ベルガー子爵領は今日も(概ね)平和

文月黒

文字の大きさ
上 下
2 / 6

1-2

しおりを挟む
「待てって! おい、ベルンハルト!」

 ずかずかと屋敷の廊下を歩くベルガー子爵を追い掛けながら、その騎士、ヴォルフ・フェルゼンは乳兄弟ゆえに許された気やすさで子爵を呼び止めようと努めていた。

「なぁ、ベルンハルト。ちゃんとお前が迎えてやらないと! 男爵令嬢はお前の花嫁なんだぞ」
「無理だろう。彼女は俺を見て悲鳴を上げるほどだぞ。怖がられるのには慣れている」

 ベルガー子爵ことベルンハルト・フォン・ベルガーは、戦場で培った鋭い眼光に加え、平均をゆうに超える熊のような立派な体躯と常に滲み出る威圧感を備えた男だった。
 領民らは慣れているので気にもしないが、他領の人間はまずベルンハルトの身長の高さに驚き、鍛え上げられた体躯に怯み、そしてその射抜かれそうな眼光からなる覇気に逃げ出すのである。
 あのように小さくて可憐な娘は、自分のようなデカくてむさ苦しい男など初めて目にしたに違いない。
 あれ以上怖がらせたくなくてあの場を離れたのは、決して間違いではないはずだ。
 ベルンハルトは、こんな状態で本当に結婚式を執り行えるのかと不安になったが、ここまできて辞める方が手続きが大変だろう。
 諸々を考えて重苦しく溜め息を吐いたベルンハルトにヴォルフが言った。

「つーかさぁ、怖がらせたくないんだったら、お前のその格好は何なんだよ」
「見ての通り正装だが。お前が花嫁を迎える時は正装でと言ったんだろう」
「あのなぁ」

 やれやれと首を振りながら溜め息を吐き、ヴォルフはぐいとベルンハルトのマントを掴んだ。

「戦時中か軍人でもなきゃ、世間様は戦装束を正装とは言わないんだよ」

 ヴォルフの指摘にベルンハルトはじっと己の出立ちを見下ろした。
 白銀の鎧。毛皮の襟付きマント。籠手に精緻な彫刻を施した具足に至るまで、最上級のもので揃えた品々。
 愛用している大剣は令嬢が怖がるかもしれないと思って佩刀しなかったが、剣帯は無いとかえって落ち着かないので装着している。
 花嫁を迎えに行く際、ヴォルフに一番良い正装で出迎えるようにと言われたので用意したものだ。

「ダメなのか?」
「良い理由あるか? 何でそんなごりっごりの戦支度しちゃったの? お前にとって結婚って戦なの? ていうか誰か止めなかったのか?」
「皆カッコいいと言ってくれたんだが……」
「これだからベルガー領民はよォ!」

 ヴォルフは思わず渾身の力を込めてベルンハルトの腹を殴りつけたが、残念ながら鎧と強靭な筋肉によってベルンハルトにダメージを与える事は出来なかった。

「王都の箱入り令嬢が、嫁ぎ先で出会い頭にそんな気合い入った戦装束見せつけられたら、そりゃあ怖がりもするだろうさ」
「では何を着ろというんだ」
「普通に夜会で着るような礼服を着ろ!」
「あんなに頼りないものをか⁉︎」
「防御力で考えるのやめような!」

 ベルンハルトとヴォルフがそんな不毛な言い争いをしばらく続けていると、令嬢付きの侍女が一人でやってきてこほんと咳払いをした。
 この国において、女性のこの仕草は私の話を聞けというサインである。
 即座に男二人が口を閉じ、侍女に視線で話を促せば、彼女は至極真面目な顔で問うた。

「ベルガー子爵にお尋ね致します。子爵は、その……可愛らしいものはお好きでいらっしゃいますか?」
「……は?」

 全く予想外の質問に、ベルンハルトは腹の底から疑問符を吐き出した。渾身の「は?」であった。
 戸惑った様子を隠せないベルンハルトとヴォルフを見て、令嬢付きの侍女は冷静に、ではご説明致しますと話を始めた。


 ──つい先程の事だ。
 子爵が馬車停めから去り屋敷へと戻った後で、侍女のローザは他の使用人達に見守られながらそっと男爵令嬢に声を掛けた。
 馬車の中からは相変わらず令嬢の泣き声が聞こえていたが、最初に比べたら随分と小さくなっていたのでそろそろ頃合いかと判断したのだ。

「お嬢様。子爵様はお屋敷にお戻りになられました。どうか馬車からお降り下さいまし。せめてお部屋に入ってお休み下さいな」

 男爵令嬢の侍女にして家庭教師でもあったローザが、何をそんなに泣いているのと優しく話し掛ければ、少しの沈黙を経て中からくぐもった声がぼそぼそと返って来た。

「し、子爵様は、きっと、私を見て呆れてしまったに違いないわ」
「どうしてそんな風に思われたのです?」
「だって! だって! 私、子爵様のお好みも考えずに、こんな、ふりふりでふわふわのドレスで来てしまったのよ!」

 言葉と共にバンと勢いよく馬車の扉が開き、転がるように令嬢が降りてくる。
 エスコートも無しに馬車のステップを踏み、最後の段からぴょんと地面に降りたラカン男爵令嬢は、泣き腫らした真っ赤な目に涙を浮かべて続けた。

「私、本当に楽しみにしてたの。だから浮かれてしまったのよ。子爵様に少しでも可愛く見られたくて、王都で一番人気の仕立て屋に、とびきり可愛いドレスをお願いしたの。レースもフリルもリボンもたくさんの」

 ラカン男爵令嬢の言葉通り、ドレスには高価なレースやリボン飾りがふんだんに使われ、令嬢は芍薬の花をひっくり返したようなふわふわと可愛らしい出立ちだった。
 小柄な立ち姿に加え、淡い髪色とどこか幼い顔立ちが余計に愛らしさを引き立てている。
 可愛いの化身、と使用人の一人が呟いた。

「えぇ、えぇ、大変可愛らしゅうございますよ」

 侍女も心から今日もうちのお嬢様が世界一可愛いと思いながら頷いたのだが、令嬢はくしゃりと顔を歪めてポロポロと涙を流し始めた。

「子爵様のお姿を見た? 鎧も凛々しくて、華美な装飾のない落ち着いたデザインがとてもお美しかったわ。私の、こんな子供っぽいドレスじゃ、不相応過ぎてとても横を歩けない……。私、恥ずかしい……。穴があったら入りたいわ……」

 子爵夫人になるのだというのに、立場も弁えず自分の趣味を優先したデザインのドレスで来てしまった事を恥じ、ラカン男爵令嬢はスンスン泣きながら再び馬車に閉じこもろうとステップに足を掛けた。
 それを使用人達が何とか阻止して部屋に案内したのである。



「……ご理解頂けましたか」

 話し終えた侍女ローザが真剣な顔付きで問う。
 なるほどとヴォルフは深く頷いたが、肝心のベルンハルトはきょとんとしている。
 今まで初対面の人間に怖がられなかった事が皆無であったので、令嬢が自分と会うのを楽しみにしてめかし込んできたという事実をいまいち理解出来ていないらしい。
 そんなベルンハルトに気が付き、ヴォルフはわかんねぇのかよ!と脇腹を小突いて叫んだ。

「今すぐ可愛いって言え!」

 その言葉に、ベルンハルトは眉を顰めてヴォルフを見た。

「お前、正気か? 断る」
「いや俺にじゃねぇよ、この馬鹿」

 ヴォルフは今までの流れ読めよとベルンハルトの脛を蹴ったが、彼の脛は武具に守られていたのでこれもまたダメージを与える事は出来なかった。

「それで、子爵様は可愛らしいものがお好きですか? 具体的に申し上げますと、うちのお嬢様は子爵様からご覧になっていかがでしょうか?」
「いかがかと言われてもな……」

 先ほどちらりと見えたラカン男爵令嬢は仔兎のように小さくて愛らしくて、こんなに可愛い生き物がこれまで無事に生きて来られたのは神の加護が幾重にもあったに違いないと確信する程であったが、そんな事はラカン男爵令嬢からしてみれば至極当然の事であるだろうし、敢えて口にする程の事ではないようにベルンハルトには思えた。
 むぅと口を引き結んで言葉に迷っている様子のベルンハルトに、焦れたヴォルフがローザに続いて問い掛ける。

「なぁ。お前から見てあの令嬢は可愛かったか?」

 その問い掛けに、ベルンハルトは何を言っているんだと呆れた顔になって答えた。

「は? お前の目はいつから節穴になったんだ。可愛いなどというものではない。そんなレベルは軽く通り越している。いっそ尊い」
「アッ、物凄く気に入ってるやつだコレ」

 どうやら相手に悪感情はかけらも持ってはいないと確信し、侍女ローザと騎士ヴォルフはベルンハルトに改めて令嬢と挨拶の場を設けるよう進言した。
 二人の熱心な説得に、これから結婚する相手でもあるのだし、子爵として挨拶もろくにしないというのもやはり失礼だろうとベルンハルトも頷いて、令嬢が休んでいる部屋へ向かう事を了承した。

「……おい、ベルンハルト。お前何持ってるんだ?」
「見てわからないか。兜だ」
「何でそんなモン持ってんだよ! 置いてこい!」
「しかし、令嬢は俺の顔を怖がりはしないか」
「兜の方が怖いだろ!」
「大丈夫、大丈夫ですから! お嬢様は子爵様のお顔を存じ上げておりますので!」

 令嬢の部屋に到着するまでにヴォルフがベルンハルトから兜を取り上げて、ついでに胴鎧を外させる。
 ベルンハルトは、防御力が下がったなとほんの少しだけしょんぼりしながら、男爵令嬢の部屋に続く廊下を歩くのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

絵姿

金峯蓮華
恋愛
お飾りの妻になるなんて思わなかった。貴族の娘なのだから政略結婚は仕方ないと思っていた。でも、きっと、お互いに歩み寄り、母のように幸せになれると信じていた。 それなのに……。 独自の異世界の緩いお話です。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい

LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。 相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。 何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。 相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。 契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

好きな人がいるならちゃんと言ってよ

しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...