三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑

文字の大きさ
上 下
352 / 391
短編・中編や他の人物を中心にした物語

医聖 張仲景16

しおりを挟む
「……で、結局は雪梅さんのことを妾にしたのか」

 許靖は今しがた聞いた話をまとめてから、焼いた鶏の肉にかぶりついた。

 皮がパリッと小気味よい音を立てて割れ、口の中に甘い油が広がる。美味い鶏だ。

 以前この店に来た時には大物を無理して食べてしまったが、今日は程よい量を注文している。食を楽しむなら食べる量も誤ってはいけない。

「妾っていうか、そのうち正式に結婚するつもりだけどね。とりあえず、当面はそう」

 張機は答えてから、こちらも絶妙に焼けた鶏にかぶりつく。

 二度の大食いで苦しい思いをしてもまたこの店に来たのは、やはり鶏が美味いからだ。

「うちの父にも伝えたんだ。『今は政界の事情で明かせないけど、さる高貴な血筋に仕える家の娘と暮らしてる。状況が整ったら正式な妻にするつもりだ』って。そしたらようやく結婚しろ攻撃がんだよ」

「それは良かったな」

 許靖は張機がそれを面倒くさがっていたことを知っている。

 だから一緒に喜んでやったつもりなのだが、張機にはその反応が意外だった。

「許靖は反対するかと思ってたけど」

「雪梅さんとのことを?なんでだ?」

「いや、よく考えて接しろって言ってたじゃないか。あれは警戒しろってことだろ?」

 許靖は確かにそう言っていた。だから張機としては少し打ち明けづらく、今日までだいぶ日が空いてしまった。

 実際、仮に許靖が張機の立場だったら絶対に手を出さなかっただろう。

(だが張機の瞳の奥の「天地」では、男が高い棚の宝石を眺めることがずっと少なくなっている)

 許靖はしばらく前からそのことに気づいており、悪くない変化だと思っていた。

 だからあえて否定的なことは言わず、それとなく注意だけすることにした。

「もちろん今後も警戒は必要だろうよ。だが雪梅さんの言う通り、劉表様との繋がりがあることは自衛手段にもなりうるからな。要はそれに引きずられて不要な争いに巻き込まれないようにしろという話だ」

「あ、それ雪梅さんも言ってたな」

「なに?雪梅さん自身が?」

 許靖は思わず箸を止めて顔を上げた。

 雪梅は立場上、張機を危険に晒しても劉表の利になる行動を取るべき女のはずだ。しかし張機の安全を優先するということか。

「そうなんだ。雪梅さんには劉表様の役に立とうって気持ちはあるんだけど、それは人生をかけるような強さじゃないみたいで。むしろ僕の妾になった以上、僕の身を守ることが自分の生活を守ることにも繋がるから優先順位は上だって言ってた」

 それが本音だとしたら、張機にとって理想的な妻になりうる。

「まぁもちろん、僕みたいなのでもそれが完全な本音だと思わないくらいの警戒心はあるよ」

(そういうふうに注意できているなら過度な心配は要らないか)

 許靖は同期のためにそう考え、無言でうなずいた。それからまた鶏にかぶりつく。

 二人ともある程度腹が落ち着くまでそうしてから、許靖の方が尋ねた。

「どうだ?大切な人と送る生活は?」

 若い男女のことだ。もう少し下世話な問われ方をすれば、張機は恥ずかしがっただろう。

 しかし許靖は大切な人と言った。妾でも、愛人でも、恋人でもなく、大切な人と言った。

 だから張機は素直な気持ちで答えた。

「幸せだよ。こうなる前も結構長く同居してたわけだけど、前よりなんていうか……家に帰るとより落ち着く気がする」

「ああ、それは家族になったということじゃないかな」

「家族?」

 張機はその単語を繰り返し、それから少し考えて納得した。

 確かに雪梅とは家族になれた気がする。

 妾として抱くようになったからではない。自分は彼女を受け入れたのだという自覚があるからだ。

(家族……もし玉梅と結婚してたら、全く別物の家族になってたのかな?)

 未だに初恋を忘れられない張機はそれを自問し、想像し、頭の中で肯定と否定の両方を返した。

 玉梅と雪梅は違う。名前とそばかすは似ているが、それだけだ。何より自分は雪梅に恋をしていない。

 それは雪梅もそうなはずで、彼女の人生と自分の人生とがたまたま重なり上手くはまっただけだ。

 だから雪梅と家族になることと、玉梅と家族になることとが同じであるはずがない。

(でも……家族と一緒に幸せになるっていう点では、あんまり変わらないのかも知れないな)

 その一点においては必ずしも別物とは言えない気がした。目的地は同じに思えるのだ。

 もちろんその行程において、具体的な道のりはまるで異なるだろう。見える景色も違うはずだ。

 ただ、必ずしも恋した相手との道のりが良いものではないのだろうということは分かる。むしろだからこそ、辛い歩みもあるはずだ。

(その点、雪梅さんは家事ができて気が利いて、僕を支えてくれようとするのがよく伝わってくる。僕は良い家族を持てたんだろうな)

 張機にそう思われている雪梅の方もそれは同じで、張機は優しくてあれこれ手伝ってくれる。それに稼ぎも悪くなく、万が一の場合にも手に職があって安心だ。

 こういう間柄であれば、恋愛感情とは関係なく道のりは平坦なはずだ。

 むしろ恋愛を経た関係でない分、相手に求め過ぎることがなく、相手を気遣う余裕がある。

「家族って幸せなものなんだな……いや、幸せになるためのものって感じかな?」

 ふっと漏れたような感想に、許靖は軟骨をかじりながら大きくうなずいた。

「そうだな。ただ一点付け加えるとしたら、『一緒に』幸せになるためのものってことかな」

 言ってから、我ながら青臭いことを言ったと恥ずかしくなった。

 しかし張機は張機であまりに素直な反応を返してくれたから、少し救われた気分になる。

「ああ、そうか。すごく大切なことを聞いたな。帰ったら雪梅さんにもそう話そう」

(……本当に初心うぶなやつだな)

 許靖は面白いほどの素直さに口の端を上げつつ、こういう男を捕まえた雪梅の幸運を思った。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路

和紗かをる
歴史・時代
時は平安時代末期。父木曽義仲の命にて鎌倉に下った清水冠者義高十一歳は、そこで運命の人に出会う。その人は齢六歳の幼女であり、鎌倉殿と呼ばれ始めた源頼朝の長女、大姫だった。義高は人質と言う立場でありながらこの大姫を愛し、大姫もまた義高を愛する。幼いながらも睦まじく暮らしていた二人だったが、都で父木曽義仲が敗死、息子である義高も命を狙われてしまう。大姫とその母である北条政子の協力の元鎌倉を脱出する義高。史実ではここで追手に討ち取られる義高であったが・・・。義高と大姫が源平争乱時代に何をもたらすのか?歴史改変戦記です

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...