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麻黄湯6

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 山脇由紀には両親がいない。五歳の時に事故で亡くなった。

 トラックの運転手が急な病気で意識を失い、突っ込んできたらしい。つまり誰が悪いわけでもない、不運な交通事故だ。

 それ以来、祖父母に育てられて今は八歳である。

 子供にとっての三年は長い。由紀の中で両親が死んだのは随分と前のことだと感じられている。

 しかし五歳というのは十分に記憶の残る齢だし、加えて本当に大好きな両親だったからいまだに寂しさは消えていない。

 両親は外へ出るのが大好きな夫婦だった。週末にはほぼ毎週のようにどこかへ出かけた。

 行き先は由紀が喘息だったこともあり、空気の良い山などが多かった。

 特に川や湖での釣りが由紀は大好きで、寒い冬の時期にも釣りに行きたいと駄々をこねて両親を困らせた。

『寒いとお魚さんも元気がなくなるからあんまり釣れないよ?』

『釣れなくてもいいの!』

 実際のところ由紀にとって釣果はあまり重要ではなく、両親と川や湖のほとりで過ごすのが楽しかったのだ。

 右手を父に、左手を母につないでもらい、水辺を歩く。イチニのサンで両手を引き上げてもらいながらジャンプする。

 そんな時間が最高に楽しかった。

『仕方ないなぁ、じゃあこれ全部着て』

 両親は風邪に用心して、由紀がほとんどダルマになってしまうほどの厚着をさせた。

 そしてそのダルマ娘の手を取り、決まって言うのだ。

『これでよし。じゃあレッツラゴー!』

 それから出発する。

 由紀はいつも両親がこう言っていたから、正しいのはレッツゴーではなくレッツラゴーだと思っていた。

 小学生になって友人から、

『ラ?何それ?』

とツッコまれたので今は理解しているのだが、いまだにレッツラゴーの方が自分の中でハマりがいい。

 だから寂しい時や気が弱くなっている時には自分で自分に、

『レッツラゴー!』

と声をかけて動くことにしている。

 今日もそうだった。今朝から熱があり、どんどん高くなってしんどかった。

 だから祖母と病院へ行く前、レッツラゴーとつぶやいてから家を出た。

 ただ、その後に起こったことは気持ち一つでどうなることではなかった。

 薬局で薬をもらってからの帰り道、何だかひどく嫌な感じがした。胸の奥底がモヤモヤする感じだ。

 そういえば両親が死んだ時にもこんな嫌な感じがしたように思う。

 そんなことを考えていたら、突然大きな音がした。

 見ると、すぐ近くの壁が壊れていた。その壁の向こうには悪い人が入れられる牢屋があると以前に聞いていた。

 そして実際にそこから出てきた人は、どう見ても悪い人だった。目が怖くて全身ムキムキで、アニメでよく見るような敵キャラだ。

 その悪い人は由紀を見るなり、肩に担いで空高く飛び上がった。

 誘拐だ。昔から知らない人にはついて行かないよう言われてはいたが、有無を言わさず連行されてしまうのはどうしようもない。

 由紀は恐ろしかった。ただでさえ熱が高くてしんどいのに、怪物のような悪者に捕まってしまったのだ。

 しかもやはりこの悪者からは、両親が死んだ時に感じたのとよく似た嫌な感じがする。

 幼い心はこの世の終わりのようなストレスに晒され、生きた心地がしなかった。。

 しかし助けは現れた。なぜだか分からないが、いつも薬をもらう薬局のお兄さんが来てくれたのだ。

 そのお兄さんは悪者を刀で殴り、熱い風に立ちはだかって由紀の盾になってくれた。

 そして由紀を大きな石の裏に隠すと、遠くで悪者と戦い始めたようだった。

 ようだった、としか分からないのは、ここにいるようお兄さんに言われたので見に行ってはいないからだ。

 いや、そう言われていなくても見には行けなかっただろう。というのも助けが来てくれたことで由紀の緊張は一気に緩み、そのせいか体が動かなくなったのだ。

 だるい。とにかく体がだるかった。

 そして寒い。由紀は震えながら土の上に横になった。

 寒い、寒い。

 そう思って震え続けていると、ダルマのように厚着させてくれた両親の笑顔が浮かんできた。

(ああ……私は今からお父さんとお母さんのところに行くんだ)

 ふと、そんなことを理解した。

 現実問題として、この時の由紀は危険なほどの高熱に冒されていた。このまま屋外でただ寝ていれば、死んでもおかしくない状態だ。

 だから由紀は両親のところへ行くつもりで、小さくつぶやいた。

「レッツラゴー……」

 懐かしい、愛おしい両親の声が聞こえる気がする。そこが死の先という場所であることが分かっていても、由紀は行きたいと思った。

 しかしそれを引き止めるように、自分の名を呼ぶ声がした。

 いつも薬をもらって帰る時、優しく『お大事に』と言ってくれる声だった。
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