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麻黄湯2
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インフルエンザ流行。
テレビのニュース番組から流れてきたその情報を耳にした景は、反射的にそちらの方を向いた。
一応は薬学生なので、その手の情報には人よりも敏感なのだ。
「……インフルエンザ?今、七月だぞ?」
インフルエンザのウイルスは湿度が低い冬場の方が感染しやすくなる、というのは誰もが知る常識だ。だからこの時期の流行というニュースに景は驚いた。
しかし瑤姫の方は別に意外そうな顔はしていない。
「夏場でもたまにあるわよ。以前に夏の沖縄で学級閉鎖、なんてこともあったわね」
「そうなのか……そういえば今日、何人か解熱剤が出てる子がいたな」
景はつい先ほどまでバイトで薬局にいたわけだが、二時間にも満たない勤務時間内に発熱した子供が五人も来店した。
冬場であれば珍しいことではないが、夏場だとあまりないことだ。
「もしかしたらその子たちもインフルエンザかもね。感染対策しても学校や保育園なんかは限界があるし。あと流行るとしたら高齢者施設とか刑務所とかの閉鎖環境で……あ、ほら。今回の流行も刑務所だって」
テレビではキャスターが刑務所の写真を背景に原稿を読み上げていた。
瑤姫の言った通り、刑務所内でインフルエンザが流行しているというニュースだった。受刑者の半数近くと刑務官数人が感染しているらしい。
「これ、うちの近くの刑務所じゃないか」
テロップに上がった刑務所名を見た景は目を丸くした。
近いとはいっても徒歩だと一時間ほどかかるので、近所というほど近くはない。しかし割と街中にあるので何度も目の前を通っている。
地方局のローカル番組とはいえ、そういう所がテレビに出ているのを見ると『おおっ』という程度には反応したくなるものだ。
「私はまだこの街に詳しくないんだけど、もしかしてあっち方向?」
瑤姫はソファから身を起こし、一方向を指した。
景はその指先を見て脳内に地図を描き、家の向きを考えてからうなずく。
「ああ、ピッタリその方向だな」
「だとすると、まずいわね」
瑤姫の眉が曇った。
それから口元に手を当てて考え込む。
「明日にしようかと思ってたけど……今からでも向かったほうがいいかしら?」
「向かう?向かうって、もしかして刑務所に?」
「そうよ。あっち方向の邪気が濃くなってるなとは思ってたの。普通ならこの程度で病邪は発生しないんだけど、疫病の流行なんかがあると話は違うわ」
景は思いっきり嫌な顔をした。
「つまり、またこの間みたいなヤバい化け物が現れるってことだよな?」
「絶対とは言わないけど、その可能性は十分あるわね。というわけで行きましょう」
瑤姫は立ち上がると軽く服を撫でた。するともっさりジャージが初めて会った時と同じ漢服になる。
もっさりのまま外に出るのはどうかということもあったのだろうが、先日の戦いの時に瑤姫は漢服へと戻っていた。
景はそれを思い出し、多分これが瑤姫の戦闘スタイルなのだろうと納得した。
「おう、いってらっしゃい。いや、帰ってこなくていいからいってらっしゃいは違うか」
そう告げてから瑤姫のいなくなったソファに腰を下ろし、くつろぐ体勢に入った。
テレビのチャンネルを変えるためにリモコンへ手を伸ばす。
番組は刑務所前からの中継になっており、リポーターが高い塀を背景に何か喋っていた。しかしすでに興味はないのだ。
「ちょっと景」
と、伸ばした手は瑤姫にガシッと掴まれた。
「あなたも行くのよ。当たり前でしょ」
責めるような視線を向けられた景だが、知ったことではないと思った。
「何が当たり前なんだよ。俺はもう戦わないって言っただろ」
「病邪が出たら沢山の人が傷つくのよ」
「だから俺が戦って俺が傷つけって言うのか?傷つくのは俺なんだから、戦うかどうかは俺自身に決めさせろよ」
「……相変わらずの人でなしね」
「うっさい駄女神」
睨み合う二人の間に剣呑な空気が流れる。
しかしその空気はテレビのスピーカーから鳴り響いた爆発音により突如として霧散した。
「な……何だ?」
テレビに目を向けると、画角が九十度傾いている。どうやらカメラが横倒しになってしまったようだ。
地面がディスプレイの大部分を占めているし、通信状態も悪いのかノイズも走っていて何が何やら分からない映像になっている。
ただし画面の隅には崩れたと思われる塀がかろうじて映っていて、どうやら破壊的な何かが起こったらしいことは分かった。
しかし刑務所の塀だ。脆いわけがない。
それが壊れたとなると、その何かは結構な破壊力であることが推察された。
「おいおい、あれって……」
「間違いなく病邪ね。しかも完全に顕現してるわ。邪気の爆発的な増大も感じたし……あっ、ほらアレ!」
瑤姫が激しく反応したのは、画面に足が映ったからだ。
しかし足しか映っていないし、動きからもフラフラとした足取りだということしか分からなかった。
「歩き方だけで病邪って分かるのか?」
「歩き方っていうか……感じない?景は闘薬術の威力はすごいけど、感覚は少し鈍いのかもしれないわね。でも闘薬術に慣れたらもっと邪気を感じられるようになるわよ」
「馬鹿言うな。使わないんだから慣れるわけないだろ。っていうか、俺はもう戦わないって何回言ったら……」
景がまた拒否の言葉を繰り返そうとした時、テレビから悲鳴が聴こえた。
女の声、というか女の子の声だった。若いというよりも、幼い。幼児か小学生くらいの声だろう。
そしてその悲鳴が聞こえた直後、画面の中央に人形が転がってきた。
サーフィンをしているカエルの人形だった。
テレビのニュース番組から流れてきたその情報を耳にした景は、反射的にそちらの方を向いた。
一応は薬学生なので、その手の情報には人よりも敏感なのだ。
「……インフルエンザ?今、七月だぞ?」
インフルエンザのウイルスは湿度が低い冬場の方が感染しやすくなる、というのは誰もが知る常識だ。だからこの時期の流行というニュースに景は驚いた。
しかし瑤姫の方は別に意外そうな顔はしていない。
「夏場でもたまにあるわよ。以前に夏の沖縄で学級閉鎖、なんてこともあったわね」
「そうなのか……そういえば今日、何人か解熱剤が出てる子がいたな」
景はつい先ほどまでバイトで薬局にいたわけだが、二時間にも満たない勤務時間内に発熱した子供が五人も来店した。
冬場であれば珍しいことではないが、夏場だとあまりないことだ。
「もしかしたらその子たちもインフルエンザかもね。感染対策しても学校や保育園なんかは限界があるし。あと流行るとしたら高齢者施設とか刑務所とかの閉鎖環境で……あ、ほら。今回の流行も刑務所だって」
テレビではキャスターが刑務所の写真を背景に原稿を読み上げていた。
瑤姫の言った通り、刑務所内でインフルエンザが流行しているというニュースだった。受刑者の半数近くと刑務官数人が感染しているらしい。
「これ、うちの近くの刑務所じゃないか」
テロップに上がった刑務所名を見た景は目を丸くした。
近いとはいっても徒歩だと一時間ほどかかるので、近所というほど近くはない。しかし割と街中にあるので何度も目の前を通っている。
地方局のローカル番組とはいえ、そういう所がテレビに出ているのを見ると『おおっ』という程度には反応したくなるものだ。
「私はまだこの街に詳しくないんだけど、もしかしてあっち方向?」
瑤姫はソファから身を起こし、一方向を指した。
景はその指先を見て脳内に地図を描き、家の向きを考えてからうなずく。
「ああ、ピッタリその方向だな」
「だとすると、まずいわね」
瑤姫の眉が曇った。
それから口元に手を当てて考え込む。
「明日にしようかと思ってたけど……今からでも向かったほうがいいかしら?」
「向かう?向かうって、もしかして刑務所に?」
「そうよ。あっち方向の邪気が濃くなってるなとは思ってたの。普通ならこの程度で病邪は発生しないんだけど、疫病の流行なんかがあると話は違うわ」
景は思いっきり嫌な顔をした。
「つまり、またこの間みたいなヤバい化け物が現れるってことだよな?」
「絶対とは言わないけど、その可能性は十分あるわね。というわけで行きましょう」
瑤姫は立ち上がると軽く服を撫でた。するともっさりジャージが初めて会った時と同じ漢服になる。
もっさりのまま外に出るのはどうかということもあったのだろうが、先日の戦いの時に瑤姫は漢服へと戻っていた。
景はそれを思い出し、多分これが瑤姫の戦闘スタイルなのだろうと納得した。
「おう、いってらっしゃい。いや、帰ってこなくていいからいってらっしゃいは違うか」
そう告げてから瑤姫のいなくなったソファに腰を下ろし、くつろぐ体勢に入った。
テレビのチャンネルを変えるためにリモコンへ手を伸ばす。
番組は刑務所前からの中継になっており、リポーターが高い塀を背景に何か喋っていた。しかしすでに興味はないのだ。
「ちょっと景」
と、伸ばした手は瑤姫にガシッと掴まれた。
「あなたも行くのよ。当たり前でしょ」
責めるような視線を向けられた景だが、知ったことではないと思った。
「何が当たり前なんだよ。俺はもう戦わないって言っただろ」
「病邪が出たら沢山の人が傷つくのよ」
「だから俺が戦って俺が傷つけって言うのか?傷つくのは俺なんだから、戦うかどうかは俺自身に決めさせろよ」
「……相変わらずの人でなしね」
「うっさい駄女神」
睨み合う二人の間に剣呑な空気が流れる。
しかしその空気はテレビのスピーカーから鳴り響いた爆発音により突如として霧散した。
「な……何だ?」
テレビに目を向けると、画角が九十度傾いている。どうやらカメラが横倒しになってしまったようだ。
地面がディスプレイの大部分を占めているし、通信状態も悪いのかノイズも走っていて何が何やら分からない映像になっている。
ただし画面の隅には崩れたと思われる塀がかろうじて映っていて、どうやら破壊的な何かが起こったらしいことは分かった。
しかし刑務所の塀だ。脆いわけがない。
それが壊れたとなると、その何かは結構な破壊力であることが推察された。
「おいおい、あれって……」
「間違いなく病邪ね。しかも完全に顕現してるわ。邪気の爆発的な増大も感じたし……あっ、ほらアレ!」
瑤姫が激しく反応したのは、画面に足が映ったからだ。
しかし足しか映っていないし、動きからもフラフラとした足取りだということしか分からなかった。
「歩き方だけで病邪って分かるのか?」
「歩き方っていうか……感じない?景は闘薬術の威力はすごいけど、感覚は少し鈍いのかもしれないわね。でも闘薬術に慣れたらもっと邪気を感じられるようになるわよ」
「馬鹿言うな。使わないんだから慣れるわけないだろ。っていうか、俺はもう戦わないって何回言ったら……」
景がまた拒否の言葉を繰り返そうとした時、テレビから悲鳴が聴こえた。
女の声、というか女の子の声だった。若いというよりも、幼い。幼児か小学生くらいの声だろう。
そしてその悲鳴が聞こえた直後、画面の中央に人形が転がってきた。
サーフィンをしているカエルの人形だった。
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