眩しい。その強い光は徐々に範囲を狭めていき、やがてマリーの手に収束していくかのように消えていった。光が無くなってもなお教会の中は静まり返っている。皆、茫然としながら棺を見つめていたが、その痛いほどの静寂はほどなくして破られた。
「ぶえー------くしょい!!!」
盛大なくしゃみと共に、故人がむくりと起き上がる。そして、驚くほど冷静な声で辺りの人々に告げた。
「ふぅ。何をしておるかバカ者共。聖女様のご降臨じゃ。すぐにご案内しなさい。あと、ワシ殺されかけたようじゃから、捜査も始めるぞい。」
それを皮切りに一時停止していたような空気が急に慌ただしく流れ始める。さっきまで準備指揮をしていたおじさんを除いて。
「せ、せ、聖女様!?お待ちください猊下!猊下がお隠れになったという発表が間もなくの予定だったところを差し替えて聖女様降臨に、それより、毒殺未遂とは、あ、まずお身体の具合は、取り急ぎ何か召し上がられるものは……。」
「少し落ち着かんか、ジパル。聖女様、この度はワシをお救い頂き光栄に存じます。すぐにお部屋をご準備しますので、今しばらくお待ちくだされ。」
優し気な微笑みを浮かべそう言うおじいちゃんは立ち上がるとパンパンと真っ白な衣装を払った。花粉が飛び散る。おじいちゃんも、泣き始めた大混乱おじさんも、マリーも、もれなく盛大なくしゃみをしたのは言うまでもない。
「うぅ、これは失礼した。花屋にはよく言って聞かせねばの……。」
うっすら目に涙を浮かべながら鼻をすするおじいちゃんのお茶目なところに、思わず笑いだしたマリーは、やがて部屋の準備ができたと言われるまでしばらく笑い続けたのだった。
相手の幸せを願い、身を引く健気さ。そして、それが報われる瞬間。
地下鉄で、漫画を読みながら思わず涙したことだってある。
だから、いつかもし、自分が恋をして、けれどその恋が相手のためにならないとしたら。その時は潔く身を引こう。みっともなく足掻いたりせず、気づいたときには相手の心の中に居るだけで、綺麗さっぱり姿かたちが見えないようにしよう。そう、心に決めていた。はずだった。
(これは……。アレだ、完全に。黒スーツに黒サングラスのべらぼうに足が速いお兄さんたちから逃げ切れば勝ち、的なやつ……。)
物陰からこっそりと様子を伺いながら、マリーはそっとため息をついた。
閉鎖された門、行き交う兵士たち。王都から少し離れた、山岳地帯にひっそりと佇む城壁の街エアクは物々しい雰囲気に包まれている。
ここが、というよりも、今はもはや国全体の話。王都から続くこの厳戒態勢は国の全てを飲み込んで異様な緊張感が支配している。それもこれも自分のせいだなんてとても考えたくはなかった。
そもそもマリーはここの生まれではない。この国の生まれですらない。あれは遠いようでつい昨日のことでもあるような、少し前のこと。
私は突然この世界に「落っことされた」。乗っていた飛行機がエンジントラブルで墜落したのだが、気づけば教会の祭壇に着地し、人々の注目の的になっていたのである。そこが私の知らない、所謂「異世界」だということにはすぐに気がついた。こちとら筋金入りのオタクである。世に溢れる異世界転生モノ関連は脳みそが溶けるほど読み漁った。ここまでくるともはや自分が異世界トリップしても冷静でいられる。
「あ、貴女様は……?」
どうやら葬儀の準備を取り仕切っていたらしいすごい髭のおじさんに尋ねられた。が。
(私の名前……なんだっけ??)
あろうことか、前世の記憶とやらを一部落っことしてきたらしい。数秒の間、すごい勢いで回転した脳みそがたたき出した答えが「マリー」だった。好きな名前なわけでも、自分の名前を思い出したわけでもない。ただ咄嗟に浮かんだ「今食べたいもの」。大好きなおやつ!サクサク食感最高のビスケット!!!……彼女の異世界生活はこうしてお菓子の名前を名乗るところから始まってしまった。やれやれ。
それはさておき、ありがたいことに落下した祭壇は今まさに葬儀の準備中だったため、そこに居たのは業者やら葬儀を取り仕切るお偉いさん方で、大勢の前に落ちるなんてことはなかった。ただ、あと数十センチズレていれば故人の真上だったのだが。
見ると棺の中にはむせ返るような白ユリがこれでもかと詰め込まれ、当たり前だが生気が全く感じられない老人が静かに眠っている。けれど……え?今鼻がピクッと動かなかった??ていうかどこの花屋よ、この百合手配したの!花粉付いたままじゃない!!これは生きていたらさぞしんどいだろうよ……!せっかくの異世界、治癒魔法なんて使えないものだろうか。これでこのおじいちゃん起きたら順中満帆な滑り出しじゃない??とか考え、小声で「ステータスオープン」と呟いてみる。ゲームのようなステータス画面が出て、自分の能力が分かったり他人の強さが見える、なんてオプション、憧れるではないか!という期待を裏切って、ステータス画面は何も出なかった。
ヤバい、さっき名前を聞いてきたおじさんを始め、そこに居る人たちの視線がだんだん訝し気なものに変わってきている。とりあえず不敵な微笑みを浮かべておき、また小声で「ヒール」と唱えてみた。すると、なんとなく右手に温かさを感じるではないか。もうここは賭けるしかない。一世一代の勝負のつもりで祭壇から飛び降り、故人に手をかざして唱えてみた。
「ヒール!!!」
今度は右手だけでなく、左手にも熱を感じる。そして、白い光が噴出し、故人を包み込んだ。ものすごく眩しい。その強い光は徐々に範囲を狭めていき、やがてマリーの手に収束していくかのように消えていった。光が無くなってもなお教会の中は静まり返っている。皆、茫然としながら棺を見つめていたが、その痛いほどの静寂はほどなくして破られた。
「ぶえー------くしょい!!!」
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「ふぅ。何をしておるかバカ者共。聖女様のご降臨じゃ。すぐにご案内しなさい。あと、ワシ殺されかけたようじゃから、捜査も始めるぞい。」
それを皮切りに一時停止していたような空気が急に慌ただしく流れ始める。さっきまで準備指揮をしていたおじさんを除いて。
「せ、せ、聖女様!?お待ちください猊下!猊下がお隠れになったという発表が間もなくの予定だったところを差し替えて聖女様降臨に、それより、毒殺未遂とは、あ、まずお身体の具合は、取り急ぎ何か召し上がられるものは……。」
「少し落ち着かんか、ジパル。聖女様、この度はワシをお救い頂き光栄に存じます。すぐにお部屋をご準備しますので、今しばらくお待ちくだされ。」
優し気な微笑みを浮かべそう言うおじいちゃんは立ち上がるとパンパンと真っ白な衣装を払った。花粉が飛び散る。おじいちゃんも、泣き始めた大混乱おじさんも、マリーも、もれなく盛大なくしゃみをしたのは言うまでもない。
「うぅ、これは失礼した。花屋にはよく言って聞かせねばの……。」
うっすら目に涙を浮かべながら鼻をすするおじいちゃんのお茶目なところに、思わず笑いだしたマリーは、やがて部屋の準備ができたと言われるまでしばらく笑い続けたのだった。
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