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呪われた王子
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むかしむかしあるところに、それはそれは美しい王国がありました。
りっぱな王様とうつくしい王妃様の間には、かわいらしい王子様が一人おりました。民はみんな王様を慕い、すこやかに暮らしておりました。
ところがあるとき、わるい魔女がちいさな王子様におそろしい呪いをかけてしまいました。
——王子様が十八の歳になるまでに、運命の乙女の口づけを受けなければ死んでしまう、と。
国中のみんなが嘆きました。王様も王妃様も、涙が湖になってしまうくらい悲しみました。
ああ、こんなかわいそうな目にあった王子様はどうなってしまうのでしょう。りっぱな王様は、一体どうしたらよいのでしょう。
正解:さっさと次の子供を作って、呪いを受けた第一王子は居なかったことにする。
■ ■ ■
「……ある種合理的だが」
「だからって、こんな扱い納得できるものではありません!」
王宮の西の端にこじんまりと建つ離宮、〈落日の宮〉で、デディシア王国第一王子、ユリエル=デディシアの独白に、イヴ・コートニー男爵令嬢は頬を膨らませた。
柔らかな陽射しが離宮の飾り窓から降りそそぎ、部屋に滲み入る冬の寒さをいくぶん和らげている。〈落日の宮〉にはろくに暖炉もないものだから、暖かな光はありがたかった。
イヴはぐるりと辺りを見回す。第一王子の居室だというのに、あるのは質素なベッドと書き物机、鏡台くらいのもの。世話役とてイヴ一人きりだ。広さだけは無駄にあれど、それが余計に物寂しさを際立たせた。
窓辺に佇むユリエルが、外に顔を向けて目を細めた。冴え冴えとした銀の髪に、理知的な蒼い瞳。簡素なドレスシャツに乗馬ズボンという恰好でも、知らず息を呑むほど美しい。
——その顔の左半分が、黒々とした呪紋に覆われていることを除けば。
空を横切る鳥を追っていた彼の視線が、すっとイヴに向けられた。イヴの心臓が小さく跳ねる。
「ここで何を言っても変わらない。もうすぐジルのサロンの時間だろう。支度をしてくれ」
「……かしこまりました」
イヴは不承不承、恭しく頷いた。
ジルというのは、ユリエルが魔女の呪いを受けたあと王が作った第二王子だ。この国では第一王子が王位を継承すると決まっているが、ジルは王位継承者として振る舞い、周囲の人間もそれを許している。サロンとて、本来であればジルがユリエルのもとに赴くべきなのだが、毎度〈落日の宮〉から最も遠い〈暁の宮〉に呼びつけて憚らない。
(でも確かに、ここで愚痴を言っても始まらないものね)
イヴはそっとため息をつき、こちらを見下ろすユリエルと向き直った。神様が丹念に仕上げた彫刻のようなかんばせに、禍々しい呪紋が這っている。古代文字がびっしりと肌を覆い、血が飛び散ったようにも見える紋様は、魔女の呪いの証だ。イヴは絹の手袋を嵌めた手を伸ばし、そうっと彼の頬に触れた。
「呪紋に変化はありませんね。痛みは?」
「……特に」
「本当は?」
彼の顔を覗き込む。蒼い瞳に自分の顔が映るくらい詰め寄ると、ふいっと視線を逸らされた。目元をじわじわ赤くしながら、居心地悪げに返事をする。
「……まあ、少しは」
「もう、妙なところで嘘をつかないでください。私はたった一人の世話役なんですよ。痛み止めを飲みますか?」
「もらおう」
ユリエルが差し出した手に、痛み止めの入った小瓶を乗せる。苦いはずのそれを、彼は表情一つ変えずに綺麗に飲み干した。イヴの胸に小さな痛みが走る。彼はもう、この人生に慣れきっているのだ。
「たった一人の、か」
小瓶を弄びながら、ユリエルが薄く笑む。蒼く光る瞳でイヴを見つめ、
「それは良い響きだな。イヴにとって、俺は唯一か?」
「もちろんですとも。私にとってユリエル様は……」
口に出かかった言葉を飲み込んで、イヴは正確無比に微笑んだ。
「たった一人の主ですから」
世話役になって十年以上、芽吹いた初恋を殺すことには慣れていた。
鏡台から仮面を取り上げる。当然という面持ちで目を閉じるユリエルに、半面を覆い隠す仮面をあてがう。
彼女の手に迷いはない。いつもと同じように、何百回も繰り返した動きで、絹紐を使って仮面を固定する。
けれど、とふと思う。
その無防備に晒された唇に口づけたら、一体どうなるのだろう。
イヴの手が止まった。
「……支度が整いましたよ」
ユリエルが目を開けるときにはもう、イヴは完璧な世話役の表情をこしらえている。
分かっている。
(私は運命の乙女なんかじゃない。ユリエル様の運命には、なれない)
くすんだドレスに身を包み、焦茶の髪を飾り気もなく一つにまとめただけ。もちろん顔立ちだって平凡で、もう十八歳になったというのに縁談の一つもない。イヴはそういう少女だった。限りなく凡庸な。
劇的な運命にはなれやしない。
〈暁の宮〉に向かうユリエルの後ろを歩きながら、イヴはこっそり祈った。
——どうか神様、私の恋心なんて差し上げますから、この方に運命の乙女をお与えください。
りっぱな王様とうつくしい王妃様の間には、かわいらしい王子様が一人おりました。民はみんな王様を慕い、すこやかに暮らしておりました。
ところがあるとき、わるい魔女がちいさな王子様におそろしい呪いをかけてしまいました。
——王子様が十八の歳になるまでに、運命の乙女の口づけを受けなければ死んでしまう、と。
国中のみんなが嘆きました。王様も王妃様も、涙が湖になってしまうくらい悲しみました。
ああ、こんなかわいそうな目にあった王子様はどうなってしまうのでしょう。りっぱな王様は、一体どうしたらよいのでしょう。
正解:さっさと次の子供を作って、呪いを受けた第一王子は居なかったことにする。
■ ■ ■
「……ある種合理的だが」
「だからって、こんな扱い納得できるものではありません!」
王宮の西の端にこじんまりと建つ離宮、〈落日の宮〉で、デディシア王国第一王子、ユリエル=デディシアの独白に、イヴ・コートニー男爵令嬢は頬を膨らませた。
柔らかな陽射しが離宮の飾り窓から降りそそぎ、部屋に滲み入る冬の寒さをいくぶん和らげている。〈落日の宮〉にはろくに暖炉もないものだから、暖かな光はありがたかった。
イヴはぐるりと辺りを見回す。第一王子の居室だというのに、あるのは質素なベッドと書き物机、鏡台くらいのもの。世話役とてイヴ一人きりだ。広さだけは無駄にあれど、それが余計に物寂しさを際立たせた。
窓辺に佇むユリエルが、外に顔を向けて目を細めた。冴え冴えとした銀の髪に、理知的な蒼い瞳。簡素なドレスシャツに乗馬ズボンという恰好でも、知らず息を呑むほど美しい。
——その顔の左半分が、黒々とした呪紋に覆われていることを除けば。
空を横切る鳥を追っていた彼の視線が、すっとイヴに向けられた。イヴの心臓が小さく跳ねる。
「ここで何を言っても変わらない。もうすぐジルのサロンの時間だろう。支度をしてくれ」
「……かしこまりました」
イヴは不承不承、恭しく頷いた。
ジルというのは、ユリエルが魔女の呪いを受けたあと王が作った第二王子だ。この国では第一王子が王位を継承すると決まっているが、ジルは王位継承者として振る舞い、周囲の人間もそれを許している。サロンとて、本来であればジルがユリエルのもとに赴くべきなのだが、毎度〈落日の宮〉から最も遠い〈暁の宮〉に呼びつけて憚らない。
(でも確かに、ここで愚痴を言っても始まらないものね)
イヴはそっとため息をつき、こちらを見下ろすユリエルと向き直った。神様が丹念に仕上げた彫刻のようなかんばせに、禍々しい呪紋が這っている。古代文字がびっしりと肌を覆い、血が飛び散ったようにも見える紋様は、魔女の呪いの証だ。イヴは絹の手袋を嵌めた手を伸ばし、そうっと彼の頬に触れた。
「呪紋に変化はありませんね。痛みは?」
「……特に」
「本当は?」
彼の顔を覗き込む。蒼い瞳に自分の顔が映るくらい詰め寄ると、ふいっと視線を逸らされた。目元をじわじわ赤くしながら、居心地悪げに返事をする。
「……まあ、少しは」
「もう、妙なところで嘘をつかないでください。私はたった一人の世話役なんですよ。痛み止めを飲みますか?」
「もらおう」
ユリエルが差し出した手に、痛み止めの入った小瓶を乗せる。苦いはずのそれを、彼は表情一つ変えずに綺麗に飲み干した。イヴの胸に小さな痛みが走る。彼はもう、この人生に慣れきっているのだ。
「たった一人の、か」
小瓶を弄びながら、ユリエルが薄く笑む。蒼く光る瞳でイヴを見つめ、
「それは良い響きだな。イヴにとって、俺は唯一か?」
「もちろんですとも。私にとってユリエル様は……」
口に出かかった言葉を飲み込んで、イヴは正確無比に微笑んだ。
「たった一人の主ですから」
世話役になって十年以上、芽吹いた初恋を殺すことには慣れていた。
鏡台から仮面を取り上げる。当然という面持ちで目を閉じるユリエルに、半面を覆い隠す仮面をあてがう。
彼女の手に迷いはない。いつもと同じように、何百回も繰り返した動きで、絹紐を使って仮面を固定する。
けれど、とふと思う。
その無防備に晒された唇に口づけたら、一体どうなるのだろう。
イヴの手が止まった。
「……支度が整いましたよ」
ユリエルが目を開けるときにはもう、イヴは完璧な世話役の表情をこしらえている。
分かっている。
(私は運命の乙女なんかじゃない。ユリエル様の運命には、なれない)
くすんだドレスに身を包み、焦茶の髪を飾り気もなく一つにまとめただけ。もちろん顔立ちだって平凡で、もう十八歳になったというのに縁談の一つもない。イヴはそういう少女だった。限りなく凡庸な。
劇的な運命にはなれやしない。
〈暁の宮〉に向かうユリエルの後ろを歩きながら、イヴはこっそり祈った。
——どうか神様、私の恋心なんて差し上げますから、この方に運命の乙女をお与えください。
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