三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑

文字の大きさ
上 下
77 / 391
会稽郡

太守襲撃

しおりを挟む
(駄目だったか!!)

 許靖はいきなり計画が頓挫したことを悟った。

 水音の大きさに十分な想像力を持てなかったことが一番の敗因だろう。石を投げていた時の音よりもだいぶ大きかった。せめてもっと大きな石を持って来させればよかったか。

(岸辺から出来るだけ離れなければ。王朗とも離れたほうがいいな。潜って泳いだほうがいいだろうが、どこまで息が続くか……)

 そこまで一瞬で思考して大きく息を吸った時、頭のすぐそばで大きな着水音がした。そしてそれは、立て続けに王朗のそばでも起こった。

 どうやら大きなものが上から降ってきたらしい。

「卓の陰へ」

 小さく鋭い声が上から降ってきた。許欽の声だ。

 目を凝らすと、降ってきたそれは言葉通り食事がのっていた木の卓らしい。

 許靖と王朗は急いで卓の足を掴むと、自分たちの頭が隠れるように岸辺の方角へと向けた。

 その数瞬後、視界が少し明るくなった。岸から松明で照らされているようだ。

「……卓、か?」

 先ほどの声の主が、いぶかしむようにつぶやく。

 そしてその直後、店の裏側から複数の怒鳴り声が上がった。

「逃げたぞ!廊下の窓からだ!」

「山の方へ行ったぞ!」

「追え!」

「間違いなく太守か!?川の方でも音がしたらしいぞ!」

「太守だ!太守の服だった!」

 許靖たちを照らしていた岸辺の男からも、そちらに向かって叫び声が上げられた。

「川の方はおとりだ!川に卓が投げ込まれただけだ!」

 その言葉と共に、岸辺から山の方へと多人数が駈けて行ったようだ。

 許靖と王朗の周囲はまた闇に包まれた。代わりに山の方角では松明が増えていき、明るさが増していくのが遠目にも分かった。

(……欽!)

 許靖は心の中だけで叫んだ。本当は声に出して叫び、自分へと注意を向けたがったが、理性がそれを邪魔をする。

 どう考えても、ここは息子を囮にしてでも逃げなくてはならない場面だ。そうしなければ助けを呼べず、共倒れになるだろう。

 頭では分かっているが、父の心は引き裂かれそうだった。

 許靖よりも理性的で、しかも許欽に対する情も当然小さい王朗はすでに岸から離れて行っている。

 許靖も唇を噛み締めながらそれにならった。

 川の流れはかなり速いようで、すぐに喧騒は遠く小さくなっていく。許靖は胸を締め付けられる思いだった。

(……川に入ってから卓が落とされるまでの時間が短すぎる。欽が廊下側から逃げ出すのもだ。欽のやつ、初めからそのつもりだったな)

 おそらく、王朗の脱いだ服をわざわざ着ていたのもそのためだろう。初めから自分を犠牲にして、二人を逃がすつもりだったのだ。

 だいぶ流されてから、王朗が口を開いた。

「お前の息子は素晴らしい男に育っているな。孝というものがよく分かっている」

 『孝』とは子が親を敬い大切にする概念だ。この時代の主要な道徳観である儒教では、特に重要視される。

 王朗も、許欽が自らすすんで囮になった事を理解したのだろう。

 許靖は喉を引き絞るようにして、震える声を出した。

「馬鹿を言うな。あいつは孝なんてもの、何一つ理解しちゃいない」

 その声は、今にも王朗を喰い千切ってしまいそうなほどの怒りを滲ませていた。

 めったに怒らない友人の怒りに、王朗は命の危機が迫っていた先ほどでさえ感じなかった恐怖を、今初めて感じていた。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

信玄を継ぐ者

東郷しのぶ
歴史・時代
 戦国時代。甲斐武田家の武将、穴山信君の物語。

処理中です...