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第七話
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──ダリモア伯爵ことアルバン・ダリモアは、リンハルト侯爵家の三男としてこの世に生を受けた。
彼が十四歳の時に次男が病死した為、次男が生前婚約していたダリモア伯爵家に兄の代わりにアルバンが婿入りする事が決まり、現在彼はダリモア伯爵として当主の座についている。
彼の生まれ持った幸福はリンハルト侯爵家という国内でも屈指の有力貴族の一員として富を享受し、恵まれた環境で少年期を過ごした事であり、彼の生まれ持った不幸は彼が三男として生まれた事だった。
この国の貴族は、家督を相続する者以外には原則として一切の相続が認められないのである。
つまり、長子以外は成長したら自分で身を立てる他なくなるのだ。
一部の貴族の中では、それを哀れに思い、家を出る際に財産のいくらかを餞別として渡す風習があったが、アルバンはそのような施しを良しとしなかった。
兄よりも己の方がよほど優秀であるというのに、自分の方が後に生まれたというただそれだけでこのように追いやられる理不尽に内なる怒りを抱え、それでも家の取り決めに従ってダリモア伯爵家に婿入りした。
彼の胸の内に秘めた怒りは、ダリモア伯爵として生きる内に少しずつ小さくなり、やがては消えていくはずであった。少なくとも本人はそうなるであろうと思っていた。
──リンハルト侯爵家にビアンカが生まれるまでは。
ビアンカ・コルドゥラ・リンハルト。
リンハルトの血統を強く示す薄紫色の瞳を持って生まれた、リンハルト侯爵家唯一の子供。
そこまでは良かった。
一人娘のビアンカはゆくゆくは他家から婿を迎え、リンハルトの血を繋いでいくと決まっていたからだ。
しかし、ビアンカが王家に嫁ぐという話が水面下で動き始めた時、アルバンの中で燃え尽きようとしていた過去の怒りが再燃し、それは熾火となって彼の胸の内をじりじりと焦がしていった。
一人娘のビアンカが王家に嫁げばリンハルト侯爵家には跡取りがいなくなる。
通常は親類縁者より養子をとって跡取りとするので、もしもアルバンに血の繋がった子がいれば、その子供がリンハルトの名を継ぐ事になっただろう。
だが、残念な事にアルバンの妻は身体が弱かった為、三人いる子供は皆養子であった。
それに、国内屈指の有力貴族であるリンハルト侯爵家は、何よりも血統を重要視していた。
故にビアンカが王家に嫁ぎ、子を成す事が出来たのならば、一人目は王族の正当なる世継ぎに、二人目の子供はリンハルト侯爵家の跡取りとする事が取り決められた。
もし子供に恵まれなかった場合は、リンハルト侯爵家は王位継承権を持つ子供の中から一人を養子に取り、その子供を後継者とする事も決められ、婚約は確定される事となった。
リンハルトの血統は守られるし、もしビアンカが子に恵まれずリンハルトの血統が絶えたとしても、王家の血を家門に取り込めるのならばこれ以上の名誉は無い。
ビアンカは王家の恩寵を受けるのみにとどまらず、リンハルトから離れてもなお、生家の全てを手に入れる事が出来るのだ。
ゆくゆく王妃となる彼女は王家とリンハルト侯爵家の実権を握る事になるだろう。
何も手に出来ずに愛すべき生家を出た己とは違い、嫁いで家を出てもなおその手に何もかもを持ったままのビアンカ。
──あぁ、あぁ、何という理不尽。
この時、長年を掛けて何とかかたちを保ってきたアルバンの心は、執着という炎で灼かれ、軋み、歪み、そしてかたちと性質を変えてしまったのだった。
アルバンはダリモア伯として国の要職に就いており、国の機密にも大きく関わっていた。
自身が知る内容を使えば兄であるリンハルト侯爵を失脚させる事は容易い。
けれど兄を失脚させただけでは侯爵家の実権がビアンカに移るだけである。
だからアルバンはまずビアンカ共々兄を排除する方法を考え始めた。
まずビアンカに汚名を被せ、責任を取らせる形で兄共々この世から退場させる。
そして王家への贖罪と国の重要な血統を絶やさない為という名目のもと、アルバンは離縁してリンハルト侯爵家に戻りリンハルト侯爵家を継ぐ。
ダリモア伯爵家は養子の中の誰かが引き継げば万事解決という訳だ。
目障りな人間がたった二人消えるだけで、自分は欲しかった全てを手に入れる事が出来る。
けれどもしばらくの期間、アルバンは未だ残る理性と良心によって計画を実行に移す事を躊躇っていた。
頭の中で想像するだけなら自由だが、本当に二人を手に掛けてしまっては己はもう血に塗れた道を進む事しか出来なくなる。
しかし、彼の胸の中で渦巻く黒い炎は日増しに大きくなり、いよいよ制御が出来なくなった頃、アルバンはキャロル・ウィンズレッドの存在を知ったのだった。
ウィンズレッド男爵家に引き取られたその娘は、かつてウィンズレッド男爵が手を付けたメイドが産んだ子供で、ウィンズレッドの血を引く子供にしては珍しい程の魔力量を持つという。
元々貴族にしては魔力も弱い一族で、あとは消えていくばかりと言われていたウィンズレッド男爵家にとって希望の光だったのだろう。
年頃はビアンカと同じくらいで、学園にも通うのだと聞く。
アルバンはその時ふと思ってしまったのだ。
その娘を上手く使えば、リンハルト侯爵家だけでなく、王家の中枢に入り込む事だって出来るのではないか、と。
そう考えてしまってからはもう歯止めが効かなかった。
アルバンが自らの権力をもって落ち目の男爵家を密かに支援し、あちこちに根を張り巡らせるように人を配置していく。
ビアンカを処刑に追い込むのに、証拠や実態など無くて構わない。その程度はどうにでもなるからだ。
必要なのはその為の囲い込みに必要な人員であり、ウィンズレッド男爵はアルバンの想像以上に狡猾に動いてくれた。
気掛かりだったのはこの計画の鍵ともいえる元平民であるキャロルだった。
平民として育ったせいか、とにかく品位に欠ける。
しかも時折「私はヒロインだからチート能力で王子の攻略も余裕だし」とか何とか意味不明な言葉を口走るのだ。
金の巻き毛と愛らしい容姿だけが取り柄のような娘ではあったが、アルバンが何か誘導するまでもなく、彼女はビアンカを敵視し事あるごとに悪役令嬢だと罵った。
本人のいないところで悪評を流し、ビアンカを排斥するよう自らの魔力を存分に使って周りの人間をじわじわと洗脳していく様は確かに効果的であった。
貴族としての性質が染み付いたアルバンからしてみれば、そのやり口は下賤そのものであったが、キャロルは自身に与えられた役割だけはしっかり理解していたようなので、アルバンは彼女に幾許かの金銭的援助と周りの貴族家への圧力を掛ける事で支援し、学園内では極力手を出さないようにしていた。
卒業までにはこちらで『証拠』を作り出せる算段が整っている。あとはそこにキャロルがいた事実があれば良いだろう。
証人として法廷に立たせるのに『元平民から成り上がり、家門の為に健気に頑張ってきた娘の涙ながらの嘆願』というのは、実に貴族受けするに違い無かった。
ビアンカを処刑に追い込み、圧力を掛けた貴族家達に賛同させてキャロルと王子を結婚させればあとは傀儡にしてしまえばいい。
ビアンカが本当に悪辣な行いに走った事だけは計算外だったが、証拠の一つや二つ増えたところでこちらの有利になるだけだ。
もう少しで全てが手に入る。
そう、思っていたのに。
(この娘、本当に私の姪のビアンカか?)
アルバンは目の前で微笑む娘を、驚きの混じる瞳で見詰めた。
「叔父様、どうなさったの。わたくしとはお話して下さらないの?」
甘ったるく話し掛けるその声音は、確かにビアンカのものである。
アルバンが追い詰め、そのまま処刑に持ち込めるはずだった娘だ。
だがこの違和感は何だ。
まるで全てを見透かすようなビアンカの瞳の中に、戸惑う己の顔が映っている。
(ビアンカに先見や千里眼の魔法は使えないはずだ。それなのに何故、何もかも知っているかのように振る舞える……?)
世間知らずの令嬢が、どうしてこのように貴族裁判を逆手に取り、自分達を追い詰める事が出来たのか。
王子の助力があったにしても、どうにも腑に落ちない。
侯爵家の令嬢としての気品や教養は申し分なくとも、外の世界など碌に知らない筈の娘にこのような一面があったとはアルバンは予想だにしなかった。
アルバンはビアンカと同じ色の瞳で、ただただ目の前の娘を見詰めるばかりで何も答えなかった。否、何も答える事が出来なかった。
「もう、叔父様ったら、この場での沈黙はかえって悪手でしてよ」
小さな溜め息と共にビアンカがそう呟いて、彼女は優雅な所作で椅子に座り直した。
二人の背後では既に大広間の中にいた者の半分程が宣誓を終えて、助かったり連行されたりしている。
そんな中、黒い血を吐いた貴族達の悲鳴じみた助命嘆願に一瞥もくれる事なく、ヴィルヘルムはビアンカとその叔父の話の邪魔にならないようにせっせと『選別』を進めていた。
ちらりとその選別の様子を確認し、ビアンカはふと気付いたように叔父に問い掛ける。
「そうだわ、叔父様。わたくしの事はさて置くとして、どうしてあの娘をお選びになったの? 使い終わった後に切り捨てるには確かに丁度良いけれど、その、あまりにも中身がお粗末でしょう? 自分が追い詰められた時、あの娘ったら真っ先に叔父様を目で探しておりましたもの」
確かな審美眼を持つ叔父様らしくないわと続けられて、アルバンは大広間から連行されようとしているキャロル・ウィンズレッドへ、ぼんやりとした視線を向けた。
拘束されてもなおみっともなく暴れ、喚き散らすその娘を数秒見遣り、そしてビアンカへと視線を戻す。
洗練された装い、指の先まで気を抜かず貴婦人として美しく椅子に座るビアンカは、その銀の髪と白い肌もあいまって、さながら雪の精霊のようだった。
だが、その気品の奥に潜む冷徹な何かに気付いた時、アルバンは自然と笑みを零していた。
この娘は誰よりも、そう、己など比べものにならない程、リンハルト侯爵家の血と性質を色濃く受け継ぐのだと理解したのかもしれない。
それは諦念にも似た自嘲気味な笑みだった。
「そうだな。今となっては理解できないが、あの時は確かに使える駒だと思ったのだ」
「まぁ、外面は良い娘だから、わたくしもそこそこ苦労しましたもの。でもそれもきっと叔父様の助力があったからこそでしょうね。あの娘一人だったら、あのような企みなど何一つ成功しなかったはずだわ」
「ビアンカ。お前の言う通りかもしれない。だが、それでも、私は……」
アルバンはゆっくりと息を吐きながら続けた。
「それでもこの計画を推し進めてしまうほど、私はお前が心底目障りだったし、お前が生まれた瞬間から、お前の事を世界で一番憎く思っているよ」
「あら、過去形で語らない辺りが潔くて素晴らしいわ。叔父様のお陰でわたくし今生を随分と楽しく過ごせましたの。それに、今日この日をこのように迎えられて、それこそわたくしの首六本分の苦労が報われるというものよ」
聖術の効果内にあって、アルバンは今まで一度も黒い血を吐いていない。
それは全て真実を語っていた事の証左でもある。
その事がビアンカには何よりも嬉しかった。
血を分けた一族の一人が、この後に及んで保身を図るような人間でなくて心底安心したのだ。
だからこそビアンカはアルバンに慈愛に溢れた微笑みを向けた。
「叔父様。わたくし、叔父様を断頭台へ送るなんて事致しません。どうぞ最期まで貴族らしく、王陛下より死を賜って下さいまし」
ビアンカがそう告げるのと同じくしてヴィルヘルムがアルバンの前に立った。
「ダリモア伯爵。卿の行いは既に白日の下に晒された。これは王家に対する叛逆であり、大逆罪を犯した卿については寛大なる王陛下とて看過する事は出来ないと仰せである。……何か申し開きはあるか」
「そうですな。一つ申し上げるとすれば、私は私の信念、いえ正義に従ったまでの事、と。ただそれだけに御座います」
「……連れて行け」
近衛兵に囲まれながらも、アルバンは実に堂々とした足取りで大広間を後にした。
それが、ビアンカが叔父アルバン・ダリモアを見た最後となった。
彼が十四歳の時に次男が病死した為、次男が生前婚約していたダリモア伯爵家に兄の代わりにアルバンが婿入りする事が決まり、現在彼はダリモア伯爵として当主の座についている。
彼の生まれ持った幸福はリンハルト侯爵家という国内でも屈指の有力貴族の一員として富を享受し、恵まれた環境で少年期を過ごした事であり、彼の生まれ持った不幸は彼が三男として生まれた事だった。
この国の貴族は、家督を相続する者以外には原則として一切の相続が認められないのである。
つまり、長子以外は成長したら自分で身を立てる他なくなるのだ。
一部の貴族の中では、それを哀れに思い、家を出る際に財産のいくらかを餞別として渡す風習があったが、アルバンはそのような施しを良しとしなかった。
兄よりも己の方がよほど優秀であるというのに、自分の方が後に生まれたというただそれだけでこのように追いやられる理不尽に内なる怒りを抱え、それでも家の取り決めに従ってダリモア伯爵家に婿入りした。
彼の胸の内に秘めた怒りは、ダリモア伯爵として生きる内に少しずつ小さくなり、やがては消えていくはずであった。少なくとも本人はそうなるであろうと思っていた。
──リンハルト侯爵家にビアンカが生まれるまでは。
ビアンカ・コルドゥラ・リンハルト。
リンハルトの血統を強く示す薄紫色の瞳を持って生まれた、リンハルト侯爵家唯一の子供。
そこまでは良かった。
一人娘のビアンカはゆくゆくは他家から婿を迎え、リンハルトの血を繋いでいくと決まっていたからだ。
しかし、ビアンカが王家に嫁ぐという話が水面下で動き始めた時、アルバンの中で燃え尽きようとしていた過去の怒りが再燃し、それは熾火となって彼の胸の内をじりじりと焦がしていった。
一人娘のビアンカが王家に嫁げばリンハルト侯爵家には跡取りがいなくなる。
通常は親類縁者より養子をとって跡取りとするので、もしもアルバンに血の繋がった子がいれば、その子供がリンハルトの名を継ぐ事になっただろう。
だが、残念な事にアルバンの妻は身体が弱かった為、三人いる子供は皆養子であった。
それに、国内屈指の有力貴族であるリンハルト侯爵家は、何よりも血統を重要視していた。
故にビアンカが王家に嫁ぎ、子を成す事が出来たのならば、一人目は王族の正当なる世継ぎに、二人目の子供はリンハルト侯爵家の跡取りとする事が取り決められた。
もし子供に恵まれなかった場合は、リンハルト侯爵家は王位継承権を持つ子供の中から一人を養子に取り、その子供を後継者とする事も決められ、婚約は確定される事となった。
リンハルトの血統は守られるし、もしビアンカが子に恵まれずリンハルトの血統が絶えたとしても、王家の血を家門に取り込めるのならばこれ以上の名誉は無い。
ビアンカは王家の恩寵を受けるのみにとどまらず、リンハルトから離れてもなお、生家の全てを手に入れる事が出来るのだ。
ゆくゆく王妃となる彼女は王家とリンハルト侯爵家の実権を握る事になるだろう。
何も手に出来ずに愛すべき生家を出た己とは違い、嫁いで家を出てもなおその手に何もかもを持ったままのビアンカ。
──あぁ、あぁ、何という理不尽。
この時、長年を掛けて何とかかたちを保ってきたアルバンの心は、執着という炎で灼かれ、軋み、歪み、そしてかたちと性質を変えてしまったのだった。
アルバンはダリモア伯として国の要職に就いており、国の機密にも大きく関わっていた。
自身が知る内容を使えば兄であるリンハルト侯爵を失脚させる事は容易い。
けれど兄を失脚させただけでは侯爵家の実権がビアンカに移るだけである。
だからアルバンはまずビアンカ共々兄を排除する方法を考え始めた。
まずビアンカに汚名を被せ、責任を取らせる形で兄共々この世から退場させる。
そして王家への贖罪と国の重要な血統を絶やさない為という名目のもと、アルバンは離縁してリンハルト侯爵家に戻りリンハルト侯爵家を継ぐ。
ダリモア伯爵家は養子の中の誰かが引き継げば万事解決という訳だ。
目障りな人間がたった二人消えるだけで、自分は欲しかった全てを手に入れる事が出来る。
けれどもしばらくの期間、アルバンは未だ残る理性と良心によって計画を実行に移す事を躊躇っていた。
頭の中で想像するだけなら自由だが、本当に二人を手に掛けてしまっては己はもう血に塗れた道を進む事しか出来なくなる。
しかし、彼の胸の中で渦巻く黒い炎は日増しに大きくなり、いよいよ制御が出来なくなった頃、アルバンはキャロル・ウィンズレッドの存在を知ったのだった。
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年頃はビアンカと同じくらいで、学園にも通うのだと聞く。
アルバンはその時ふと思ってしまったのだ。
その娘を上手く使えば、リンハルト侯爵家だけでなく、王家の中枢に入り込む事だって出来るのではないか、と。
そう考えてしまってからはもう歯止めが効かなかった。
アルバンが自らの権力をもって落ち目の男爵家を密かに支援し、あちこちに根を張り巡らせるように人を配置していく。
ビアンカを処刑に追い込むのに、証拠や実態など無くて構わない。その程度はどうにでもなるからだ。
必要なのはその為の囲い込みに必要な人員であり、ウィンズレッド男爵はアルバンの想像以上に狡猾に動いてくれた。
気掛かりだったのはこの計画の鍵ともいえる元平民であるキャロルだった。
平民として育ったせいか、とにかく品位に欠ける。
しかも時折「私はヒロインだからチート能力で王子の攻略も余裕だし」とか何とか意味不明な言葉を口走るのだ。
金の巻き毛と愛らしい容姿だけが取り柄のような娘ではあったが、アルバンが何か誘導するまでもなく、彼女はビアンカを敵視し事あるごとに悪役令嬢だと罵った。
本人のいないところで悪評を流し、ビアンカを排斥するよう自らの魔力を存分に使って周りの人間をじわじわと洗脳していく様は確かに効果的であった。
貴族としての性質が染み付いたアルバンからしてみれば、そのやり口は下賤そのものであったが、キャロルは自身に与えられた役割だけはしっかり理解していたようなので、アルバンは彼女に幾許かの金銭的援助と周りの貴族家への圧力を掛ける事で支援し、学園内では極力手を出さないようにしていた。
卒業までにはこちらで『証拠』を作り出せる算段が整っている。あとはそこにキャロルがいた事実があれば良いだろう。
証人として法廷に立たせるのに『元平民から成り上がり、家門の為に健気に頑張ってきた娘の涙ながらの嘆願』というのは、実に貴族受けするに違い無かった。
ビアンカを処刑に追い込み、圧力を掛けた貴族家達に賛同させてキャロルと王子を結婚させればあとは傀儡にしてしまえばいい。
ビアンカが本当に悪辣な行いに走った事だけは計算外だったが、証拠の一つや二つ増えたところでこちらの有利になるだけだ。
もう少しで全てが手に入る。
そう、思っていたのに。
(この娘、本当に私の姪のビアンカか?)
アルバンは目の前で微笑む娘を、驚きの混じる瞳で見詰めた。
「叔父様、どうなさったの。わたくしとはお話して下さらないの?」
甘ったるく話し掛けるその声音は、確かにビアンカのものである。
アルバンが追い詰め、そのまま処刑に持ち込めるはずだった娘だ。
だがこの違和感は何だ。
まるで全てを見透かすようなビアンカの瞳の中に、戸惑う己の顔が映っている。
(ビアンカに先見や千里眼の魔法は使えないはずだ。それなのに何故、何もかも知っているかのように振る舞える……?)
世間知らずの令嬢が、どうしてこのように貴族裁判を逆手に取り、自分達を追い詰める事が出来たのか。
王子の助力があったにしても、どうにも腑に落ちない。
侯爵家の令嬢としての気品や教養は申し分なくとも、外の世界など碌に知らない筈の娘にこのような一面があったとはアルバンは予想だにしなかった。
アルバンはビアンカと同じ色の瞳で、ただただ目の前の娘を見詰めるばかりで何も答えなかった。否、何も答える事が出来なかった。
「もう、叔父様ったら、この場での沈黙はかえって悪手でしてよ」
小さな溜め息と共にビアンカがそう呟いて、彼女は優雅な所作で椅子に座り直した。
二人の背後では既に大広間の中にいた者の半分程が宣誓を終えて、助かったり連行されたりしている。
そんな中、黒い血を吐いた貴族達の悲鳴じみた助命嘆願に一瞥もくれる事なく、ヴィルヘルムはビアンカとその叔父の話の邪魔にならないようにせっせと『選別』を進めていた。
ちらりとその選別の様子を確認し、ビアンカはふと気付いたように叔父に問い掛ける。
「そうだわ、叔父様。わたくしの事はさて置くとして、どうしてあの娘をお選びになったの? 使い終わった後に切り捨てるには確かに丁度良いけれど、その、あまりにも中身がお粗末でしょう? 自分が追い詰められた時、あの娘ったら真っ先に叔父様を目で探しておりましたもの」
確かな審美眼を持つ叔父様らしくないわと続けられて、アルバンは大広間から連行されようとしているキャロル・ウィンズレッドへ、ぼんやりとした視線を向けた。
拘束されてもなおみっともなく暴れ、喚き散らすその娘を数秒見遣り、そしてビアンカへと視線を戻す。
洗練された装い、指の先まで気を抜かず貴婦人として美しく椅子に座るビアンカは、その銀の髪と白い肌もあいまって、さながら雪の精霊のようだった。
だが、その気品の奥に潜む冷徹な何かに気付いた時、アルバンは自然と笑みを零していた。
この娘は誰よりも、そう、己など比べものにならない程、リンハルト侯爵家の血と性質を色濃く受け継ぐのだと理解したのかもしれない。
それは諦念にも似た自嘲気味な笑みだった。
「そうだな。今となっては理解できないが、あの時は確かに使える駒だと思ったのだ」
「まぁ、外面は良い娘だから、わたくしもそこそこ苦労しましたもの。でもそれもきっと叔父様の助力があったからこそでしょうね。あの娘一人だったら、あのような企みなど何一つ成功しなかったはずだわ」
「ビアンカ。お前の言う通りかもしれない。だが、それでも、私は……」
アルバンはゆっくりと息を吐きながら続けた。
「それでもこの計画を推し進めてしまうほど、私はお前が心底目障りだったし、お前が生まれた瞬間から、お前の事を世界で一番憎く思っているよ」
「あら、過去形で語らない辺りが潔くて素晴らしいわ。叔父様のお陰でわたくし今生を随分と楽しく過ごせましたの。それに、今日この日をこのように迎えられて、それこそわたくしの首六本分の苦労が報われるというものよ」
聖術の効果内にあって、アルバンは今まで一度も黒い血を吐いていない。
それは全て真実を語っていた事の証左でもある。
その事がビアンカには何よりも嬉しかった。
血を分けた一族の一人が、この後に及んで保身を図るような人間でなくて心底安心したのだ。
だからこそビアンカはアルバンに慈愛に溢れた微笑みを向けた。
「叔父様。わたくし、叔父様を断頭台へ送るなんて事致しません。どうぞ最期まで貴族らしく、王陛下より死を賜って下さいまし」
ビアンカがそう告げるのと同じくしてヴィルヘルムがアルバンの前に立った。
「ダリモア伯爵。卿の行いは既に白日の下に晒された。これは王家に対する叛逆であり、大逆罪を犯した卿については寛大なる王陛下とて看過する事は出来ないと仰せである。……何か申し開きはあるか」
「そうですな。一つ申し上げるとすれば、私は私の信念、いえ正義に従ったまでの事、と。ただそれだけに御座います」
「……連れて行け」
近衛兵に囲まれながらも、アルバンは実に堂々とした足取りで大広間を後にした。
それが、ビアンカが叔父アルバン・ダリモアを見た最後となった。
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