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補中益気湯、当帰芍薬散1
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張中景は学生として少し特殊なところがある。
試験前、多くの学生は図書館やカフェなど静かな環境を勉強場所に選ぶものだが、景はあえて騒がしい所で勉強するのだ。
昔からなぜか周囲がやかましい方が集中できた。不思議な話だが、耳に別の情報を入れながらの方が没頭できるのだ。
だから大学生になって以降は学食の隅が景にとって試験前の定位置になっていた。学食ならいつでも学生たちでガヤガヤしている。
しかし三年次前期の今試験前だけはいつもの定位置にいなかった。ここ最近は自宅のリビングが常にガヤガヤしているからだ。
「あっはっは!この浮気殿下、イイやられっぷりね!」
ソファに座った瑤姫がアニメを観ながら爆笑している。
好物の異世界転生もので、主人公の公爵令嬢が婚約者である殿下に浮気されてから『ざまぁ』しているところだった。
(多分だけど、この後は別のイケメン貴族か他国の殿下に見初められる流れになるんだろうな)
景はそんなお約束ストーリーを頭に思い浮かべつつ、教科書の重要事項にマーカーを引いた。この方が頭に入るのだから妙な脳みそだ。
いつもは癇に障ることもある瑤姫の馬鹿笑いも今ばかりは気にならない。むしろ感謝してもいいほどだ。
ただし、次に聞こえた言葉にはマーカーを引く手が止まった。
「浮気男にてんちゅー!悪いことしたんだからどんな目にあっても仕方ないよね!」
おそらく脳内で漢字変換できていないであろう『てんちゅー』を口にしたのは瑤姫ではない。さすがの瑤姫も天誅の字くらい知っている。
それに声はもっと幼く、可愛らしいものだった。
「由紀ちゃん、そういう考え方はあんまり良くない」
景は教科書から顔を上げて、そうたしなめた。
今この部屋にいるのは景と瑤姫だけではない。山脇由紀が瑤姫の隣に座っている。
由紀は果物狩りの後、何度も景の家にお邪魔していた。瑤姫と遊ぶのが楽しいらしく、祖父母にねだって連れてきてもらうのだ。
景の家がちょうど祖父の通勤途上にあるというのも大きい。ついでに置いていったり連れて帰ったりされていた。
もちろん景には事前に確認の連絡が来るのだが、基本的に断ることはない。由紀がいると賑やかで楽しいし、いつもゴロゴロしていた瑤姫の心身にも良いと思う。
(なんか俺、いっそう瑤姫の保護者っぽくなってないか?)
どこかモヤッとした思いを抱きつつ、景は由紀への言葉を続けた。
「悪いことをした人だからって、どんな目にあってもいいと感じるのは危険だよ」
「危険?」
なぜ危険なのかは分からなかったが、由紀は八歳なりに思うところを述べた。
「でも悪いことした人に罰がないと、もっと悪い人が増えるよ?」
「それはそうなんだけど、今はネットを使って顔も出さずに人のことを傷つけられる時代だからね。悪者がやられるスカッと感を気持ちいいと思い過ぎちゃうと、すぐに他人を叩くようになるんだ」
良くも悪くもそういう社会なのだ。
そしていわゆる『ざまぁ』とか『スカッと』とかいうジャンル、展開はこういう社会において他人を容易に傷つけてしまう人間を育てかねない。
景も別にそういう作品が嫌いというわけではなかったが、由紀が暗い攻撃性を持った人間になるのは嫌だったのでつい口を挟んだ。
由紀はそんな景の言葉で思い出したことがあったようで、ポンと手を打った。
「そういえばお爺ちゃんとお婆ちゃんも同じようなこと言ってた。だからスマホを持ってもコメントとか書き込んじゃダメだって」
「なかなかネットリテラシーの高いお爺ちゃんお婆ちゃんだね……」
あまりそうは見えなかった二人だが、意外にもIT社会に詳しいらしい。
由紀には両親がいないので頼りになる話ではある。
「あと由紀ちゃんが悪いと感じても、その人が本当に悪い人かどうか分からないでしょ?」
「え?でもあの殿下は浮気してて……」
「実は理由があって仕方なく悪いことしてました、っていうのはアニメでもよくあるパターンだし」
由紀ちゃんは再びポンと手を打ってうなずいた。
「あ、それ分かる~。逆に味方だと思ってたキャラが最後の最後で敵だって分かったり」
「そうそう。あるあるだね」
景は由紀と笑いながら、その細められた視界の中にいる瑤姫の姿がふと気になった。
瑤姫も自分たちと同じように笑っているのだが、あまりに脳天気な顔に見えた。
つまり、どう考えても悪いことをたくらんでいる顔には見えないのだ。
(物語だと思いもよらない人物が黒幕だったりするけど……)
まさかこの駄女神が黒幕ではなかろうか。
そんな本当にまさかな考えが景の脳裏に浮かんだのは、先日の果物狩りの折り、病邪を意図的に発生させている者の存在がほぼ証明されたからだ。
あの声は病邪を覚醒させたというようなことを言っていた。そして実際に病邪化していた杏香は急に強くなった。
つまり、病邪の異常発生に関して誰か黒幕がいるのだ。
当然あれから瑤姫を通して神農に報告したのだが、相当な驚きだったらしい。景は見ていないが、あの泰然とした英国紳士の口髭が一瞬震えていたそうだ。
『神々の間でも黒幕がいる可能性は高いと思われてたけど、覚醒の話は初出だったから。そりゃ驚くわよ』
瑤姫はそう言っていた。
その後、神々の方でも調査してくれているそうだが、いまだに犯人は特定できていない。
瑤姫がちょくちょく神農神社に行って情報収集しているが、今のところ何の音沙汰もないという話だった。
「なぁ、瑤姫は例の邪気を溜めたり操ったりする神具は持ってないんだよな?」
まさか疑われているとは思わない瑤姫は、景の質問にごく自然な様子で答えてくれた。
「持ってないわよ。できれば欲しいんだけど、お父様の許可が下りなくて」
「許可?許可がいるのか」
「いるわよ。あんな危ないもの、いくら神々でも好き勝手に使われたら困るわ」
「そりゃそうか。じゃあ許可が出るのはどういう時なんだ?」
「研究で必要な時と、あとは医聖の因子持ちを鍛える時にも使わせてもらえるわね」
「……え?それって誰かをわざと病邪化させて練習台にするってことか?」
「そうよ。一人につき一度だけって決まりはあるんだけど、一般人を病邪化させることが許されてるの。討伐されれば病気も治るから、依代にされた人間にとっても悪い話じゃないでしょ?」
「それは……まぁ……そうだな。こっちは実戦訓練になって、あっちは病気が治って、ウィンウィンにはなるか」
多少強引な気はしたが、非道というほどの話ではないだろう。むしろ仮に募集でもすれば、希望者が殺到するはずだ。
(それにしても研究用と教育用か……規制のかかっている化学物質と扱いが似ているな)
薬学生である景はそんな風に納得できた。
「でも、それなら瑤姫に許可が下りないのはどうしてだ?特に今は月子と由紀ちゃんが増えたところじゃないか」
先日の果物狩りの時、設楽月子と山脇由紀が初めて闘薬術を発動させた。
後で瑤姫に尋ねたら景の思った通り、元々由紀からは医聖の因子がある兆候を感じていたそうだ。たまたま再会した時に由紀がよく経験する『嫌な感じ』の話を聞いたらしい。
しかし月子の方は全くそんなことなく、完全な偶然だったそうだ。月子にとっては極めて不幸な偶然だと景は同情した。
そして果物狩りの後、何度か夜の神農神社に集まって訓練をした。月子の父である源一郎に話したら快く場所を提供してくれた。
もちろん娘が心配ではあるようだったが、娘が神から力を与えられたことに興奮していた。それに娘の安全を思うなら訓練はした方がいい。
まだ八歳の由紀のことを考えてあまり遅くまではやっていないが、それでも景が今まで発動させた闘薬術は全て由紀、月子も一度は使ってみた。
しかしいくら訓練しようと、実戦を幾度も経験した景としてはやはり物足りない。
それに景の目から見ると、二人はあまりに非力に映るのだ。もしコントロールされた病邪を相手に実戦経験を積めるなら、絶対にやった方がいいと思う。
それなのに神農は邪気を操る神具を貸してくれないという。なぜなのか。
「私の方が聞きたいわよ。お父様にいくらお願いしても『お前に渡せるわけがないだろう』ってため息をつかれるばっかりで……」
愚痴っぽくそう言って、瑤姫自身もため息をついた。
どうやら理由を教えてもらえないようだが、景には神農の漏らした一言で十分理解できた。
例えば転んで神具を壊して邪気を撒き散らす、例えば操作を間違えて病邪大発生、例えばどこかに置き忘れて拾った人間に悪用される……
起こりうる駄女神リスクをいくらでも想定できるのだ。
聞けば神具は人間でも扱えるらしく、そうなると特に紛失リスクは洒落にならない。
(許可が下りないのはお前が駄女神だからだよ)
心の中でそう伝えてやってから、果樹園で耳にしたセリフを思い出した。
病邪を発生させている黒幕らしき男のセリフだが、奴も瑤姫に対して『駄女神』という呼称を使っていたのだ。
景を作為的に勘違いさせようとしているのでなければ、瑤姫は少なくとも黒幕ではないと思われる。
(瑤姫のことを駄女神って呼んでる時点で結構絞れそうなもんだけど……)
景が神々の捜査手法に思いを巡らせていると、ブーンという低い音が響いた。
テーブルの上に置いていたスマートフォンが振動したのだ。
「着信だな……月子から?」
ディスプレイには『設楽月子』と表示されている。
景が緑の受話器マークをスライドして耳に当てると、いつも通りおどおどした月子の声が聞こえた。
「け、景君?」
「どうした月子、もしかして病邪か?」
いきなりそう尋ねたのは、月子は由紀と共に主として索敵を担当するとつい先日に決めていたからだ。
その月子からの連絡なのでもしやと思ったのだが、その返事はイエスでもノーでもない曖昧なものだった。
「そ、それがなんか変で……」
「変?変ってどういうことだ?変な病邪なのか?」
「いや、なんていうか……色々変で……」
「……?」
要領を得ない回答だったが、とりあえずこれ以上の試験勉強は無理そうだと諦めることにした。
試験前、多くの学生は図書館やカフェなど静かな環境を勉強場所に選ぶものだが、景はあえて騒がしい所で勉強するのだ。
昔からなぜか周囲がやかましい方が集中できた。不思議な話だが、耳に別の情報を入れながらの方が没頭できるのだ。
だから大学生になって以降は学食の隅が景にとって試験前の定位置になっていた。学食ならいつでも学生たちでガヤガヤしている。
しかし三年次前期の今試験前だけはいつもの定位置にいなかった。ここ最近は自宅のリビングが常にガヤガヤしているからだ。
「あっはっは!この浮気殿下、イイやられっぷりね!」
ソファに座った瑤姫がアニメを観ながら爆笑している。
好物の異世界転生もので、主人公の公爵令嬢が婚約者である殿下に浮気されてから『ざまぁ』しているところだった。
(多分だけど、この後は別のイケメン貴族か他国の殿下に見初められる流れになるんだろうな)
景はそんなお約束ストーリーを頭に思い浮かべつつ、教科書の重要事項にマーカーを引いた。この方が頭に入るのだから妙な脳みそだ。
いつもは癇に障ることもある瑤姫の馬鹿笑いも今ばかりは気にならない。むしろ感謝してもいいほどだ。
ただし、次に聞こえた言葉にはマーカーを引く手が止まった。
「浮気男にてんちゅー!悪いことしたんだからどんな目にあっても仕方ないよね!」
おそらく脳内で漢字変換できていないであろう『てんちゅー』を口にしたのは瑤姫ではない。さすがの瑤姫も天誅の字くらい知っている。
それに声はもっと幼く、可愛らしいものだった。
「由紀ちゃん、そういう考え方はあんまり良くない」
景は教科書から顔を上げて、そうたしなめた。
今この部屋にいるのは景と瑤姫だけではない。山脇由紀が瑤姫の隣に座っている。
由紀は果物狩りの後、何度も景の家にお邪魔していた。瑤姫と遊ぶのが楽しいらしく、祖父母にねだって連れてきてもらうのだ。
景の家がちょうど祖父の通勤途上にあるというのも大きい。ついでに置いていったり連れて帰ったりされていた。
もちろん景には事前に確認の連絡が来るのだが、基本的に断ることはない。由紀がいると賑やかで楽しいし、いつもゴロゴロしていた瑤姫の心身にも良いと思う。
(なんか俺、いっそう瑤姫の保護者っぽくなってないか?)
どこかモヤッとした思いを抱きつつ、景は由紀への言葉を続けた。
「悪いことをした人だからって、どんな目にあってもいいと感じるのは危険だよ」
「危険?」
なぜ危険なのかは分からなかったが、由紀は八歳なりに思うところを述べた。
「でも悪いことした人に罰がないと、もっと悪い人が増えるよ?」
「それはそうなんだけど、今はネットを使って顔も出さずに人のことを傷つけられる時代だからね。悪者がやられるスカッと感を気持ちいいと思い過ぎちゃうと、すぐに他人を叩くようになるんだ」
良くも悪くもそういう社会なのだ。
そしていわゆる『ざまぁ』とか『スカッと』とかいうジャンル、展開はこういう社会において他人を容易に傷つけてしまう人間を育てかねない。
景も別にそういう作品が嫌いというわけではなかったが、由紀が暗い攻撃性を持った人間になるのは嫌だったのでつい口を挟んだ。
由紀はそんな景の言葉で思い出したことがあったようで、ポンと手を打った。
「そういえばお爺ちゃんとお婆ちゃんも同じようなこと言ってた。だからスマホを持ってもコメントとか書き込んじゃダメだって」
「なかなかネットリテラシーの高いお爺ちゃんお婆ちゃんだね……」
あまりそうは見えなかった二人だが、意外にもIT社会に詳しいらしい。
由紀には両親がいないので頼りになる話ではある。
「あと由紀ちゃんが悪いと感じても、その人が本当に悪い人かどうか分からないでしょ?」
「え?でもあの殿下は浮気してて……」
「実は理由があって仕方なく悪いことしてました、っていうのはアニメでもよくあるパターンだし」
由紀ちゃんは再びポンと手を打ってうなずいた。
「あ、それ分かる~。逆に味方だと思ってたキャラが最後の最後で敵だって分かったり」
「そうそう。あるあるだね」
景は由紀と笑いながら、その細められた視界の中にいる瑤姫の姿がふと気になった。
瑤姫も自分たちと同じように笑っているのだが、あまりに脳天気な顔に見えた。
つまり、どう考えても悪いことをたくらんでいる顔には見えないのだ。
(物語だと思いもよらない人物が黒幕だったりするけど……)
まさかこの駄女神が黒幕ではなかろうか。
そんな本当にまさかな考えが景の脳裏に浮かんだのは、先日の果物狩りの折り、病邪を意図的に発生させている者の存在がほぼ証明されたからだ。
あの声は病邪を覚醒させたというようなことを言っていた。そして実際に病邪化していた杏香は急に強くなった。
つまり、病邪の異常発生に関して誰か黒幕がいるのだ。
当然あれから瑤姫を通して神農に報告したのだが、相当な驚きだったらしい。景は見ていないが、あの泰然とした英国紳士の口髭が一瞬震えていたそうだ。
『神々の間でも黒幕がいる可能性は高いと思われてたけど、覚醒の話は初出だったから。そりゃ驚くわよ』
瑤姫はそう言っていた。
その後、神々の方でも調査してくれているそうだが、いまだに犯人は特定できていない。
瑤姫がちょくちょく神農神社に行って情報収集しているが、今のところ何の音沙汰もないという話だった。
「なぁ、瑤姫は例の邪気を溜めたり操ったりする神具は持ってないんだよな?」
まさか疑われているとは思わない瑤姫は、景の質問にごく自然な様子で答えてくれた。
「持ってないわよ。できれば欲しいんだけど、お父様の許可が下りなくて」
「許可?許可がいるのか」
「いるわよ。あんな危ないもの、いくら神々でも好き勝手に使われたら困るわ」
「そりゃそうか。じゃあ許可が出るのはどういう時なんだ?」
「研究で必要な時と、あとは医聖の因子持ちを鍛える時にも使わせてもらえるわね」
「……え?それって誰かをわざと病邪化させて練習台にするってことか?」
「そうよ。一人につき一度だけって決まりはあるんだけど、一般人を病邪化させることが許されてるの。討伐されれば病気も治るから、依代にされた人間にとっても悪い話じゃないでしょ?」
「それは……まぁ……そうだな。こっちは実戦訓練になって、あっちは病気が治って、ウィンウィンにはなるか」
多少強引な気はしたが、非道というほどの話ではないだろう。むしろ仮に募集でもすれば、希望者が殺到するはずだ。
(それにしても研究用と教育用か……規制のかかっている化学物質と扱いが似ているな)
薬学生である景はそんな風に納得できた。
「でも、それなら瑤姫に許可が下りないのはどうしてだ?特に今は月子と由紀ちゃんが増えたところじゃないか」
先日の果物狩りの時、設楽月子と山脇由紀が初めて闘薬術を発動させた。
後で瑤姫に尋ねたら景の思った通り、元々由紀からは医聖の因子がある兆候を感じていたそうだ。たまたま再会した時に由紀がよく経験する『嫌な感じ』の話を聞いたらしい。
しかし月子の方は全くそんなことなく、完全な偶然だったそうだ。月子にとっては極めて不幸な偶然だと景は同情した。
そして果物狩りの後、何度か夜の神農神社に集まって訓練をした。月子の父である源一郎に話したら快く場所を提供してくれた。
もちろん娘が心配ではあるようだったが、娘が神から力を与えられたことに興奮していた。それに娘の安全を思うなら訓練はした方がいい。
まだ八歳の由紀のことを考えてあまり遅くまではやっていないが、それでも景が今まで発動させた闘薬術は全て由紀、月子も一度は使ってみた。
しかしいくら訓練しようと、実戦を幾度も経験した景としてはやはり物足りない。
それに景の目から見ると、二人はあまりに非力に映るのだ。もしコントロールされた病邪を相手に実戦経験を積めるなら、絶対にやった方がいいと思う。
それなのに神農は邪気を操る神具を貸してくれないという。なぜなのか。
「私の方が聞きたいわよ。お父様にいくらお願いしても『お前に渡せるわけがないだろう』ってため息をつかれるばっかりで……」
愚痴っぽくそう言って、瑤姫自身もため息をついた。
どうやら理由を教えてもらえないようだが、景には神農の漏らした一言で十分理解できた。
例えば転んで神具を壊して邪気を撒き散らす、例えば操作を間違えて病邪大発生、例えばどこかに置き忘れて拾った人間に悪用される……
起こりうる駄女神リスクをいくらでも想定できるのだ。
聞けば神具は人間でも扱えるらしく、そうなると特に紛失リスクは洒落にならない。
(許可が下りないのはお前が駄女神だからだよ)
心の中でそう伝えてやってから、果樹園で耳にしたセリフを思い出した。
病邪を発生させている黒幕らしき男のセリフだが、奴も瑤姫に対して『駄女神』という呼称を使っていたのだ。
景を作為的に勘違いさせようとしているのでなければ、瑤姫は少なくとも黒幕ではないと思われる。
(瑤姫のことを駄女神って呼んでる時点で結構絞れそうなもんだけど……)
景が神々の捜査手法に思いを巡らせていると、ブーンという低い音が響いた。
テーブルの上に置いていたスマートフォンが振動したのだ。
「着信だな……月子から?」
ディスプレイには『設楽月子』と表示されている。
景が緑の受話器マークをスライドして耳に当てると、いつも通りおどおどした月子の声が聞こえた。
「け、景君?」
「どうした月子、もしかして病邪か?」
いきなりそう尋ねたのは、月子は由紀と共に主として索敵を担当するとつい先日に決めていたからだ。
その月子からの連絡なのでもしやと思ったのだが、その返事はイエスでもノーでもない曖昧なものだった。
「そ、それがなんか変で……」
「変?変ってどういうことだ?変な病邪なのか?」
「いや、なんていうか……色々変で……」
「……?」
要領を得ない回答だったが、とりあえずこれ以上の試験勉強は無理そうだと諦めることにした。
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