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短編・中編や他の人物を中心にした物語
小覇王の暗殺者7
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山越、と呼ばれる民族がいた。揚州を中心とする地域に割拠した、漢民族ではない集団だ。
複数の勢力がいたようなので、全てが単一の民族であったかについては疑問が残る。だが、史書では単に『山越』でまとめられている。
三国時代の呉によって制圧されるまではその活動も活発だったが、それ以降は次第に漢民族と同化していったらしい。
ただ、それまでは中国の王朝に対する不服従民として、かなり厄介な存在であったようだ。そういう記録ばかりが残っている。
面白いことに、史書によっては『山越』と『山賊』がごちゃ混ぜになって使われていることがある。
つまるところ、当時の中国王朝にとって不服従民は山賊とさして変わらなかったという事ではなかろうか。
山越も実際には不服従な勢力が多いだけで、必ずしも山賊のように略奪などを繰り返すわけではなかったはずだ。
しかし、少なくとも当時の中国王朝の認識では、不服従と略奪などの罪の大きさは同じようなものだったのかもしれない。
そしてその大罪である不服従を貫いていた男が、許貢や雲嵐たちが落ち延びた先の主だった。
名を、厳虎という。
史書によっては『山賊厳白虎』と記載されているものもある。字面から受ける印象とともに、記憶に残りやすい名だ。
この男は山賊と呼ばれることはあったものの、呉郡において一万人以上の勢力を率いていた。となると、それはもはや賊というよりも独立割拠した群雄の一人と認識すべきだろう。
雲嵐は許貢に、その厳虎の所へ避難するよう提案したのだった。
ただし雲嵐が知っていたのは厳虎ではなく、その弟の厳輿だ。
(厳輿さん、無事かな……)
雲嵐は厳輿の豪快な笑い声を思い出しながら、その身を案じた。
厳輿は一族の長である厳虎の弟だが、実はこの弟の方が武勇で知られている。
いかにも豪傑といった風な男で、本人も強いことに価値基準を置いていた。
だから雲嵐が山賊にいた時、えらく弓の上手い子供がいると聞いて訪ねて来たことがあったのだ。
「おい、ガキ。弓比べをしようぜ」
厳輿はそう言って、雲嵐との勝負を望んだ。
実際にやってみると、雲嵐は少なくとも速射能力と狙いは自分の方が上であると思った。
が、そこは妹のために大人たちから好かれようと努力してきた少年だ。ほど良く負けて、厳輿に花を持たせた。
それだけでなく雲嵐は厳輿を褒めちぎり、特にその怪力を称賛した。
「厳輿さんはすごい。俺もいつかそんな剛弓を引きたいよ。憧れるな」
少年から憧れられた豪傑は大変に気を良くした。太い腕を回して肩を組み、上機嫌に笑った。
「気に入った。俺のことは第二の親分だと思いな。第一の親分はここの頭領だから、第二の親分だ。もしここが郡兵に落とされたら俺んとこに逃げて来な」
そう言ってくれたのだ。だから雲嵐は山賊時代に許貢から攻められた時、厳輿の所へ魅音と二人で逃げようと考えた。
その時は結果として攻めてきた許貢本人に保護されることになったが、今回は実際に厳輿の元へ行くことになったのだ。
厳輿は意外にも義理堅い人物で、何年も前のことをしっかりと覚えてくれていた。そして雲嵐を見ると昔のように肩を組み、喜んで兄の厳虎に口添えしてくれた。
厳虎の方は弟のような豪傑ではなかったが、やはり多くの人間を率いる集団の長だ。弱い立場の人間には仁義でもって接してくれた。
そうして許貢の一家は厳虎の支配地で暮らせるようになったのだった。
(ここに来てから、もう結構な時間が経ったよな。あっと言う間だった気もするけど……)
雲嵐は避難してきた時からのことを思い出して、そう思った。
許貢一家が厳虎の元へ落ち延びてきてから、すでに一年ほどが経過していた。
厳虎は許貢たちが当面の生活を送るのに支障ないようにしてくれている。
本拠地から少し離れた村に家を用意してくれて、生活用品もあれこれと支給してくれた。厳虎から言われているのか、村人も皆親切に世話を焼いてくれた。
実は厳虎がここまでしてくれたのは、弟である厳輿の口添えだけが理由ではない。許貢と厳虎の関係性は元々悪くなかったのだ。
同じ呉郡に住まう太守と不服従民なのだから、反目しあっているのが普通だろう。しかし許貢は厳虎がただの賊ではなく、その支配地域をきちんと治めていることを知っている。
というか、そうでなければ一万人以上の勢力など保てはしないだろう。
だから許貢は都尉の時代から厳虎を攻めなかったし、郡として必要があれば普通に連絡を取り合っていた。そして厳虎もそういう許貢の態度に好感を持っていた。
だから別段得もないのに敗戦の将を受け入れて、世話してくれたのだ。
が、やはりただ世話になりっぱなしというわけにもいかない。自分たちの生活の糧くらい自分たちでなんとかしようと、許貢の家族は何らかの形で働いた。
雲嵐と魅音はそれまでと同じように、よく狩りに出ている。今日もそうだ。その弓の腕前で、村でもありがたがられていた。
今日の狩りは許安も一緒だが、普段の許安は村の職人の所で日用品などを作っていることが多かった。相変わらずものづくりが好きで、しかも抜群に上手い。職人に教えてもらう段階はすでに過ぎており、十分な戦力になっていた。
考えてもみれば、やたら生活力のある三人ではある。
そして雲嵐は、家族さえいればこういう生活で十分満足なのだった。
(こんな生活をずっと続けたいんだよ。だから厳輿さん、上手くやってよ……!)
雲嵐は再度、厳輿のことを考えた。
厳輿は数日前から、孫策のところへ出かけている。和平交渉を行うためだ。
孫策は厳虎を攻める意思を表明しており、厳虎はこれと正面から当たる気はなかった。
この一年ほどで、孫策の状況は大きく変わっている。
許貢の呉郡を落とした後、時を置かずにその南隣りの会稽郡を落とした。これにより、初めの地盤であった丹陽郡と合わせて三郡の支配者となった。
袁術から亡父の兵のうち千人ばかりを返還されたのがこの前々年のことであるから、孫策の躍進はまさに電撃のような速度であった。
これに警戒した袁術は自分の身内を一方的に孫策の支配地の太守に任命し、牽制してきた。
しかし力を持った孫策はそれを受け入れない。新太守を武力追放し、袁術からの独立を宣言した。
孫策はついに名実ともに、天下の覇を争う群雄として立ったのだ。
とはいえ、時は乱世である。当然のことながら、ただ突っ立ってはいられない。
周囲には袁術の他にも孫策を攻めようとする者がいて、予断を許さない状況だった。
そして厳虎は、その反孫策勢力の一人と提携してしまったのだ。
この選択は厳虎にとって軽率だったと言わざるを得ない。そんな連中と手を結べば当然孫策の標的になる。
そして孫策はすぐにでも厳虎を攻められる位置にいる上に、いざ本気で攻められれば厳虎が勝てる見込みは薄いのだ。
結局のところ、厳虎はすぐに方針を変えて孫策との和平を決め、その交渉に弟を向かわせたのだった。
「雲嵐?なんだか浮かない顔をしてるね」
許安が目ざとくそれに気づき、声をかけてきた。
雲嵐は笑ってごまかした。
「いや……今日はなかなか獲物が見つからないな、と思ってさ」
それは嘘ではなかったが、本当のところは和平交渉の行方が気になるのだ。しかし、許安には言えない。
厳輿はお気に入りの雲嵐にそういう話をしていたが、基本的に許貢の一家には政治向きの重要事案は伏せられていた。
どんな情報がどう敵方に漏れるか分からないため、組織としてそれは正しい選択だろう。厳輿も絶対に口外するなと言って雲嵐に話していた。
雲嵐も厳輿には恩を感じていたから、それは守っている。
(でも……そもそも政治向きの話を許貢様に相談してれば、こんな事態にはなっていない気もするけど……)
そんなことを思ったりもするが、すでに起こってしまったことはどうしようもない。
「確かにそうだな。今日は珍しいくらい獲物がいない」
許安は雲嵐の言葉になんの疑いも持たなかった。実際に獲物はいないのだ。
魅音も周囲を見回しながら、小さく唸った。
「んー……このまま収穫無しも嫌だし、三人別れて探す?」
許安もそれに同意した。
「そうだね。一人だと追い込んだりはできないけど、今日は広い範囲を探した方がいいかも」
雲嵐もそう思ったし、今日は同じような表情しかできそうもない。それだと許安も不思議がるだろう。
「よし、じゃあここで別れよう。正午に山腹の広場に集合でいいか?」
雲嵐の確認に、許安も魅音もうなずいて了承した。
三人は別々の方向に向かい、それぞれに鳥獣を探して歩き出す。
雲嵐は斜面を下りながら耳を澄ました。鳥の鳴き声や羽ばたき、獣の立てる物音に意識を向けようとする。
(無理矢理にでも他のことに集中しないと、孫策と厳輿さんのことばっかり考えてしまう)
それを避けるために頑張って耳の神経を尖らせた。が、自分の足音以外には何も聞こえい。
(……今日は本当に変だな。こんなに動物がいないこと、今まであったかな?)
普段なら不猟の時でも小鳥のさえずりくらい聞こえるのだが、それすらない。
まるで山の動物全部が逃げてしまったかのようだ。
(何か……逃げたくなるような怖いものでも来てたりして)
つまらない妄想をしてしまった直後、雲嵐の耳に飛び込んできた音があった。
馬のいななきだ。
「…………っ!!」
雲嵐は嫌な予感がして、息を潜めた。気配を消し、そちらの方へと忍び向かう。
眼下に山道が見える崖まで来た雲嵐は、その光景に思わず体を震わせた。
騎馬にまたがった兵たちが、狭い道を連なって進んでいる。しかも見える範囲だけで数百騎はいそうだった。
(なんだこいつら……どこの軍だ?)
そう思いながらも、本当は心の中で検討をつけている。しかし認めたくはない。
ただ、それでも認めるしかなかった。騎兵の中に見知った顔がいたからだ。
孫策だ。
(孫策軍が攻めてきた?……いや、戦にしちゃ何だか様子がおかしいぞ。輜重も見当たらないし、装備も軽いように見える。それに……)
それに、と雲嵐は思った。
そしてそれこそが、雲嵐にとって最も大きな懸念だった。
(それにこの先には、許貢様のいる村しかないんだぞ)
ということは、孫策は許貢に何かしらの用事があるということだ。
やはり嫌な予感がする。
雲嵐は樹々の間を素早く駆けた。全力で村へと向かう。
(小覇王め……何しに来た!?っていうか、何でいきなりこんな所まで入って来れてるんだ!?厳虎さんの軍勢は何してる!!)
半ば罵るような気持ちでそう思った。
(孫策軍に蹴散らされた……っていうわけじゃないよな。それだったら、さすがに戦になったって噂が伝わってくるはずだ。ってことは、和平が成立した?)
いったんは期待とともにそう思った雲嵐だったが、敏い青年はすぐに思い直した。
(いや……和平が成立したからって、こんな支配地の奥深くまで相手の軍が入ってくるのはおかしい。それに孫策自身がいきなりここまで来てるのだって、ただの和平だったら無防備過ぎだ。これじゃまるで……)
雲嵐は考えたくなかった。
しかし、現実に対処するためには考えなくてはならない。この青年は、そういう厳しい幼少期を送ってきた。
(……無条件降伏、もしくは戦わずして厳虎さんの勢力が瓦解した、ってことか?)
少なくとも、それに似たような状況なのではないかと思った。
それならば辻褄が合う。厳虎の支配地はもはや孫策の支配地になっており、だから奥深くまで孫策自身が気軽に来ているのだ。
(だとしたら……許貢様が危ない!!)
厳虎がまだ力を持っているのなら、厳虎が保護している許貢には手が出しづらいだろう。しかしすでに力を失っているのなら、新しい支配者である孫策の好きにし放題だ。
「許貢様……許貢様……許貢様……」
雲嵐は守りたい人の名を繰り返しつぶやきながら、跳ぶように駆ける。
その人とは一緒に住んでいたから、自分の盾の後ろにいると思って安心していた。しかし今その人を襲う矢は、盾を飛び越えて届いてしまいかねなくなっている。
「許貢様……守ります……俺が……あなたを……」
雲嵐は息を切らしながら、その思いをつぶやき続けた。
「だって……あなたは……俺を……妹を……守ってくれた……だから……俺が……」
息が苦しくなっても、雲嵐はつぶやき続けた。
この青年は、神に祈ることをしない。現実には自分の力で対処するしかないことを知っているからだ。
しかしだからこそ、その自分に言い聞かせるためにつぶやき続けるのだった。
複数の勢力がいたようなので、全てが単一の民族であったかについては疑問が残る。だが、史書では単に『山越』でまとめられている。
三国時代の呉によって制圧されるまではその活動も活発だったが、それ以降は次第に漢民族と同化していったらしい。
ただ、それまでは中国の王朝に対する不服従民として、かなり厄介な存在であったようだ。そういう記録ばかりが残っている。
面白いことに、史書によっては『山越』と『山賊』がごちゃ混ぜになって使われていることがある。
つまるところ、当時の中国王朝にとって不服従民は山賊とさして変わらなかったという事ではなかろうか。
山越も実際には不服従な勢力が多いだけで、必ずしも山賊のように略奪などを繰り返すわけではなかったはずだ。
しかし、少なくとも当時の中国王朝の認識では、不服従と略奪などの罪の大きさは同じようなものだったのかもしれない。
そしてその大罪である不服従を貫いていた男が、許貢や雲嵐たちが落ち延びた先の主だった。
名を、厳虎という。
史書によっては『山賊厳白虎』と記載されているものもある。字面から受ける印象とともに、記憶に残りやすい名だ。
この男は山賊と呼ばれることはあったものの、呉郡において一万人以上の勢力を率いていた。となると、それはもはや賊というよりも独立割拠した群雄の一人と認識すべきだろう。
雲嵐は許貢に、その厳虎の所へ避難するよう提案したのだった。
ただし雲嵐が知っていたのは厳虎ではなく、その弟の厳輿だ。
(厳輿さん、無事かな……)
雲嵐は厳輿の豪快な笑い声を思い出しながら、その身を案じた。
厳輿は一族の長である厳虎の弟だが、実はこの弟の方が武勇で知られている。
いかにも豪傑といった風な男で、本人も強いことに価値基準を置いていた。
だから雲嵐が山賊にいた時、えらく弓の上手い子供がいると聞いて訪ねて来たことがあったのだ。
「おい、ガキ。弓比べをしようぜ」
厳輿はそう言って、雲嵐との勝負を望んだ。
実際にやってみると、雲嵐は少なくとも速射能力と狙いは自分の方が上であると思った。
が、そこは妹のために大人たちから好かれようと努力してきた少年だ。ほど良く負けて、厳輿に花を持たせた。
それだけでなく雲嵐は厳輿を褒めちぎり、特にその怪力を称賛した。
「厳輿さんはすごい。俺もいつかそんな剛弓を引きたいよ。憧れるな」
少年から憧れられた豪傑は大変に気を良くした。太い腕を回して肩を組み、上機嫌に笑った。
「気に入った。俺のことは第二の親分だと思いな。第一の親分はここの頭領だから、第二の親分だ。もしここが郡兵に落とされたら俺んとこに逃げて来な」
そう言ってくれたのだ。だから雲嵐は山賊時代に許貢から攻められた時、厳輿の所へ魅音と二人で逃げようと考えた。
その時は結果として攻めてきた許貢本人に保護されることになったが、今回は実際に厳輿の元へ行くことになったのだ。
厳輿は意外にも義理堅い人物で、何年も前のことをしっかりと覚えてくれていた。そして雲嵐を見ると昔のように肩を組み、喜んで兄の厳虎に口添えしてくれた。
厳虎の方は弟のような豪傑ではなかったが、やはり多くの人間を率いる集団の長だ。弱い立場の人間には仁義でもって接してくれた。
そうして許貢の一家は厳虎の支配地で暮らせるようになったのだった。
(ここに来てから、もう結構な時間が経ったよな。あっと言う間だった気もするけど……)
雲嵐は避難してきた時からのことを思い出して、そう思った。
許貢一家が厳虎の元へ落ち延びてきてから、すでに一年ほどが経過していた。
厳虎は許貢たちが当面の生活を送るのに支障ないようにしてくれている。
本拠地から少し離れた村に家を用意してくれて、生活用品もあれこれと支給してくれた。厳虎から言われているのか、村人も皆親切に世話を焼いてくれた。
実は厳虎がここまでしてくれたのは、弟である厳輿の口添えだけが理由ではない。許貢と厳虎の関係性は元々悪くなかったのだ。
同じ呉郡に住まう太守と不服従民なのだから、反目しあっているのが普通だろう。しかし許貢は厳虎がただの賊ではなく、その支配地域をきちんと治めていることを知っている。
というか、そうでなければ一万人以上の勢力など保てはしないだろう。
だから許貢は都尉の時代から厳虎を攻めなかったし、郡として必要があれば普通に連絡を取り合っていた。そして厳虎もそういう許貢の態度に好感を持っていた。
だから別段得もないのに敗戦の将を受け入れて、世話してくれたのだ。
が、やはりただ世話になりっぱなしというわけにもいかない。自分たちの生活の糧くらい自分たちでなんとかしようと、許貢の家族は何らかの形で働いた。
雲嵐と魅音はそれまでと同じように、よく狩りに出ている。今日もそうだ。その弓の腕前で、村でもありがたがられていた。
今日の狩りは許安も一緒だが、普段の許安は村の職人の所で日用品などを作っていることが多かった。相変わらずものづくりが好きで、しかも抜群に上手い。職人に教えてもらう段階はすでに過ぎており、十分な戦力になっていた。
考えてもみれば、やたら生活力のある三人ではある。
そして雲嵐は、家族さえいればこういう生活で十分満足なのだった。
(こんな生活をずっと続けたいんだよ。だから厳輿さん、上手くやってよ……!)
雲嵐は再度、厳輿のことを考えた。
厳輿は数日前から、孫策のところへ出かけている。和平交渉を行うためだ。
孫策は厳虎を攻める意思を表明しており、厳虎はこれと正面から当たる気はなかった。
この一年ほどで、孫策の状況は大きく変わっている。
許貢の呉郡を落とした後、時を置かずにその南隣りの会稽郡を落とした。これにより、初めの地盤であった丹陽郡と合わせて三郡の支配者となった。
袁術から亡父の兵のうち千人ばかりを返還されたのがこの前々年のことであるから、孫策の躍進はまさに電撃のような速度であった。
これに警戒した袁術は自分の身内を一方的に孫策の支配地の太守に任命し、牽制してきた。
しかし力を持った孫策はそれを受け入れない。新太守を武力追放し、袁術からの独立を宣言した。
孫策はついに名実ともに、天下の覇を争う群雄として立ったのだ。
とはいえ、時は乱世である。当然のことながら、ただ突っ立ってはいられない。
周囲には袁術の他にも孫策を攻めようとする者がいて、予断を許さない状況だった。
そして厳虎は、その反孫策勢力の一人と提携してしまったのだ。
この選択は厳虎にとって軽率だったと言わざるを得ない。そんな連中と手を結べば当然孫策の標的になる。
そして孫策はすぐにでも厳虎を攻められる位置にいる上に、いざ本気で攻められれば厳虎が勝てる見込みは薄いのだ。
結局のところ、厳虎はすぐに方針を変えて孫策との和平を決め、その交渉に弟を向かわせたのだった。
「雲嵐?なんだか浮かない顔をしてるね」
許安が目ざとくそれに気づき、声をかけてきた。
雲嵐は笑ってごまかした。
「いや……今日はなかなか獲物が見つからないな、と思ってさ」
それは嘘ではなかったが、本当のところは和平交渉の行方が気になるのだ。しかし、許安には言えない。
厳輿はお気に入りの雲嵐にそういう話をしていたが、基本的に許貢の一家には政治向きの重要事案は伏せられていた。
どんな情報がどう敵方に漏れるか分からないため、組織としてそれは正しい選択だろう。厳輿も絶対に口外するなと言って雲嵐に話していた。
雲嵐も厳輿には恩を感じていたから、それは守っている。
(でも……そもそも政治向きの話を許貢様に相談してれば、こんな事態にはなっていない気もするけど……)
そんなことを思ったりもするが、すでに起こってしまったことはどうしようもない。
「確かにそうだな。今日は珍しいくらい獲物がいない」
許安は雲嵐の言葉になんの疑いも持たなかった。実際に獲物はいないのだ。
魅音も周囲を見回しながら、小さく唸った。
「んー……このまま収穫無しも嫌だし、三人別れて探す?」
許安もそれに同意した。
「そうだね。一人だと追い込んだりはできないけど、今日は広い範囲を探した方がいいかも」
雲嵐もそう思ったし、今日は同じような表情しかできそうもない。それだと許安も不思議がるだろう。
「よし、じゃあここで別れよう。正午に山腹の広場に集合でいいか?」
雲嵐の確認に、許安も魅音もうなずいて了承した。
三人は別々の方向に向かい、それぞれに鳥獣を探して歩き出す。
雲嵐は斜面を下りながら耳を澄ました。鳥の鳴き声や羽ばたき、獣の立てる物音に意識を向けようとする。
(無理矢理にでも他のことに集中しないと、孫策と厳輿さんのことばっかり考えてしまう)
それを避けるために頑張って耳の神経を尖らせた。が、自分の足音以外には何も聞こえい。
(……今日は本当に変だな。こんなに動物がいないこと、今まであったかな?)
普段なら不猟の時でも小鳥のさえずりくらい聞こえるのだが、それすらない。
まるで山の動物全部が逃げてしまったかのようだ。
(何か……逃げたくなるような怖いものでも来てたりして)
つまらない妄想をしてしまった直後、雲嵐の耳に飛び込んできた音があった。
馬のいななきだ。
「…………っ!!」
雲嵐は嫌な予感がして、息を潜めた。気配を消し、そちらの方へと忍び向かう。
眼下に山道が見える崖まで来た雲嵐は、その光景に思わず体を震わせた。
騎馬にまたがった兵たちが、狭い道を連なって進んでいる。しかも見える範囲だけで数百騎はいそうだった。
(なんだこいつら……どこの軍だ?)
そう思いながらも、本当は心の中で検討をつけている。しかし認めたくはない。
ただ、それでも認めるしかなかった。騎兵の中に見知った顔がいたからだ。
孫策だ。
(孫策軍が攻めてきた?……いや、戦にしちゃ何だか様子がおかしいぞ。輜重も見当たらないし、装備も軽いように見える。それに……)
それに、と雲嵐は思った。
そしてそれこそが、雲嵐にとって最も大きな懸念だった。
(それにこの先には、許貢様のいる村しかないんだぞ)
ということは、孫策は許貢に何かしらの用事があるということだ。
やはり嫌な予感がする。
雲嵐は樹々の間を素早く駆けた。全力で村へと向かう。
(小覇王め……何しに来た!?っていうか、何でいきなりこんな所まで入って来れてるんだ!?厳虎さんの軍勢は何してる!!)
半ば罵るような気持ちでそう思った。
(孫策軍に蹴散らされた……っていうわけじゃないよな。それだったら、さすがに戦になったって噂が伝わってくるはずだ。ってことは、和平が成立した?)
いったんは期待とともにそう思った雲嵐だったが、敏い青年はすぐに思い直した。
(いや……和平が成立したからって、こんな支配地の奥深くまで相手の軍が入ってくるのはおかしい。それに孫策自身がいきなりここまで来てるのだって、ただの和平だったら無防備過ぎだ。これじゃまるで……)
雲嵐は考えたくなかった。
しかし、現実に対処するためには考えなくてはならない。この青年は、そういう厳しい幼少期を送ってきた。
(……無条件降伏、もしくは戦わずして厳虎さんの勢力が瓦解した、ってことか?)
少なくとも、それに似たような状況なのではないかと思った。
それならば辻褄が合う。厳虎の支配地はもはや孫策の支配地になっており、だから奥深くまで孫策自身が気軽に来ているのだ。
(だとしたら……許貢様が危ない!!)
厳虎がまだ力を持っているのなら、厳虎が保護している許貢には手が出しづらいだろう。しかしすでに力を失っているのなら、新しい支配者である孫策の好きにし放題だ。
「許貢様……許貢様……許貢様……」
雲嵐は守りたい人の名を繰り返しつぶやきながら、跳ぶように駆ける。
その人とは一緒に住んでいたから、自分の盾の後ろにいると思って安心していた。しかし今その人を襲う矢は、盾を飛び越えて届いてしまいかねなくなっている。
「許貢様……守ります……俺が……あなたを……」
雲嵐は息を切らしながら、その思いをつぶやき続けた。
「だって……あなたは……俺を……妹を……守ってくれた……だから……俺が……」
息が苦しくなっても、雲嵐はつぶやき続けた。
この青年は、神に祈ることをしない。現実には自分の力で対処するしかないことを知っているからだ。
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また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
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