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その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。
何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。
相手は王都の男爵家の末娘であるという。
王都とベルガー子爵領は相当な距離があるので、花嫁は式の準備を兼ねて先にこちらに来るのだと聞いて、子爵邸の使用人達は若奥様を迎える為に期待と興奮のあまりはしゃぎ過ぎてしまい、度々侍従長に叱りつけられながら、掃除や洗濯をしたり、食材の買い付けや若奥様の好みそうなレシピの餞別に勤しんでいた。
ベルガー子爵領は王国の辺境にある小さな領で、有り体に言ってしまえばド田舎だった。
これで辺境伯のような国の重要なポジションにでもいれば良かったのだが、ベルガー家は代々由緒正しい辺境のド田舎貴族であった。
領地も森や山が多く、農業が出来るエリアも限られていた為、領民達の半分は山羊や羊を飼う他、織物や家具などの手工業を生業としていた。
ではもう半分は何を生業にしているのかというと、それは子爵家子飼いの傭兵稼業であった。
このベルガー子爵領、子爵という爵位はあれど、中身は子爵を頭領とした立派な傭兵集団である。
南に諍いあれば飛んでいって稼ぎまくり、北から救援要請があればこれに応えて敵をタコ殴りにする。
泣く子も黙るどころかもっと泣くし、最近一番泣いているのはたかが田舎貴族と舐めきって、攻め入った端から返り討ちにされた野盗達であるという、控えめで配慮した言い方をすれば血気盛んな気風の領地である。
何故そんな集団のトップに爵位など与えられているのかと言えば、さる時代の王が『頭領に爵位を与えるので領地で程々に大人しくせい』と命じたからだと言われている(※諸説あり)
しかし、これでひと度他国との開戦ともなれば、ベルガー子爵領の戦える者達は全てが前線に立つと王家との盟約がある為、多少やんちゃをしても周りの貴族からは目溢しをしてもらえるという訳だった。
そんな、女も男も酒と喧嘩に滅法強く、血気盛んすぎて私闘に関する法律が他の領地の倍はあるベルガー子爵領。
並の貴族女性は皆怖がって近寄るどころか、夜会で子爵を見掛けただけで恐ろしさに卒倒する程であった。
現ベルガー子爵が結婚適齢期に差し掛かり、近隣領地の貴族令嬢に手紙を送れば、その手紙を受け取った令嬢のほとんどはやっぱり気絶するか泣き叫ぶかであったので、その内に子爵も遠慮して一生独身を貫く覚悟をしたのだが、縁あってめでたく婚約が成立したのである。
子爵邸の人間は勿論、領民達も皆心からヨッシャオラ!と拳を握って喜び、エールを樽で開けて浴びるように飲みながら子爵の婚約を祝ったのが半年ほど前の話。
そしてその婚約がまとまってとんとん拍子に話が進み、ついに王都から花嫁がやって来るのだ。
領民達にとって王都というのは、御伽話でしか知らないような遥か遠くの楽園か何かと同義語だった。
ちなみに花嫁はこの領地へは一人でやって来て、結婚式も家族は参列せずに代理人が出るらしいと聞いたのが若干不安を煽るが、それでも子爵の結婚相手が見つかった喜びが勝って領民は皆浮かれに浮かれていた。
花嫁を迎えに行った子爵の腹心の部下が馬車を護衛して戻るはずだから、早く通らないかなぁと領民はそわそわドキドキしながら山羊や羊の世話をし、小さな畑を耕し、織った布を干しながら、チラチラ馬車が通るはずの道を気にかけつつ、ずっとその時を待っていた。
──そして。
「ラカン男爵令嬢、御到着でございます」
領民達に目一杯手を振られ、雄叫びまじりの歓声を浴びながら、ついに子爵邸に花嫁を乗せた馬車が到着したのだった。
花嫁を迎える為に子爵自らも馬車停めまで出向き、どんと仁王立ちで花嫁が降りてくるのを待つ。
護衛をしていた騎士の一人が馬車の外から声を掛けると、内鍵の開いた音がしてゆっくりと馬車の扉が開いた。
最初に降りて来たのは、かっちりとしたデザインかつ地味な色合いのドレスを纏い、隙なく髪を結い上げた年頃の女性だった。
見たところ令嬢付きの侍女のようである。
彼女は騎士の手を借りて素早く馬車を降り、そして馬車の中に向かってお嬢様、と声を掛けた。
すると、応えるように馬車の中から伸ばされたのは白い長手袋をはめた細い腕だった。
小さな手が騎士の手に重ねられ、騎士のエスコートを受けて令嬢がゆっくりと馬車から姿を現す。
野うさぎのような淡い茶色の髪と、くりんとした焦茶色の大きな瞳。
小柄な身体と相俟って、可愛らしいという形容詞をそのまま人間にしたような令嬢だった。
レースやフリルをたっぷり使ったドレスを纏ったラカン男爵令嬢は、馬車から降りる為に半分ほど身を乗り出し、そしてふと視線の先にベルガー子爵を認めるとびくりと動きを止めた。
ベルガー子爵も反射的にその視線を受け止め、見つめ合う事数秒。
「嫌……ッ!」
そう小さく叫んで、ラカン男爵令嬢は兎が巣穴に逃げ込むかのように勢いよく馬車の中に引っ込むと、バタンと馬車の扉まで閉めてしまった。
残る沈黙が大変気まずい。
しかもその内に馬車の中から啜り泣く声まで聞こえてきた。
やはりこんな田舎に嫁ぐのは嫌だったのか。それとも悪名高い己が悪いのか。
ベルガー子爵は無言で眉根を寄せて考えたが、とりあえずここに自分がいると令嬢は馬車を降りる事が出来ないだろうと判断してその場から離れる事を決めた。
「令嬢が落ち着いたら部屋に案内してやりなさい」
そう言ってベルガー子爵はマントを翻して屋敷へと戻った。
それを腹心の部下であり乳兄弟でもある騎士が慌てて追い掛ける。
(き、気まずい……)
その場に残された使用人と令嬢付きの侍女は、ただただ困惑して互いに顔を見合わせるばかり。
これが、ベルガー子爵領での、ベルガー子爵とラカン男爵令嬢の最悪過ぎる初対面であった。
何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。
相手は王都の男爵家の末娘であるという。
王都とベルガー子爵領は相当な距離があるので、花嫁は式の準備を兼ねて先にこちらに来るのだと聞いて、子爵邸の使用人達は若奥様を迎える為に期待と興奮のあまりはしゃぎ過ぎてしまい、度々侍従長に叱りつけられながら、掃除や洗濯をしたり、食材の買い付けや若奥様の好みそうなレシピの餞別に勤しんでいた。
ベルガー子爵領は王国の辺境にある小さな領で、有り体に言ってしまえばド田舎だった。
これで辺境伯のような国の重要なポジションにでもいれば良かったのだが、ベルガー家は代々由緒正しい辺境のド田舎貴族であった。
領地も森や山が多く、農業が出来るエリアも限られていた為、領民達の半分は山羊や羊を飼う他、織物や家具などの手工業を生業としていた。
ではもう半分は何を生業にしているのかというと、それは子爵家子飼いの傭兵稼業であった。
このベルガー子爵領、子爵という爵位はあれど、中身は子爵を頭領とした立派な傭兵集団である。
南に諍いあれば飛んでいって稼ぎまくり、北から救援要請があればこれに応えて敵をタコ殴りにする。
泣く子も黙るどころかもっと泣くし、最近一番泣いているのはたかが田舎貴族と舐めきって、攻め入った端から返り討ちにされた野盗達であるという、控えめで配慮した言い方をすれば血気盛んな気風の領地である。
何故そんな集団のトップに爵位など与えられているのかと言えば、さる時代の王が『頭領に爵位を与えるので領地で程々に大人しくせい』と命じたからだと言われている(※諸説あり)
しかし、これでひと度他国との開戦ともなれば、ベルガー子爵領の戦える者達は全てが前線に立つと王家との盟約がある為、多少やんちゃをしても周りの貴族からは目溢しをしてもらえるという訳だった。
そんな、女も男も酒と喧嘩に滅法強く、血気盛んすぎて私闘に関する法律が他の領地の倍はあるベルガー子爵領。
並の貴族女性は皆怖がって近寄るどころか、夜会で子爵を見掛けただけで恐ろしさに卒倒する程であった。
現ベルガー子爵が結婚適齢期に差し掛かり、近隣領地の貴族令嬢に手紙を送れば、その手紙を受け取った令嬢のほとんどはやっぱり気絶するか泣き叫ぶかであったので、その内に子爵も遠慮して一生独身を貫く覚悟をしたのだが、縁あってめでたく婚約が成立したのである。
子爵邸の人間は勿論、領民達も皆心からヨッシャオラ!と拳を握って喜び、エールを樽で開けて浴びるように飲みながら子爵の婚約を祝ったのが半年ほど前の話。
そしてその婚約がまとまってとんとん拍子に話が進み、ついに王都から花嫁がやって来るのだ。
領民達にとって王都というのは、御伽話でしか知らないような遥か遠くの楽園か何かと同義語だった。
ちなみに花嫁はこの領地へは一人でやって来て、結婚式も家族は参列せずに代理人が出るらしいと聞いたのが若干不安を煽るが、それでも子爵の結婚相手が見つかった喜びが勝って領民は皆浮かれに浮かれていた。
花嫁を迎えに行った子爵の腹心の部下が馬車を護衛して戻るはずだから、早く通らないかなぁと領民はそわそわドキドキしながら山羊や羊の世話をし、小さな畑を耕し、織った布を干しながら、チラチラ馬車が通るはずの道を気にかけつつ、ずっとその時を待っていた。
──そして。
「ラカン男爵令嬢、御到着でございます」
領民達に目一杯手を振られ、雄叫びまじりの歓声を浴びながら、ついに子爵邸に花嫁を乗せた馬車が到着したのだった。
花嫁を迎える為に子爵自らも馬車停めまで出向き、どんと仁王立ちで花嫁が降りてくるのを待つ。
護衛をしていた騎士の一人が馬車の外から声を掛けると、内鍵の開いた音がしてゆっくりと馬車の扉が開いた。
最初に降りて来たのは、かっちりとしたデザインかつ地味な色合いのドレスを纏い、隙なく髪を結い上げた年頃の女性だった。
見たところ令嬢付きの侍女のようである。
彼女は騎士の手を借りて素早く馬車を降り、そして馬車の中に向かってお嬢様、と声を掛けた。
すると、応えるように馬車の中から伸ばされたのは白い長手袋をはめた細い腕だった。
小さな手が騎士の手に重ねられ、騎士のエスコートを受けて令嬢がゆっくりと馬車から姿を現す。
野うさぎのような淡い茶色の髪と、くりんとした焦茶色の大きな瞳。
小柄な身体と相俟って、可愛らしいという形容詞をそのまま人間にしたような令嬢だった。
レースやフリルをたっぷり使ったドレスを纏ったラカン男爵令嬢は、馬車から降りる為に半分ほど身を乗り出し、そしてふと視線の先にベルガー子爵を認めるとびくりと動きを止めた。
ベルガー子爵も反射的にその視線を受け止め、見つめ合う事数秒。
「嫌……ッ!」
そう小さく叫んで、ラカン男爵令嬢は兎が巣穴に逃げ込むかのように勢いよく馬車の中に引っ込むと、バタンと馬車の扉まで閉めてしまった。
残る沈黙が大変気まずい。
しかもその内に馬車の中から啜り泣く声まで聞こえてきた。
やはりこんな田舎に嫁ぐのは嫌だったのか。それとも悪名高い己が悪いのか。
ベルガー子爵は無言で眉根を寄せて考えたが、とりあえずここに自分がいると令嬢は馬車を降りる事が出来ないだろうと判断してその場から離れる事を決めた。
「令嬢が落ち着いたら部屋に案内してやりなさい」
そう言ってベルガー子爵はマントを翻して屋敷へと戻った。
それを腹心の部下であり乳兄弟でもある騎士が慌てて追い掛ける。
(き、気まずい……)
その場に残された使用人と令嬢付きの侍女は、ただただ困惑して互いに顔を見合わせるばかり。
これが、ベルガー子爵領での、ベルガー子爵とラカン男爵令嬢の最悪過ぎる初対面であった。
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