彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第六章

第四十八話 日記 出逢い

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『人里に行っては、あの源という家族を見るのが楽しみとなっていた。人間の家族というものは面白い。俺たち妖怪とは違い、群れを成し、その一生を群れの中で生きる。妖怪は成人後、大半が親元を離れ別の群れを作り、必要とあれば他種族の土地を奪うために殺し合いをする。それは人間の世界でも何度か見たことがあったが、その比ではない。心を持たずして命を奪い合う妖怪の争いなど、見るに堪えない。だからだろうか。平和な国を築こうと懸命に働く人間に俺は憧れていた。
 木の陰から頼舟の成長をここ数年ほど見てきたが、なかなかに人間の成長速度というものは早いと感じた。少し前まで小鳥のように小さかった彼が今ではすっかり大きくなってしまった。やはり人間という生き物は面白い。
 頼宇治夫妻に八年後、第二子が誕生した。それが、頼守だった。
 玉のように可愛らしい赤子だった。だが、麓の村に住む村民は誰一人として頼守の誕生を祝福はしなかった。
 当時、都では『痣者』と呼ばれる異端は忌み嫌われていた。痣を持つ者は妖怪の手の者とされ、信じられてきた。痣は印である。妖怪は痣者の印を目印にして、人間の土地を根絶やすのだという云い伝えがあり、恐れられていた。
 頼守には文字のような痣が左の額から頬にまで伸びていた。
 頼守は生まれてから今日まで一度も外に出たことはなかった。離れに隔離され、時々花緒や頼舟が来る時以外は一人過ごす日々を送っていた。これは、彼を生かすための家族なりの配慮であった。家族だけは彼を何よりも可愛がった。
 俺はどうしても頼守から目が離せなかった。同族に思えたのかもしれない。その目の中には何が映っているのかを、俺は知りたかったのだと思う。
 離れの庭にある大樹に登り、一人でいる頼守を見守った。ふと、頼守が室内から縁側へ出てきた。その姿に俺は酷く驚いたのを憶えている。
 泣いていたんだ。涙が、なんて美しいのだろうと思ったのは初めてだった。

「――って、うおあっ!」
「?」

 その時、俺としたことが留まっていた木の枝から地面へ落ちてしまった。人型の姿をしていたとはいえ、これでは不法侵入者。弁明の余地もない。どうやってこの場を退けようか。理由を探していると、一つ影が視界に見えた。

「……あの、大丈夫ですか?」

 頼守は当時四歳であった。
 俺はこの時初めて人間に……頼守に触れたのだ。

 ❀

「あ、ああ! 大丈夫。大丈夫だよ!」
「でも……。かなり上の方から落ちてました、よね?」
「大丈夫大丈夫。ほら、この通り! 元気にしているだろう?」

 不安そうに頼守が俺を見つめている。本当に体は何ともないからと両手を広げて笑って見せた。最初は不安な顔をやめなかった頼守だったが、次第に本当に怪我をしていないことが分かると、ほっとしたようで表情を緩ませた。

「……あの、どうして木の上に……」
「えっ」

 その答えはまだ考えていなかったので思わず困惑する。

「あー…………。鳥?」
「鳥?」
「そ、そう! 鳥! いや~、この屋敷の上には珍しい鳥がよくいるんだよ。あはは~」

 我ながらなんと苦しい言い訳だろうか。なんなら、俺がその珍しい鳥に該当しそうなものだが、と思っていると頼守が静かだったことに違和感を持った。頼守は俺の吐いた嘘を疑いもせず、むしろ目を輝かせて俺の話を聞こうとしていた。こんなこと初めてだ。初めて人と会話をした。初めて人に好意の目を向けられている。俺はそれが嬉しくてたまらなくなった。

「……なぁ。俺は水埜辺と言うんだ。君と友達になりたい。なってくれないか?」
「水……? ともだち……?」
「みずのべ。ちょいと難しいか」
「が、がんばって覚えます! 私は武士の子ですから!」

 ムキになる頼守が雛鳥のように可愛く見える。ふと、屋敷の向こうから女性の声がした。きっとそれは頼守の母親の花緒だろう。

「そうか。……今日は少し用があるから帰るが、また来るよ」
「その時は、あなたの言われていた珍しい鳥のこと、教えてくださいますか?」
「……ああ、約束しよう。……ではな、頼守」

 俺は母親に見つからないように道を確保していたので、その抜け道から奴良野山へと帰った。人生とは、こんなにも楽しいものだったか。俺は『また』の日を夢見た。

 ❀

 頼守の母、花緒が入室し庭の方へ向かうと、縁側で庭を眺める頼守がいた。いつもみたく寂しそうな表情をしていなかったので花緒は少しだけ驚いた。

「今日は、いつになく機嫌がいいのですね、頼守」
「母上!」

 頼守は花緒を見つけると勢いよく彼女の胸に飛び込んだ。花緒も彼に応えるようにぎゅうっと優しく抱き締める。

「何かいいことでもありましたか?」
「……鳥が」
「鳥?」
「珍しい鳥が庭にいたのです。とても、美しい鳥でした」
「……そうでしたか、よかったですね」

 花緒はとても嬉しそうに話す頼守を、今まで見たことがなかった。だからだろうか。彼女は自然と涙ぐんだ。

 ❀

 頼守と出会ってから、俺はひと月に二、三回彼に会いに行く機会が増えた。友人となることで此岸に行く口実ができたのだ。会う度に鳥の話が聞きたいと言うので、些か困っていた。何せ鳥というのは自分自身の話なのだ。
 鴉天狗という妖怪の一族である俺は、口笛ひとつで鳥を操ることができるのだが、それを頼守に伝えることはない。きっと「そうなんですね」と白い目を向けられるだけだと理解していたからだ。最も、頼守が俺に、そんな顔をするとは思っていなかったが。

「水埜辺さま、水埜辺さま! 今日は何のお話をしましょうか?」
「そうだなー」
「今日こそ、初めてお会いした時に言っていた珍しい鳥のお話を……」
「ちょっと待て!」

 何やら興奮気味の頼守を制す。制された頼守は少し肩を落とした。

「またその話をするのか? よく飽きないなぁ……」
「飽きません! というか諦められません! だって面白そうなんですもん」
「もん、て……。だがなあ」

 流石に俺は飽きていた。何が面白くてじぶんの話など。人間の考えていることはよく分からない。その時ふと、脳内に囲碁の絵が浮かんだ。何かしながらであれば気も紛れるだろう。

「じゃあ、囲碁をしながらだったら話してやろう」
「誠ですか! 分かりました。確か奥の部屋にあったはずです。持って来ますね」

 良かった。何の疑いも持たずに頼守が囲碁を探しに部屋を出た。こちらとしても、いつもただ話すだけではつまらない。たまには囲碁もいいだろう。

「持って来ました! やりましょう、水埜辺さま」
「お、待ってました。白がいい? 黒がいい?」
「白がいいです」

 そうして俺が唯一知っている碁の勝負、五目並べを始めた。少しした頃だ。ふと俺は外が気になり空を覗く。雲行きが怪しくなっていたので「ひと雨、来そうだな」と思った。

「あ、本当ですね……」

 と言っている間にとうとう雨が降り出してしまった。サァア……と降る雨は少しだけ美しく見えた。頼守が席を立ち、屋根から滴る雨粒に手を濡らす。

「何をしている、濡れるぞ?」
「はい。すみません。冷たくて気持ちが良いのです」

 無意識だろうか。頼守は何の躊躇もなく、左額にかかる髪を耳に掛けた。痣がよく見える。

「……妖怪の文字のように見えるな」
「あ、すみません。お見苦しいものを」

 頼守はすぐに痣を隠そうとした。俺はその痣に触れ、本当に妖怪が付けたものなのかを確かめる。頼守は不思議そうな顔をして、大人しく俺に触らせる。妖気のようなものは今は感じられない。だが、その模様には心当たりがあった。

「いや。痣は見苦しいものじゃない。そもそも、痣を持つ者の大半は、生まれた瞬間に妖怪に付けられる。お前はそれに該当しない」

 ずっと見ていたからな、と心の中で呟く。

「そうなのですか」
「ああ。だから気にしなくていい。それは偽物だ」

 そうとも言い切れない自分に腹が立つ。もしかすると、花緒が頼守を身籠っている時に付けられた痣が、そのまま生まれてきた頼守に移動し付いたのかもしれない。その可能性は、否定はできなかったが、確証もない。

「ふふ、そうですか。それは安心しました」

 笑う頼守だったが、その表情は浮かないままだった。

「……どうした?」
「あ、いえ。……今日は小鳥さんが来てくれないかもしれないと思って」
「小鳥さん?」
「はい。少し前、怪我をしていた小鳥がこの家の庭に。手当をしていたことがあって。その時から懐かれまして。いつも水埜辺さまがお帰りになったあと遊びに来てくれるんです。けれど……今日は来ないかも」
「何故」
「雨の日は濡れてしまうので来ないみたいなんです。賢い小鳥さんです。……大丈夫かな。雨宿り、ちゃんとできてるかな……」

 俺は頼守に倣い外を見る。これくらいなら、と思った。俺は口に指を咥え指笛を鳴らす。「ピュイー!」という金切り音が離れを一周した。少しすると、チチチ、という鳴き声が雨音に交じって聞こえた。あれが頼守の言っていた小鳥さんだろう。俺は指を目の前に差し出し、小鳥の止まり木のような役割を果たした。頼守の言っていた通り、その意図を瞬間的に理解したこの子は賢い子だった。

「よく来たな」
「小鳥さん……!」
「チチッ」

 頼守に名前を呼ばれた小鳥は嬉しそうに彼の肩に乗り移った。

「水埜辺さまは鳥使いなのですか?」
「ああ、ま、そうだな。山に住んでいるとどうも動物と仲良くなっちゃうんだよな」

 ああ、なんて痛い言い訳だろうか。頼守の純粋な瞳が俺を見つめている。とりあえず苦笑いするしかなかった。

「そうなのですね! 嬉しいです。今日も会えてよかった。ここも賑やかになりますね」
「……やっぱり、一人は寂しいか、頼守」

 小鳥を撫でていた頼守の手が止まる。

「……いえ。寂しくないです」

 頼守はそう、確かに言い切った。俺は、あっけらかんとした表情をしていたことだろう。まさか頼守がそう言うとは思っていなかった。だが、頼守の本音を少しだけ聞くことができて嬉しかった。「そうか」と頼守の表情を眺めていると、いつの間にか雨は止んでいた。

「あ、雨、上がりましたね」
「狐の嫁入りだったか。……さて、俺は帰ろうかな」
「えー! 今日も用事ですか? まだ勝負は終わってませんよ」
「用事用事。凄く大事な用事なの。ごめんな」
「……そうですか。残念です」
「また必ず近いうちに来る。心配するな」

 俺はしゅんと項垂れた頼守の頭を優しく撫でる。すると頼守は少しだけ嬉しそうにしたので俺は良しとした。

「はい。今度は将棋でも用意しておきます」
「楽しみにしている」

 帰り際の頼守の表情を見なかったのは、どうしてだったか。ただ悲しそうな表情をしていたに違いない。そんな雰囲気が俺の体に纏わりついていた。
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