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第五章 南国 エメラルド

第百二十二話 不死となった青年

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「結果として、冥界神ザドは村の人たちを見逃してくれた」

 ハントは単身冥界へと向かった。
 場所は知らなかったが、既に魔術師としての勘は備わっていた。
 心のうちにザドの姿を描き、無我夢中で駆けた。
 いつしか見慣れた村の道は途切れ、暗い洞窟を走っていた。
 光のない場所だった。しかし、不思議と周りの様子はよく見えた。
 壁から床から天井まで、水晶のような岩でできており、天井は遥かに高く、走るとガラスのような音がした。
 あまりの美しさにハントは一瞬息をのんだが、すぐに小さく身震いした。
 風もないのに肌寒く、時折鼻先に小さな雫が滴った。
 ハントはまた駆けだした。


* * *


 ザドは静かにハントを迎えた。
 背後に居並ぶ闇の人影の視線を一身に受け、ハントの足はすくんだが、決心は揺らがなかった。

「……村の人だけは助けてくれ。代償は、僕にできることなら何でもするから」
「……口の利き方のなってないガキだ」

 ザドは無表情でそう毒づいたが、しばらくの沈黙の後、「よかろう」と言い渡した。
 それが何故かはわからない。
 単なる気まぐれだったのか。
 大した力もないのに冥界まで乗り込んできた若者に少しの驚きを感じたのか。
 いずれにせよ、ザドはハントの申し出を受け入れた。

 冥界神がハントに求めた代償は二つ。
 一つ目は、故郷を捨てること。
 そしてもう一つは、永遠の時を生きることだった。

 ハントはたじろいだ。
 故郷を離れるのは寂しい。
 しかし果たしてそれは罰なのか。
 望んで不老不死になろうとしている者もいるのに。
 もちろん、ハントは不老不死を望んではいなかったし、永遠を生きる重みを想像しないわけではなかった。
 ただ、迷いはなかった。
 村人は助かるなら、それ以上望むことは何もなかった。

「……ご温情、感謝する」

 その日、ハントに永遠の呪いがかけられた。


* * *


「その呪いは」

 アランテスラはひげを撫でながら穏やかに言った。

「今や膨大なエネルギーを秘めておる。仮にも五大神がかけた呪いだからの。その上、時の重みが積み重なっておる。それもただの時ではない。そなたが諸国を巡り、助けてきた多くの人々の感謝のつまった時間だ」

 ハントは「人助けなどしていない」とでも言いたげに沈黙を守ったが、アランテスラはただ穏やかに微笑むばかりだった。

「わしはリュク殿の召喚の代償として、そなたの呪いをもらい受けたい。どうだ?」

 それは、ハントにとっては願ってもないことだった。
 旅の果てには終わりがほしいと、ずっとそう思っていた。
 そして終わりを迎えるならこの時代が良い。
 ただ、一つ心配事があった。

「私のそのエネルギーはどうなるんだい?」

 膨大なエネルギーは何かの害になることが多い。
 それこそ世界のバランスを崩しかねない。
 ハントはそれを心配していた。
 しかしアランテスラは「そんなことか」と笑った。

「何、心配はいらん。わしがぱーっと良いように使おう」

 彼は今多くを語るつもりはないようだったが、心配がいらないことだけは伝わってきた。
 それならば、ハントに迷う理由はなかった。
 しかしルコットには、気になることがあった。

「待ってください! でも、そうしたら、ハントさまは……消えてしまうのですか?」

 呪いが彼をこの世界にとどめているのなら、それが消えれば彼も一緒に消えてしまうのではないか。
 彼にとってそれは救いかもしれない。
 しかしルコットにとって、それはとても、寂しいことだった。
 アランテスラは目を細めた。

「安心しなさい。すぐに消えてしまうことはない」

 これにはハントも驚いたようだった。

「そうなのかい?」

 子どものように驚きの声を上げるハントが面白かったのか、アランテスラは笑みを深くした。

「わしが貰い受けるのはそなたの呪いだけだ。そなたにはまだ、人として生きるべき時が残されておる」

 ハントは信じられないと言わんばかりに絶句していたが、やがて老人の言葉が真実であるとわかると、小さな安堵のため息をもらした。

「……ありがたい。実は少しだけ心残りだったんだ。彼らの旅路を最後まで見届けられないこと。それに……あの子のことも」

 アランテスラは頷いた。

「フュナ姫の行く路には困難が多い。よく支えてあげなさい」
「……ありがとう」

 竜の背の上で、ハントは静かに両目を閉じた。
 アランテスラもまた、口を閉ざし頭上を見上げる。
 それから、晴れ晴れとした瞳で呟いた。

「さて、そうと決まれば善は急げ。覚悟は良いか? 魔術師よ」

 ハントはこれまでの長い旅路を思った。
 様々なことがあった。
 多くの土地を巡った。長い歴史を渡り、数えきれないほどの人に出会った。
 目的もなく、終わりもない。
 その旅はひどく虚しく、辛いものだった。
 あの日、年若いフレイローズの王と側妃に出会うまでは。

「ルコットちゃん」

 茫然と成り行きを見守っていたルコットは、突然名を呼ばれて肩を揺らした。

「は、はい、何でしょうか」
「ありがとう。君の両親と、そして、君たちのおかげで、私の旅はそう悪いものじゃなかったと思えるんだ。私のような者を師と慕い、来る日も来る日も厳しい鍛錬に耐えてくれた君の存在が、どれほど嬉しかったか……君たちの成長を見守る時間は、私にとってかけがえのないものだった」

 ルコットにとっても、それはかけがえのない時間だった。
 思わず涙が浮かびそうになる。しかしそれを懸命にこらえ、彼女は明るく微笑んだ。

「まだまだ、旅はこれからですわ。これからも、どうかよろしくお願いしますね、ハントさま」

 その瞬間、ハントの記憶に懐かしい声が蘇ってきた。

――どうか、この子をお願いね、ハント。

 ハントは誰にも聞こえない程の小さな声で呟いた。

「……結局、助けられたのは、僕の方だったよ、ルイーザ」

 ハントの体が、白い光に包まれていく。
 竜の背の上で、人々は星をまとうハントの姿を驚きの瞳で取り巻いた。
 その中に、必死に何かを叫びながらこちらに手を伸ばす、フュナの姿があった。彼が消えてしまうと勘違いしているに違いない。それほどまでに、その表情は爽やかさに満ちていた。
 ハントはまるで太陽のように笑うと、彼女の手に触れ、「すぐに戻るよ」と告げた。
 フュナの目が大きく見開かれる。
 光がだんだん増していく。
 最後の一瞬、彼は、上を見上げて言った。

「こちらこそ、よろしくね、ルコットちゃん」

 そして星とともに、彼の姿は見えなくなった。


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