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短編・中編や他の人物を中心にした物語

小覇王の暗殺者11

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 雲嵐は夜の底冷えに身震いしそうになったが、神経を押さえつけてそれに耐えた。

(岩だ。俺は地面に横たわった岩だ)

 自分にそう言い聞かせ、ピクリとも動かない。もし動いて物音でも立てれば兵に気づかれてしまうかもしれないからだ。

 ただ実際のところ、身震いした程度では誰も気づかなかっただろう。雲嵐は低木の茂みの下に隠れているから見えないし、兵たちとの距離もまだ十分あった。

 ここは雲嵐たちが滞在している村から少し離れた丘の上だ。村長から、演習中の孫策軍がここに来る予定だという話をあらかじめ聞いていた。

 演習では夜間行軍を行っており、軍は未明にこの丘の上に到着した。そしてそのまま暗闇での陣地設営の訓練に移っている。

 村が命じられたのは、その夜間訓練後の打ち上げのような食事の世話だった。だから明けて翌日の昼食を用意することになる。

 許安と魅音には昼前に軍営に入れることは伝えたが、軍の到着が夜間であることは言っていない。

 雲嵐は夜半に一人小屋を抜け出し、軍よりも先にこの丘に到着していた。

 そして戦で本陣の位置になりそうな場所を見繕い、その周辺の茂みに身を隠したのだ。

(許安と魅音、もしかしたらもう起きてるかもな)

 兵たちの立てる物音に耳を澄ましながら、二人のことを考えた。

 もちろん今ここにいるのは雲嵐の独断行動だ。二人には何も言わずに来ているから、置いて行かれたと分かれば怒り狂うかもしれない。

(特に魅音はブチ切れるだろうな……)

 雲嵐はそんな妹の様子を想像して含み笑いした。

(許安はどうかな?怒ることの少ないやつだから、あんまり想像できないな)

 とはいえ、やはり怒りはするだろう。

 昨日はたっぷりと時間をかけて話し合い、計画を立てたのだ。にも関わらず、雲嵐はそれを台無しにしてここにいる。

 計画では、村人に混じって軍営に潜入することになっていた。

 ちょうど上等な熊肉を得ていたし、それを持参して兵たちの食事の手伝いをするというのは全く違和感のない話だろう。村長も喜んで許可してくれた。

 ただ問題は、どうやって弓矢を持ち込むかだ。

「どうする?さすがに武器を持ってないかは確認されるんじゃないかと思うけど……」

 悩む風な雲嵐へ、許安は小屋の外を指さしながら提案した。

「あれに忍ばせてみようか」

 指された先には木箱が置いてあり、中には熊の内臓が入っている。

「ああいうちょっと臭う食材をひとまとめにして木箱に詰めてさ、その底に隠したらどうかな」

「なるほど。確かにあれを触って中を見たくはないだろうな」

 この時から騙す気満々だった雲嵐としては正直どうでも良かったのだが、許安の案に同意した。

 というか、こちらが持ち込めるものを考えると他に選択肢はなさそうだ。

「よし、じゃあ木箱を二重底にしておくよ。あとは中に入ってからだけど……」

「それはもう、その場その場で臨機応変にやっていくしかないだろ」

「そうだよなぁ……」

 ここで魅音が口を出した。

「私は女だし、この中で一番小さいから、私を中心に潜入するのがいいと思う。見つかった時にごまかしやすいでしょ?だから二人は兵の気を引いたりして、私が奥まで入るのを援護してよ」

 その申し出に、許安は首を横に振った。

「さすがに弓矢を持っててごまかすのは無理だよ。小さくても女でも関係ない」

「でも……」

「むしろ、魅音ちゃんは軍営の中には連れて行かない」

 許安はきっぱりとそう言った。この青年にしては珍しく、断固とした口調だった。

「……ちょっと安ちゃん、今さら私だけ仲間はずれにする気?そうなら私、本気で怒るけど」

 魅音は威嚇する猫のような息遣いでそう言った。

 普段ならこうされれば鼠のように怯む許安だったが、今回ばかりは毅然とした態度で望んだ。

 ただし、正面からぶつかるようなことはしない。

 許安もこの娘のことはよく分かっていた。小さい頃からずっと見ていたのだから。

「魅音ちゃんには別にやって欲しいことがあるんだ。僕たちを守って欲しい」

「守る?」

「そう。僕と雲嵐は無事孫策を殺したら当然逃げるけど、普通に考えたらかなりの兵に追われるだろう。簡単には逃げられないから魅音ちゃんにはその援護を頼みたいんだ。少し離れた所で弓を持って待機してて、いざその時になったら逃げる援護をして欲しい」

 この時点で雲嵐は、

(まぁ……白昼堂々暗殺を成功させたら、その場で殺されるのが普通だろうけど)

と思ったが、黙って聞いていた。

 許安は説得を続ける。

「これは特に弓の腕前がいる仕事だから、僕が代わりにやるのは無理だ。魅音ちゃんにしか頼めない。だから頼むよ」

 そう言って、魅音の手をギュッと握る。

 許安は理路整然と話している風だったが、雲嵐からすれば破綻している話だとしか思えない。魅音が離れた所に待機していたとして、逃げる側が上手くそこへ向かえるものか。

 しかし、まだ十一の恋する少女はそれで納得した。頬を赤く染めながら、小さくうなずく。

 賢い許安はこういう搦め手で少女の身を守ろうとしたのだ。

 ただ、許安の搦め手は魅音に対してだけではなかった。

 許安は三人での相談を終えた後、こっそり雲嵐にだけ話しかけてきた。

「軍への潜入は出来そうだけど、そこから孫策の近くまで行くのはかなり難しいと思わないか?」

「そうだな。確かに」

 というか、雲嵐は初めから無理だと思っている。だから実行する気もなかった。

 そうとは思わない許安は真剣な顔で頼み事をしてきた。

「だから雲嵐は兵たちの気を引いて、僕が奥まで入れるよう援護して欲しいんだ。孫策を自分の手で討つのは僕になってしまうけど、そこは実子の僕に譲って欲しい」

(お前……元々は二人で毒矢を射ちまくるって言ってたじゃないか)

 雲嵐は心の中だけでその矛盾を指摘した。

(つまり、こいつは初めから俺たちには危険の少ない援護だけさせて、自分だけが死地に飛び込むつもりなんだ)

 そう理解した。

 そして恐らくだが、許安自身この計画が成功する可能性は高くないと思っている。それでも自分は仇討ちに殉じようとしているのだ。

 ただし、それに雲嵐と魅音を巻き込むのは忍びない。だから失敗しても二人は逃げられるよう計らっているのだろう。

 雲嵐はそういう事が全て分かった上で了承した。どうせ実行には移さないのだから。

「いいよ、今回はお前に花を持たせてやる」

 それを聞いた許安は安堵の笑みを漏らした。

 そして懐から一本のくしを取り出して、雲嵐に手に置いた。

「今回のことが終わったら、この櫛を魅音ちゃんに渡してくれないか?そして僕からのお願いとして、『この櫛の歯が半分以上折れるまでは、毎日これで髪をいて欲しい』って伝えてもらいたいんだ」

 櫛は許安の手製なのだろう。水牛の角で作られているようだった。

 普通に頑丈そうな櫛で、この歯が半分以上折れるまでとなると相当な期間が必要になりそうだ。

(……自分が死んだ後に、魅音がヤケを起こしたりしないようにってことか)

 雲嵐は許安の意図にそう検討をつけた。

 毎日これで髪を梳いて欲しいとは、生きていて欲しい、後を追って無茶をしないで欲しいという意味だろう。

 それにしても、まるで恋文のような伝言だ。なんなら求婚だと思われても仕方ない。

 雲嵐はそう思い、少しからかってやりたくなった。

「いいけど、自分で今渡して伝えればいいだろ」

「いや、そうすると色々考えちゃうだろ」

「なんだよ、色々って」

「いいからもう……頼んだよ!!」

 雲嵐はその時の様子を思い出して、また含み笑いした。

(やっぱり櫛はお前が自分で渡せよな。魅音だってその方が喜ぶよ)

 雲嵐はそんな事を考えながら、低木の茂みに横たわり続けている。そして二人を守る意志をあらためて固めていた。

 許安と魅音を危険に晒すわけにはいかない。許貢から守るよう頼まれたのだ。

 そして雲嵐は『はい』と返事した。だから、絶対に守る。

 そのためには、ここで孫策の暗殺を成功させなければならない。孫策さえ殺せれば仇討ちは終わるのだ。

 きっと、自分は生きては帰れない。しかしそれで許貢との約束を守れるなら本望だった。

 耳を澄ますと、雲嵐の隠れている低木からそう遠くない所に兵が集まって来ているのが分かった。

 幕舎がどうのと言っているから、そこに士官用の幕舎でも作るのかもしれない。もし孫策の入る幕舎であるなら僥倖だが、そこまでは分からなかった。

 その情報が入ってくるのを待っていると、兵の足音が雲嵐に近づいて来た。

 二人いるようだ。その会話が聞こえてくる。

「……こういう夜に本陣を設営する際には注意すべきことがある。分かるか?」

「え?えーと……幕舎の寝心地とか……でしょうか」

「馬鹿もの。伏兵の存在だ」

 会話の内容から、経験の浅い新兵とそれを指導する熟練兵のように思えた。

 二人は雲嵐のいる茂みの方へとさらに近づいて来る。

「暗闇では常にそういったことに注意を払わねばならない。本陣のそばにいきなり伏兵が現れたら、軍全体が大混乱だぞ」

「はいっ、よく覚えておきます!」

 新兵の緊張した返事は雲嵐のすぐそばから降ってきた。すでに二人は茂みの前に立っているようだ。

 向こうからこちらは見えないだろうが、しゃがんで手を伸ばせば触れられる距離に雲嵐は横たわっている。

(呼吸だ……呼吸……)

 雲嵐は山賊時代に教わったことを思い出していた。気配を消すには、まず呼吸を乱さないようにする必要がある。

 力を抜き、腹でゆっくり息を吸い、静かに吐く。

 その成果があったかは分からないが、二人は雲嵐の存在には気づいていないようだった。

 しかし、熟練兵の方は完全にこの茂みに用があって来ていた。

「こういった低木は人が隠れるのに十分な大きさがある。念のため、鉾を入れるなどして確認すべきだ」

「はい」

「お前、やってみろ」

「はいっ」

 新兵は鉾を構え、目の前の茂みを滅多突きに突きまくった。まるでその低木に恨みでもあるような突き方だ。

 これだけ突かれれば、どんな姿勢で潜んでいても関係ない。中に誰かいれば、すでに穴だらけになっているはずだ。

 それはもちろん、雲嵐でもそうなる。

 しかし雲嵐は穴だらけにならなかった。新兵が突いたのは、雲嵐が隠れている低木のぎりぎり隣りだったからだ。

 雲嵐は心の底で恐怖しつつ、それを出来るだけ押し潰した。平静でいなければ呼吸が乱れてしまう。

「おい、やり過ぎだ」

 幸いなことに、鉾が雲嵐の所に来る前に熟練兵が止めてくれた。

 笑いながら自分も鉾を構える。

「軽く二、三度突けばいいんだよ。そんな風にやってたら体力が持たんぞ。こんな感じでいい」

 そう言って、雲嵐の潜む茂みを二度突く。

 鉾の刃は雲嵐の鼻先と腹のすれすれを通った。腹の方では少し服が切れた。

 さすがに雲嵐は緊張して息を止めたが、それで二人の兵が気づくことはなかった。近くの茂みを突きながら、徐々に離れていく。

「お前、ちょっと緊張し過ぎじゃないか?もう少し力を抜かないと演習中にぶっ倒れるぞ」

「それは自分でも分かっているのですが……まさか孫策様の近くで働けるとは思わなくて」

(孫策!?)

 雲嵐は先ほど鉾で突かれそうになったなった時よりも緊張した。

「近くで働くと言っても、幕舎を設営したり周辺を警戒するだけだろうが。それに孫策様はとても気さくな方だ。そんなに緊張することはない」

「そうは言われましても……」

 新兵が気弱げな声を上げたところで、馬のいななきが聞こえてきた。

「おっ、その孫策様がおいでになったようだ。ほら、行くぞ」

「は、はいっ」

 熟練兵は新兵の背中を叩き、小走りに駆けて行った。新兵もそれを追う。

(まさか本当に孫策の幕舎だったとは……)

 雲嵐はそのことに驚きながら、首を回して顔だけそちらの方を向いた。

 まだ暗く、茂みの隙間から孫策の姿は見えない。しかし、何となくだが威圧感のようなものを感じる気もする。

(小覇王、孫策……)

 その勇武は覇王項羽に並ぶと言われ、現実に圧倒的な速さで江東を席巻している。

 しかし、雲嵐にとってはそんなことは大した意味を持たない。

 孫策は雲嵐の大切な人を殺した。その事の方がよほどの大事だ。

(憎い)

 雲嵐はあらためてそう思ったが、出来るだけその感情を抑えた。

 孫策は殺気を感じ取ることができるようだ。だから次に矢を射つ時には、心を無にして射たなければならない。

 そのために、憎しみを感じてはいけないのだ。

(大丈夫……いつも狩りをしてる時のようにすればいいんだ)

 狩りの時には憎しみなど感じない。むしろ感謝を思うことにしている。

 職人が無心でものを作るように、自分は無心で矢を射てばいいのだ。

 雲嵐がそう思っているうちに孫策の幕舎は完成した。

 そしてその頃ちょうど夜が明けてきて、暗闇が薄闇になってきた。そのわずかな光の中、孫策の溌剌はつらつとした声が丘に響く。

「よし、皆ご苦労だった。これで夜間演習は終わりとする。悪くない動きだったぞ。順番に仮眠を取っていけ。起きたら腹いっぱい食えるよう準備させているからな」

 その旨の伝令が走り、各隊へと伝わっていく。

 孫策の元に集まっていた兵は散り、周囲には従者や数人の護衛だけしかいなくなった。

 その段になって、雲嵐はようやく体を起こした。

 横になっていたのは長時間潜むためだ。体の負担が少なく、身動きも抑えられる。

 しかしこれからは好機と見れば射っていかなければならない。そのために固まった体をほぐし、片膝を立てて茂みの隙間から様子をうかがった。

 孫策の背中が見える。

 少し遠いが、狙えないほどの距離ではない。

(どうする?もう少し近くに来るまで粘ってみるか?)

 そう自問したものの、幕舎の入り口は今孫策がいる所よりもやや遠い。離れてしまう可能性が高いだろう。

 それに、演習終わりの今はちょうど気が抜けて油断しているかもしれない。

 そう判断し、決心した。

(待たない。今狙おう)

 弓の持ち手を握り直し、矢に手を伸ばす。

(無心……無心……)

 雲嵐があらためて心を落ち着けようとした時、孫策が少し動いてその横顔が目に入った。

 その瞬間、雲嵐の耳の奥に許貢の声が蘇ってきた。

『大好きだぞ。世界で一番、お前が大好きだ』

 さらに声だけでなく、許貢の暖かい包容の感触まで思い出される。

 そしてその幸せな感覚が消え去った直後、雲嵐の心の底からドス黒い感情が湧き上がってきた。

 この男が許貢を、家族を殺した。

 大切な家族だった。大好きだった。

 それをこの男は自分から奪ったのだ。

(この男が……憎い!!)

 雲嵐がそう思った一瞬後、孫策の体が素早く動いた。

 突然こちらを向き、剣の柄に手をかけたのだ。
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