王家の巫女

江馬 百合子

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出会い―月夜の舞―

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 赤く染まった果てしない高原を風が渡る。
 晩夏の夕日のもと、木々は黒く浮かび上がっていた。

 思わず、後ろを振り返る。
 しかし、いくら目をこらそうとも、広がっているのはさんざめく草原だけ。
 懐かしい王城も、王都すら、見えはしない。

 フードを深くかぶりなおす。
 足を進めながら、頭上を鳥の群れが渡っていくのを眺めた。

 今夜は間違いなく、野宿になる。
 城を出て数週間、今や野宿程度で取り乱すことなどなくなった。
 日没まであと数時間はある。高原で火を起こすわけにはいかない。
 なるべく手近な森を探そう。
 そこに水が流れていれば僥倖だ。

 歩きながら、残してきた家臣達と、弟を思った。
 弟は、自分を探しているだろうか。
 完全に、勝敗を、この国の未来を決する為に。

 ゆるゆると首を振り、深呼吸をする。
 考えても仕方がない。
 俺は、もうあの場所には帰れない。帰るつもりもない。
 臆病者と笑われようと、なじられようと構わない。
 俺は、王の器ではないのだから。


――――……


 深紅の森を分け入って進む。
 土の匂いと、大樹の発する光に、ここが夢か現かも判然としない。

 頭上で、黒い鳥が低く鳴いた。
 この森には、精霊が宿っている。
 木々のざわめきも、動物たちの息遣いも、全てがこの森を守っているように感じられた。
 また、鳥が鳴く。
 すると、それに応えるかのように、別の鳥がまた鳴く。
 草木を踏み分ける音、柔らかい土の踏みしめられる音が足元から伝わってくる。
 その他に何か聞こえはしないかと、耳を澄ませた。
 例えば、水の湧き出でる音。この際、小川の流れる音でも構わない。
 しかし、そんな清らかな音は聞こえてこなかった。
 代わりに、空気が、低く微かに震えているのに気がつく。
 初めは、気のせいだと思った。
 そうでなければ、俺は本当にこの地で精霊との邂逅を果たさなければならなくなる。
 こんな時間に、こんな森の奥深くに用のある者など、他にいまい。
 いたとしても、それは、間違いなく人間ではない。
 人間ではない存在との邂逅など、穏やかではない。
 剣の通じる相手ならばまだ良いが、なす術もなく魂を抜かれてはかなわない。
 そんな俺の願いを嘲笑うかのように、空気の振動は強く、規則正しく伝わってくる。
 そして、その合間に、朧げな鈴の音が混じり始めた。
 面倒ごとはごめんだと冷静な頭は警鐘を鳴らす。
 しかし俺の足は、鈴の音に吸い寄せられるかのように、真っ直ぐその場所へと向かう。

 その振動は、今や大小様々な鼓を打つ音に変わっていた。
 それらの音に混じって、囃し立てるような女たちの歌声が流れてくる。
 何を言っているのかは、まるで分からない。
 それは、どこか異国の地の言葉だった。
 聴いたことのない言葉、旋律。
 しかし、それが何故か、涙が溢れるほど懐かしかった。

 茂みの間から、その音の出所を探す。
 そして探すまでもなく、彼女たちはそこにいた。

 森をくり抜いたかのようにぽっかりと空いた丸い地面。
 中心に、轟々と焚かれた炎。
 女たちはその周りに座していた。
 地に置かれた鼓が叩かれると低い音が地を揺らし、まるで大地が何かを訴えかけているかのようだ。
 それを追うかのように、肩に担がれた方々の鼓が鳴った。
 そしてその中心に、一人の女が舞っていた。

 その手には、鈴と、幣のような布。
 女が腕を振るたびに空気が揺れ、揺れた空気が澄んでいくのが分かる。
 女が飛べば、風が彼女を助けるかのように舞い上がった。
 鈴が、鳴る。地を踏み回る彼女に合わせて。
 聞いたことのない鈴の音だった。
 夜空の星を転がせばこんな音を奏でるのかもしれない。
 見たことのない衣装は胸部と脚を隠すのみだが、身体中のあらゆるところに装飾が下げられていた。
 漆黒の髪が刃のように空気を裂く。
 周囲の女たちの囃子がどんどん高くなっていく。
 そのとき、彼女が口を開いた。

――此の地に座す優しき神よ、今宵の星々の輝かしき事、月の清らかなる事よ。

 その声は、清水のように澄んだ、氷の先端だった。

――どうか我らと踊ってほしい。万年の孤独を分け合おう。

 聞いたことのない言葉のはずなのに、その意味が否応無く脳に叩き込まれてくる。
 一音一音が突き刺さるようだった。

――無力な人の子に哀れみを。我らの願いに灯す炎を。

 痛む頭が急に楽になる。
 そして視界が暗転し、俺の意識は、そこで途絶えた。


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