三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑

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斬罪

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「とりあえず縄をほどきなさい」

 劉璋は開口一番、そう命じた。明らかに困惑しているようだった。

 劉璋の目の前には、後ろ手に縛り上げられて番兵に連行されてきた許靖がいる。まるで本物の罪人のようにひざまずいて頭を垂れていた。

 劉璋はこの事態が理解できず、眉をひそめた。

 そして縄を解くよう命じられた番兵の方も、同じような顔で困惑していた。なぜなら彼自身、何度も許靖にそれを促していたからだ。

 しかし、許靖は頑なに拒否した。城門の所で半ば無理やり自分を縛り上げさせた後、その格好のままで街を歩いて官庁まで来た。

 人通りは少なかったとはいえ、それでも結構な数の人間に見られた。太守が縛り上げられて連行されていたのだ。街では何事かと噂になっているだろう。

 許靖は頭を垂れたまま口を開いた。

「ほどいていただく必要はございません。罪人は罪人らしくお扱いください」

「罪人、ですか。成都を抜け出して降伏しようとしたとは聞きましたが……」

 劉璋はごく簡単に報告を受けていたが、どう考えても状況がおかしい。警備された城門から真っ昼間に堂々と抜け出せるわけがないではないか。

 しかし、許靖は自らの罪を言い張った。

「おっしゃる通り、私は脱走しようとしました。劉璋様、私の罰はいかようになりましょうか?」

「それは……軍法に照らせば、敵前逃亡は死罪ということになりすが」

 脱走防止と見せしめの意味も含めて、死罪になるのが普通だ。

 しかし、明らかにこれは普通の事例ではない。劉璋は困惑を深めた。

 許靖は床を向いたまま、堂々とした口調で述べた。

「では、お斬りください。太守が民を見捨てて脱走を試みたとあらば、士気に関わりましょう。早急に斬って捨てるべきです」

「許靖殿……」

「ですが、許されるなら一つだけお願いがあります」

 許靖はすっと顔を上げ、力のこもった瞳を劉璋へと向けた。

 その歪みも曇りもない真っ直ぐな瞳を受けた劉璋は、許靖の正気と本気を知った。この男は今、とても大切なことを言おうとしている。

「どうか、劉璋様ご自身の手で私をお斬りください」

 許靖は一度言葉を切り、数拍おいてから先を続けた。

「私は今日この日まで、太守として足らずながらも力を尽くして参りました。もし最後に一つ望みを聞いていただけるなら、劉璋様ご自身の手で送られる名誉を賜りたい」

 劉璋は許靖の視線を正面から受け止め、その意志を体中に浴びた。

 そしてその言葉を噛みしめるように、深い呼吸を三度繰り返した。

「……それがあなたの望み、なのですね?」

 それは劉璋の確認だったが、許靖は答えなかった。答えずとも、自分の本気は十分に伝わっていることを知っていたからだ。

 劉璋は後ろを向いて、従者に持たせていた剣を取り上げた。

 そして許靖へと向き直り、すらりと鞘から抜いた。

(ずいぶんと痩せられたな……)

 許靖は抜き身の剣を下げて歩んでくる劉璋を見て、そんな感想を持った。

 開戦以来、劉璋は自らの食事内容を一般の民が食べるものに合わせていた。戦時中の食料は配給制としている。それは当然、満足のいくような量ではなかった。

 もしかしたら元々は太りにくい体質なのかもしれない。福々しかった劉璋の頬と腹はみるみる痩せて、元の半分ほどになっていた。

(本当にお優しい、良い刺史だな。劉璋様ならば、間違いなく気付いてくださる)

 許靖は自分の死と引き換えに、その望みが叶うことを確信した。そしてその満足とともに、首を差し出した。

 斬り落としやすいよう、上半身を前傾させて頭を水平にする。

 劉璋はその前でぴたりと足を止め、剣を静かに持ち上げた。

 そして、短い風切り音とともに振り下ろす。

 劉璋は意外にも剣の達者なのかもしれない。たったひと振りで、それは綺麗に床へと落ちた。

 あまりにも軽い音だった。
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