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会稽郡
太守襲撃
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(駄目だったか!!)
許靖はいきなり計画が頓挫したことを悟った。
水音の大きさに十分な想像力を持てなかったことが一番の敗因だろう。石を投げていた時の音よりもだいぶ大きかった。せめてもっと大きな石を持って来させればよかったか。
(岸辺から出来るだけ離れなければ。王朗とも離れたほうがいいな。潜って泳いだほうがいいだろうが、どこまで息が続くか……)
そこまで一瞬で思考して大きく息を吸った時、頭のすぐそばで大きな着水音がした。そしてそれは、立て続けに王朗のそばでも起こった。
どうやら大きなものが上から降ってきたらしい。
「卓の陰へ」
小さく鋭い声が上から降ってきた。許欽の声だ。
目を凝らすと、降ってきたそれは言葉通り食事がのっていた木の卓らしい。
許靖と王朗は急いで卓の足を掴むと、自分たちの頭が隠れるように岸辺の方角へと向けた。
その数瞬後、視界が少し明るくなった。岸から松明で照らされているようだ。
「……卓、か?」
先ほどの声の主が、訝しむようにつぶやく。
そしてその直後、店の裏側から複数の怒鳴り声が上がった。
「逃げたぞ!廊下の窓からだ!」
「山の方へ行ったぞ!」
「追え!」
「間違いなく太守か!?川の方でも音がしたらしいぞ!」
「太守だ!太守の服だった!」
許靖たちを照らしていた岸辺の男からも、そちらに向かって叫び声が上げられた。
「川の方は囮だ!川に卓が投げ込まれただけだ!」
その言葉と共に、岸辺から山の方へと多人数が駈けて行ったようだ。
許靖と王朗の周囲はまた闇に包まれた。代わりに山の方角では松明が増えていき、明るさが増していくのが遠目にも分かった。
(……欽!)
許靖は心の中だけで叫んだ。本当は声に出して叫び、自分へと注意を向けたがったが、理性がそれを邪魔をする。
どう考えても、ここは息子を囮にしてでも逃げなくてはならない場面だ。そうしなければ助けを呼べず、共倒れになるだろう。
頭では分かっているが、父の心は引き裂かれそうだった。
許靖よりも理性的で、しかも許欽に対する情も当然小さい王朗はすでに岸から離れて行っている。
許靖も唇を噛み締めながらそれに倣った。
川の流れはかなり速いようで、すぐに喧騒は遠く小さくなっていく。許靖は胸を締め付けられる思いだった。
(……川に入ってから卓が落とされるまでの時間が短すぎる。欽が廊下側から逃げ出すのもだ。欽のやつ、初めからそのつもりだったな)
おそらく、王朗の脱いだ服をわざわざ着ていたのもそのためだろう。初めから自分を犠牲にして、二人を逃がすつもりだったのだ。
だいぶ流されてから、王朗が口を開いた。
「お前の息子は素晴らしい男に育っているな。孝というものがよく分かっている」
『孝』とは子が親を敬い大切にする概念だ。この時代の主要な道徳観である儒教では、特に重要視される。
王朗も、許欽が自らすすんで囮になった事を理解したのだろう。
許靖は喉を引き絞るようにして、震える声を出した。
「馬鹿を言うな。あいつは孝なんてもの、何一つ理解しちゃいない」
その声は、今にも王朗を喰い千切ってしまいそうなほどの怒りを滲ませていた。
めったに怒らない友人の怒りに、王朗は命の危機が迫っていた先ほどでさえ感じなかった恐怖を、今初めて感じていた。
許靖はいきなり計画が頓挫したことを悟った。
水音の大きさに十分な想像力を持てなかったことが一番の敗因だろう。石を投げていた時の音よりもだいぶ大きかった。せめてもっと大きな石を持って来させればよかったか。
(岸辺から出来るだけ離れなければ。王朗とも離れたほうがいいな。潜って泳いだほうがいいだろうが、どこまで息が続くか……)
そこまで一瞬で思考して大きく息を吸った時、頭のすぐそばで大きな着水音がした。そしてそれは、立て続けに王朗のそばでも起こった。
どうやら大きなものが上から降ってきたらしい。
「卓の陰へ」
小さく鋭い声が上から降ってきた。許欽の声だ。
目を凝らすと、降ってきたそれは言葉通り食事がのっていた木の卓らしい。
許靖と王朗は急いで卓の足を掴むと、自分たちの頭が隠れるように岸辺の方角へと向けた。
その数瞬後、視界が少し明るくなった。岸から松明で照らされているようだ。
「……卓、か?」
先ほどの声の主が、訝しむようにつぶやく。
そしてその直後、店の裏側から複数の怒鳴り声が上がった。
「逃げたぞ!廊下の窓からだ!」
「山の方へ行ったぞ!」
「追え!」
「間違いなく太守か!?川の方でも音がしたらしいぞ!」
「太守だ!太守の服だった!」
許靖たちを照らしていた岸辺の男からも、そちらに向かって叫び声が上げられた。
「川の方は囮だ!川に卓が投げ込まれただけだ!」
その言葉と共に、岸辺から山の方へと多人数が駈けて行ったようだ。
許靖と王朗の周囲はまた闇に包まれた。代わりに山の方角では松明が増えていき、明るさが増していくのが遠目にも分かった。
(……欽!)
許靖は心の中だけで叫んだ。本当は声に出して叫び、自分へと注意を向けたがったが、理性がそれを邪魔をする。
どう考えても、ここは息子を囮にしてでも逃げなくてはならない場面だ。そうしなければ助けを呼べず、共倒れになるだろう。
頭では分かっているが、父の心は引き裂かれそうだった。
許靖よりも理性的で、しかも許欽に対する情も当然小さい王朗はすでに岸から離れて行っている。
許靖も唇を噛み締めながらそれに倣った。
川の流れはかなり速いようで、すぐに喧騒は遠く小さくなっていく。許靖は胸を締め付けられる思いだった。
(……川に入ってから卓が落とされるまでの時間が短すぎる。欽が廊下側から逃げ出すのもだ。欽のやつ、初めからそのつもりだったな)
おそらく、王朗の脱いだ服をわざわざ着ていたのもそのためだろう。初めから自分を犠牲にして、二人を逃がすつもりだったのだ。
だいぶ流されてから、王朗が口を開いた。
「お前の息子は素晴らしい男に育っているな。孝というものがよく分かっている」
『孝』とは子が親を敬い大切にする概念だ。この時代の主要な道徳観である儒教では、特に重要視される。
王朗も、許欽が自らすすんで囮になった事を理解したのだろう。
許靖は喉を引き絞るようにして、震える声を出した。
「馬鹿を言うな。あいつは孝なんてもの、何一つ理解しちゃいない」
その声は、今にも王朗を喰い千切ってしまいそうなほどの怒りを滲ませていた。
めったに怒らない友人の怒りに、王朗は命の危機が迫っていた先ほどでさえ感じなかった恐怖を、今初めて感じていた。
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