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第二章 北の大地 アルシラ

第五十三話 楽しい食卓

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「殿下! このポタージュも殿下が作られたのですか?」
「はい、それは私です」

 ほかほかと湯気を立てるきのこのポタージュを口に運びながら、ホルガーは噛みしめるように呟いた。

「とても美味いです」
「大将、村長さんの話聞いてますか?」

 がやがやと賑わう食卓。
 ロウソクの火が明るく揺れて、室内を温かく照らしている。
 娘の思い出話に花を咲かせていた村長は、ホルガーの方へクラッカーを差し出した。

「このバジルのソースもルコットさんが作られたんですよ」
「いただきます」
「……本当に嫁バカなんですから」

 アサトの呟きは、楽しげな笑い声でかき消えた。
 ヘレンが果実酒をアサトの杯へ注ぐ。

「ほら飲んで。疲れてるのに、夜通し馬車を走らせてくれてありがとう」
「いえ、そんな。大将の遠征に比べれば疲労のうちには入りません」
「……アサトにまでそんなふうに言われるとは」

 肩を落としたホルガーは、これまでの遠征を反省する。
 確かに、体力押しすぎるきらいはあったかもしれない。
 
「……今後は、あまり無理をさせないように気をつける」

 いつになく弱気なホルガーに、アサトは可笑しそうに笑った。

「冗談ですよ。少しからかってしまっただけです」
「お前、性格までフリッツに似てきてないか?」
「それは光栄です」

 ルコットはほろほろの羊肉を口に運びながら、二人の会話を楽しげに聞いていた。
 気を取り直したヘレンが再び村長に話の続きを促す。

「それで? そのとき母さまは何と言ったの?」
「あぁ、『いつか子どもができたら、夫に似てほしい』と言っていたよ」

 まるで昨日のことのようだと、村長は微笑んだ。
 愛する娘のひとり娘を、眩しげに見つめて。
 ヘレンは照れたように俯くと、「それで? 私は母さまに似てるの? それとも父さま似?」と幾分ぶっきらぼうに問うた。
 照れ隠しさえ愛しいのか、村長は「そうだねぇ」と笑う。

「髪と瞳の色はサラにそっくりだ。美しい灰色グレーはこの辺りでも評判だったんだよ。しかし面差しはレンルートくんに似ているね」

 ヘレンはどこか嬉しそうに「そう」と答えた。

「ねぇ、お祖父さま、母さまに会いたい?」
「サラにも、レンルートくんにも会いたいさ。会って、あの日のことを謝りたい。だが、悲しくはないよ。二人の生涯を聞いた今になってはね」

 村長は一つ頷くと、「幸せだったんだろう」と呟いた。

「それに、いつかあの世に行ったら会えるんだ。それまでに土産話をたくさん用意しておこう」
孫娘わたしのこととかね」

 ヘレンが茶化すと、村長は愉快そうに笑った。
 「そうだね」と頷き、芋を切り分け口に運ぶ。するとその目が大きく見開かれた。

「何だ、この芋は……美味い……! 外はサクサク、中はもちもちではないですか!」
「恐縮ですわ」

 ルコットは自身もまた芋を口に運び、幸せそうに頬に手を添える。
 自分が作ったものながら、絶品だった。

「こんなに美味しい夕食は久しぶりですよ。本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、材料も何もかもいただいてしまって……」
「あの食材がこんなごちそうに化けるなら、いくらでも使ってください」

 村長とルコットは互いに顔を見合わせると、微笑んだ。

「ヘレンに聞きましたよ。アルシラでのこと。ルコットさんの勇気と得難い優しさを」

 ルコットは目を見開くと、「いえ!」と両手を振った。

「大げさですわ! 私は何も……」
「お祖父さま、ルコットはね、謙虚が過ぎるの」
「どうやらそのようだね」

 村長は小さく笑った。

「しかし、あなたは事実たくさんの人を救ったのです。この先もきっと、『人を助ける道』を選んでいかれるのでしょう。たくさんの仲間とともに」

 村長が意味ありげに言葉を切って、ちらりとヘレンを見やると、彼女の表情がすっと引き締まった。
 どこかまだ迷いのある瞳で、けれど覚悟をもって、ヘレンは口を開いた。

「……ルコット、私をあなたの侍女にしてもらえないかしら」

 ぽかんと口を開く、ホルガー、アサト、そしてルコット。
 澄ました顔でいたのは村長だけだった。

「侍女、ですか? ヘレンさんが、私の……?」
「勿論、必死で勉強する。足りない知識も教養も身につけてみせる。主人であるあなたに恥はかかせないわ」
「い、いえ、そんな心配はしていないのですが……」

 ルコットはそっと村長の顔色を伺った。

「お祖父さまは、宜しいのですか……? せっかく会えたのに……」

 村長は、どこか嬉しそうに微笑むと、ゆっくり頷いた。

「えぇ、もし、皆さまが良ければ、連れて行ってやってください。それがきっと、この子の道なのだと思います」

 「手紙は書いてくれると嬉しい」そう笑う村長に、ヘレンの瞳がじわりと潤んだ。

「書くわ、必ず、たくさん、書くから……」

 その髪を、村長がぽんぽんと撫でると、ヘレンは「長生きしてね」と両手で顔を覆った。

「……また、遊びに来るから」
「あぁ、いつでもおいで。ここはお前の家でもあるんだから」

 ルコットとホルガーは顔を見合わせると、笑顔で頷きあう。
 二人にとっても既に、ヘレンは離れがたい存在になっていた。共に来てくれると言うなら、それ以上のことはない。
 アサトの顔にも喜色が浮かび、食卓は、温かな歓迎のムードに包まれた。

「皆さま、どうかこの子をよろしくお願い致します」
「お任せください。お孫さんは我が家で責任もってお預かり致します。決して不自由はさせません。殿下、まずは服と部屋を用意しなければいけませんね」
「はい、帰ったらすぐ用意しましょう。今の時期だと、ウールかカシミヤのドレスでしょうか」

 ヘレンは、「どこの世界にそんな良いものを着た侍女がいるのよ」と呆れていたが、その声色には、眼前の夫婦への信頼と愛情が確かに滲んでいた。

「……本当に、夫婦揃ってお人好しなんだから」


* * *


 別れの朝。
 ヘレンは溢れる涙を押しぬぐいながら、馬車の中から手を振り続けた。

「さようなら、お祖父さま、どうかお元気で」

 寂しくないといえば嘘になる。
 それでも、ヘレンは別の場所で歩き続けることを選んだ。

 まだ見ぬ王都。
 一体どんな所なのだろう。
 どんな日々が待ち受けているのだろう。

「……楽しみだわ」

 ヘレンの呟きに、ルコットは笑いかけた。

「とても素敵な家なんですよ。景色が綺麗で、空気が澄んでいて。案内するのが楽しみですわ」

 馬車はカラカラと進む。
 澄んだ秋空の下を、落ち葉を踏みしめて。

 新しくも懐かしい我が家へ。


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