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桂枝湯2

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「やぁ源一郎。久しぶりだね」

 源一郎が大学の薬草園に足を踏み入れると、一人の男がそれに気づいて片手を上げてくれた。

 源一郎も同じように手を上げ返し、ニコリと笑顔を向ける。

「ああ、久兵衛きゅうべえ。久しぶりだ」

 そう言ってから、久兵衛とはまた随分と古風な名前だと思った。

 この男とはすでに五年の付き合いで今さらなのだが、口にしてみると改めてそう感じるのだ。

(いや、古風といえば私の源一郎も古風かな?)

 そう思い直してから、この辺りも自分たちの波長が合う理由かもしれないと考えたりした。

 貝原久兵衛かいばらきゅうべぇ

 設楽源一郎したらげんいちろうの友人で、生薬学研究室の教授を務めている。そして今二人のいる薬草園の管理者だ。

 源一郎とは齢も近く、まだ四十過ぎと若いが薬用植物の栽培方法に関する特許をいくつか持っている。

 栽培コストを下げたり収量を増やしたりするのが得意な男で、そういう研究成果は金を生むので複数企業から支援を受けていた。

 つまり『研究資金には一切困ってません』という、世の研究者から嫉妬と羨望の眼差しを受けるタイプの教授だ。

 そして大学もそういう金のなる木が欲しいから、久兵衛は五年前のまだ三十代の時に教授として迎えられた。

「今日は土曜だけど神社の方は大丈夫なのかい?参拝客も多いだろう?」

 神主という源一郎の職業を知る久兵衛は心配してくれたが、源一郎は首を横に振った。

「今日は特別な神事は入ってない。お義父さんと娘に任せておけば大丈夫だよ」

 婿養子として神職を継いだ源一郎だが、先代の義父はまだまだ元気で代役は任せられる。なんなら源一郎が急死したところで仕事上はそれほど困らないほどだ。

 それにちょっと引きこもりがちの娘も表に出ない雑務は手伝ってくれるので、土曜とはいえ困ることはないだろう。

「そんなことより例の花だ。早く見せてくれ」

 勢い込んで聞く源一郎に、久兵衛は笑い声を上げた。

「ハハハ、源一郎は相変わらずだな。世の中には色々なマニアがいるけど、神農マニアってのは源一郎くらいだろうね」

「マニアというか、神農神社の神主なんだから当たり前だろう」

「そりゃ仕事ではあるんだろうけどね。でも仕事だから詳しくなるのとマニアが仕事をしてるのとは明確に違うよ。源一郎はマニアが仕事をしてる方だ」

「人のことを言えた立場か?久兵衛は薬用植物マニアじゃないか」

「おっしゃる通りだ。まぁ研究者をやろうなんて人間は大抵はそんなものさ」

 久兵衛は自身の偏執性を認めつつ、こっちだと言って源一郎を先導した。

 薬草園の端から小川へ下りる方へと歩いて行く。学生たちが草引きをしてまだ一週間と経っていないので、夏だが薬草園は随分ときれいだ。

「でもホント、土曜じゃなくて平日に来れば良かったのに。そしたらうちの研究室の女の子たちがキャーキャー言ってくれたよ」

 久兵衛はクックと喉の奥を鳴らして笑った。

 源一郎は中国語がかなり堪能なので、たまに久兵衛の文献解読を手伝いに来てくれることがある。その時に若い学生たちの間から華やいだ声が上がるのだ。

 なんでもヒット作連発の人気俳優に似ているらしい。久兵衛はドラマを見ないからよく知らなかったが、ネットで画像検索をしてみると確かに似ている。

『あのイケオジ神主さん』

 と、学生の一人が呼んでいた。

 源一郎は痩せぎすの中年男ではあるが、彫りが深くて渋めの顔をしている。四十を過ぎてようやく魅力が出るタイプなので、なるほどイケオジというやつなのだろう。

 しかし元来虚弱な源一郎は助平根性が盛んになるほどの精力を持ち合わせていない。キャーキャー言われたところでさしてテンションも上がらないのだ。

「そういうのを喜べる男に産まれたかったなぁ」

 笑いもせずに軽く流した。

「おやおや、枯れてるねぇ。」

「そうだよ。私は体が弱かったせいで若い頃からずっと枯れてる。しかし神農様への思いだけはずっと瑞々しいと自負してるんだ」

「じゃあ喜んでもらえるだろうな。僕の記憶通りだと、文献で見た瑤草ようそうに瓜二つだったから」

 源一郎は昨夜、そういう知らせを受けて朝一番にやってきたのだった。

『瑤草によく似た花を見つけたよ』

 そんな久兵衛からのメッセージには一枚の画像が添付されていた。

 ふっくらとした橙色の花。そして相重なって繁る葉たち。

 現実では見たことのない花ではあるが、絵では見たことがある。源一郎が所持している古い文献の写し、千年以上前に描かれた神々の絵の中に同じ花があった。

 中国史の史家にすらほとんど知られていない文献の、さらに端っこの方だ。二人のようなバックグラウンドがなければ目の焦点を合わせることもなかっただろう。

「なぜか僕の薬草園に生えてたんだけどね、植物標本にするようお願いしてた学生が川原に植え直しちゃったんだ」

 久兵衛は歩きながら経緯を説明した。

「私としては標本よりも生きてる方がありがたいが……その学生はどうして植え直したんだ?」

「それがよく分からないんだよ。本人は川で土を洗い流してたら蛇が出て来て、驚いて川に落としたんだって言ってたけど」

「その後、久兵衛が見つけたのか」

「うん。別件で川原に来た時に偶然見つけてね。絶妙な場所に植え直してたからそのままにしてる」

「学生には理由を聞かなかったんだな」

「聞いてもいいんだけど……うーん……聞かない方がいいかなって」

「どうして?」

「わざわざ植え直したってことは、彼あの花に何かしらの思い入れができたってことだと思うんだよ。そういうのが植物研究にハマるきっかけになったりするからさ。それならその思いは育てたい」

 源一郎は久兵衛の言う理由を聞いて、意外そうな視線を送った。

「へぇ、久兵衛はちゃんと先生をしてるんだな。研究一辺倒な教授だと思ってた」

「研究一辺倒だよ。そして研究は使える助手がいるかどうかで捗り方が全然違う」

「ハハハ、やっぱりそういうことか。しかしその話だと、久兵衛はその子が生薬研究室に欲しいんだな」

「そうだね、何となくだけど感じるものがあるんだ。でも学生たちに聞いたら彼、何か昔のことで漢方とか生薬とかあんまり……あ、ここだよ」

 瑤草のところへ着いたので久兵衛は話を中断した。

 そして源一郎は橙色の花が目に入るなり、スライディングでもしそうな勢いで地面にしゃがみ込んだ。

「おおおっ!これか!」

 興奮を隠そうともせず、鼻息荒く顔を近づける。

 しかし本当に鼻息がかかりそうだと思い、汚してはならぬとすぐに顔を離した。

「ううむ……これは……なるほど……」

 上から見て、横から見て、斜めから見て、そしてスマホを取り出した。画像閲覧アプリを起動して、撮影しておいた文献の瑤草と見比べる。

「本当だ……本当に瓜二つの花だ」

「だろう?しかも僕が調べた限り、こんな花はどこのデータベースにも載っていない。どうやら新種の植物らしいんだよ」

 久兵衛もスマホを取り出し、こちらはメールアプリを起動した。

 景から送られてきた瑤草の写真が十分な質だったので、画面上で確認する時にはそちらを見ているのだ。

「特にほら、花びらの繊維の走り方が独特でさ」

 そう言ってマクロモードで撮影された花弁のアップをさらに拡大してみる。

 源一郎もそれを覗き込んだ。スマホのマクロ画像は肉眼よりもよほど優秀だ。

 しかし植物学者ではない源一郎には久兵衛ほどの驚きはない。というか、花びらの繊維と言われてもさっぱりだ。

 むしろ源一郎が驚いたのは、その画像が閉じられた後だった。

 久兵衛は毎年入ってくる学生を覚えきれないため、メールには送り主の写真が表示されるよう設定している。教官向けのデータベースから画像を引っ張ってきて登録しているのだ。

 だから瑤草の画像を閉じられると、メールの送り主の顔写真が表示された。

 画面に現れたのはつい昨夜、神社で大暴れしていた若者の顔だった。
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