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桂枝加芍薬湯、桂枝加芍薬大黄湯1

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「このお守り……お父様の力の残滓が感じられるわね」

 瑤姫は守り袋を顔の前にぶら下げて、じっと目を凝らしていた。源一郎から手渡されたお守りだ。

 病邪を倒した後、しばらくすると源一郎は目を覚ました。

 当然のことながら意識を失っていた理由が分からないので、ひどく困惑していた。脳卒中でも起こしたのではないかとも思ったが、桂枝刀に貫かれたおかげで体調はむしろ良くなっている。

 そんな源一郎に、景と瑤姫は病邪のことなど一切合切を説明した。

 あまりに突飛な話ではあるが、源一郎は幼い頃から超常現象めいた被害に遭っている。割とすんなり受け入れられた。

 すぐに源一郎の記憶を消さなかったのは、前回の『原状回復』が効いていない理由を把握するためだ。瑤姫の話によると、本殿そばの社務所にいてあの神術が効いていないのは普通ならありえないということだった。

 それで源一郎に思い当たる節がないか尋ねたところ、お守りが光って周囲に膜のようなものが張ったのだという証言が得られた。

 一見何の変哲もないお守りなのだが、瑤姫はそこに父の力の残滓を感じ取った。

「よ、瑤姫様のお父様とおっしゃいますと、し、し、し……神農様のことでしょうか?」

 やたらどもる源一郎だったが、それも仕方のないことだろう。

 神職として仕えてきた神の娘が目の前にいて、しかも病邪とやらに取り憑かれた自分のことを救ってくれたらしい。

 さらにその上、幼い頃から肌身離さず身につけていたお守りに神の残滓があると言われたのだ。興奮しない方がおかしい。

「そうよ。炎帝神農が私のお父様」

「やはり!子供の頃、夢枕に立ってくださったのは神農様だったのですね!ああ、何と光栄なことだ!」

(夢枕?……っていうか、うわぁ……すげぇ涙と鼻水)

 景はテーブルにそっとティッシュボックスを置いてやった。

 感涙にむせぶ源一郎にちょっと引いてしまったが、なんとか落ち着かせて話を聞き出す。

 源一郎は幼い頃、今よりもっと体が弱かった。そしてなぜか体調を崩すと物が壊れていた。

 しかしある日、神農と思われる存在が夢枕に立ち、その言葉に従いお守りを身につけることになった。すると体調不良が減った上、物が壊れることがなくなった。

 まとめてしまえばこれだけの話なのだが、源一郎は時々嗚咽するのでやたら長くかかってしまった。感謝と信仰心が目と鼻からあふれ、ティッシュが大量に消費されていく。

「そっか……どうやら源一郎は天然物だったみたいね」

 全てを聞き終えた瑤姫はため息をつき、源一郎へ憐れむような目を向けた。

 源一郎はその視線の意味が分からず、小さく首を傾げて問い返した。

「天然物?……と、おっしゃいますと?」

「邪気が濃くなくても自然と病邪を宿らせてしまう存在のことよ。私たち神々はそう呼ぶの。簡単に言うと邪気を引き寄せやすい体質の人間なんだけどね」

「邪気を引き寄せやすい……物がよく壊れていたのはそれが原因ですか」

「おそらく子供の頃は病邪の不完全な顕現が起こっていたのよ。今回みたいな完全顕現でない場合、病邪は集まった邪気分のエネルギーを使い果たせば消えるから」

 景は二人の会話を聞き、以前から気になっていたことをようやく尋ねる気になった。

「なぁ、前にもちょいちょい完全な顕現とか言ってたけど、完全と不完全ってどう違うんだ?」

 景が今までこの疑問を口にしなかったのは、『これ以上関わらないぞ』という意思表示からだった。最低限の情報しか聞かないことで拒絶の姿勢を示そうとしていたのだ。

 つまるところ意地を張っていたとも言える。しかし何だかんだで三度も病邪と戦ってしまうと、意地を張っている場合ではない気がしてきた。

「完全に顕現してしまうと邪気を自分で生成できるようになるのよ。だから誰に討伐されるまで消えないわ。あとは強さもかなり違うけど、根本的な違いはそこね」

 倒されるまで消えなくて、医聖の因子持ちでないと倒せない。

 その二点を理解した景は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「だから俺に病邪を倒せってしつこいんだな」

「その通りだけど、しつこいって言い方はひどくない?」

「実際にしつこいだろ。さっさと諦めて他のやつを探せよ。瑤姫だってやる気があるやつの方がいいだろ?」

「もちろんそうよ。ついでに言えば、やる気があって人でなしじゃなければなおいいわね。でも医聖の因子を持った人間なんてそうそういなくて、私なんて今回はバブルの頃から探し始めてようやく見つけたのよ」

「バ、バブル!?バブルってあのバブル景気のことか!?何十年前だよ!」

 景は驚きのあまり、つい声が大きくなってしまった。

 産まれた時にはとうにバブルが弾けていた世代の景としては、えらく時代がかって聞こえる。

「その何十年前から原因不明の邪気異常発生が続いているのよ。それで私は神界から派遣されてるわけ」

「そんなに前から……でも何十年も見つからない間、完全顕現した病邪はどうしてたんだよ?」

「私の兄弟姉妹が見つけた医聖が倒してたわよ。でも私はずっと見つからなかったから、もう肩身が狭くて……」

 瑤姫は自らの腕を抱き、キュッと肩をすぼめて首を振った。

「家族から色々言われたわよ。お前はディスコで踊るために下界へ降りたのかーとか、不動産を転がすしか能がないのかーとか、スーパーカー買う前にやることがあるだろーとか……」

 ディスコ、不動産、スーパーカーというバブリーな単語を聞き、景はテレビの昭和特集でしか見たことがないバブル期と瑤姫とを重ねた。

 そして目の前の駄女神がどうやらバブル景気を満喫していたようだと理解し、瑤姫の家族に大いに共感した。

「何ていうか……ちゃんと働けよ。マジで。俺のこと人でなしとか言う資格ないだろ」

「なっ……!?」

 瑤姫はそんな反応を予想していなかったのか、一瞬言葉に詰まった。

 しかし何とか頭を巡らし、反論を試みる。

「そ……そんなこと言ったって仕方ないでしょ!?探しものって見つからない時にはどうしたって見つからないものよ!」

「いや、ディスコと不動産とスーパーカーに費やした時間で探してたら見つかったかもしれないし」

「そんなずっと働き通したら神様だって心が壊れちゃうわよ!たまにはリフレッシュも大切!それに下界での食い扶持は自分で稼がなきゃいけないから、不動産を転がすのはある意味立派な仕事なのよ!」

「でもバブルが弾けちゃったんだろ?」

 景は知識でしか知らないことだが、確かそうだったはずだ。

 加熱し過ぎた投機により実際の価値以上の価格になった不動産が最終的に暴落した。昭和日本のバブルとはそういうものだったと聞いている。

 つまり不動産を転がしていた者はバブルが弾けたことにより大損したはずだ。

 しかし大損したはずの瑤姫はこれ見よがしにニヤリと笑ってみせた。

「ふふん♪そこはクールビューティーな女神様よ。バブルがいつか弾けるものだってことくらい、十七世紀のネーデルラントから学んでるわ」

「十七世紀……ネーデルラント……ああ、チューリップだっけ?」

 景は高校の世界史で習った知識を脳の底から引きずり上げた。

 バブルというものは歴史を紐解けば結構昔から起こっている。その対象も不動産とは限らず、十七世紀のネーデルラントではなんとチューリップの球根が高騰、そして暴落した。

 投資の本質とは価値の変化ではあるが、妙なものの価値が妙な変化をしたものだと思う。

「そうよ。そして上手く売り抜けられたこのジーニアスガッデスは億万長者になったの」

 瑤姫はその場でくるりと回り、よく判らないポーズを決めていた。

 源一郎はそれに拍手を送っていたが、景は半眼を向けるだけだった。

「そりゃすごいけどさ、じゃあ何で今は無一文なんだよ」

 そこを突かれた瑤姫はギクリとした顔になり、急に小さくなって座り直した。

「その後ね、稼いだお金でちょっと優雅に暮らしてたらいつの間にか全部使ってて……食べるものもないからとりあえず植物になって植わってたの……植物になれば水と光だけで生きていけるから……」

(アホだ。やっぱりこいつはアホの駄女神だ)

 景はもはやツッコむ気にもなれず、ジーニアスガッデスを自称する駄女神への評価を確定した。

「それで薬草園にいたのか。っていうか、なんでうちの薬草園なんかに根を下ろしたんだよ」

「植物の私によく合う環境を探してたらあそこに行き着いたのよ。実際に快適だったわ」

「一生光合成して暮らしてろ」

 景は吐き捨てるように言ってから、源一郎にチラリと視線をやった。

 そして思わず頭を抱えてしまう。

「っていうかさ、病邪ってそんな普通に現れちゃうもんなのかよ……」

 だとしたら、瑤姫が来るまでは平穏な世界を生きてきたと考えている景にとっては衝撃的な事実だ。

 子供の源一郎を想像し、その背中から触手を一本生やしてみる。それが暴れて物を壊し、消えていく姿を脳内に思い浮かべた。

 触手と激戦を繰り広げたばかりの景としては、そんな日常は絶対に受け入れたくない。

 瑤姫は頬に手を当て、首を傾げながら答えた。

「うーん……普通に現れるってほど頻度の高いものではないけど。あんまり怖がりすぎるのもどうかなって程度かしら。交通事故みたいなものかもしれないわね」

「そう言われても……現に頻度も被害もヤバい設楽さんが目の前にいるしな」

「まぁそれはそうね。少なくとも遠いどこかの話ではないわ。でも源一郎はやっぱり例外で、お父様も例外的に力を込めたお守りを授けたのよ」

 瑤姫は源一郎にお守りを返した。

 源一郎は両手で恭しく受け取り、見慣れた守り袋に寂しげな視線を落とした。

「とてもありがたいことでした。しかし……どうやらこのお守りは力を使い果たしてしまったようです。これからは自己努力で可能な限り健康を維持していきます」

「確かにそれは大切よ。源一郎みたいな体質の人間は桂枝湯を常備しておくべきでしょうね。でも……」

 瑤姫はうなずいて同意しつつも、お守りをじっと見つめながら逆説で言葉を繋いだ。

「……病気なんて、なる時にはどうしたってなるものよ。だからお父様にもう一度力を込めてもらえるよう、お願いしてみましょう」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ。能力制限された今の私でも神社へ行けばメッセージを送ることくらいできるわ」

 瑤姫の言葉に、源一郎の肩が震え始める。

 またしても感謝と信仰心があふれそうなので、景は無言でティッシュボックスを押し出してやった。
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