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最終話
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その後、王太子ヴィルヘルムと盛大な結婚式を挙げたビアンカは、王太子妃の名の下に独自の情報網を構築し、少しずつだが確実に王宮内をその手中に収めているという。
また、王太子の成婚時、通常であれば罪人が恩赦を受けて解放される事もあるのだが、ヴィルヘルムはそれをせず、代わりに国内の教会に寄付を行った。
けれどそれは多くの貴族達が心配したような宗教を政治に持ち込む為のものではなく、教会への寄進額は王室の慣例に倣ったものだった。
ともかくそのおかげで教会の建物ばかりか、キャロルの実母が眠る墓地も整地されて随分と綺麗になった。
芝生や花も整えられたから、魂も安らかに眠る事が出来るだろう。
きっとビアンカがヴィルヘルムに何か吹き込んだのだろうが、それを敢えて問い詰めるような無粋はしなかった。
『──それで、わたくし随分と長い事考えていたのだけれど、ついに良いものを思い付いたのよ──』
嫁ぎ先の屋敷の中庭で、アンナは王太子妃から送られてきた八割が王太子との生活についての惚気話で構成された手紙に目を通しながら、ぼんやりとこれまで繰り返してきたキャロル・ウィンズレッドとしての数々の人生や、おそらく最後になるだろう今回の人生について振り返っていた。
人生を繰り返すのは、同じ本を一頁目から読み直す行為によく似ている。
とは言え、本のように全く同じストーリーをなぞって来た訳ではないから、随分と色んな事があったように思う。
唯一変わらないのは、己も、ビアンカも、そしてヴィルヘルムも、自分が幸せになる為に躊躇いなく他者を犠牲にしてきたという事。
今この場に自分がいるのも、本物のアンナや身代わりにした誰かの命を犠牲にしたから。
でも、だからと言って後悔もなければ罪悪感だって欠片も無い。
だって自分は今の幸福を掴む為にこれまで精一杯努力してきたのだ。
「……あれ?」
しかし、ふと違和感を覚えてアンナは思わず首を捻った。
ビアンカは今でこそ自らに素直に生きる悪徳の娘であるが、アンナが、いや、『キャロル』が記憶している『一番最初のビアンカ』はもっと新雪のように真白で曲った事を許さない令嬢の鑑ではなかったか。
幾ら人生を繰り返す内に鬱憤が溜まったと言っても、侯爵令嬢として身に付けた鎧のような自制心があのように極端に薄まっているのはどうにも不自然だ。
キャロルとして王妃になる為の教育を受けた記憶のあるアンナは知っている。
あの手の教育とはある種の洗脳に近いものがある。
長年そんなものにどっぷり浸かっていたビアンカが、ちょっとやそっとのストレスでそれらを跳ね除けるなんて出来るのだろうか。
「もしかして、あの人も繰り返しの度に何か代償を支払っていたんじゃ……」
そしてアンナはハッとする。
思い返してみれば、繰り返しの度にビアンカは少しずつだが変わっていた。
思い切りが良くなったようにも見えたし、行動力が高まったようにも見えたが、何度目かの繰り返しの中で、ビアンカは侯爵令嬢としての全ての義務を放棄して田舎に逃げた事があった。
それはつまり。
「リンハルト侯爵令嬢は人生を繰り返す度に、代償として善性を失っていた……?」
今回の人生で始まったビアンカの悪徳は、失われた善性の結果だったのではないだろうか。
キャロルが繰り返した回数には及ばずとも、ビアンカには人生を繰り返しているという自覚と記憶があった。
それはまさしくアーティファクトのもたらした効力だ。
アーティファクトを使う度、キャロルは魔力を、ヴィルヘルムは記憶を、それぞれ個人が大切にしているものを代償として失っている。
ビアンカが大切にしていたものが貴族令嬢としての善性であったのならば、人生を繰り返す度に知らずにそれを失っていた可能性が無いとは言えない。
今更ながらにアンナは背筋に冷たいものを感じてごくりと喉を鳴らし、何か恐ろしいものでも見るかのようにそろりと手紙の文面へと目を走らせた。
ふんわりと薔薇の香水が振られた上質の便箋には、ビアンカの美しい文字が流れるように綴られている。
ヴィルヘルムから贈られた庭園の美しさや素晴らしさを喜ぶ言葉、宮廷内の人間関係に対するわずかな愚痴、アンナにも遊びに来てほしいと請う誘いの言葉。
そして。
『──わたくしが主人公ならタイトルは『悪徳のススメ』が良いと思うの』
ありふれた内容の手紙の最後に書かれた言葉に、アンナは一瞬だけ目を瞠り、そしてふっと小さく笑った。
そうビアンカが自ら名付けた物語の名は、アンナの胸にも妙にしっくりと収まった。
己がエゴを満たす為、数々の悪徳を積んできた自分達が生きるこの世界を示すのに、これ以上のタイトルがあるだろうかとすら思う。
(そうね。あたし達、誰一人善人なんかじゃ無いもの)
アンナは読み終えた手紙をそっと畳み、封筒へと仕舞い込みながら独りごちた。
自分はもうキャロル・ウィンズレッドではない全く別の存在となった。
主人公の座を降りて幾久しく、今では王都を離れ田舎の伯爵夫人である。
対して彼女は、今頃王太子妃の宮であの美しい淡い銀の髪をキラキラと輝かせ、この世の悪など知りもしないような無垢な笑顔を浮かべて、鼻歌混じりに気に入らない相手をチェス盤の外に追いやる算段でも立てているのだ。
もしもこの先彼女が自らの悪徳によって断罪される事になったら、その時彼女はどんな顔をするのだろうか。
アンナはふとそんな事を考えたが、きっとそんな事になったとしても彼女は満足そうに笑って見せるに違いなかった。
断頭台へと続く道ですらピクニックにでも出るように軽やかに進み、それでは皆様ご機嫌ようと民衆に向かって優雅にカーテシーなんぞ披露するかもしれない。
彼女の名はビアンカ・コルドゥラ・リンハルト。
何せこの国一番の悪女であるのだから。
──さて、物語にはそれがどんなものであれ読者が必要だ。
アンナは、自分こそがビアンカがこの先紡いでいく悪徳と幸せの物語を傍観する読者となろうと胸に決め、テーブルに封筒を置くとワインではなく紅茶が注がれたカップを目線の高さに持ち上げた。
「王太子妃様の悪徳に、乾杯」
七回目の人生を謳歌するべく悪女になる事を決意したビアンカ・コルドゥラ・リンハルトの物語は、王太子妃となってからも続いていく。
ハッピーエンドのその先を求め、己が胸に掲げた『悪徳のススメ』に導かれるままに。
また、王太子の成婚時、通常であれば罪人が恩赦を受けて解放される事もあるのだが、ヴィルヘルムはそれをせず、代わりに国内の教会に寄付を行った。
けれどそれは多くの貴族達が心配したような宗教を政治に持ち込む為のものではなく、教会への寄進額は王室の慣例に倣ったものだった。
ともかくそのおかげで教会の建物ばかりか、キャロルの実母が眠る墓地も整地されて随分と綺麗になった。
芝生や花も整えられたから、魂も安らかに眠る事が出来るだろう。
きっとビアンカがヴィルヘルムに何か吹き込んだのだろうが、それを敢えて問い詰めるような無粋はしなかった。
『──それで、わたくし随分と長い事考えていたのだけれど、ついに良いものを思い付いたのよ──』
嫁ぎ先の屋敷の中庭で、アンナは王太子妃から送られてきた八割が王太子との生活についての惚気話で構成された手紙に目を通しながら、ぼんやりとこれまで繰り返してきたキャロル・ウィンズレッドとしての数々の人生や、おそらく最後になるだろう今回の人生について振り返っていた。
人生を繰り返すのは、同じ本を一頁目から読み直す行為によく似ている。
とは言え、本のように全く同じストーリーをなぞって来た訳ではないから、随分と色んな事があったように思う。
唯一変わらないのは、己も、ビアンカも、そしてヴィルヘルムも、自分が幸せになる為に躊躇いなく他者を犠牲にしてきたという事。
今この場に自分がいるのも、本物のアンナや身代わりにした誰かの命を犠牲にしたから。
でも、だからと言って後悔もなければ罪悪感だって欠片も無い。
だって自分は今の幸福を掴む為にこれまで精一杯努力してきたのだ。
「……あれ?」
しかし、ふと違和感を覚えてアンナは思わず首を捻った。
ビアンカは今でこそ自らに素直に生きる悪徳の娘であるが、アンナが、いや、『キャロル』が記憶している『一番最初のビアンカ』はもっと新雪のように真白で曲った事を許さない令嬢の鑑ではなかったか。
幾ら人生を繰り返す内に鬱憤が溜まったと言っても、侯爵令嬢として身に付けた鎧のような自制心があのように極端に薄まっているのはどうにも不自然だ。
キャロルとして王妃になる為の教育を受けた記憶のあるアンナは知っている。
あの手の教育とはある種の洗脳に近いものがある。
長年そんなものにどっぷり浸かっていたビアンカが、ちょっとやそっとのストレスでそれらを跳ね除けるなんて出来るのだろうか。
「もしかして、あの人も繰り返しの度に何か代償を支払っていたんじゃ……」
そしてアンナはハッとする。
思い返してみれば、繰り返しの度にビアンカは少しずつだが変わっていた。
思い切りが良くなったようにも見えたし、行動力が高まったようにも見えたが、何度目かの繰り返しの中で、ビアンカは侯爵令嬢としての全ての義務を放棄して田舎に逃げた事があった。
それはつまり。
「リンハルト侯爵令嬢は人生を繰り返す度に、代償として善性を失っていた……?」
今回の人生で始まったビアンカの悪徳は、失われた善性の結果だったのではないだろうか。
キャロルが繰り返した回数には及ばずとも、ビアンカには人生を繰り返しているという自覚と記憶があった。
それはまさしくアーティファクトのもたらした効力だ。
アーティファクトを使う度、キャロルは魔力を、ヴィルヘルムは記憶を、それぞれ個人が大切にしているものを代償として失っている。
ビアンカが大切にしていたものが貴族令嬢としての善性であったのならば、人生を繰り返す度に知らずにそれを失っていた可能性が無いとは言えない。
今更ながらにアンナは背筋に冷たいものを感じてごくりと喉を鳴らし、何か恐ろしいものでも見るかのようにそろりと手紙の文面へと目を走らせた。
ふんわりと薔薇の香水が振られた上質の便箋には、ビアンカの美しい文字が流れるように綴られている。
ヴィルヘルムから贈られた庭園の美しさや素晴らしさを喜ぶ言葉、宮廷内の人間関係に対するわずかな愚痴、アンナにも遊びに来てほしいと請う誘いの言葉。
そして。
『──わたくしが主人公ならタイトルは『悪徳のススメ』が良いと思うの』
ありふれた内容の手紙の最後に書かれた言葉に、アンナは一瞬だけ目を瞠り、そしてふっと小さく笑った。
そうビアンカが自ら名付けた物語の名は、アンナの胸にも妙にしっくりと収まった。
己がエゴを満たす為、数々の悪徳を積んできた自分達が生きるこの世界を示すのに、これ以上のタイトルがあるだろうかとすら思う。
(そうね。あたし達、誰一人善人なんかじゃ無いもの)
アンナは読み終えた手紙をそっと畳み、封筒へと仕舞い込みながら独りごちた。
自分はもうキャロル・ウィンズレッドではない全く別の存在となった。
主人公の座を降りて幾久しく、今では王都を離れ田舎の伯爵夫人である。
対して彼女は、今頃王太子妃の宮であの美しい淡い銀の髪をキラキラと輝かせ、この世の悪など知りもしないような無垢な笑顔を浮かべて、鼻歌混じりに気に入らない相手をチェス盤の外に追いやる算段でも立てているのだ。
もしもこの先彼女が自らの悪徳によって断罪される事になったら、その時彼女はどんな顔をするのだろうか。
アンナはふとそんな事を考えたが、きっとそんな事になったとしても彼女は満足そうに笑って見せるに違いなかった。
断頭台へと続く道ですらピクニックにでも出るように軽やかに進み、それでは皆様ご機嫌ようと民衆に向かって優雅にカーテシーなんぞ披露するかもしれない。
彼女の名はビアンカ・コルドゥラ・リンハルト。
何せこの国一番の悪女であるのだから。
──さて、物語にはそれがどんなものであれ読者が必要だ。
アンナは、自分こそがビアンカがこの先紡いでいく悪徳と幸せの物語を傍観する読者となろうと胸に決め、テーブルに封筒を置くとワインではなく紅茶が注がれたカップを目線の高さに持ち上げた。
「王太子妃様の悪徳に、乾杯」
七回目の人生を謳歌するべく悪女になる事を決意したビアンカ・コルドゥラ・リンハルトの物語は、王太子妃となってからも続いていく。
ハッピーエンドのその先を求め、己が胸に掲げた『悪徳のススメ』に導かれるままに。
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励みになる感想ありがとうございました。
感想ありがとうございます。
初めて悪役令嬢ものを書いたので色々悩みながらの執筆でしたが、最後まで楽しんで頂けたようでとても嬉しいです!
読んで下さってありがとうございました。