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麻黄湯1
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「由紀ちゃん、これいる?」
張中景はカエルの人形に付いた紐をつまみ、女の子の前でぶらぶらと揺らしてみせた。
由紀ちゃんと呼ばれた女の子、山脇由紀はまだ小学二年生だ。背が低いので、景は視線を合わせるために中腰になっていた。
「いる~」
由紀はにへ~っと笑って人形を受け取った。それから待合の長椅子にちょこんと座る。
「カエルさん、サーフィンしてるね。これってレア?レア?」
嬉しそうに手元の人形を見つめ、景に聞いてきた。
渡されたのは製薬企業が販促グッズとして提供してくれたカエル人形で、今日届いたばかりの夏限定サーフィンカエルだった。
「レア……なのかな?一応夏の限定らしいから、ちょっとレアかもね」
「やった~」
またにへ~っと笑う由紀の様子が可愛くて、景は今日一日の疲れが吹き飛んだような気がした。
由紀は景がアルバイトをしている薬局の常連で、いつも祖母父と一緒に来店している。
両親は共に事故で亡くなっているらしい。そういう人が聞けば不憫な境遇にも関わらず、由紀のにへ~っという笑う姿はとても明るく温かい。
癒し系のその笑顔は、ともすれば戦場のような忙しさになる薬局のスタッフにとってオアシスなのだった。
この店は景の親が複数経営する薬局の一つだが、実家の薬局とは違い漢方専門ではない。処方箋の調剤をメインにしている。
景は大学入学後、この店舗で事務員としてアルバイトをしてきた。処方箋の受付やパソコンの入力、薬剤師でなくとも可能な薬の準備などがその仕事だ。
夕方から閉店までの時間、家事育児のために早上がりするパートタイマーの穴埋めをしている。長い時間ではないが、仕事帰り、学校帰りの患者が受診するピークタイ厶をフォローしている形だ。
だから一事務員とはいえ、現場にとってはいないと困る人材となっていた。
(由紀ちゃん、顔が赤かったな)
景はそんなことを考えながら調剤室に戻り、あらためて処方箋を見た。やはり解熱剤が出ている。
由紀は軽い喘息持ちなので薬局の常連になっているのだが、今日はまた状態が違うらしい。発熱しているようだ。
(夏風邪かな?)
そう思いながら薬剤師と祖母の会話を聞くと、予想通り多分夏風邪だろうという診断とのことだった。
最近の由紀はうまく咳をコントロールできていたのだが、喘息は風邪をきっかけにして悪くなることがある。注意が必要な状況だ。
「お大事に」
由紀が薬を受け取って帰る時、景は心を込めて薬局の定型句を口にした。
ほとんど自動的に口をついて出る言葉ではあるが、本当に早く良くなればいいと思う。
由紀はそれに応えてサーフィンカエルを振りながら、にへ~っとまた笑ってくれた。
その後さらに発熱した子が四人来局したのだが、その子たちも皆笑顔でサーフィンカエルを受け取ってくれた。
(今日は良い一日だったな)
景は笑顔を向けられただけでそんなふうに思えるタイプの小市民だ。小市民らしく、小さな幸せを噛みしめることができる。
少し暖かくなった心で仕事を終え、帰宅した。そしてリビングの扉を開ける。
「あ、おかえり~」
そんな声が景を迎えてくれて、せっかく暖まった心が一気に冷えてしまった。
声の主はソファにいる。
もう少し詳細なことを書くと、声の主はソファに寝っ転がってテレビを見ながら煎餅をかじっている。
だから景には『おかえり』という言葉が『おふぁえり』と聞こえたし、言葉とともに煎餅の食べかすがソファに落ちるのが見えてしまった。
(こいつ、本当に駄女神だな)
景はそう痛感せざるをえない。
「……おい。俺は今朝『出て行け』って言ったよな?」
「え?私も今朝『嫌だ』って言ったわよ?」
景が思うところの駄女神、瑤姫は当たり前の顔をして答えた。しかも視線はテレビに固定されたままで、景の方を向きもしない。
家主である景がイラッとしたことは言うまでもないだろう。
「あのなぁ……もう三日だぞ?三日間ずっと家でゴロゴロするだけのやつを何で家に置いておかないといけないんだ」
景と瑤姫が出会ってからすでに三日が経っている。
そしてその三日の間、強引に景の自宅に居座った瑤姫は何をするでもなくゴロゴロ過ごしていた。
服装も完全くつろぎモードのもっさりジャージだ。
この女神は神術で服装を自由に変えられるのだが、わざわざ楽な格好を選んでいる。それだけでも本人の『だらけよう』という意志が伝わってこようというものだ。
(こいつ、朝と全く同じ体勢だけど動いてんのか?)
景はふとそんな疑問を抱いた。
朝、景が大学に出る時に瑤姫はソファに寝そべっていた。そして講義を受け、バイトをして帰ってくると全く同じようにソファに寝そべっている。
(でも食料は減ってるから、動いてはいるか)
瑤姫は景がいない間に勝手に冷蔵庫を開け、パントリーを開けて食料を消費しているのだ。今食べている煎餅も景がスーパーで買ったものだが、一口も食べないまま無くなるのだろう。
こうなると、もはや家に寄生する害獣でしかない。
そして景が瑤姫に向ける視線はすでに、人が害獣に向ける視線そのものだった。
しかし瑤姫は動じない。相変わらずテレビの方を向いたまま、煎餅をもう一口かじりつつ軽く手を振った。
「三日間くらいダラダラしたっていいじゃない。あれだけ働いたんだから」
「働いた?何したって言うんだ」
「三日前に病邪を倒したでしょ?それにその後の処理もしたし」
景はその時のことを思い起こし、いっそう不快な気分になった。
三日前、『風邪の引き始め』というふざけた名前の病邪が現れた。名前はふざけているが、破壊光線を撃ちまくる深刻に危険な化け物だ。
景は目の前のダラダラ駄女神によってそれを倒すことを強要された。
本当に死ぬかと思ったし、事実として一つ間違っていれば死んでいたはずだ。そして瑤姫は今後もそれを続けろと言ってきた。
(冗談じゃない)
景はそう思った。
本心としては冗談であってくれとも思うのだが、瑤姫は本気だし病邪も現実にいた。
そしてごくごく普通の学生である張中景は、こんなにも危険な化け物の相手を一般人である自分が務めるのは異常だと考えた。常識的な思考による、当然の帰結だ。
(警察に相談しよう。すぐには信じてくれないだろうけど、現にカフェが穴だらけになってる。それに病邪を見た客だっているはずだ)
病邪を倒した後の景はカフェの惨状を眺めながら、そうすべきだという結論に至った。この法治国家において警察力に勝るものなどない。
しかしその目論見は一柱の女神にによって阻まれることになる。
瑤姫が手をかざし、
『神術!原状回復!』
と唱えると、ボロボロになったカフェは光の粒子に包まれた。
そして景が、
(原状回復?賃貸物件の話かな?)
などと思っている間に、壁の大穴はきれいに塞がってしまった。
『どう?すごいでしょ?この神術は病邪関連の物的被害を修復できるのよ。しかも目撃者の記憶もある程度だけど操作できるわ』
瑤姫の説明通り、戻ってきた客や従業員は病邪のことを一切覚えていなかった。いつの間にか直っているカフェの壁にも無反応だ。
話していることに耳を傾けると、彼らの中では『木に雷が落ち、驚いて逃げた』ということになっていた。空には雷雲などないのでありえない話なのだが、それでも信じてしまうのが神術の神術たるゆえんなのだろう。
警察に電話してしまった人間もいたようだが、すぐに訂正の電話をかけ直したからパトカーのサイレンが聞こえることすらなかった。
こうなると、もう景が騒いだところで誰も信じてくれないだろう。
『すごいでしょ?』
ドヤ顔で繰り返す瑤姫に景はまたイラッとしたが、何も言わずに会計へと向かった。
もうこれ以上この駄女神に関わるのはごめんだと思ったのだ。
そしてその直後、追いかけてきた瑤姫が無一文であることが判明した。
『あ、私お金持ってないから会計は一緒ね』
『……はぁ?なんで俺がお前のタピオカミルクティーまで払わなきゃいけないんだよ』
『店員さん、この子こんなこと言ってるけどツンデレなだけだから。可愛いでしょ?』
瑤姫はウェイターに軽くウインクしてからカフェから出て行く。
店員はそんな瑤姫に見惚れていたが、景にとってはクソ腹の立つ顔でしかなかった。
(でも……ここで払わないってゴネるのも情けない話だな)
仕方ないので景は二人分の会計を済ませてカフェを出た。
そして、後は逃げども逃げども瑤姫が追ってくる。
これ以上病邪だのなんだのに関わりたくない景は瑤姫のことを無視し、速歩きを続けた。しまいには駆け出そうとした。
しかしその背中に、
『ここの学生だって分かってるんだから逃げられないわよ。待ち伏せされるくらいなら諦めて受け入れる方が良くない?』
と、至極もっともなことを言われてしまい、足を止めざるをえなかった。
そして瑤姫は景の家に居着いた。
無一文な上になんと宿無しなのだ。それを知ってしまうと、女神とはいえ女を一人で放り出すのは景としても気が引けた。
とはいえ本当にもうこれ以上関わりたくはない。だから景は寝る前、そして大学へ行く前には嫌味ったらしく言ってやるのだ。
『明日には出て行けよ』
『俺が帰ってくるまでには出て行けよ』
とはいえそんな言葉だけの嫌味など、瑤姫にはまるで梨のつぶてだったが。
「なぁ、ホント出て行ってくれないか?俺は病邪退治とかそういう危ないのやりたくないんだよ」
今もソファに寝転がる瑤姫へ向けて同様のことを伝えた。ただし嫌味というよりも、切実な気持ちを込めてだ。
しかし嫌味だろうが切実な気持ちだろうが、やはり瑤姫には届かない。いや、届いても一切気にしないのだろう。
「嫌よ。医聖の因子を持つ景が病邪と戦うのはもう決定事項だし、この家って妙に居心地がいいから出て行くつもりはないわ。大体こんな広い一軒家に一人暮らしなんだから、もう一人くらい住ませてくれてもいいじゃない」
瑤姫の言う通り、景が住んでいる家は一人で住むには明らかに大きい。二階建ての一軒家なのだ。
しかも作りが大きく余裕がある。玄関は吹き抜けだし、今いるリビングダイニングなど二十畳ほどの広さがある。
どうして一人暮らしの学生がこんな贅沢な住環境にいるかというと、ここが亡くなった祖父母の家だからだ。
祖父母の死後、空き家になってから売り払うことも検討したが、母が思い出深い実家を手放すのを嫌がった。そして景もこの家が好きだったから、あえてこの近くの大学に進学して住むことにした。
瑤姫の言う通り、何だか妙に居心地がいいのだ。不思議と落ち着く。
正直そこを褒められたことは嬉しいのだが、だからといって命をかけた戦いなど絶対にごめんだ。
景はあらためてそれを伝えるべく口を開こうとした。
しかしその口はテレビから聞こえてきた一言によって閉じられることになる。
「それでは次のニュース、季節外れのインフルエンザ流行です」
張中景はカエルの人形に付いた紐をつまみ、女の子の前でぶらぶらと揺らしてみせた。
由紀ちゃんと呼ばれた女の子、山脇由紀はまだ小学二年生だ。背が低いので、景は視線を合わせるために中腰になっていた。
「いる~」
由紀はにへ~っと笑って人形を受け取った。それから待合の長椅子にちょこんと座る。
「カエルさん、サーフィンしてるね。これってレア?レア?」
嬉しそうに手元の人形を見つめ、景に聞いてきた。
渡されたのは製薬企業が販促グッズとして提供してくれたカエル人形で、今日届いたばかりの夏限定サーフィンカエルだった。
「レア……なのかな?一応夏の限定らしいから、ちょっとレアかもね」
「やった~」
またにへ~っと笑う由紀の様子が可愛くて、景は今日一日の疲れが吹き飛んだような気がした。
由紀は景がアルバイトをしている薬局の常連で、いつも祖母父と一緒に来店している。
両親は共に事故で亡くなっているらしい。そういう人が聞けば不憫な境遇にも関わらず、由紀のにへ~っという笑う姿はとても明るく温かい。
癒し系のその笑顔は、ともすれば戦場のような忙しさになる薬局のスタッフにとってオアシスなのだった。
この店は景の親が複数経営する薬局の一つだが、実家の薬局とは違い漢方専門ではない。処方箋の調剤をメインにしている。
景は大学入学後、この店舗で事務員としてアルバイトをしてきた。処方箋の受付やパソコンの入力、薬剤師でなくとも可能な薬の準備などがその仕事だ。
夕方から閉店までの時間、家事育児のために早上がりするパートタイマーの穴埋めをしている。長い時間ではないが、仕事帰り、学校帰りの患者が受診するピークタイ厶をフォローしている形だ。
だから一事務員とはいえ、現場にとってはいないと困る人材となっていた。
(由紀ちゃん、顔が赤かったな)
景はそんなことを考えながら調剤室に戻り、あらためて処方箋を見た。やはり解熱剤が出ている。
由紀は軽い喘息持ちなので薬局の常連になっているのだが、今日はまた状態が違うらしい。発熱しているようだ。
(夏風邪かな?)
そう思いながら薬剤師と祖母の会話を聞くと、予想通り多分夏風邪だろうという診断とのことだった。
最近の由紀はうまく咳をコントロールできていたのだが、喘息は風邪をきっかけにして悪くなることがある。注意が必要な状況だ。
「お大事に」
由紀が薬を受け取って帰る時、景は心を込めて薬局の定型句を口にした。
ほとんど自動的に口をついて出る言葉ではあるが、本当に早く良くなればいいと思う。
由紀はそれに応えてサーフィンカエルを振りながら、にへ~っとまた笑ってくれた。
その後さらに発熱した子が四人来局したのだが、その子たちも皆笑顔でサーフィンカエルを受け取ってくれた。
(今日は良い一日だったな)
景は笑顔を向けられただけでそんなふうに思えるタイプの小市民だ。小市民らしく、小さな幸せを噛みしめることができる。
少し暖かくなった心で仕事を終え、帰宅した。そしてリビングの扉を開ける。
「あ、おかえり~」
そんな声が景を迎えてくれて、せっかく暖まった心が一気に冷えてしまった。
声の主はソファにいる。
もう少し詳細なことを書くと、声の主はソファに寝っ転がってテレビを見ながら煎餅をかじっている。
だから景には『おかえり』という言葉が『おふぁえり』と聞こえたし、言葉とともに煎餅の食べかすがソファに落ちるのが見えてしまった。
(こいつ、本当に駄女神だな)
景はそう痛感せざるをえない。
「……おい。俺は今朝『出て行け』って言ったよな?」
「え?私も今朝『嫌だ』って言ったわよ?」
景が思うところの駄女神、瑤姫は当たり前の顔をして答えた。しかも視線はテレビに固定されたままで、景の方を向きもしない。
家主である景がイラッとしたことは言うまでもないだろう。
「あのなぁ……もう三日だぞ?三日間ずっと家でゴロゴロするだけのやつを何で家に置いておかないといけないんだ」
景と瑤姫が出会ってからすでに三日が経っている。
そしてその三日の間、強引に景の自宅に居座った瑤姫は何をするでもなくゴロゴロ過ごしていた。
服装も完全くつろぎモードのもっさりジャージだ。
この女神は神術で服装を自由に変えられるのだが、わざわざ楽な格好を選んでいる。それだけでも本人の『だらけよう』という意志が伝わってこようというものだ。
(こいつ、朝と全く同じ体勢だけど動いてんのか?)
景はふとそんな疑問を抱いた。
朝、景が大学に出る時に瑤姫はソファに寝そべっていた。そして講義を受け、バイトをして帰ってくると全く同じようにソファに寝そべっている。
(でも食料は減ってるから、動いてはいるか)
瑤姫は景がいない間に勝手に冷蔵庫を開け、パントリーを開けて食料を消費しているのだ。今食べている煎餅も景がスーパーで買ったものだが、一口も食べないまま無くなるのだろう。
こうなると、もはや家に寄生する害獣でしかない。
そして景が瑤姫に向ける視線はすでに、人が害獣に向ける視線そのものだった。
しかし瑤姫は動じない。相変わらずテレビの方を向いたまま、煎餅をもう一口かじりつつ軽く手を振った。
「三日間くらいダラダラしたっていいじゃない。あれだけ働いたんだから」
「働いた?何したって言うんだ」
「三日前に病邪を倒したでしょ?それにその後の処理もしたし」
景はその時のことを思い起こし、いっそう不快な気分になった。
三日前、『風邪の引き始め』というふざけた名前の病邪が現れた。名前はふざけているが、破壊光線を撃ちまくる深刻に危険な化け物だ。
景は目の前のダラダラ駄女神によってそれを倒すことを強要された。
本当に死ぬかと思ったし、事実として一つ間違っていれば死んでいたはずだ。そして瑤姫は今後もそれを続けろと言ってきた。
(冗談じゃない)
景はそう思った。
本心としては冗談であってくれとも思うのだが、瑤姫は本気だし病邪も現実にいた。
そしてごくごく普通の学生である張中景は、こんなにも危険な化け物の相手を一般人である自分が務めるのは異常だと考えた。常識的な思考による、当然の帰結だ。
(警察に相談しよう。すぐには信じてくれないだろうけど、現にカフェが穴だらけになってる。それに病邪を見た客だっているはずだ)
病邪を倒した後の景はカフェの惨状を眺めながら、そうすべきだという結論に至った。この法治国家において警察力に勝るものなどない。
しかしその目論見は一柱の女神にによって阻まれることになる。
瑤姫が手をかざし、
『神術!原状回復!』
と唱えると、ボロボロになったカフェは光の粒子に包まれた。
そして景が、
(原状回復?賃貸物件の話かな?)
などと思っている間に、壁の大穴はきれいに塞がってしまった。
『どう?すごいでしょ?この神術は病邪関連の物的被害を修復できるのよ。しかも目撃者の記憶もある程度だけど操作できるわ』
瑤姫の説明通り、戻ってきた客や従業員は病邪のことを一切覚えていなかった。いつの間にか直っているカフェの壁にも無反応だ。
話していることに耳を傾けると、彼らの中では『木に雷が落ち、驚いて逃げた』ということになっていた。空には雷雲などないのでありえない話なのだが、それでも信じてしまうのが神術の神術たるゆえんなのだろう。
警察に電話してしまった人間もいたようだが、すぐに訂正の電話をかけ直したからパトカーのサイレンが聞こえることすらなかった。
こうなると、もう景が騒いだところで誰も信じてくれないだろう。
『すごいでしょ?』
ドヤ顔で繰り返す瑤姫に景はまたイラッとしたが、何も言わずに会計へと向かった。
もうこれ以上この駄女神に関わるのはごめんだと思ったのだ。
そしてその直後、追いかけてきた瑤姫が無一文であることが判明した。
『あ、私お金持ってないから会計は一緒ね』
『……はぁ?なんで俺がお前のタピオカミルクティーまで払わなきゃいけないんだよ』
『店員さん、この子こんなこと言ってるけどツンデレなだけだから。可愛いでしょ?』
瑤姫はウェイターに軽くウインクしてからカフェから出て行く。
店員はそんな瑤姫に見惚れていたが、景にとってはクソ腹の立つ顔でしかなかった。
(でも……ここで払わないってゴネるのも情けない話だな)
仕方ないので景は二人分の会計を済ませてカフェを出た。
そして、後は逃げども逃げども瑤姫が追ってくる。
これ以上病邪だのなんだのに関わりたくない景は瑤姫のことを無視し、速歩きを続けた。しまいには駆け出そうとした。
しかしその背中に、
『ここの学生だって分かってるんだから逃げられないわよ。待ち伏せされるくらいなら諦めて受け入れる方が良くない?』
と、至極もっともなことを言われてしまい、足を止めざるをえなかった。
そして瑤姫は景の家に居着いた。
無一文な上になんと宿無しなのだ。それを知ってしまうと、女神とはいえ女を一人で放り出すのは景としても気が引けた。
とはいえ本当にもうこれ以上関わりたくはない。だから景は寝る前、そして大学へ行く前には嫌味ったらしく言ってやるのだ。
『明日には出て行けよ』
『俺が帰ってくるまでには出て行けよ』
とはいえそんな言葉だけの嫌味など、瑤姫にはまるで梨のつぶてだったが。
「なぁ、ホント出て行ってくれないか?俺は病邪退治とかそういう危ないのやりたくないんだよ」
今もソファに寝転がる瑤姫へ向けて同様のことを伝えた。ただし嫌味というよりも、切実な気持ちを込めてだ。
しかし嫌味だろうが切実な気持ちだろうが、やはり瑤姫には届かない。いや、届いても一切気にしないのだろう。
「嫌よ。医聖の因子を持つ景が病邪と戦うのはもう決定事項だし、この家って妙に居心地がいいから出て行くつもりはないわ。大体こんな広い一軒家に一人暮らしなんだから、もう一人くらい住ませてくれてもいいじゃない」
瑤姫の言う通り、景が住んでいる家は一人で住むには明らかに大きい。二階建ての一軒家なのだ。
しかも作りが大きく余裕がある。玄関は吹き抜けだし、今いるリビングダイニングなど二十畳ほどの広さがある。
どうして一人暮らしの学生がこんな贅沢な住環境にいるかというと、ここが亡くなった祖父母の家だからだ。
祖父母の死後、空き家になってから売り払うことも検討したが、母が思い出深い実家を手放すのを嫌がった。そして景もこの家が好きだったから、あえてこの近くの大学に進学して住むことにした。
瑤姫の言う通り、何だか妙に居心地がいいのだ。不思議と落ち着く。
正直そこを褒められたことは嬉しいのだが、だからといって命をかけた戦いなど絶対にごめんだ。
景はあらためてそれを伝えるべく口を開こうとした。
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