ベルガー子爵領は今日も(概ね)平和

文月黒

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 ベルガー子爵邸の中庭には、マリアが見て判るだけでも数種類のハーブが植えられていた。
 多分マリアが知らないだけで、実際にはもっとたくさんの種類が植えられているのだろう。
 ハーブティーは近年王都でも流行っていたけれど、マリアの生家では既にハーブティーとして整えられた茶葉を買うだけだった為、こうして実際に生えているものを見るのは初めてだった。

「可愛いお庭……」

 思わず呟いたマリアに、ベルンハルトが気に入ったようで良かったと安堵する。
 王都で流行っている庭の造りなど知らないので、時代遅れだとか流行違いだとか思われたらどうしようかと心配していたのだ。
 しばらく二人でじっと庭を眺めていたが、ヴォルフがごほんとわざとらしい咳払いをしてそろそろ本題に入れとベルンハルトに促す。
 そこで初めて本来の目的を思い出し、ベルンハルトはちらとマリアへと視線を向けた。
 ぬる目に淹れたハーブティーを美味しそうに口にするマリアは、次にビスケットに手を伸ばして一口齧り、パッと顔を輝かせた。
 可愛い。物凄く可愛い。ビスケットを齧るだけでこんなにも可愛いという事は、最早呼吸をしているだけでも可愛いのでは?とベルンハルトの意識が脱線しそうになると、再びヴォルフが咳払いをする。

「ラカン男爵令嬢」
「は、はいっ」
「……遠路はるばるお越し頂き感謝する。長旅で疲れてはいないだろうか」
「そんな、私は大丈夫です。私こそ、皆様の歓迎に心より感謝申し上げます。あっ、私ったらきちんとご挨拶もしていないわ。大変失礼致しました。改めてご挨拶申し上げても?」
「あ、あぁ」
「それでは……」

 慎重にティーカップを置いたマリアは、上等なソファから立ち上がると、手でスカートの皺を払ってから、ベルンハルトに向けて軽く膝を折って礼をした。

「ラカン男爵家四女、マリア・アーシェ・ラカンでございます。この度、ベルガー子爵様に嫁ぐ為、罷り越しました。どうぞ末永くよろしくお願い申し上げます」

 きっと何度も練習したのだろう。
 わずかな緊張を滲ませた声で口上を述べると、マリアはベルンハルトに申し訳無さそうに言った。

「あの、ドレスはちゃんと落ち着いたものを仕立て直しますから、どうかそれまでお目溢し頂けると……」
「ドレス? 持ってきた分では足りなかったのか?」
「いえ、でも、デザインが子供っぽいので……」
「そうか? 俺にはご婦人のドレスはよくわからんが、よく似合っているし、可愛いと思うが……気に入らないのなら君の好きにすると良い」

 何気なく答えたベルンハルトだったが、みるみる内にマリアの顔が真っ赤になっていくのを見て、何か失言でもしたかと思わず控えていたヴォルフを見た。
 視線の先のヴォルフはいい笑顔でサムズアップしているので、失言ではなかったらしい。ヴォルフの隣に控えていたローザはお嬢様が可愛いのは当然だが?という顔をしている。
 何が何だかわからないまま、ベルンハルトはマリアへと視線を戻した。
 マリアは両手を赤く染まった頬に当てて可愛いって言われちゃったと一人きゃあきゃあしている。
 そこまでの流れを脳内で何度も反芻し、ベルンハルトはついに一つの結論に辿り着いた。

(そうか、彼女に対して可愛いという当たり前の言葉を口に出しても許されるのか……)

 そしてベルンハルトはすぐにそれを実行した。

「今着ているドレスも大変可愛らしいと思う。髪型も素敵だ」
「えっ、あ、有難うございます。私、子爵様はもっと落ち着いたデザインの方がお好きかと思って……。先程は泣いてしまってごめんなさい」
「いや、構わない。泣かれるのは慣れている」

 それきり二人はしばらく無言でいじいじもじもじしていたが、今度はマリアが意を決したような顔で言った。

「わ、私も、ベルガー子爵様の鎧姿、とってもかっこいいと思います! 凛々しくて、逞しくて、頼もしく思えます」
「そうか……!」

 鎧の良さが解る令嬢・マリアは、ベルンハルトの籠手に施された細工が西方の職人のものである事まで見抜いて、褒めに褒めちぎった。
 ベルンハルトは何故令嬢がこんなに武具に詳しいのかと思ったが、よくよく思い返せば彼女の生家・ラカン男爵家は、そもそも武器や防具を商う商人であったと思い至った。
 彼女にとって武器防具というものは、他の貴族令嬢に比べるとずっと身近なものだったのかもしれない。
 マリアについて一つ知る度、十の喜びがある。
 ベルンハルトは彼女と出会えた奇跡と、あの日の夜会の主催者に心から感謝した。

「私からも改めて。ベルンハルト・フォン・ベルガー。君の夫となる男だ。貴族らしい繊細さとは無縁の無骨なばかりの男だが、どうかよろしく頼む」

 そう言ってベルンハルトはマリアの前に跪き、彼女のドレスの裾を手繰って口付けを落とした。
 ひゃあとマリアの口から声が漏れたが、そんな姿ですら可愛く見えて、ベルンハルトは久しぶりに、本当に久しぶりに心から笑ったのだった。

 それから二人は庭に出て、少しばかりの散策を楽しむ事にした。
 ベルンハルトは庭から見える山の稜線が夕陽で橙色に染まる瞬間を見て貰いたかったし、庭師が丹精込めた庭ももっと楽しんで貰いたかったからだ。

「子爵様、とても良い香りがしますわ」
「あぁ、それはあの花の香りだろう」

 リラックスした様子で散策を楽しむ二人を、控えていたヴォルフはどこか安堵した気持ちで、そしてローザはやはりうちのお嬢様は世界一可愛いという気持ちで眺めていた。
 更に言えば、使用人通路に控えていた使用人達は、盗み聞いたこれまでの会話やドアの隙間から覗き見た二人の様子に嗚咽を堪えるのに必死だった。
 ようやくうちの子爵も幸せになれる。
 それこそ、屋敷の使用人ひいては領民全ての悲願であった。

 ──その夜、屋敷の半地下にある使用人ホールでは、使用人達が拳を握ってヨッシャオラ!と二人の幸せな未来を願い、皆に望まれた子爵の結婚式の前祝いに沸くのだった。
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