王家の巫女

江馬 百合子

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恋―巫女の心―

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――国王陛下万歳! 王妃殿下万歳!

 人々の喝采をすり抜けながら、幼いタチアナは師に手を引かれていた。

――王太子殿下万歳! アラシュ王子万歳!

 初めての王都。初めての外の世界。
 アラシュ第二王子の誕生で、群衆は熱気に包まれていた。
 師が言うに、正妃しか娶らなかった今代の世継ぎを、民は憂いていたのだという。
 世継ぎが一人では心配だったのだとか。

――王家に忠誠を! この国に繁栄を!

 憐れな一族だと思った。
 国を存続するためだけに生まれ、また次の代替品を作り、死んでいく。
 まるで自分達ベランガレアのようだと思った。

「ご覧、お出でになられるようだよ」

 師に促され、大人たちの間から、王城の真っ白なバルコニーに目を凝らす。
 真夏の太陽に焼かれ、目がちりちりした。
 まもなく、王妃殿下の水色のドレスが目に入った。
 遠目にも、とても美しく、穏やかな人だということが分かった。
 その腕には、まるで宝物のように大切に、小さな赤ん坊が抱かれている。
 隣に王が進み出で王妃の肩を抱いた。
 仲睦まじいという噂はどうやら本当のようだ。
 タチアナは淡々と彼らを眺めていた。

「あれ、肝心の王太子殿下は出てこられないのかね」

 師が、何とかその影だけでも見つけようとするかのように背伸びをする。
 今日ここへ連れてこられたのは、ひとえに、王太子の姿を確認するためだった。
 そうしなければ、ベランガレアの名を継いだ後、守るべき対象を見失ってしまうかもしれないのだとか。

「あぁ、良かった。ようやくお出でくださった。ほら、顔をお上げ」

 そう言われ、何となく頭を上げた。
 皆の視線の先。
 王の隣に、彼はいた。
 幼いながら黒い正装に身を包み、口をぎゅっと真一文字に結んでいる。
 そして、その腰には、不釣り合いな程大きな太刀が下がっていた。
 タチアナは呼吸も忘れて彼の姿に見入った。
 何て苦しそうな、気高い表情をするのだろう。
 そのまま倒れてしまわないか心配になる程、彼の神経は張り詰めているように見えた。
 それなのに、一歩もたじろぐことなく、民の声に応え、一人ひとりに目を合わせるかのようにこちらを見つめている。
 不意に王妃が彼に何かを話しかけた。
 ほんの一瞬だけ、彼の表情が緩む。
 隣の弟の顔を見つめ、数瞬間。
 それから、その頬をそっと撫でた。
 彼の顔に朱が差していく。優しい、慈しむような表情。
 タチアナはそんな彼の何もかもから、目を離すことができなくなってしまった。
 そうか、と心の中で呟く。
 彼はそういう人なのだ。
 誰より優しく、誰より周囲を思うが故に、自らを押し殺し、傷ついてしまうような人。
 あの優しさは、これから先、大きな弱点になるだろう。
 しかし、とその眩しさに目を細める。
 その優しさは、この国を守る、強さになるだろう。

「どうだい、タチアナ。この国は安泰かい」

 師の問いかけには、答えようがなかった。
 しかしタチアナは迷わず頷いた。

「はい」

 何故なら、自分が彼を守るから。
 どんなものにも傷つけさせはしないから。
 優しく、気高い、私の王。
 その魂の清らかさは、私が必ず守ってみせる。
 しがらみの多い王宮で、自分を見失ってしまわないように。

「私は生涯を、彼に捧げます」

 その宣言を以って、彼女はベランガレアになった。

「……彼の為に生き、彼の為ならこの命だって惜しくはありません」
「……珍しいね。そんなベランガレアは聞いたことがない」

 師のその言葉は救いだった。
 この温かな気持ちがベランガレアのものでないならば、それは紛れもなく私自身タチアナのものだった。
 この恋は、私が得た、最初で最後の人らしい感情だった。

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