三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑

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短編・中編や他の人物を中心にした物語

選ばれた子、選ばれなかった子13

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「林、お前は結婚しろ」

 父にそう言われた徐林は困惑の表情を浮かべた。

 話が場違いだと思ったからだ。

「……なんだよ藪から棒に。それより今は戦勝後の処理だろ」

 間違いなく徐林の言うことが正しい。

 徐和と徐林は今、占領した済南せいなんの役所で今後について話をしているのだ。

 それが前触れもなく結婚の話になった。眉をひそめない方がおかしいだろう。

(あまりにあっけなさ過ぎて、父さんも肩透かし食らってるのかな?)

 だから調子が狂っているのかもしれない。徐林がそう思うほど、街は簡単に落ちた。

 指揮官を殺された済南の守備軍は脆かった。そして情報通り、城壁も脆かった。

 徐和の率いる黄巾軍はさしたる苦労もなく敵を蹴散らし、城壁に大穴を開けた上で街を占拠することができた。

 圧勝だ。兵たちも戦勝に湧いている。

 ただし、徐和は息子の発した単語を訂正した。

「戦勝ではない。むしろこれからが戦の本番だ。我らの蜂起を聞いた曹操の本軍が近いうちに攻めてくるぞ」

 それは徐林も理解できている。

 街を占拠しただけでは駄目なのだ。これから来る討伐軍の攻撃を耐え抜いてこそ、初めて勝ったと言える。

 それが出来れば漢の全土に散らばっている黄巾の徒が青州を目指すようになるだろう。

 曹操軍に編入された青州兵も立ち上がってくれるかもしれない。それこそが徐和の狙いだった。

(せめて籠城で長期戦に持ち込めれば、手助けしてくれる信者は多いはずだ)

 実際問題として、今の戦力だけで勝つのは難しいと考えている。だから出来るだけ長く耐えることで多くの力を集めたい。

 そしてその力を集結し、夢を叶えるのだ。

(ここ青州を黄巾の地にし、その勢いを殺さず天地を黄色に染めるのだ)

 徐和の目は中華全土に向いている。済南を落としたのはその第一歩でしかない。

 黄巾の乱を今度こそ成功させ、黄巾革命とするのだ。

 そこを最終目的にしているから、青州兵を含めた全土の黄巾勢力へ協力要請、蜂起の煽動もしていた。

 色好い返事をしなかった勢力も、ここで徐和たちが善戦すれば考えを変えてくれるかもしれない。革命は勢いだ。

 もちろん徐林もその構想は聞いている。

「それは俺も分かってるよ。だったら、なおさら今後の話をしないと」

「それはそうだが、こっちの話も私は同じくらい大切だと思ってる」

「俺の結婚が?」

「ああ。もちろんすぐにとは言わんが、状況が落ち着いたら結婚するんだ」

 徐林はいまだに話の唐突さを理解できなかったものの、自分の結婚観を答えた。

「よく分かんないけど……俺、自分の結婚とかあんまり考えたことがないんだけど」

 二十六にもなって考えがたいことだが、徐林は本当にそうだった。

 日々父の補佐や暗殺任務、鍛錬に励んでいるうちに気づけば時が経っていたのだ。

 ただ、徐和はそればかりではないと思っている。

「お前の心の時間は、おそらく五歳で止まってしまっているのではないか?」

「五歳?」

「お前が実の父に選ばれなかった時からだ」

 徐林はそう指摘され、表情を固くした。

 養父と時間が癒してくれたとはいえ、まだ傷として心に刻み込まれている。

 しかし徐林は強がってみせた。

「あ……あんなやつにされたことなんて、もうどうでもいいよ」

「本当にそうか?私はお前が成人してからもずっと、捨てられるのを恐れているように見えた。まるで親を後追いする子のようだ。その恐怖に囚われて大人になりきれず、自分の結婚を考えられなかったのではないか?」

「…………」

 徐林はすぐに答えられなかった。

 確かに自分はずっとその恐怖に晒されてきた。恐怖に突き動かされて己を鍛え、働いてきたと言っても過言ではない。

 ただ、最近は少し変わってきたのだ。

「でも……今は、なんていうか……家族がずっといることを信じられるようになってきたんだよ。素直に安心できるっていうか……」

「ハハハ、それは嬉しいな。私もここ十数年はそう思ってもらえるよう、お前の家族として励んできたつもりだ」

 徐和は息子の言葉が心の底から嬉しかった。

 自分が徐林の父だと、ようやく胸を張れたようにすら思える。

「本当に嬉しいんだがな、私も最近になって気づいたんだ」

「何に?」

「お前に家族の安心感を与えてやれるのは、何も私だけではない。お前が結婚して自分の家庭を持つことでもそれは叶う」

 徐和はずっと父としての自分を思うあまり、それが頭に浮かばなかった。

 さらに黄巾頭目として忙しさも相まって、徐林の縁談は話もないまま二十六になってしまったのだ。

 それがこの戦の最中にふと思い起こされたのは、

(戦で人は死ぬ。もちろん私とで例外ではない)

そう思ったからだ。

 最近の徐林が落ち着いてきたことは徐和も気づいていた。

 ならばなおさら息子を結婚させなければならないと思う。そうすれば、自分が死んでも息子は一人になる苦しみを味わわずに済む。

「家族はいいぞ。本当にそう思う」

 それは徐和の掛け値なしの本音で、徐林もそのことに関して異論はなかった。

 しかし結婚して家族が増えることへの想像は、未婚者には少々難しい。徐林のように若ければなおさらだ。

 だから結婚をと言われても、いまいち判然としない顔をした。

「まぁ……父さんが結婚しろって言うならそうするけどさ」

 息子は主体性のまるで欠けた返事をした。

 しかし父はそれで十分だと思う。

 結婚はとりあえずでもしてみれば分かるものだ。してみねば分からないものでもある。

「よし。結婚したい相手はいるか?」

「いや」

「ならば私が何人か候補を見繕ってやろうと思うが、いいか?」

「うん、それでいいよ」

「分かった。信者の中から選ぶが、ちゃんと信仰心の薄い娘を挙げるから心配するな」

「え?……いや……えっと……」

「ハハハ、そんな顔をするな。お前が太平道の教義にさしたる気持ちがないことは分かっている。それを強制する気もない。結婚はまず、気持ちを楽に持てる相手というのが大切だと思うよ」

 死んだ徐和の妻もそうだった。

 思い起こせば幸せな結婚生活だったと思う。気楽で、その中に相手への思いやりが見える妻だった。

 だからこそ徐和は己の罪を思い、こうして黄巾の徒として世を変えようとしているのだ。

 息子とその家族が生きていく世界が、少しでも優しくなればいいと思う。

 と言っても、その息子は相変わらず未来の家族が想像できずに微妙な顔をしていた。

「まぁ……父さんがいいと思う相手ならいいよ」

「最後に決めるのはお前だ。よく考えておけ」

「ん。でも今はそれより、戦の今後だろ。あの城壁をなんとかしないと」

 徐林は未知の話を切り上げ、想像できる問題へと頭を切り替えた。

 現在の城壁の状態を思い浮かべると、はっきり言って自分の結婚どころではない。

 徐和も息子の返事に満足したので戦へと話を戻した。

「そうだな。まずは城壁だ。まさかあそこまで大きな穴が開くとは思っていなった」

 黄巾軍は街を落とすに当たり、弱点である城壁の脆くなった部分を攻めた。

 破城槌で穴を開け、そこから侵入するためだ。

 城壁は想像以上に簡単に、しかも大きく崩れた。しかし想像以上過ぎたのだ。

 あまりに広範囲が崩れてしまったので、補修にはかなりの日数がかかる。

 弱点だと思って情報を持ってきた徐林も参ってしまった。

「むしろあそこは狙わない方が良かったかな。今度はこっちが籠城しなきゃいけないんだし」

「いや。あそこを攻めないという選択肢はなかったし、あの大穴を見て敵のほとんどが降伏したからな」

「でもこんな状態じゃ籠城なんてできないよ。修理は間に合うかな?」

「ざっくりと考えて大丈夫そうな気はするが……先ほどの報告で敵の動向が上がってきた。しっかり計算してみよう」

 徐和は算木(計算道具)を並べて検討してみた。

 曹操の軍が来るまでの日数を計算する。軍を起こすのに必要な時間や行軍速度、それらを念のため少し厳し目に見積もる。

 すると、どうやら間に合いそうであるという結論が得られた。

「良かった……この分なら少なくとも丸一日は余裕があるね。大丈夫そうだ」

 徐林は並べられた算木を見下ろしながら、ほっと息をついた。

「油断はできんぞ。土木工事には遅延が付きものだ」

「確かに。現場から細かく報告を上げさせるよ。指示を出しておいていい?」

「頼む」

 徐林が徐和の息子であり側近であることは周知の事実だ。徐林が言えば徐和の命令として伝わる。

 つまり極端な話、徐林がいれば組織は動くのだ。

(本来なら結婚の話より、私が戦死した時に備えた引き継ぎをした方がいいのだろうが……)

 徐和は頼りになる息子を眺めつつ、そんなことを考えた。

 徐林に結婚を勧めたのは、自分が死んだ後のことを考えたからだ。

 しかし大義のことを思うなら、自分の死後は息子に夢を引き継がせるのが良いだろう。信仰心が薄くとも、この子は父が命じればやってのけるはずだ。

 ただそれが分かっていても、徐和は死んだ後まで息子を縛りたくなかった。

 自分はこの子にひどく辛い道を歩ませてしまったと思う。だから、ただただその幸せを願いたいのだ。

「……孫が欲しいな」

 徐和はまた唐突に話題を変えた。

 しかし徐林も二度目だから、一度目ほどは困惑せずに反応する。

「え?……ああ、よく言う『孫の顔を見たい』ってやつ?父さんでもそんなこと思うんだ」

「いや。私の場合は孫の顔を見たいというよりも、孫を抱いているお前の顔を見たいという感じかな」

「俺の?」

「そうだ。だがまぁ、最悪見られなくても構わん。私の孫を抱いて、幸せそうな顔をしていてくれ」

 徐和はそう頼んでから、とても幸せそうな顔をした。

 徐林はそれを見て幼い日、父がよくこの顔で自分を抱っこしてくれていたのを思い出した。
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