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当帰建中湯、桂枝茯苓丸4
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瑤姫に促され、景は慌てて闘薬術を発動させた。
「芽生えよ医聖の因子!」
その一言で景の左腕に輝く腕輪が現れる。
それから景は一瞬だけ考え、とりあえずの処方を選択した。
「葛根、大棗、麻黄、甘草、桂皮、芍薬、生姜!……いでよ、魔剣 葛根刀!」
発動させたのは平均的な身体強化が見込める葛根刀だ。結局のところ、今のように何が求められるか分からない状況では葛根刀が一番無難だと結論づけた。
由紀と月子は突然現れた日本刀に目を丸くした。離れたところでは由紀の祖父母も同じような顔をしている。
しかし景はかなり頭にきていたのでそれどころではなかった。
「この駄女神!病邪が出そうなほど邪気が濃いならあらかじめ教えとけよ!それともまたボーッとしてたのか!?」
強い言葉で瑤姫を罵ったが、これくらいは当然だと思った。瑤姫は普段から大切なことを言わないが、それにしても危険を伝えてくれないのはひど過ぎる。
しかし瑤姫にとってはまるで受け入れられない罵倒だった。
「邪気の探知はたまに集中してやってるわよ!今日だってここに来た時にちゃんと調べたわ!でもむしろ薄いくらいだったんだから!」
「じゃあなんで病邪が発生したんだよ!?」
「分かんないわよ!こういうのがたまにあるから問題になってるの!」
そう言われ、景はつい先日新農から聞いた話を思い出した。
「……そういえば、病邪の発生数が明らかに自然発生の頻度を超えてるって話だったな」
「ええ、つまりは今回もその一例ってことよ。出来ればこの周辺を調べたいところだけど……」
「まずはあの飛んでる病邪たちをなんとかしないと、危な過ぎてそれどころじゃないだろうな」
「そうね。チャチャッと倒しちゃって」
(直接戦わないやつが簡単に言いやがる!)
瑤姫の言い様が癇に障ったものの、早々に倒すべきなのは確かだ。
景は強化された視覚で改めて邪気を見つめた。やはり人間の両腕が大きな羽根になっている。
加えて足が猛禽類のような鉤爪になっていることが確認でき、いよいよハーピーという幻想生物のような外見だと改めて思った。
ただ、景が分かったのはそれだけではない。そこまで見えているのだから当然顔も認識できた。
「杏香さん!?杏香さんが邪気の依代になってんのか!」
言ってから、その方向に直売所があったことを思い出した。
どうやらそこで働いていた杏香と誰かもう一人に邪気が集まり、病邪化してしまったようだ。それが屋根を突き破って空に舞い上がったのだと思われる。
そしてその結果が先ほどのドンッ、という音だったのだろう。
(屋根を突き破れるほどの飛翔力と強度って……つくづく病邪は規格外だな)
景は呆れるような思いがして、次に身震いした。
これではほとんど砲弾のようなものだ。しかも通常の砲弾のようにまっすぐ飛ぶだけではない。
相手をしたくないなと思いながら、もう一人の顔にも目を向けた。
「目元とか口元とかが杏香さんに似てるけど、もしかして……」
「そ、それなら多分もう一人は桃香ちゃんだと思う。二人はすごくよく似てるから」
景の憶測に月子が肯定の回答をくれた。
杏香と桃香は体質も似ているという話だったが、容姿も似ているらしい。それに加えて体格も杏香と同じようにややがっしりしている印象だった。
そんな似たもの母娘が仲良く病邪化してしまっている。一体でも厄介なのに二体同時とは、面倒な似方をしてくれたものだと景は迷惑に思った。
「わ、私もあんなだったの?」
月子は病邪化した時の記憶が薄っすらとしかないため、化け物然としてしまった二人の姿に怯えた。自分もこうだったのかと思うと怖気が立つ。
しかし景は首を横に振って否定した。
「いや、月子の時はもっとモフモフのいい感じだった。病邪じゃなけりゃペットにしたいくらいだ」
「ペット!?」
瞬時にペットとして景に飼われる自分を想像してしまう。
リビングで景の膝の上に乗り、ゴロゴロモフモフペロペロ。
(それいいな……)
ぽやっとしてしまった月子だったが、当の景によってすぐ現実に引き戻された。
「それより月子は由紀ちゃんたちを連れて避難してくれないか?あっちに屋根のある東屋があっただろ。上から見えない所にいた方がいい。移動も木の陰を選んで動くんだ」
「え?あ、うん……わ、分かった」
我に返った月子は慌ててうなずいた。そして今度は何の下心もなく由紀の手を取る。
「由紀ちゃん、あっち行こう」
由紀は引っ張られて歩き出したものの、その目はじっと景の左手を見つめていた。
病邪が現れた時はそちらを向いていたのに、景が闘薬術を発動してからはずっと葛根刀に釘付けだ。
「お兄ちゃん、前にも……」
離れて行く由紀のつぶやきを景の耳が拾った。
葛根刀を見ながら『前にも』と言われると、続く言葉とその意味は簡単に想像できる。
しかし今はそれにかまっている暇はない。上空で旋回していたハーピーもとい、杏香と桃香の母娘がこちらへ向って急降下してきたのだ。
「来るわよ!」
「分かってる!」
一人木陰に避難していく瑤姫に怒鳴り返しながら、葛根刀を青眼に構えた。
杏香たちの滑空は凄まじい速度だ。見る間に二人の姿が大きくなった。
そしてまずは杏香が突っ込んでくる。景の前を旋回しながら翼をぶつけてきた。
ガキィン!
という硬質な音がして、葛根刀を握る景の手に強い衝撃が来た。明らかにただの鳥の羽根とは違う。
(まるで鋼の翼だ!こりゃモロに食らったら骨が粉々だぞ!)
実際には葛根刀で身体強度も上がっているため、どうなるかは分からない。しかし体感としてはそれくらい強烈な一撃だった。
闘薬術では身体強化だけでなく力場も発生させるが、それがあってなお吹き飛ばされそうだ。
しかも体勢を崩したところへ桃香の翼が襲いかかってくる。
「うぉっ!」
景は身を投げ出すようにジャンプしてなんとかそれをかわした。万全の体勢で迎え撃たなければ弾き飛ばされそうだったので、ここは回避の一手だ。
地面をゴロリと転がってから起き上がり、瑤姫に叫ぶ。
「手応え的に葛根湯が適切な処方じゃない!何にしたらいいか教えてくれ!」
「四診ビームが当たらなきゃ分かんないわよ!」
「じゃあ早く当ててくれ!」
「そのつもりだけど、速過ぎて……」
そう言いながらも瑤姫は親指と人差し指で四角を作り、空に舞い上がった母娘をその枠内に捕らえようとした。
「……四診ビーム!」
声に合わせて光る枠が飛んでいく。一発だけでなく二発、三発と立て続けに放たれた。
しかし杏香と桃香は空中を旋回して悠々とかわしてみせた。かする気配すらない。
「……やっぱり駄目ね。この距離とあのスピードじゃ当てるのはまず無理よ」
景も見ていてこれは無理だと思った。それくらい速い。
そこで一つ提案する。
「確かに難しそうだな。じゃあ俺を狙って降りてきたところに当ててくれ」
「それが良さそうね。分かったわ」
景は自分を狙わせるため、わざと開けた場所に出た。ここなら果樹が邪魔にならないので向こうは攻撃しやすいはずだ。
そして期待通り、二人は再び景を攻撃するために急降下してきた。
瑤姫はその軌道を予測し、景の数メートル手前に四診ビームを放った。
しかし当たらない。杏香も桃香も速過ぎてタイミングが遅れてしまった。
「もっと引きつけろ!それこそ俺にぶつかる瞬間を狙えばいい!」
景は葛根刀で翼を弾きながらそうアドバイスしたが、次の攻撃で瑤姫が言われた通りにやってもやはり駄目だった。
杏香は先ほどと同じようにタイミングが遅れ、桃香は微妙に軌道をずらしてかわされてしまった。
鈍臭い、などと思わないでもない景だったが、すぐに瑤姫が悪いのではないと思い直した。
今の自分は闘薬術によって感覚も強化されている。その状態で当てられるはずだと感じても全く参考にならない。
「四診ビーム!四診ビーム!四診ビーム!」
瑤姫は神術を連射したが、二人は軽やかにかわしていく。その内の一発が景に当たってしまった。
「あっ!」
「何だ!?」
「景、あなたかなり疲れてるわよ!」
「…………」
誰のせいだ誰の。お前が俺に病邪討伐なんて押し付けるから疲れてるんだろうが。俺の疲れを気遣ってくれるなら早々に医聖の責務とやらから開放しろ。っていうか居候なんだからせめて家主を疲れさせないように家事とかやれ。
浮かんだ文句が多過ぎてすぐに言葉にできない景だったが、病邪はそんなことお構いなしに襲いかかる。
景は足を踏ん張って杏香の翼に耐えつつ、続く桃香に備えた。
その桃香の翼が突如として赤く光り始める。
「なんだ!?」
景がその意味を考える間もなく、赤い翼が揺らめきながらひときわ大きく羽ばたいた。
そしてこの羽ばたき一つで桃香の体は倍近くの速度に加速した。
(速い!)
物体の運動エネルギーは速度の二乗に比例する。速度が倍になれば四倍のエネルギーでもって他者に働きかけられるのだ。
より一層力を持った桃香の翼を、景はかろうじて刀身で受けることができた。
しかし衝撃までは消しきれず、葛根刀ごと後方へ大きく弾き飛ばされた。
そして瑤姫のそばへゴロゴロと転がる。
「景!大丈夫!?」
「めっちゃ痛ぇよ……」
葛根刀で受けてなお意識が飛びそうなほどの衝撃だった。
しかし桃香にとってもこれは大技だったようで、すぐ次の攻撃モーションには入らず上空で旋回を始めた。いくらかの消耗があるらしい。
そして連携して攻撃するためか、杏香の方も降りては来ない。
「くそっ……どうしたら……」
「ねぇ、景は二人の病状について何か分からない?」
問われて景は杏香から相談されていたことを思い出した。
「多分だけど、杏香さんは更年期障害で桃香さんは生理関係の不調だ」
「婦人科系ね。両方とも漢方の得意とするところだけど、それだけじゃ処方を決め難いわね」
「二人ともほてりとか頭痛とか肩こりとかあるらしい。症状が似てて、体質も似てる母娘だそうだ。あと桃香さんは生理痛もひどいって言ってたな」
瑤姫は口に手を当てて少し考えた。
「……倒せはしないかもしれないけど、とりあえずアレでいってみようかしら。景、葛根刀を解除して桂枝加芍薬刀に変えて」
「分かった。芍薬、桂枝、甘草、大棗、生姜……いでよ!魔剣 桂枝加芍薬刀!」
景は言われた通り、手持ちの武器を変化させた。
桂枝刀と同じ生薬構成ではあるが、芍薬を特に強く念じれば桂枝加芍薬刀になる。
景の得物はスタンダードな日本刀から、黒漆に芍薬の金蒔絵が施された懐刀に変えられた。
そして瑤姫はその刀身に手をかざして短く叫ぶ。
「当帰!」
光る玉が一つ飛び、桂枝加芍薬刀に吸い込まれた。
すると刀全体が明るく輝き、次の瞬間には小さな変化が起こっていた。
柄に施された金蒔絵が芍薬だけでなく、もう一つ増えたのだ。いくつもの小粒な花に飾られた植物が描かれている。
「……この草が当帰っていう生薬なのか?」
「その根を湯通しして乾燥させたものがそうよ。血を補い月経を調節する補血調経作用、血の流れを良くして痛みを抑える活血止痛作用があるわ。そしてその当帰を桂枝加芍薬湯に加えると、当帰建中湯という処方になるの」
「当帰建中湯……これも桂枝湯からの派生処方の一つってことだな」
「そうよ。当帰の力が加わったことで、生理痛なんかによく効くようになってるわ」
「生理痛か。ってことは、この当帰建中刀で狙うのは桃香さんの方だな」
「杏香が閉経している以上、そういうことになるわね。当帰建中湯だけじゃPMSなんかには不十分だけど、少なくとも生理痛には効果を期待できるわ。普段他の漢方を飲んでいる人でも生理痛がひどい時だけ当帰建中湯を加えたり変えたりすると、楽になることが多いのよ」
瑤姫がそう説明している間に桃香のクールタイムが終わったのか、また二人が上空から降下を始めた。
景は瑤姫を巻き込まないようにするため、急いで開けた場所へと向かう。
そこへまず杏香が、そしてその後ろから桃香が迫ってくる。
景は杏香の軌道を予想し、横に跳んでかわそうとした。それでも翼の端が当たりそうだったが、そこは体を柔らかくしてくれる当帰建中刀のおかげでなんとか避けられた。
しかしそのかわした場所へ向かって桃香が襲いかかる。さすが母娘と言うべき連携だが、景は怯まない。
「おっらぁ!」
翼めがけて当帰建中刀を振り下ろす。
その手に返ってきたのは明らかに今までよりも軽い手応えだった。
受ける衝撃が軽いということは、処方が合っているということだ。
そして刃物が当たって手応えが軽いということは、斬れたということでもある。
両断はできなかったものの、翼をかなりの深さ斬り込んだ。
「キィーーー!」
桃香が高い声で鳴き、地面に落ちて転がった。だいぶ効いているようだ。
ただし倒し切れてはいない。
倒し切れてはいないが、今回の場合はそれで十分なのだ。
「四診ビーム!」
「芽生えよ医聖の因子!」
その一言で景の左腕に輝く腕輪が現れる。
それから景は一瞬だけ考え、とりあえずの処方を選択した。
「葛根、大棗、麻黄、甘草、桂皮、芍薬、生姜!……いでよ、魔剣 葛根刀!」
発動させたのは平均的な身体強化が見込める葛根刀だ。結局のところ、今のように何が求められるか分からない状況では葛根刀が一番無難だと結論づけた。
由紀と月子は突然現れた日本刀に目を丸くした。離れたところでは由紀の祖父母も同じような顔をしている。
しかし景はかなり頭にきていたのでそれどころではなかった。
「この駄女神!病邪が出そうなほど邪気が濃いならあらかじめ教えとけよ!それともまたボーッとしてたのか!?」
強い言葉で瑤姫を罵ったが、これくらいは当然だと思った。瑤姫は普段から大切なことを言わないが、それにしても危険を伝えてくれないのはひど過ぎる。
しかし瑤姫にとってはまるで受け入れられない罵倒だった。
「邪気の探知はたまに集中してやってるわよ!今日だってここに来た時にちゃんと調べたわ!でもむしろ薄いくらいだったんだから!」
「じゃあなんで病邪が発生したんだよ!?」
「分かんないわよ!こういうのがたまにあるから問題になってるの!」
そう言われ、景はつい先日新農から聞いた話を思い出した。
「……そういえば、病邪の発生数が明らかに自然発生の頻度を超えてるって話だったな」
「ええ、つまりは今回もその一例ってことよ。出来ればこの周辺を調べたいところだけど……」
「まずはあの飛んでる病邪たちをなんとかしないと、危な過ぎてそれどころじゃないだろうな」
「そうね。チャチャッと倒しちゃって」
(直接戦わないやつが簡単に言いやがる!)
瑤姫の言い様が癇に障ったものの、早々に倒すべきなのは確かだ。
景は強化された視覚で改めて邪気を見つめた。やはり人間の両腕が大きな羽根になっている。
加えて足が猛禽類のような鉤爪になっていることが確認でき、いよいよハーピーという幻想生物のような外見だと改めて思った。
ただ、景が分かったのはそれだけではない。そこまで見えているのだから当然顔も認識できた。
「杏香さん!?杏香さんが邪気の依代になってんのか!」
言ってから、その方向に直売所があったことを思い出した。
どうやらそこで働いていた杏香と誰かもう一人に邪気が集まり、病邪化してしまったようだ。それが屋根を突き破って空に舞い上がったのだと思われる。
そしてその結果が先ほどのドンッ、という音だったのだろう。
(屋根を突き破れるほどの飛翔力と強度って……つくづく病邪は規格外だな)
景は呆れるような思いがして、次に身震いした。
これではほとんど砲弾のようなものだ。しかも通常の砲弾のようにまっすぐ飛ぶだけではない。
相手をしたくないなと思いながら、もう一人の顔にも目を向けた。
「目元とか口元とかが杏香さんに似てるけど、もしかして……」
「そ、それなら多分もう一人は桃香ちゃんだと思う。二人はすごくよく似てるから」
景の憶測に月子が肯定の回答をくれた。
杏香と桃香は体質も似ているという話だったが、容姿も似ているらしい。それに加えて体格も杏香と同じようにややがっしりしている印象だった。
そんな似たもの母娘が仲良く病邪化してしまっている。一体でも厄介なのに二体同時とは、面倒な似方をしてくれたものだと景は迷惑に思った。
「わ、私もあんなだったの?」
月子は病邪化した時の記憶が薄っすらとしかないため、化け物然としてしまった二人の姿に怯えた。自分もこうだったのかと思うと怖気が立つ。
しかし景は首を横に振って否定した。
「いや、月子の時はもっとモフモフのいい感じだった。病邪じゃなけりゃペットにしたいくらいだ」
「ペット!?」
瞬時にペットとして景に飼われる自分を想像してしまう。
リビングで景の膝の上に乗り、ゴロゴロモフモフペロペロ。
(それいいな……)
ぽやっとしてしまった月子だったが、当の景によってすぐ現実に引き戻された。
「それより月子は由紀ちゃんたちを連れて避難してくれないか?あっちに屋根のある東屋があっただろ。上から見えない所にいた方がいい。移動も木の陰を選んで動くんだ」
「え?あ、うん……わ、分かった」
我に返った月子は慌ててうなずいた。そして今度は何の下心もなく由紀の手を取る。
「由紀ちゃん、あっち行こう」
由紀は引っ張られて歩き出したものの、その目はじっと景の左手を見つめていた。
病邪が現れた時はそちらを向いていたのに、景が闘薬術を発動してからはずっと葛根刀に釘付けだ。
「お兄ちゃん、前にも……」
離れて行く由紀のつぶやきを景の耳が拾った。
葛根刀を見ながら『前にも』と言われると、続く言葉とその意味は簡単に想像できる。
しかし今はそれにかまっている暇はない。上空で旋回していたハーピーもとい、杏香と桃香の母娘がこちらへ向って急降下してきたのだ。
「来るわよ!」
「分かってる!」
一人木陰に避難していく瑤姫に怒鳴り返しながら、葛根刀を青眼に構えた。
杏香たちの滑空は凄まじい速度だ。見る間に二人の姿が大きくなった。
そしてまずは杏香が突っ込んでくる。景の前を旋回しながら翼をぶつけてきた。
ガキィン!
という硬質な音がして、葛根刀を握る景の手に強い衝撃が来た。明らかにただの鳥の羽根とは違う。
(まるで鋼の翼だ!こりゃモロに食らったら骨が粉々だぞ!)
実際には葛根刀で身体強度も上がっているため、どうなるかは分からない。しかし体感としてはそれくらい強烈な一撃だった。
闘薬術では身体強化だけでなく力場も発生させるが、それがあってなお吹き飛ばされそうだ。
しかも体勢を崩したところへ桃香の翼が襲いかかってくる。
「うぉっ!」
景は身を投げ出すようにジャンプしてなんとかそれをかわした。万全の体勢で迎え撃たなければ弾き飛ばされそうだったので、ここは回避の一手だ。
地面をゴロリと転がってから起き上がり、瑤姫に叫ぶ。
「手応え的に葛根湯が適切な処方じゃない!何にしたらいいか教えてくれ!」
「四診ビームが当たらなきゃ分かんないわよ!」
「じゃあ早く当ててくれ!」
「そのつもりだけど、速過ぎて……」
そう言いながらも瑤姫は親指と人差し指で四角を作り、空に舞い上がった母娘をその枠内に捕らえようとした。
「……四診ビーム!」
声に合わせて光る枠が飛んでいく。一発だけでなく二発、三発と立て続けに放たれた。
しかし杏香と桃香は空中を旋回して悠々とかわしてみせた。かする気配すらない。
「……やっぱり駄目ね。この距離とあのスピードじゃ当てるのはまず無理よ」
景も見ていてこれは無理だと思った。それくらい速い。
そこで一つ提案する。
「確かに難しそうだな。じゃあ俺を狙って降りてきたところに当ててくれ」
「それが良さそうね。分かったわ」
景は自分を狙わせるため、わざと開けた場所に出た。ここなら果樹が邪魔にならないので向こうは攻撃しやすいはずだ。
そして期待通り、二人は再び景を攻撃するために急降下してきた。
瑤姫はその軌道を予測し、景の数メートル手前に四診ビームを放った。
しかし当たらない。杏香も桃香も速過ぎてタイミングが遅れてしまった。
「もっと引きつけろ!それこそ俺にぶつかる瞬間を狙えばいい!」
景は葛根刀で翼を弾きながらそうアドバイスしたが、次の攻撃で瑤姫が言われた通りにやってもやはり駄目だった。
杏香は先ほどと同じようにタイミングが遅れ、桃香は微妙に軌道をずらしてかわされてしまった。
鈍臭い、などと思わないでもない景だったが、すぐに瑤姫が悪いのではないと思い直した。
今の自分は闘薬術によって感覚も強化されている。その状態で当てられるはずだと感じても全く参考にならない。
「四診ビーム!四診ビーム!四診ビーム!」
瑤姫は神術を連射したが、二人は軽やかにかわしていく。その内の一発が景に当たってしまった。
「あっ!」
「何だ!?」
「景、あなたかなり疲れてるわよ!」
「…………」
誰のせいだ誰の。お前が俺に病邪討伐なんて押し付けるから疲れてるんだろうが。俺の疲れを気遣ってくれるなら早々に医聖の責務とやらから開放しろ。っていうか居候なんだからせめて家主を疲れさせないように家事とかやれ。
浮かんだ文句が多過ぎてすぐに言葉にできない景だったが、病邪はそんなことお構いなしに襲いかかる。
景は足を踏ん張って杏香の翼に耐えつつ、続く桃香に備えた。
その桃香の翼が突如として赤く光り始める。
「なんだ!?」
景がその意味を考える間もなく、赤い翼が揺らめきながらひときわ大きく羽ばたいた。
そしてこの羽ばたき一つで桃香の体は倍近くの速度に加速した。
(速い!)
物体の運動エネルギーは速度の二乗に比例する。速度が倍になれば四倍のエネルギーでもって他者に働きかけられるのだ。
より一層力を持った桃香の翼を、景はかろうじて刀身で受けることができた。
しかし衝撃までは消しきれず、葛根刀ごと後方へ大きく弾き飛ばされた。
そして瑤姫のそばへゴロゴロと転がる。
「景!大丈夫!?」
「めっちゃ痛ぇよ……」
葛根刀で受けてなお意識が飛びそうなほどの衝撃だった。
しかし桃香にとってもこれは大技だったようで、すぐ次の攻撃モーションには入らず上空で旋回を始めた。いくらかの消耗があるらしい。
そして連携して攻撃するためか、杏香の方も降りては来ない。
「くそっ……どうしたら……」
「ねぇ、景は二人の病状について何か分からない?」
問われて景は杏香から相談されていたことを思い出した。
「多分だけど、杏香さんは更年期障害で桃香さんは生理関係の不調だ」
「婦人科系ね。両方とも漢方の得意とするところだけど、それだけじゃ処方を決め難いわね」
「二人ともほてりとか頭痛とか肩こりとかあるらしい。症状が似てて、体質も似てる母娘だそうだ。あと桃香さんは生理痛もひどいって言ってたな」
瑤姫は口に手を当てて少し考えた。
「……倒せはしないかもしれないけど、とりあえずアレでいってみようかしら。景、葛根刀を解除して桂枝加芍薬刀に変えて」
「分かった。芍薬、桂枝、甘草、大棗、生姜……いでよ!魔剣 桂枝加芍薬刀!」
景は言われた通り、手持ちの武器を変化させた。
桂枝刀と同じ生薬構成ではあるが、芍薬を特に強く念じれば桂枝加芍薬刀になる。
景の得物はスタンダードな日本刀から、黒漆に芍薬の金蒔絵が施された懐刀に変えられた。
そして瑤姫はその刀身に手をかざして短く叫ぶ。
「当帰!」
光る玉が一つ飛び、桂枝加芍薬刀に吸い込まれた。
すると刀全体が明るく輝き、次の瞬間には小さな変化が起こっていた。
柄に施された金蒔絵が芍薬だけでなく、もう一つ増えたのだ。いくつもの小粒な花に飾られた植物が描かれている。
「……この草が当帰っていう生薬なのか?」
「その根を湯通しして乾燥させたものがそうよ。血を補い月経を調節する補血調経作用、血の流れを良くして痛みを抑える活血止痛作用があるわ。そしてその当帰を桂枝加芍薬湯に加えると、当帰建中湯という処方になるの」
「当帰建中湯……これも桂枝湯からの派生処方の一つってことだな」
「そうよ。当帰の力が加わったことで、生理痛なんかによく効くようになってるわ」
「生理痛か。ってことは、この当帰建中刀で狙うのは桃香さんの方だな」
「杏香が閉経している以上、そういうことになるわね。当帰建中湯だけじゃPMSなんかには不十分だけど、少なくとも生理痛には効果を期待できるわ。普段他の漢方を飲んでいる人でも生理痛がひどい時だけ当帰建中湯を加えたり変えたりすると、楽になることが多いのよ」
瑤姫がそう説明している間に桃香のクールタイムが終わったのか、また二人が上空から降下を始めた。
景は瑤姫を巻き込まないようにするため、急いで開けた場所へと向かう。
そこへまず杏香が、そしてその後ろから桃香が迫ってくる。
景は杏香の軌道を予想し、横に跳んでかわそうとした。それでも翼の端が当たりそうだったが、そこは体を柔らかくしてくれる当帰建中刀のおかげでなんとか避けられた。
しかしそのかわした場所へ向かって桃香が襲いかかる。さすが母娘と言うべき連携だが、景は怯まない。
「おっらぁ!」
翼めがけて当帰建中刀を振り下ろす。
その手に返ってきたのは明らかに今までよりも軽い手応えだった。
受ける衝撃が軽いということは、処方が合っているということだ。
そして刃物が当たって手応えが軽いということは、斬れたということでもある。
両断はできなかったものの、翼をかなりの深さ斬り込んだ。
「キィーーー!」
桃香が高い声で鳴き、地面に落ちて転がった。だいぶ効いているようだ。
ただし倒し切れてはいない。
倒し切れてはいないが、今回の場合はそれで十分なのだ。
「四診ビーム!」
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キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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