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短編・中編や他の人物を中心にした物語

選ばれた子、選ばれなかった子21

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(こいつも殺せる……こいつも殺せる……殺せる……殺せる……全員殺せるな)

 徐林は札に書かれた人名を墨で塗り潰しながら、物騒なことを考えていた。

 冀州きしゅう魏郡ぎぐん鄴県ぎょうけんという地の宿に泊まっている。

 その部屋の床に木の札を並べ、書かれた名前を全て消した。

 この街は袁紹を降した後の曹操の本拠地であり、その前にも袁紹が本拠地にしていた街だから非常によく栄えている。宿も上等で、従業員の応接も良かった。

 そういう快適な宿にも関わらず、徐林の表情は明るくない。悩むように小さく眉が寄せられている。

(全員殺せるんだけど……)

 徐林はあらためて思い、逆説の語尾をとった。

 人名は全て夏侯淵の子だ。

 桃花に『実子でもないのに』と言われ、もっともだと思って対象を実子に広げてみた。

 それらを暗殺する手立て、道筋を検討し、殺せるという結論を得られた者の名前を消している。

 いつでもとは言わないが、暗殺者として練り上げられた徐林なら遂行可能なのだ。

 しかし、どうも実行に移す気にならない。

(子供がいるやつが多いな……いないやつでも、大切に思ってる友人とかがいる)

 殺した後、そういった人間が残されることを想像すると胸がモヤモヤするのだ。

 これまでは与えられた任務だったので、そんなことを気にすることなどなかった。

 しかしいざ自分の意志で殺そうとすると、気になってしょうがなくなる。

(対象の人間関係なんて調べるんじゃなかった)

 そもそも知らずに済めば悩むこともなく殺せただろう。そして怨敵、夏侯淵は苦しんだはずだ。

 しかし暗殺を遂行するためには対象の様々な情報を得た上で、最適な方法を検討しなければならない。どうやっても家族構成や交友関係なども頭に入ってしまう。

「せっかく時間をかけたのに、全部無駄か……」

 徐林は独りごち、体を投げ出すようにして床に大の字になった。

 仰向けに天井を眺める。長逗留しているから見慣れた天井だ。

 桃花の時は大急ぎで忍び入ってしまったが、他の子供たちはしっかりとした計画を立てて殺そうとした。だからたっぷりと時間をかけて調べた。

 宿代は結構な額になっているが、痛くも痒くもない。

 済南を出る時に黄巾党の軍資金をごっそり持ち出したから、馬鹿みたいな資産家になっているのだ。

 徐和は玉や貴金属、最上級の宝飾品などを組織の活動資金として、隠れ家の地下に保管していた。知っている人間はごく僅かだ。

 放っておいたらそのうち降伏した幹部の誰かが喋り、曹操軍のものになっていただろう。もしくは横領されていたか。

 しかしその前に徐林は持ち出しに成功した。降伏軍の中でも自分だけ自由に動けたのが大きかったろう。

(十回遊んで暮らせる)

 冗談でなく、それができるほどの資産価値なのだ。

 だから暗殺計画も経費など一切気にせず立てられた。結局無駄になりそうだが。

「どうする……どうやってあいつを苦しめる?」

 こうなると別の方法を考えないといけないのだが、思いつかない。

 理想は夏侯淵にとっては大事だが、他の誰にとっても大事でない人間がいればいい。それなら殺せる気がする。

 もちろんそれがいないから悩んでいるのだが。

「はぁ……」

 と、ため息をついて起き上がる。

 そして玉や宝飾品の入った袋を背負い、宿を出た。商店街へ行くのだ。

(一応、商人をやってないとな)

 怪しまれぬよう、そういう偽装をして鄴に滞在している。

 暗殺計画に関してやることがないならないで、商人として動いているのが良いだろう。

 だから大した意識もなく店が並んでいる通りへ向かい、そこをぶらぶらした。

 鄴はこの国の首都に近いような街になっている。人通りは多く、紛れ込むには気楽だ。

 立ち並ぶ店やすれ違う人を眺めていると、思わぬ人を見かけた。

 徐林の母だ。

(……また従者もつけずに一人で歩いてるな)

 遠目にその横顔を見て、まずそう思った。

 暗殺計画を立てる上で、夏侯淵の家族や家の使用人は全て把握した。全員を自分の目で確認している。

 だから当然母の姿も見ているのだが、以前に見た時も一人で買い物へ出ていた。すでに結構な身分なのに、従者一人つけないのは違和感がある。

 どうやら自他へかなり厳しい人のようだ。そういう評判で、夏侯淵が出世してからも自身が立ち働いて家を回しているのだという。

(世間じゃ立派な母親だって評判だったけど)

 しかし、自分には五歳より前の記憶がない。

 母の姿を見ても何一つ思い出せず、ただ一筋白くなった自分の髪を撫でた。

(正直、この人を殺すのが一番楽なんだよな)

 夏侯淵を苦しめるのには妻の殺害も有効かもしれないと思い、それも検討した。

 結局は桃花に対してそう思ったように、子を残して死ぬべきではないという結論に達して殺す気にはならなかったが。

(こうやって買い物のあとを尾けて、人気がない道に来たらひょうを後ろから首筋に投げて……)

 そんなことを考えながら、無意識に母のあとを尾けた。

 そして暗殺が可能だと思われる人気のない道までやって来た。

(……馬鹿馬鹿しい。殺しゃしないのに)

 徐林がそう思って引き返そうとした時、強い風が吹いてきて道の砂が舞った。

 それが徐林の鼻に入り、思わずくしゃみが出た。

「……クッチン!……オフェッ、オフェッ!」

 続いたのは咳だ。人から妙な音の咳をするとよく言われるが、昔からこうだった。

「……綝?」

 急に母が振り返り、自分の方を振り向いた。しかも自分の名前を呼んでいる。

「は?」

 聞き返した徐林のキョトンとした表情を見て、母は恥ずかしそうに頭を下げた。

「し、失礼いたしました。くしゃみと咳が死んだ息子に似ていたもので……」

 そして頭を上げて、あらためて徐林の顔を見てからその表情が固まった。

 みるみる目が大きくなっていく。

「……え?……綝?もしかして、綝ではありませんか?」

(おいおい嘘だろ……俺の顔、五歳の時から変わってないのかよ!?)

 思えば夏侯淵も桃花も顔を見ただけで、すぐに自分だと気づいてしまった。

 これだけ齢を重ねれば気づくはずないと当たり前に思っていたのだが、自分はその当たり前が通用しない顔なのかもしれない。

「いや、えっと……その……」

「綝……綝でしょう!?その目、あのくしゃみに、あの咳、綝に違いありません!!」

 母はそう言って詰め寄ってきた。

 予想外の状況に徐林は焦った。

「で、でも二十年以上前の記憶なんて当てにできませんよ」

「二十年以上前?私は死んだ息子としか言ってませんよ。その時に別れたことを知っているということは、綝で間違いないでしょう!!」

(しまった)

 そう思う徐林の袖を母は捕まえ、強く引いて抱きしめてきた。

 胸に顔をうずめ、くぐもった声を出す。

「綝……綝……あぁ……もしかしたら、もしかしたら生きているのではないかと、ずっと思っていたのです……ありがとう……生きていてくれて、ありがとう……」

 徐林の着物が濡れてきた。母は泣いているようだった。

 その涙と抱擁の中、徐林は不思議と父に抱きしめられている時のことを思い出していた。

 それは普通なら親の愛という共通項で理解できるはずのものだったのだが、徐林には分からない。

 幼い頃、選ばれなかったという強烈なトラウマがあるから、親だとしても無償の愛というものに思い至らないのだ。

(俺はこの人に何もしてあげてないのに)

 愛情を示されても、そんなことを思ってしまう。

(なんだろう……よく分からないけど……とりあえずマズいよな)

 妙に心が暖かく、妙に落ち着く気持ちにはなるのだが、徐林は現実に目を向けることにした。

 諦めかけているとはいえ、自分は暗殺のために鄴にいるのだ。

 それにどうしても苦しめたい夏侯淵の妻に鄴滞在を知られるのはマズい。一刻も早く去らねばならないと考えた。

「あの……」

「あれからどうしていたのですか?元気で、幸せに暮らしていますか?」

 母は涙に濡れた顔を離すと、徐林の顔を両手で挟んで尋ねてきた。

 頬を額を、髪を愛おしげに撫でてくる。そのくすぐったさに徐林は戸惑った。

「あ、はい……元気に暮らしてます。どうしてたかは、ちょっと言えないんですけど……」

「そう、言えないことは無理に言わなくていいのよ。でもこうやって帰ってきてくれたってことは、これからは一緒にいられるんでしょう?」

 徐林は一瞬だけ母との生活を想像し、それも悪くないと思ってしまった。

 が、その直後に斬り落とされた父の首が浮かぶ。

(……ありえない。俺はあいつを苦しめてやらないといけないんだ)

 胸の底に暗い感情が渦巻き、安穏な生活を拒絶した。

 ただし、その感情を母にぶつけるのは忍びない。やってはいけないことな気がした。

「ごめんなさい、もう行かないといけないんです」

 できるだけ優しく言ったつもりだったのだが、母の顔には絶望にも似た表情が浮かんだ。

「そんな……今会ったばかりじゃない。もう少し、せめて今晩くらいうちに泊まっていきなさい」

「それはできません」

「どうして?どんな事情でそれほど急いで……」

「どうしてもやらなければならない事があるんです。事情は言えませんけど」

 そう言われ、母は息子の瞳をじっと見つめた。

 父に似たその目が何かしっかりとした目標を持っていると感じ、母はその手を離すことにした。

 腕が千切れそうなほど苦しいことではあったが。

「そうですか……それがあなたの為すべきことなのですね?」

 問われた徐林は小さくうなずいた。父のことを思えば、夏侯淵はやはり許せない。

 ただ、このまま母に対して何もせずに背を向けるのもどこか申し訳ない気がした。母はそう思わせるだけの気持ちをくれたように思える。

 だから徐林は手持ちの袋を漁り、指輪を一点取り出した。

 非常に細かな彫刻のされた金の指輪だ。

「あの……これを」

 母へ差し出しながら、自分でもひどいものだと思った。

 この指輪が最高級品であることは間違いない。

 しかし急いで適当に選んだから母に似合うかどうか分からないし、そもそも大きさが母の指に合うかも分からないのだ。

(髪飾りとかにしとけばよかった)

 徐林は内心後悔していたが、母はその指輪を前に目を丸くした。

「これを、私に?」

「は、はい」

「でも……これはとても高価なものですよ?」

「そんなのはどうだっていいことです。もらってください」

 あまりの高級品に母は迷っているようだった。指輪と息子の顔とを交互に見比べている。

 しかしまた徐林の瞳をじっと見つめてから、優しい手つきで受け取ってくれた。

「ありがとう。大切にします。私はあなたがこれを手にできるほどの人間になっていることが何よりも嬉しい」

 確かにこの指輪をあがなえる人間なら生活に困窮などしていないだろう。

 そのことに母は安心したようだった。

 そして母が明るい表情を見せてくれたから、徐林も去ることにした。

 ただ、その前に自分からも礼を言いたくなった。母も自分に対し、何か暖かいものをくれたように思えたからだ。

「あの……こっちこそ、ありがとうございます」

「お礼を言うのは私の方ですよ。あなたが生きていてくれて、こんな贈り物までもらって。私があなたにしてあげられたことは、あまりに少ない」

「いえ、だって、その……」

 徐林は自分の中の暖かさについて言いたいと思った。

 しかし親の無償の愛というものをよく理解できない徐林はその正体が上手く掴めず、上手く言葉にできない。

 だから別のことを口にした。

「あの……母さんが俺を産んでくれたから、それで色んな幸せとか感じられたから……」

 徐林には幼い日に母がしてくれたことの記憶がない。だから考えて、間違いなくしてくれたことを口にした。

 適当といえば適当だ。

 しかし指輪の時もそうであったように、母は徐林の適当を心の底から喜んでくれたようだった。

 嬉し涙を顔中にこぼしながら、徐林をまた抱きしめてきた。

(……母親ってのはもしかして、子供にしてもらったことなら何でも喜ぶ生き物なのかな?)

 徐林はそんな世のことわりに気づきながら、暖かい抱擁から抜け出すために自分を叱咤した。
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