53 / 137
第二章 北の大地 アルシラ
第五十三話 楽しい食卓
しおりを挟む「殿下! このポタージュも殿下が作られたのですか?」
「はい、それは私です」
ほかほかと湯気を立てるきのこのポタージュを口に運びながら、ホルガーは噛みしめるように呟いた。
「とても美味いです」
「大将、村長さんの話聞いてますか?」
がやがやと賑わう食卓。
ロウソクの火が明るく揺れて、室内を温かく照らしている。
娘の思い出話に花を咲かせていた村長は、ホルガーの方へクラッカーを差し出した。
「このバジルのソースもルコットさんが作られたんですよ」
「いただきます」
「……本当に嫁バカなんですから」
アサトの呟きは、楽しげな笑い声でかき消えた。
ヘレンが果実酒をアサトの杯へ注ぐ。
「ほら飲んで。疲れてるのに、夜通し馬車を走らせてくれてありがとう」
「いえ、そんな。大将の遠征に比べれば疲労のうちには入りません」
「……アサトにまでそんなふうに言われるとは」
肩を落としたホルガーは、これまでの遠征を反省する。
確かに、体力押しすぎるきらいはあったかもしれない。
「……今後は、あまり無理をさせないように気をつける」
いつになく弱気なホルガーに、アサトは可笑しそうに笑った。
「冗談ですよ。少しからかってしまっただけです」
「お前、性格までフリッツに似てきてないか?」
「それは光栄です」
ルコットはほろほろの羊肉を口に運びながら、二人の会話を楽しげに聞いていた。
気を取り直したヘレンが再び村長に話の続きを促す。
「それで? そのとき母さまは何と言ったの?」
「あぁ、『いつか子どもができたら、夫に似てほしい』と言っていたよ」
まるで昨日のことのようだと、村長は微笑んだ。
愛する娘のひとり娘を、眩しげに見つめて。
ヘレンは照れたように俯くと、「それで? 私は母さまに似てるの? それとも父さま似?」と幾分ぶっきらぼうに問うた。
照れ隠しさえ愛しいのか、村長は「そうだねぇ」と笑う。
「髪と瞳の色はサラにそっくりだ。美しい灰色はこの辺りでも評判だったんだよ。しかし面差しはレンルートくんに似ているね」
ヘレンはどこか嬉しそうに「そう」と答えた。
「ねぇ、お祖父さま、母さまに会いたい?」
「サラにも、レンルートくんにも会いたいさ。会って、あの日のことを謝りたい。だが、悲しくはないよ。二人の生涯を聞いた今になってはね」
村長は一つ頷くと、「幸せだったんだろう」と呟いた。
「それに、いつかあの世に行ったら会えるんだ。それまでに土産話をたくさん用意しておこう」
「孫娘のこととかね」
ヘレンが茶化すと、村長は愉快そうに笑った。
「そうだね」と頷き、芋を切り分け口に運ぶ。するとその目が大きく見開かれた。
「何だ、この芋は……美味い……! 外はサクサク、中はもちもちではないですか!」
「恐縮ですわ」
ルコットは自身もまた芋を口に運び、幸せそうに頬に手を添える。
自分が作ったものながら、絶品だった。
「こんなに美味しい夕食は久しぶりですよ。本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、材料も何もかもいただいてしまって……」
「あの食材がこんなごちそうに化けるなら、いくらでも使ってください」
村長とルコットは互いに顔を見合わせると、微笑んだ。
「ヘレンに聞きましたよ。アルシラでのこと。ルコットさんの勇気と得難い優しさを」
ルコットは目を見開くと、「いえ!」と両手を振った。
「大げさですわ! 私は何も……」
「お祖父さま、ルコットはね、謙虚が過ぎるの」
「どうやらそのようだね」
村長は小さく笑った。
「しかし、あなたは事実たくさんの人を救ったのです。この先もきっと、『人を助ける道』を選んでいかれるのでしょう。たくさんの仲間とともに」
村長が意味ありげに言葉を切って、ちらりとヘレンを見やると、彼女の表情がすっと引き締まった。
どこかまだ迷いのある瞳で、けれど覚悟をもって、ヘレンは口を開いた。
「……ルコット、私をあなたの侍女にしてもらえないかしら」
ぽかんと口を開く、ホルガー、アサト、そしてルコット。
澄ました顔でいたのは村長だけだった。
「侍女、ですか? ヘレンさんが、私の……?」
「勿論、必死で勉強する。足りない知識も教養も身につけてみせる。主人であるあなたに恥はかかせないわ」
「い、いえ、そんな心配はしていないのですが……」
ルコットはそっと村長の顔色を伺った。
「お祖父さまは、宜しいのですか……? せっかく会えたのに……」
村長は、どこか嬉しそうに微笑むと、ゆっくり頷いた。
「えぇ、もし、皆さまが良ければ、連れて行ってやってください。それがきっと、この子の道なのだと思います」
「手紙は書いてくれると嬉しい」そう笑う村長に、ヘレンの瞳がじわりと潤んだ。
「書くわ、必ず、たくさん、書くから……」
その髪を、村長がぽんぽんと撫でると、ヘレンは「長生きしてね」と両手で顔を覆った。
「……また、遊びに来るから」
「あぁ、いつでもおいで。ここはお前の家でもあるんだから」
ルコットとホルガーは顔を見合わせると、笑顔で頷きあう。
二人にとっても既に、ヘレンは離れがたい存在になっていた。共に来てくれると言うなら、それ以上のことはない。
アサトの顔にも喜色が浮かび、食卓は、温かな歓迎のムードに包まれた。
「皆さま、どうかこの子をよろしくお願い致します」
「お任せください。お孫さんは我が家で責任もってお預かり致します。決して不自由はさせません。殿下、まずは服と部屋を用意しなければいけませんね」
「はい、帰ったらすぐ用意しましょう。今の時期だと、ウールかカシミヤのドレスでしょうか」
ヘレンは、「どこの世界にそんな良いものを着た侍女がいるのよ」と呆れていたが、その声色には、眼前の夫婦への信頼と愛情が確かに滲んでいた。
「……本当に、夫婦揃ってお人好しなんだから」
* * *
別れの朝。
ヘレンは溢れる涙を押しぬぐいながら、馬車の中から手を振り続けた。
「さようなら、お祖父さま、どうかお元気で」
寂しくないといえば嘘になる。
それでも、ヘレンは別の場所で歩き続けることを選んだ。
まだ見ぬ王都。
一体どんな所なのだろう。
どんな日々が待ち受けているのだろう。
「……楽しみだわ」
ヘレンの呟きに、ルコットは笑いかけた。
「とても素敵な家なんですよ。景色が綺麗で、空気が澄んでいて。案内するのが楽しみですわ」
馬車はカラカラと進む。
澄んだ秋空の下を、落ち葉を踏みしめて。
新しくも懐かしい我が家へ。
0
お気に入りに追加
94
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
世界を救いし聖女は、聖女を止め、普通の村娘になり、普通の生活をし、普通の恋愛をし、普通に生きていく事を望みます!
光子
恋愛
私の名前は、リーシャ=ルド=マルリレーナ。
前職 聖女。
国を救った聖女として、王子様と結婚し、優雅なお城で暮らすはずでしたーーーが、
聖女としての役割を果たし終えた今、私は、私自身で生活を送る、普通の生活がしたいと、心より思いました!
だから私はーーー聖女から村娘に転職して、自分の事は自分で出来て、常に傍に付きっ切りでお世話をする人達のいない生活をして、普通に恋愛をして、好きな人と結婚するのを夢見る、普通の女の子に、今日からなります!!!
聖女として身の回りの事を一切せず生きてきた生活能力皆無のリーシャが、器用で優しい生活能力抜群の少年イマルに一途に恋しつつ、優しい村人達に囲まれ、成長していく物語ーー。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。
扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋
伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。
それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。
途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。
その真意が、テレジアにはわからなくて……。
*hotランキング 最高68位ありがとうございます♡
▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
森に捨てられた令嬢、本当の幸せを見つけました。
玖保ひかる
恋愛
[完結]
北の大国ナバランドの貴族、ヴァンダーウォール伯爵家の令嬢アリステルは、継母に冷遇され一人別棟で生活していた。
ある日、継母から仲直りをしたいとお茶会に誘われ、勧められたお茶を口にしたところ意識を失ってしまう。
アリステルが目を覚ましたのは、魔の森と人々が恐れる深い森の中。
森に捨てられてしまったのだ。
南の隣国を目指して歩き出したアリステル。腕利きの冒険者レオンと出会い、新天地での新しい人生を始めるのだが…。
苦難を乗り越えて、愛する人と本当の幸せを見つける物語。
※小説家になろうで公開した作品を改編した物です。
※完結しました。
もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。
そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。
そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。
「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」
そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。
かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが…
※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。
ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。
よろしくお願いしますm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる