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麻黄湯4

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 病邪と由紀が着地場所として選んだのは頂上の境内だ。他の場所は木々が茂っているからどうしてもそこになったのだろう。

 しかし景の方はそうもいかない。さすがの闘薬術でも小山のてっぺんまで一足に跳べはしないから、仕方なく麓の階段下に降りた。

「急ぐから下ろすぞ」

 景はほとんど投げるように瑤姫を下ろすと、返事も聞かずに頂上へと向かった。とにかく早く駆けつけねばならない。

 抜刀しながら十段飛ばし以上のピッチで階段を登り、ほんの数秒で頂上にたどり着いた。

「由紀ちゃん!」

 景が到着した時、病邪に取り憑かれた男はワキワキとした気持ちの悪い手つきで由紀に近寄ろうとしていた。瑤姫が『仮に』と言っていたが、本当に性犯罪者だったのかもしれない。

 しかしその気持ちの悪い動きとは裏腹に、男はやたらとガタイが良かった。というか、良すぎる。

 まるでアメコミのヴィランのようだ。どう考えても病邪が取り憑いている影響だろう。

 先日の『風邪の引き始め』と違い、依代の体自体を強化して操作するタイプの病邪なのだと察せられた。

「や、薬局のお兄ちゃん……?」

 由紀は景に気がつくと、すがるような視線を向けてきた。

 化け物じみた体格の男を前に震えている。よほど恐ろしかったのだろう、顔が涙でグシャグシャになっていた。

「この野郎!」

 景は怒った。

 この子に一番似合う顔はにへ~っとした笑顔だ。間違ってもこんな恐怖に彩られた顔ではない。

「由紀ちゃんから離れろ!」

 景は弾丸のような速度で突進し、体重を乗せた葛根刀を病邪の胸に叩きつけた。

 病邪はほとんど反応できずにそれを食らい、吹き飛んでいく。大柄な男が神社の本殿へと突っ込み、壁が崩れて屋根が落ちた。

 罰当たりなことをしてしまった気もしたが、気にしている余裕などない。不可抗力だ。

 景はそう考えて神社のことは頭から追い出し、由紀の震える肩を掴んだ。

「大丈夫!?怪我はない!?」

 由紀は突然の事態に目を白黒させていたが、わずかにうなずいた。

 景もざっと体を見回したが、外見上は乱暴された形跡はない。

「良かった……」

 ほっと安堵の息を漏らしたのも束の間、不意に肌の一面が粟立つような感覚を覚えた。

 病邪の飛んでいった側の肌だ。

「なっ、何だ!?」

 景が反射的に葛根刀を構えた直後、崩れた本殿の瓦礫とともに強風が二人を襲った。

 人など簡単に吹き飛ばせそうな風圧で、しかも熱い。熱風と言っていいほどだった。

「ぐうぅ……!」

 景は由紀を背にして風と瓦礫に立ちはだかる。

 本来なら避けるべき攻撃ではあったが、由紀を連れて避けるのは不可能なタイミングだった。

 ただ幸いなことに、熱風は葛根刀に触れたところから左右に裂かれていく。だから吹き飛ばされることはなかったし、葛根刀に触れたところから熱も和らいでいるようだった。

 とはいえ、無数に飛んでくる瓦礫はそうもいかない。それらはただの物質であり、闘薬術の特攻対象ではないからだ。

「いだだだだ!」

 瓦礫に全身を打たれ、もはやどこが痛いのかも分からない。ただそのどれが当たっても由紀なら即死しておかしくない威力だった。

(っていうか、こんなのが当たっても生きてるんだから体の強度も相当上がってるんだろうな。まぁ死ぬほど痛いけど……)

 そんなことを考えながらひたすら耐える。特に大きな瓦が額に命中した時には意識が飛びそうになった。

 しかしさすがの病邪もこんな大技を永遠に放ち続けられるわけはなかったようで、やがて風は収まった。

(今だ!)

 景はすぐさま回れ右して由紀を抱え上げた。

 そしてざっと周囲を見回し、境内の隅に大きな石碑を見つけた。その陰まで急いで走って由紀を下ろす。

「由紀ちゃん、ここから絶対に動いちゃだめだよ」

 そう言いつけても由紀は混乱のあまり、うなずくこともできなかった。しかし念を押している暇もない。

 景は由紀の返事を待たず、すぐに本殿の方へ戻った。そのまま一緒にいれば当然そこが狙われてしまうからだ。

 本殿は先ほどの突風のせいでさらに破壊され、ほとんど廃墟のようになっている。散らばった瓦礫を踏みしめながら、病邪がゆっくりと姿を現した。

 その瞳はどこか恨めしげで、ひどく暗い。この間の『風邪の引き始め』もそうだったが、深い闇のような目をしていた。

「ほんっとうに気味の悪いやつらだな!」

 景は由紀の隠れる石碑とは反対方向に移動しつつ、罵ってやった。

 果たして病邪には罵声が理解できるのか、景の言葉へ応えるようにまた熱風が飛んできた。

 しかし葛根刀があればそれも防げる。そしてさらに足も併用すれば、少しずつ病邪との距離を詰めることができた。

 景は熱風を斬り、左右に攻撃を振りながら近づいていく。そして刀の間合いに入った。

「もう一発!食らえ!」

 景は葛根刀の柄を強く握りしめ、袈裟懸けに斬り下ろした。

 身体強化された剣閃はまさに光が閃くほどの速度で迫る。刀身が肩口に深くめり込み、病邪は苦しげに体を捻らせた。

 が、景はその手応えに眉をひそめた。

(効いてる……でも浅い!?)

 確かな手応えとともに、そうも感じるのだ。

 この病邪に葛根刀は効くようだが、十分ではない。いまいちパワー不足に思えた。

(そういえば瑤姫が言ってたな。闘薬術の効果は処方が合うか次第だって)

 恐らくだが、この病邪には葛根湯よりも適した処方が他にあるのだろう。

 現に『風邪の引き始め』が相手の時は一刀両断だったのに、この病邪の皮膚は切れていない。こちらの得物が刃物でも、相手が防刃繊維を着込んでいるようなものだった。

 しかし由紀が近くにいる以上、悠長に瑤姫を待っているわけにもいかないだろう。出来るだけ早く倒すべきだと考えた。

「くそっ!なら手数で勝負だ!」

 葛根刀を振り上げ、振り下ろし、横に薙ぐ。素人剣術の滅茶苦茶ではあるが、当たればやはりは効いている。

 病邪は明らかに苦悶の表情を浮かべているし、葛根刀が叩きつけられる度に弱っているように見えた。

(このまま押し切る!)

 景がさらなる追撃を叩き込もうと刀を大上段に振り上げた時、病邪の突き出した手の平が景の腹に触れた。

 その部分から凄まじく嫌な予感がする。

「やばっ!」

 短い声が漏れた次の瞬間、猛烈な突風を腹に食らった景は体をくの字に曲げて宙を舞っていた。

 何メートル、いや何十メートル飛ばされたのだろうか。

 実際にその力を受けて分かったが、葛根刀による身体強化がなかったら風圧で内蔵がグシャグシャになっていただろう。腹をひどく圧迫されて息が苦しいし、あちこちの関節がへし折れるかと思った。

 景はそのまま斜面の木々に突っ込み、枝を何本も折りながら地面に落下した。

「ゴホッ、ゴホッ……くっそ痛ぇ……こりゃ早く倒せないと死ぬぞ……」

 身体強化のおかげで助かったとはいえ、何度も食らえる攻撃ではない。

 というか、一撃食らっただけでボロボロだ。何とかまだ体は動かせるものの、体中全てが痛い。

 この状態で向こうの攻撃をかわし続け、その上でこちらの攻撃を当て続けられるだろうか。

(難しいな……由紀ちゃん抱えて逃げるべきかな?正直あいつのしたことはめっちゃ腹立つし、叩きのめしてやりたい気分ではあるけど……)

 しかし、その腹立ちは放り捨てて逃げるべきだろう。

 いったんはそう結論づけたものの、すぐにその賢明な判断を捨てざるをえなくなった。

 病邪が風に乗って景の所まで飛んできたからだ。

「……ハハハ、そりゃそうか。空を飛べるんだから鬼ごっこだってお前の方が有利だよな」

 つまり、逃げられない。

 それが分かった景は、思わず笑ってしまった。これで腸の煮えくり返るような怒りは捨てなくていいわけだ。

「じゃあ思う存分叩きのめしてやるよ!」
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