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補中益気湯、当帰芍薬散5
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由紀の指す方向へ走った結果、やはりたどり着いたのは吉乃の店だった。
ただしたどり着いたとは言っても店の前まで来られたわけではない。店が見える通りまで来たのだが、そこで足を止めざるを得なかったからだ。
「な、何だこれ!?」
「ゾンビ!お兄ちゃん、ゾンビがいっぱいいるよ!」
由紀の言うように、通りはゾンビのような人間によって埋め尽くされていた。
ただしゾンビのようとは言っても体は腐っていない。ゾンビのようにまともな意識がない人たちがそこら中をふらついているのだ。
目の焦点は合っておらず、だらしなく開けられたままの口からは、あー、うー、というようなうめき声が漏れ出ていた。
これで腐っていれば完全にB級ゾンビ映画のワンシーンだが、幸いなことに腐臭はしない。むしろ全員の頬はピンク色に上気している。
「これ全部病邪なのか?」
「多分違うと思うよ。この人たちからはほんのちょっとしか嫌な感じがしないから」
景の疑問を由紀が否定したが、これに瑤姫も同意だった。
「おそらくだけど、この人たちは病邪の影響でこうなってるんだと思うわ。きっとこういう能力の病邪なのよ」
瑤姫はそれを確かめるために、近くにいた適当な一人に四診ビームを当てた。
「……精神状態が恍惚に近いわね。まるで何かに魅了されてるみたい」
「魅了?……ってもしかして、アレに魅了されてんじゃないか?」
景がふと気づき、それを指さした。
ライフ漢方薬局の上に何か黒いものが飛んでいるのを見つけたのだ。
まだ結構な距離があるものの、三人の視力は補中益気刀で身体強化されている。その姿ははっきりと見えた。
「エッチなお姉さんだ!」
由紀がそう叫んだのも無理はない。
その黒い影は半裸と言ってもいいような露出の高い服装を着た、妙齢の美女だった。
セックスアピールの強すぎるその外見は、小学生にエッチと評されても仕方ないだろう。
ただしエッチなだけの女性というわけではなく、頭には角が、背中からはコウモリのような黒い羽根が生えている。それで宙を飛んでいるのだから、どう考えても普通の人間ではなかった。
「スライムの次はサキュバスか……」
あらわになった美女の肌を目にしているわけだが、景の声に興奮は滲んでいない。むしろ本日二度目の病邪にうんざりしていた。
景の口にした通り、病邪の姿はサキュバスというのが近いだろう。
露出過多な服装、黒い羽根と角、そして美人だ。
「よ、吉乃さん!」
月子がその美人の名を呼ぶ。もちろん店ではあんな恰好ではなかったから、服装の変化も病邪化の影響だろう。
足もいまだにむくんでいるのかもしれないが、あんな服のくせにロングブーツだから見ても分からない。
瑤姫は吉乃の名を聞き、やはりと思った。
「やっぱりさっきの依代と関係の深い人間なのね。邪気が思いに乗って飛んだのかしら?本当にわけの分からない挙動をするエネルギーだわ……」
それはどこか呆れの含んだつぶやきであり、神ですらお手上げというようなニュアンスが景には感じられた。
「わけ分かんなくてもやることは同じだ。四診ビーム、ここから当てられるか?」
「動いてる的に当てるにはまだ遠いわね……」
などと話している間、吉乃の方がこちらに気づいてしまった。
それまで満足そうに通りをさまよう人々を見下ろしていたのだが、その目が真っ直ぐに景たちを見据えた。
そして大きく息を吸い、こちらに向かってふぅっと吹き出した。
「何が来るぞ!」
景の警告したその何かとは、ピンク色の風だった。
サキュバスと化した吉乃の吐息は甘ったるい香りの付いた風となり、景たちはすぐにピンクに包まれた。
「何だ!?……?……何も……起きないな」
「そうね……」
色はピンクだ。匂いも甘ったるい。
しかしそれに全身を包まれても、吸いこんでも特に異常は感じなかった。
が、それは景と瑤姫だけのことだったようだ。
月子の目は虚ろになり、由紀に関しては通りをさまよう人々と完全に同じ顔になって、吉乃の方へ歩き始めている。
それに気づいた瑤姫が鋭い声を上げた。
「景!二人を闘薬術で叩きなさい!ちょっと痛いくらいで!」
言われて二人がおかしいことに気づいた景は、瑤姫に言われた通り補中益気刀の柄で二人の頭を小突いた。
由紀に関しては特に可愛そうだと思ったが、仕方のない処置だ。
「いたっ……え?……」
「いったい!……あれ?私……」
刺激を受けた二人はすぐに正気を取り戻した。
景はほっと胸をなでおろした。
「良かった。つまり、あのピンクの風は魅了効果があるってことだな。あれでそこの人たちを操ってるのか」
「どうやらそのようね。私のような神か、景のような馬鹿みたいな抵抗力のある人間じゃないとレジストできないんだわ」
「馬鹿みたいって表現は心外だな」
「神みたいって言うのが心外だったからそう表現したのよ」
そうこう話しているうちに、吉乃は自分の魅了が効かないことに気づいたようだ。
景たちを指さし、何事かをつぶやいた。
その直後、通りをさまよっていた人間たちの目が一斉に景たちの方を向いた。そして覚束ない足取りながら近寄ってくる。
「魅了した人間たちに攻撃させる気か!」
「本当にゾンビ映画みたいになってきたわね!」
人間一人一人は動きが遅く、大した脅威にならないだろう。
しかしとにかく数が多い。通りの向こうから、そして路地からもさらに人が増えてくる。
景たちはすぐに前後左右を囲まれた。
「どうする?葛根刀に変えて怪我させない程度にぶっ飛ばすか」
「それもいいけど、桂枝茯苓GUNにして人間をノックバックさせつつ病邪を狙うのがいいんじゃないかしら?」
「人間じゃ闘薬術の弾はすり抜けるだろ」
「魅了されていることで微弱な邪気をまとってるわ。多分だけど、物理的にも影響させられると思うわよ」
瑤姫の言に従い、三人共が桂枝茯苓GUNに切り換える。
実は桂枝茯苓GUNは月子と由紀が一番トレーニングしていた闘薬術だ。
というのも、今瑤姫が言っていた通り桂枝茯苓GUNなら処方が合っていなくても敵をノックバックさせられるからだ。しかも時間感覚を引き伸ばせるから落ち着いた対処も可能になる。
相手から距離を取りつつ景の到着を待つなら使い勝手の良い闘薬術に違いない。
「桃仁、牡丹皮、桂皮、芍薬、茯苓……いでよ!魔銃 桂枝茯苓GUN!」
練習のかいもあり、由紀もスラスラと構成生薬を言えた。
というか、実は一番覚えるのが早かったのは由紀だ。この子が賢いということもあるが、丸暗記なら子供の記憶力に大人は勝てない。
「やぁ!」
由紀が気合を入れて引き金を引くと、一番近くにいた中年男性が弾かれて後ろ向きに倒れた。瑤姫の予想通り足止めはできそうだ。
「よし、それじゃ月子と由紀ちゃんは周りの人間が近づかないようにしてくれ。俺は病邪本体を狙うから、瑤姫は動きが止まったところへ四診ビームを……」
と、景が戦闘方針を話している間に、吉乃は翼をはためかせて建物の陰に隠れてしまった。
飛び道具である桂枝茯苓GUNを見て、この距離でも警戒したのかもしれない。
そしてさすがの景も的を視認できなければ当てるのは難しい。
「……頭のいい病邪だな」
「そうね。人を操るようなタイプだし、それなりの頭はあるんでしょう」
「どうする?出てくるまで粘るか?」
「うーん……病邪も状況を知りたくなるとは思うから、そのうち顔くらい出しそうな気がするけど……」
「それじゃ、とりあえず待つ方針でいくか」
景は頭ひとつでもすぐに狙撃できるよう、吉乃が出てくるのに集中することにした。
処方が合っていなくても当たれば一時的に動きを止めることはできるだろうし、そうすれば四診ビームを当てられるはずだ。
そして景が狙い待つ間、月子と由紀は迫りくる人々を寄せ付けないようにする。
ひたすら引き金を引き、弾倉を換え、さらに引き金を引いた。
さして遠い的ではないし、速くもない。それに的はうじゃうじゃといるので二人とも外すことはなかった。
しかし倒しても倒しても魅了された人間は現れる。終いには地面が倒れた人間だらけになり、新たな魅了者はそれらを踏みながら近づいて来た。
「こ、これちょっとマズくないかな?そのうち踏まれて大怪我する人が出てくるよ」
月子は大勢が倒れ伏す眼前の光景に頬を引きつらせた。以前に雑踏事故で死人が出たというニュースを見たのを思い出したのだ。
新たな弾倉をはめる手付きは訓練の成果もありスムーズだが、引き金を引く指にはためらいがある。
倒せば他の人間に踏まれ、下手すれば死ぬかもしれない。そう思えば仕方のない躊躇だろう。
瑤姫もこのままではマズいと思い始めた。
「なかなか顔を出さないわね……何か最適処方の糸口はないかしら?操られた人間たちに桂枝茯苓GUNがよく効いてるし、生理関連とか瘀血の症状はあると思うんだけど……」
生理関連と言われて、月子は吉乃が生理関連の不調があると言っていたのを思い出した。
そしてそれに引き続き、その治療薬も聞いたことをようやく思い出した。
「ご、ごめんなさい!そういえば私、吉乃さんから自分に合う処方をを教えてもらってました!」
「……ぇえ!?」
もちろん全員驚いたが、瑤姫はことさら声を上げた。
「ちょっと月子!それはさすがにありえないポカよ!」
まっとうな文句ではあるが、景はそんな瑤姫に半眼を向けた。
「いや、さっき必殺技を忘れてたお前が責められることじゃないだろ」
「……まぁ人間は誰しもミスをするものだから仕方ないけども」
景のツッコミを瑤姫は華麗にスルーし、あまつさえ自己弁護してみせた。
「お前は人間じゃなくて神なんだからミスしないで欲しいけどな」
景はさらにツッコミを重ねたが、やはり瑤姫は景の方を見もしない。一方の月子は重ねて謝った。
「ほ、本当にごめんなさい。戦いが始まってからずっとテンパってて……」
景としては月子の性格は分かっているので仕方ないかなとは思う。
何より今すべきはこの場を切り抜けるために集中することだ。
「二人のお仕置きはまた後だ。それより早くその処方名を教えてくれ」
景にお仕置きと言われてなぜかゾクリとした月子だったが、今追求すべきことではない。とにもかくにも必死に記憶を漁った。
しかし漢方薬の長ったらしい名前を一度聞いただけで覚えられる人間は少ないだろう。
「え、えっと……その……薬の名前をちゃんと覚えてなくて……」
「…………」
「で、でも当帰っていう生薬で始まるのだけは覚えてるの!」
吉乃は行方不明の夫が当帰を持って帰って来るという中国の民話を話していた。あの時の悲しげな瞳だけは覚えている。
瑤姫はその情報を元に薬の名前を列挙した。
「当帰で始まるっていうと、この間発動させた当帰建中湯の他に、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、当帰飲子、当帰芍薬散……」
「それ!当帰芍薬散です!」
ただしたどり着いたとは言っても店の前まで来られたわけではない。店が見える通りまで来たのだが、そこで足を止めざるを得なかったからだ。
「な、何だこれ!?」
「ゾンビ!お兄ちゃん、ゾンビがいっぱいいるよ!」
由紀の言うように、通りはゾンビのような人間によって埋め尽くされていた。
ただしゾンビのようとは言っても体は腐っていない。ゾンビのようにまともな意識がない人たちがそこら中をふらついているのだ。
目の焦点は合っておらず、だらしなく開けられたままの口からは、あー、うー、というようなうめき声が漏れ出ていた。
これで腐っていれば完全にB級ゾンビ映画のワンシーンだが、幸いなことに腐臭はしない。むしろ全員の頬はピンク色に上気している。
「これ全部病邪なのか?」
「多分違うと思うよ。この人たちからはほんのちょっとしか嫌な感じがしないから」
景の疑問を由紀が否定したが、これに瑤姫も同意だった。
「おそらくだけど、この人たちは病邪の影響でこうなってるんだと思うわ。きっとこういう能力の病邪なのよ」
瑤姫はそれを確かめるために、近くにいた適当な一人に四診ビームを当てた。
「……精神状態が恍惚に近いわね。まるで何かに魅了されてるみたい」
「魅了?……ってもしかして、アレに魅了されてんじゃないか?」
景がふと気づき、それを指さした。
ライフ漢方薬局の上に何か黒いものが飛んでいるのを見つけたのだ。
まだ結構な距離があるものの、三人の視力は補中益気刀で身体強化されている。その姿ははっきりと見えた。
「エッチなお姉さんだ!」
由紀がそう叫んだのも無理はない。
その黒い影は半裸と言ってもいいような露出の高い服装を着た、妙齢の美女だった。
セックスアピールの強すぎるその外見は、小学生にエッチと評されても仕方ないだろう。
ただしエッチなだけの女性というわけではなく、頭には角が、背中からはコウモリのような黒い羽根が生えている。それで宙を飛んでいるのだから、どう考えても普通の人間ではなかった。
「スライムの次はサキュバスか……」
あらわになった美女の肌を目にしているわけだが、景の声に興奮は滲んでいない。むしろ本日二度目の病邪にうんざりしていた。
景の口にした通り、病邪の姿はサキュバスというのが近いだろう。
露出過多な服装、黒い羽根と角、そして美人だ。
「よ、吉乃さん!」
月子がその美人の名を呼ぶ。もちろん店ではあんな恰好ではなかったから、服装の変化も病邪化の影響だろう。
足もいまだにむくんでいるのかもしれないが、あんな服のくせにロングブーツだから見ても分からない。
瑤姫は吉乃の名を聞き、やはりと思った。
「やっぱりさっきの依代と関係の深い人間なのね。邪気が思いに乗って飛んだのかしら?本当にわけの分からない挙動をするエネルギーだわ……」
それはどこか呆れの含んだつぶやきであり、神ですらお手上げというようなニュアンスが景には感じられた。
「わけ分かんなくてもやることは同じだ。四診ビーム、ここから当てられるか?」
「動いてる的に当てるにはまだ遠いわね……」
などと話している間、吉乃の方がこちらに気づいてしまった。
それまで満足そうに通りをさまよう人々を見下ろしていたのだが、その目が真っ直ぐに景たちを見据えた。
そして大きく息を吸い、こちらに向かってふぅっと吹き出した。
「何が来るぞ!」
景の警告したその何かとは、ピンク色の風だった。
サキュバスと化した吉乃の吐息は甘ったるい香りの付いた風となり、景たちはすぐにピンクに包まれた。
「何だ!?……?……何も……起きないな」
「そうね……」
色はピンクだ。匂いも甘ったるい。
しかしそれに全身を包まれても、吸いこんでも特に異常は感じなかった。
が、それは景と瑤姫だけのことだったようだ。
月子の目は虚ろになり、由紀に関しては通りをさまよう人々と完全に同じ顔になって、吉乃の方へ歩き始めている。
それに気づいた瑤姫が鋭い声を上げた。
「景!二人を闘薬術で叩きなさい!ちょっと痛いくらいで!」
言われて二人がおかしいことに気づいた景は、瑤姫に言われた通り補中益気刀の柄で二人の頭を小突いた。
由紀に関しては特に可愛そうだと思ったが、仕方のない処置だ。
「いたっ……え?……」
「いったい!……あれ?私……」
刺激を受けた二人はすぐに正気を取り戻した。
景はほっと胸をなでおろした。
「良かった。つまり、あのピンクの風は魅了効果があるってことだな。あれでそこの人たちを操ってるのか」
「どうやらそのようね。私のような神か、景のような馬鹿みたいな抵抗力のある人間じゃないとレジストできないんだわ」
「馬鹿みたいって表現は心外だな」
「神みたいって言うのが心外だったからそう表現したのよ」
そうこう話しているうちに、吉乃は自分の魅了が効かないことに気づいたようだ。
景たちを指さし、何事かをつぶやいた。
その直後、通りをさまよっていた人間たちの目が一斉に景たちの方を向いた。そして覚束ない足取りながら近寄ってくる。
「魅了した人間たちに攻撃させる気か!」
「本当にゾンビ映画みたいになってきたわね!」
人間一人一人は動きが遅く、大した脅威にならないだろう。
しかしとにかく数が多い。通りの向こうから、そして路地からもさらに人が増えてくる。
景たちはすぐに前後左右を囲まれた。
「どうする?葛根刀に変えて怪我させない程度にぶっ飛ばすか」
「それもいいけど、桂枝茯苓GUNにして人間をノックバックさせつつ病邪を狙うのがいいんじゃないかしら?」
「人間じゃ闘薬術の弾はすり抜けるだろ」
「魅了されていることで微弱な邪気をまとってるわ。多分だけど、物理的にも影響させられると思うわよ」
瑤姫の言に従い、三人共が桂枝茯苓GUNに切り換える。
実は桂枝茯苓GUNは月子と由紀が一番トレーニングしていた闘薬術だ。
というのも、今瑤姫が言っていた通り桂枝茯苓GUNなら処方が合っていなくても敵をノックバックさせられるからだ。しかも時間感覚を引き伸ばせるから落ち着いた対処も可能になる。
相手から距離を取りつつ景の到着を待つなら使い勝手の良い闘薬術に違いない。
「桃仁、牡丹皮、桂皮、芍薬、茯苓……いでよ!魔銃 桂枝茯苓GUN!」
練習のかいもあり、由紀もスラスラと構成生薬を言えた。
というか、実は一番覚えるのが早かったのは由紀だ。この子が賢いということもあるが、丸暗記なら子供の記憶力に大人は勝てない。
「やぁ!」
由紀が気合を入れて引き金を引くと、一番近くにいた中年男性が弾かれて後ろ向きに倒れた。瑤姫の予想通り足止めはできそうだ。
「よし、それじゃ月子と由紀ちゃんは周りの人間が近づかないようにしてくれ。俺は病邪本体を狙うから、瑤姫は動きが止まったところへ四診ビームを……」
と、景が戦闘方針を話している間に、吉乃は翼をはためかせて建物の陰に隠れてしまった。
飛び道具である桂枝茯苓GUNを見て、この距離でも警戒したのかもしれない。
そしてさすがの景も的を視認できなければ当てるのは難しい。
「……頭のいい病邪だな」
「そうね。人を操るようなタイプだし、それなりの頭はあるんでしょう」
「どうする?出てくるまで粘るか?」
「うーん……病邪も状況を知りたくなるとは思うから、そのうち顔くらい出しそうな気がするけど……」
「それじゃ、とりあえず待つ方針でいくか」
景は頭ひとつでもすぐに狙撃できるよう、吉乃が出てくるのに集中することにした。
処方が合っていなくても当たれば一時的に動きを止めることはできるだろうし、そうすれば四診ビームを当てられるはずだ。
そして景が狙い待つ間、月子と由紀は迫りくる人々を寄せ付けないようにする。
ひたすら引き金を引き、弾倉を換え、さらに引き金を引いた。
さして遠い的ではないし、速くもない。それに的はうじゃうじゃといるので二人とも外すことはなかった。
しかし倒しても倒しても魅了された人間は現れる。終いには地面が倒れた人間だらけになり、新たな魅了者はそれらを踏みながら近づいて来た。
「こ、これちょっとマズくないかな?そのうち踏まれて大怪我する人が出てくるよ」
月子は大勢が倒れ伏す眼前の光景に頬を引きつらせた。以前に雑踏事故で死人が出たというニュースを見たのを思い出したのだ。
新たな弾倉をはめる手付きは訓練の成果もありスムーズだが、引き金を引く指にはためらいがある。
倒せば他の人間に踏まれ、下手すれば死ぬかもしれない。そう思えば仕方のない躊躇だろう。
瑤姫もこのままではマズいと思い始めた。
「なかなか顔を出さないわね……何か最適処方の糸口はないかしら?操られた人間たちに桂枝茯苓GUNがよく効いてるし、生理関連とか瘀血の症状はあると思うんだけど……」
生理関連と言われて、月子は吉乃が生理関連の不調があると言っていたのを思い出した。
そしてそれに引き続き、その治療薬も聞いたことをようやく思い出した。
「ご、ごめんなさい!そういえば私、吉乃さんから自分に合う処方をを教えてもらってました!」
「……ぇえ!?」
もちろん全員驚いたが、瑤姫はことさら声を上げた。
「ちょっと月子!それはさすがにありえないポカよ!」
まっとうな文句ではあるが、景はそんな瑤姫に半眼を向けた。
「いや、さっき必殺技を忘れてたお前が責められることじゃないだろ」
「……まぁ人間は誰しもミスをするものだから仕方ないけども」
景のツッコミを瑤姫は華麗にスルーし、あまつさえ自己弁護してみせた。
「お前は人間じゃなくて神なんだからミスしないで欲しいけどな」
景はさらにツッコミを重ねたが、やはり瑤姫は景の方を見もしない。一方の月子は重ねて謝った。
「ほ、本当にごめんなさい。戦いが始まってからずっとテンパってて……」
景としては月子の性格は分かっているので仕方ないかなとは思う。
何より今すべきはこの場を切り抜けるために集中することだ。
「二人のお仕置きはまた後だ。それより早くその処方名を教えてくれ」
景にお仕置きと言われてなぜかゾクリとした月子だったが、今追求すべきことではない。とにもかくにも必死に記憶を漁った。
しかし漢方薬の長ったらしい名前を一度聞いただけで覚えられる人間は少ないだろう。
「え、えっと……その……薬の名前をちゃんと覚えてなくて……」
「…………」
「で、でも当帰っていう生薬で始まるのだけは覚えてるの!」
吉乃は行方不明の夫が当帰を持って帰って来るという中国の民話を話していた。あの時の悲しげな瞳だけは覚えている。
瑤姫はその情報を元に薬の名前を列挙した。
「当帰で始まるっていうと、この間発動させた当帰建中湯の他に、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、当帰飲子、当帰芍薬散……」
「それ!当帰芍薬散です!」
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