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甘麦大棗湯、芍薬甘草湯2

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「半引きこもりの女か……そのパターンは初めてだな」

 修はショッピングモールの店内マップを前に、腕を組んでうーんと唸った。

 しかし唸った割には難しそうな顔はしていない。

「しかもあんまり好みとか分からないと来たもんだ」

「まだ知り合って一月も経ってないからな」

 景は答えてから、そういえばまだ付き合いが短いのだと改めて気づいた。瑤姫など、それこそ前世から知っていたような気すらしてしまう。

「っていうか、半引きこもりな。今は普通に出られるよ」

「そっか。何か趣味とか無いのか?」

「あんまり知らないんだけど、漫画とかゲームとかは結構好きみたいだ」

「少女漫画とか乙女ゲーとか?」

「それもだろうけど、普通のRPGとかもやってるって前に話してたな」

 景が以前に月子との雑談で聞いたそのタイトルは、男ならかなりの高確率でやっているであろう国民的ゲームだった。

 補中益気湯刀でスライムを倒した後、そんな会話をした記憶がある。そのゲームではスライムがマスコット的モンスターなのだ。

 それを聞いた修はポンと手を打った。そしてすぐに歩き出す。

 景はそれについて行きながら、修の背中に尋ねた。

「今の話だけでコレってのを思いついたのか?」

「んー……どうだろうな?まぁ行ってみようぜ」

 そう言って連れて行かれたのは、ちょっと良い目の菓子屋だった。手土産などによく使われる店だ。

(なんだ、割と普通だな)

 お礼にちょっとした菓子を、というのはこれ以上ないほど無難な選択だろう。

 景は初めそう思ったが、店頭にデカデカと張り出されているポスターを見て驚きの声を上げた。

「あっ」

「うん、まだやってたな。コラボ企画」

 ポスターで宣伝されていたのは国民的ゲームとのコラボ商品だった。

 スライムの形をした焼き菓子やゼリーなどが可愛らしいポップで彩られている。

 ゲーム経験者なら誰でもつまんでみたくなる菓子だろう。

「なるほどなぁ。これなら喜んでもらえそうだ」

「んで、こっからなんだけどさ」

 修はディスプレイに並んだコラボ商品の一つを指差し、それから少し離れたところの別の商品を指差した。

「サイズ的にこっちかこっち、どっちかだと思うんだけど」

 見ると、両方とも焼き菓子とゼリーの詰め合わせだった。修の言う通り、サイズ的にはお礼でポンと渡すのにちょうどいいだろう。

 ただし、値段が三倍も違った。それなのに中身の菓子は同じなのだ。

 もちろん理由はある。

「限定チャーム付き?」

 景はそこに書いてある文字を読んでから、隣りに置かれた可愛らしいチャームに目を向けた。スライムの形をしたチャームだ。

「……よく出来てんな」

 菓子のおまけとは思えないほど精巧な作りだった。いや、値段からするとむしろ菓子の方がおまけなのか。

「だろ?クオリティがすごいってんで、SNSでもちょっとした話題になってたんだ。でも値段が結構なもんだから結局あんま売れてないらしくて、限定なのに売れ残ってるって話だった」

 修の解説を聞き、販売員の女性が苦笑していた。本当のことなのだろう。

「そういえば月子、スライム可愛いって言ってたな……」

 思い返してみると、月子はそんなことを言っていた。

 正確には『ゲームのスライムはあんなに可愛いのに、現実で襲いかかられたらすごく怖いね』だったのだが。

「ならこれでいいんじゃないか?」

「そうだな。そうするよ」

「よし。で、どっちにする?景的にはその子ってこういうのをあげる方の子?」

 修的にはチャーム、つまりアクセサリーのようなものをプレゼントするような対象なのかという意味で尋ねたのだが、景は単純にこれくらいの金を使っていい相手かという意味に捉えた。

 そして景にとって、月子はそれなりに金を使っていい相手だった。

 今回お世話になったというだけではない。戦いに巻き込んでしまったという負い目を感じている。

 もちろんそれは瑤姫がやったことではあるが、景の対応次第では避けられたかもしれないとも思うのだ。

「こっちにするよ。すいません、これください」

 景は迷わず限定チャーム付きを選んだ。

 それを見た修はおっ、という顔をしてから、ニヤリと笑った。

「いいね、春だな」

「はぁ?真夏だよ」

 そんなやり取りをしながら支払いを済ませ、無事に月子への品を用意できた。

 二人は店を後にして出口へ向かって歩く。その途中で景はあらためて礼を伝えた。

「ホント助かったよ。ありがとな」

「どういたしまして。ってか、すぐ決まったから大した手間にもなってないし」

「手間取らずに決められたことに礼を言ってんだよ。マジでこういうの得意だな」

「ちょうど気になってる子がゲームとか好きな子だったんだよ」

「え?……ってことは、また彼女と別れたのか?」

 修はモテるが浮気はしない。景はそれをよく知っている。

 だから次を考えているということは、彼女と別れたということだ。

 人によっては落ち込んでいても良さそうなのに、修の表情には陰一つ無い。

「また、ってのは言い方としてどうなんだ?俺が女をとっかえひっかえしてるみたいじゃないか」

「入学して二年半で彼女が七回も変わってたらそう言われてもおかしくないんじゃないだろ」

「今回で八回だよ。でも半分以上は向こうの浮気とかだし、とっかえひっかえって言われるのは不服だな」

 ということは、今回もまた向こうの浮気なのだろうか。

 実は景も、女の間で『修は浮気されても全く怒らない』という話が広まっていると聞いたことがあった。そして実際に怒らないのだ。

 ただ笑って別れるだけである。浮気相手の男とトラブルになった話も聞かない。

 それで良くない女が寄ってくるのではないかとも思ったが、修自身が辛そうな顔を見せないので余計なお節介は言わないことにしている。

 景が修の本当に辛そうな顔を見たのは、入学して間もない頃の一度だけだった。

「本当に修は変わったよな。大学デビュー前の姿がもう思い出せないよ」

 大学デビュー。

 それは冴えない高校生が大学への進学を機に、過去を捨て新たな己に生まれ変わる儀式である。往々にしてファッション誌を聖典とし、美容室や服飾店にて執り行われることが多い。

 実はこのリア充パリピである香川修も大学デビューの経験者だ。

 大学に入学したての修は誰がどう見ても田舎出身の田舎くさい青年だった。彼女などいるわけもなく、それどころか中身も相当な純朴者だった。

 それがあることをきっかけに大学デビューを果たしてリア充パリピへと変貌したのだが、それには景も少し絡んでいる。

「ハハハ、俺も思い出すとなんか恥ずかしいな。でもデビュー前より良くなっただろ?」

「まぁ好みはあるだろうけど、修が楽しく過ごせてるなら良かったんじゃないか?」

「そうだな。それもこれも景のお陰だけだ」

「お前いつもそんなこと言ってるけど、俺からしたらそんな大したことじゃないんだけど」

「俺にとってはそうじゃないし、人間には色々タイミングとかあるんだよ」

 景も何となくそれは分かるが、修の経てきた思いまでは分からない。自分はただ友人が辛い時に近くにいただけだと思う。

(ホント大したことしてないんだけどな)

 景はあらためてそう思いながら歩いていたが、ふとあるものが目に入って足を止めた。

 それからなぜかその場で体をゆっくり左右に揺らし始める。まるで全身をメトロノームにしたかのような動きだった。

 景の妙な行動に、修は当然眉をひそめた。

「……?景、何やってんだ?」

「いや、つい癖で……」

 いきなり人間メトロノームになる癖なんてあるのか。

 そうツッコもうとした修だったが、すぐに耳に入る情報が変化して言葉を止めた。急に静かになったのだ。

 実は少し前から子供の泣き声がけたたましいほど店内に響いていたのだ。しかし景が揺れ始めると、それが止まった。

 ショッピングモールで子供が泣いているのなんて珍しくもないので、修は元々気にも止めていなかった。

 しかしすぐ近く、しかも景の視線の先でそれが起こったとなると、さすがにその意図が分かった。

 景は子供を泣き止ませようとしたのだろう。現に母親に抱かれた一歳半くらいの幼児が景を不思議そうに見つめていた。

「小さい子ってさ、『何あれ?』って思うと一時的だけど泣き止むんだ。でも大人ほどまだ目が見えなかったり、認識が甘かったりするだろ?だから体全体を使って大きく揺れてやると効くんだよ」

 なるほど、と修は納得した。

「バイト先でよくやってんのか」

「ああ。うちは小児科の処方箋もよく来るから、めっちゃ泣いてる子がいるとついやっちゃうんだ」

 そんな二人の会話が耳に入ったのだろう、幼児を抱いた母親が振り返った。

 その顔を見た景は、失礼な話だが少しギョッとしてしまった。

 ひどく疲れた顔をしている。やつれていると言っていい。

 目の下にはクマがあり、余裕がないのか化粧もしておらず、肌も荒れている。

 まだ若いし元はそれなりに美人のようだが、生気の抜けたその顔からは元あったはずの美は感じ取れなかった。

(……あれ?でもこの人……どっかで見たことあるような……)

 そう感じた。しかし思い出せない。

 母親の方は景が子供を泣き止ませてくれたと理解したようで、軽く頭を下げてきた。景も下げ返す。

 そして母親の目が隣りの修を捕らえた時、精気のなかったその目が急に見開かれた。

 それはもう、真円になったのではないかと思うほどまん丸に見開かれたのだ。

 ただし、それはその母親だけではなかった。修の顔に目をやると、その目も同じくらい見開かれていた。

「ひ、仁美ひとみさん……」

 修がつぶやいたその名を聞いて、景はようやく思い出した。

 この女、仁美は修が大学に入って初めてできた彼女なのだ。

 そして大学デビュー前に付き合った唯一の女であり、大学デビューのきっかけになった女でもある。

 修は目をまん丸にした後、その目を細めてとても辛そうな顔になった。

 まぶたがかすかに揺れていて、唇は真一文字に引き結ばれている。

 景はその表情に見覚えがあった。目の前の女、仁美に振られた後に修がしていた表情だ。

 あの時の修はひどく傷ついていた。当然だろう。

 初めての彼女に舞い上がり、その最高潮にいる時に振られたのだ。落差が大きければ大きいほど落下ダメージは大きくなる。

 それに初めての女というのは男にとって小さくない意味があるものだ。

(しかもこの女が修を振る時の文句が酷かったらしいんだよな)

 景は直接聞いたわけではないが『あんたみたいな田舎くさいガキはもううんざりだ』というようなことを言われたらしい。

 修はヘコんだ。ヘコみ過ぎて大学にすら来なくなった。

 それを心配した景たち修の友人連中は話し合い、しばらく修を景と一緒に生活させることにした。

 景の家は一軒家だ。広いのをいいことに、修を無理やり連れてきて寝泊まりさせ、大学にも無理やり連れて行った。たまに他の友人も泊まりに来た。

 そんな景たち友人がいなければ、少なくとも修の留年は間違いなかっただろう。下手すれば自主退学でもしていたかもしれない。

 しかし友人たちの助けによって、修は持ち直した。それどころか振られた原因である田舎くささを振り払うため、一念発起して見事大学デビューを果たした。

 修は吹っ切れたのだと景たちは思った。

 そう感じたのも当然だろう。遊ぶ系のサークルを掛け持ちし、ほとんど彼女を切らさないその生活を見れば誰でもそう思う。

 しかし今、景はそれが間違いだったと理解した。

 元カノが幼児を抱いている。

 もちろん親戚や知人の子という可能性もないではないが、きっと仁美の子だろう。どう見ても抱き慣れている。

 それを見つめる修の目には、吹っ切れいれば絶対に浮かばない色があった。

 嫉妬や無力感、やるせなさ……惚れた女が他の男の子を産んだ。それが実は純情な男の心をえぐっている。

 純情。そう、純情なのだ。

 景は知っている。イケメンでお洒落、しかも女をとっかえひっかえと言われてもおかしくないような大学生活を送る修だが、実は純情なのだ。

 それなのに彼女から浮気をされても全く怒らないのはなぜか。

 景はずっと疑問に思っていたが、今ようやくその理由が分かった。修は仁美への想いをずっと引きずっているのだろう。

 きっと、いまだに修の本気は仁美にだけ向けられているのだ。

 だから彼女に浮気されても腹を立てなかったし、もしかしたら彼女が浮気していたのもそんな修の本音が原因かもしれない。

 その証拠に、無理に笑った修の口からこぼれた言葉は余計なことだらけだった。

「ひ、久しぶり……元気?か、可愛い赤ちゃんだね。幸せにしてる?いい男を見つけらたんだ?」

 後半はまったくもって口にすべきでないセリフだ。

 元カレとして元カノの今が気になるのは仕方ないだろうが、よほどの状況でない限りその感情は目をそらして投げ捨てるべきものである。

 しかし、それが我慢できないほど修の気持ちは強かった。

 そしてその言葉に、仁美はカサカサの唇で即答した。

 ほとんど口をついて出たような、思わず吐き捨ててしまったというような口調で。

「いい男を見つけたも何も、修の子よ」

「…………え?」

 修に聞き返された仁美は、明らかにしまったという顔をした。

 しかし出てしまった言葉はもう腹には戻せない。表情を歪めて床を睨んだ。

 そんな母親の厳しい感情が伝わったのか、子供がまたぐずり始めた。そして再び店内は泣き声に満たされる。

 しばらくすると子供の泣き声は火がついたようになり、仁美の目からは涙がこぼれた。

 そして子供をギュッと抱きしめて、子供よりもずっと大きな声で同じセリフを繰り返した。

「だから!この子はあなたの子だって言ってんの!」

 その声量、そしてその内容に、周囲の買い物客たちが一斉に振り向いた。

 しかしこんなことを叫ぶ状況にいる仁美、そしてこんなことを叫ばれた修はそれどころではない。時が止まったかのようにただお互いを見つめ合った。

 修羅場だ。しかも周目に晒された修羅場だ。

(きっついな……)

 景は針のむしろのような状況に耐えかねて、とりあえず二人の腕を掴むと足早に出口へと向かった。
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