彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第一章

第十四話 人里より帰還

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 謎の男、こと水伊佐は内心焦っていた。水紀里が山にいないのに加え、自身も別件で外しているときに限って、水埜辺という男は決まって人里に下りる癖があった。
 いつもであれば心配はない。放っておけば明朝には戻っているからだ。だが、今回はいつもとは訳が違う。
 三日月が更に欠け始めている。あと何日かすれば新月となる。その日までは気が抜けない。新月だけは水埜辺を外出させてはならない。それが奴良野山の鉄の掟だった。水伊佐は水埜辺を背におぶりながら木の上を難なく飛び渡る。およそ人ではない存在であるためか、その姿はさながら忍びのようであった。タンッ、と太い木の枝を思い切り踏み飛ぶ。

「……ん、あれ? 水伊佐……?」
「起きたか兄上。気分はどうだ」
「気分? ほわほわしていて気持ちいいよ~?」
「……それはなによりだ」
「うん? ……ああ、そうか。迎えに来てくれたんだね。ありがとう水伊佐」
「……いや。これは俺の使命だ。礼には及ばない」

 その言葉に他意はない。ないのだ。けれどその言葉の重みを知る水埜辺は少しだけ悲しい顔をした。兄弟であるのに、何故使命だなんだと縛るのか。悲しくなったのだ。

「……うん。そうだったね。……ねぇ、伊佐、少しだけ俺と話をしないか?」

 まだ酔いが残っているのか呂律が少し怪しいが、彼が水伊佐のことをと呼ぶときは決まって何か寂しいときに使う。水伊佐は黙って次の言葉を待った。

「…………今日、を確認したよ。朝凪あさなぎ……まさか四百年以上も経っているというのに肉眼で見られるなんて思わなかった。確かに、あの刀にあったあの家紋は、まごうことなく。ああ、嬉しい……! が今もなお残っているかと思うと、たまらなくなるんだ。……しかし、どうしてあの小太刀をあの子が……?」

 うとうとと瞼が自然と閉じていく。水伊佐は、黙って聞いていた。

「明日、また聞こう……。は、あの子に……」
「…………。兄上?」

 いつの間にか水埜辺は寝息を立てて眠ってしまった。水伊佐には彼の言っていた言葉の意味が分かっていた。それは彼が探し求め続けていた真実。兄の悲願が叶おうとしているというのに、心の底から喜べない自分がいた。その真実に辿り着いたら……。嫌な予感が一瞬、水伊佐の脳内を過ぎった。
 そうこうしているうちに奴良野の屋敷に到着した。水伊佐はすぐに水埜辺の寝室へと向かった。

「お帰りなさいませ兄様……。って、あなたもいたのですね」
「いちゃ悪いかよ。布団は」
「とっくに用意してありますよ。あら、ぐっすり。ふふっ」

 ぷにぷにと涎を垂らしている兄の頬を水紀里は楽しそうにつついている。

「……水紀里」
「はい?」

 頬をつつくことに満足した水紀里は掛け布団を横たわった水埜辺に掛けようとした時、いつもよりも深刻な表情で水伊佐が声を発した。これは何かあったなと水紀里の中の勘が働く。ゆっくりと水伊佐の方へ見返した。

が、出てくるかもしれない。次の新月に」

 その言葉に、無意識に息が詰まる。

「え……。何故そう思うのです? 何か根拠でも?」

 水伊佐は少し考える。そしてその重い口を開いた。

「……先程、兄上を迎えに行った際、自分のことをと言っていた」
「まさか! ここ数十年、の意識は出てきて……」

 水紀里はハッと我に返り水伊佐を見る。水伊佐は何かそのきっかけになるような出来事に心当たりがあるような表情をしていた。

「何かきっかけでもあったのですね?」
「ああ。すぐに兄上に戻られたが、きっとあれがきっかけだろうな。今回は間違いなく出てくる確率は高い……。となれば」
「母上がお帰りになるかもしれませんね」

『母上』という単語に、水伊佐は身震いした。

「……まったくもって、面倒ごとを起こすな兄上は!」

 この酔っぱらいめ、と顔面をこれでもかというくらい水伊佐はつついた。

「にへへへ~……」

 しかし、どんなに悪態をついても、この笑顔が憎めないのだ。

「……はあ……。血のつながりというのは、本当に面倒だ」

 水伊佐は呆れ、部屋を出て行った。怒っているわけではないのは分かっていたので水紀里は呼び止めることをしなかった。ただただ嬉しくなって微笑んでしまう。

「まったく。本当に伊佐は兄様のこととなると『面倒だ』なんだとうるさいこと。……ふふ、これではまた母上に叱られてしまいますというのに」
「んん……紀里ぃ……」
「はいはい。何でしょうか兄様?」
「…………ごめん、なぁ……」

 寝言、だったのだろう。それはどういう意味なのかと問おうとした時には水埜辺はすでに夢の世界へと誘われていた。水埜辺の目元から、うっすらと涙が一筋流れた。

「……やはり、伊佐の言う通り、新月にがお目覚めになられるのですね……兄様」

 その声が彼の耳に届いていたのかどうかは定かではない。水紀里は水埜辺の目元に光った涙を拭い、寝顔を確認したのち、寝室を後にしたのだった。
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