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豫州

腐敗官吏

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 許靖の後ろに控えた劉翊リュウヨクたちの心が凍った。

 韓儀は何も話さない。そうであれば今回の企てはそれで全て終いだ。

 が、許靖の心中だけは他の五人とは違った。

 瞳の奥の「天地」から、韓儀の心の舞い上がり方が見えている。だから焦って下手なことは言わず、次の言葉を待つことができた。

 韓儀はニヤニヤと笑いながら言葉を続けた。

「端役の兵の名など、いちいち覚えておらん。だが、素性なら分かるぞ。糞のような元県尉、朱烈の腹心どもだ」

(かかった!)

 許靖の心臓が大きく脈打った。

 が、ここで焦ってはいけない。落ち着いて、急がないよう自分に言い聞かせた。

「……正確なお名前は後から調べられれば十分です。それで、その県尉の手の者どもはなぜ韓儀様に恨みを残しているのでしょうか?」

「その前に確認しておくが、お前は俺がどのような事をしていたとしても、全てを肯定できるか?」

 韓儀は許靖に詰め寄るようにして尋ねた。

 許靖は優しく微笑んで首肯した。

「私が肯定するのではありません。天が肯定なさるのです。私はそれをお手伝いするだけ」

「法を犯していたとしてもか」

「人の世の法など、天の意思に何ほどの影響がありましょうか」

「賄賂を受け取っていたとしてもか」

「それは韓儀様が天の意思を体現する事業を成すために必要なものです」

 韓儀は唇を舐めてから続けた。

「これは例えばだが、人を殺していたとしてもか」

 許靖はなおも首肯した。

「それは殺された人間が天の意思に背いていただけです。韓儀様、始皇帝が一体どれほどの人を殺したとお思いですか」

 韓儀はゆったりと背もたれに身をあずけながら息を吐いた。そして口の片端をつり上げて、反対の片目を上げた。

「ならば教えてやろう。その代り、そいつらの下らん恨みとやらをしっかりと祓えよ」

 そう前提してから、腕と足を組んで言葉を続けた。

「俺はあちこちから銭を集めている。お前の言うところの『天の意思を体現する事業のため』というところだな。そしてそれをまくことによって、さらに大きな銭を得ている。この辺りは俺以上に上手くできる人間はそういまい。まさに天の与えた才能だろう」

 許靖はそれ関しては半分以上本気で同意した。

 物の善悪はともかくとして、この点の才能があるのは間違いないだろう。王順も部屋の隅で、目だけだがうなずいていた。

 韓儀は言葉を重ねる。

「だがそれは糞つまらん法というもので禁止されている、いわゆる賄賂というやつに当たるのだ。公にすれば罰を受けることになる。その銭は俺がこれから偉大な人間になるために必要なものなのに、正義漢ぶって理解せぬ愚か者どもが多いのだ。特に県尉の朱烈はそうで、部下に俺の周りを嗅ぎ回らせていた。俺はそれを知ってだな……」

 韓儀はそこで、会心の笑みを漏らした。

「始末した」

 許靖は表情を変えず、心の中だけで拳を握った。

(よし、自白が聞けた!!後はここから無事に出て、劉翊様がこの格好のまま兵を率いてこの屋敷へ戻る。韓儀も一目見れば理解するだろう。言い逃れはできないはずだ)

 そういう段取りだった。

 速やかに兵を動かせるよう、高承が近くの詰め所で命令伝達の準備している。うまく韓儀の息がかかっていない兵を中心に集められる予定だ。

(だが、出来るだけ話を掘り下げておいたほうが良いという話だったな)

 事前に朱烈からそう言われていた。

 事件の詳細を話させておけば、それらに関して後から物証を得たり、検証したりできるらしい。要は自白後の言い逃れが難しくなるということだ。

「それは、韓儀様が自ら手を下されたのですか?」

「俺がそのような汚らわしい仕事をするか。……と言いたいところだが、業物わざものだという剣が贈られたのでな。試し斬りで俺が斬ってみた。この剣だ」

 そう言って腰にはいた剣を軽く上げて見せた。

「しかし、斬れ味の違いなどあまり分からんものだな。初めは一人ぐらいと思っていたが、試しているうちに結局は五人全員斬ることになった」

 韓儀が武術に通じているとは思えない。業物でも素人にはその程度の感覚なのだろう。

「しかもなかなかすぐに死んでくれんのでな、何度もなますのように斬ったが……生き物というものは面白いな。縛られて、逃げられないと分かっていても何とか身をよじって避けようとする。余計に急所に当たらず苦しい思いをするだけなのだが。人によって趣味はあろうが、あれはあれで面白い興業になるかもしれぬと思ったぞ」

 韓儀はごく軽い口調でそう言ってのけた。

 この男の精神構造は、人の苦しみなど理解できないように作られているらしい。

 許靖は背後の方からギリっと音がしたような気がした。朱烈が歯を食いしばっているのかもしれない。

 朱烈にとっては腹心の部下たちという話だった。大切な者の最期をこのように言われ、その心中はいかばかりか。

(早めに切り上げたほうがいいかもしれないな。朱烈さんの心がもたないかもしれない)

 許靖はそう思った。

 朱烈の瞳の奥の「天地」は半年前まで無垢なほど白い街並みだった。

 が、今はそこに深い憎しみの色が落ちている。かなりの精神的な負荷があったはずだ。

 この上あまりに強い負荷がかかれば「天地」が崩れてしまい、心の病を抱えることがある。

 強い心理的負荷で「天地」が崩れた結果、狂人や廃人のようになってしまった人間を許靖はこれまでに見たことがあった。朱烈にはそうなって欲しくない。

 ただ、朱烈から遺体に関してこれだけは聞いておいて欲しいと言われた事がある。

「なるほど……しかし全員の顔が潰されていますが、それはいかがされたのでしょうか?まるで大岩で潰されたようですが」

「ああ、それはな……おい」

 韓儀は後ろの護衛を振り向いて、あごをしゃくった。

 それを受け、二人の護衛は肩から下げた袋を開いて中身を取り出した。出てきたのは鉄棒の先に鉄球のついた武器だった。

 鉄球は人の頭ほどの大きさがある。さすがに球の中はある程度空洞だろうが、どう見ても重さで相手を砕き潰す武器だ。相当な重量だろうと推察できた。

「これで潰させた」

 死体が見つかった際に『大岩か何かで潰さないとこうはならない』と判断されたらしいが、確かにこの武器であればそうなるだろう。

「なぜ潰したか、聞きたいか?」

 韓儀は嗜虐的な笑みを作って尋ねた。

 許靖は何となく嫌な予感がしながらも、首を縦に振った。

「奴らが揃いも揃って『朱烈様に会わせる顔がない』などと泣くものだからな。あまりに見苦しいので、親切な俺はその顔をなくしてやったのだ」

 韓儀はいかにも自分が面白いことを言った、と言わんばかりに大口を開けて哄笑した。

 耳障りな馬鹿笑いがキンキンと響く。

 その時、許靖の背後で何かが擦れる音がした。

 猛烈に嫌な予感がして振り返ると、朱烈が持ち込んだ短剣を鞘から抜いていた。その体が小刻みに震えている。

 許靖はその瞳の奥の「天地」を見て、恐れていた事態が起こってしまったことを知った。

 朱烈の「天地」である白い街並みへ、黒い泥のような雨が降り注いでいた。急速に憎しみの色が広がっているのだ。

 その色の広がりとともに、美しかった建物は腐ったように崩れ始めた。行きかう人々も苦しみ倒れていく。

(いけない、これでは心が壊れてしまう!)

「……韓儀ぃ!!」
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