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葛根湯4
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苦しげなうめき声だ。後半はほとんど叫んでいるかのようだった。
驚いた景が再び振り返ると、男が胸を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。鼻筋に深いシワを作り、小刻みに震えている。
そしてその体を黒いモヤが包みこんでいた。なにかひどく嫌な感じのするモヤだと景は思った。
男はそのまま椅子から転げ落ちた。意識がまともにないのか受け身も取れず、ドサッいう重い音が響く。
あまりに唐突な容態急変だ。咳と身震いくらいしか症状がなかったのが嘘のような苦しみ方をしている。
「だ、大丈夫ですか!?」
景は急いで駆け寄った。
そして男の肩に手をかけようとした瞬間、瑤姫の鋭い声が響いた。
「景!下がりなさい!」
その言葉が終わるかどうかというところで、男の体からユラリと何か煙のようなものが立ち昇った。
その妙な気体に神経を逆撫でされるような不快感を覚え、景はすぐさま手を引いた。
そして瑤姫に言われた通り数歩後ずさる。
「な……何だ?」
景がつぶやく間にユラユラした気体はさらに容積を増し、それが固まって形が作られていった。
ほんのわずかな時間に胴体と頭、腕のようなものが出来上がった。しかし足はなく、下半身は倒れ伏した男の体から細く伸びた格好になっている。
(幽霊?)
誰でもこれを見たら、まずそう認識するだろう。ごく短時間の間に足なしの幽霊が男から生えた。そういうことだ。
幽霊の顔には暗い眼窩と赤い口が浮かび上がっている。
深い闇に吸い込まれそうな目の窪み、そして鮮血を思わせるような濃い赤に、景はさらに後ずさった。
「え?え?え?」
理解不能な状況に、ただただ疑問と困惑の声だけが口から漏れる。
そんな景に向けて、瑤姫の声がやけに遠くからかけられた。
「それ倒すのが医聖の責務だから!頑張って!」
「……はあ!?」
景が盛大な抗議を込めてそちらを向くと、瑤姫はすでにカフェテラスから飛び降りていた。
そしてさらに距離を取ろうと離れていく。
「ちょ、ちょっと待っ……」
その言葉を最後まで言い切らなかったのは、視界の隅が急に明るくなったからだ。
そして景はこの時、人生で初めて第六感というものを感じていた。激烈に嫌な予感がするのだ。
そう。これはきっと、死の予感。
「うぉおおおお!?」
景はほとんど無意識に、本能に従って横っ飛びに飛んでいた。
そのスレスレを光の線が走っていく。
直後、景の後ろにあったカフェの壁が爆発した。
轟音が閑静な河原に鳴り響き、破片が後頭部や背中を打ってくる。
景はその痛みと爆発音に目を白黒させながらも、急いで体を起こした。
光線はまた来るかもしれない。このまま倒れていたら死を待つばかりだと思った。
「な、何なんだ……何なんだよ、こいつは!?」
景は突然の理不尽に対し、思わずそう叫んだ。
その叫びに対し、瑤姫が太い木の陰に隠れながら答えてくる。
「だから『風邪の引き始め』だって言ったでしょ!聞いてなかったわけ!?」
(この女神、一方的に頑張れとか言って自分だけ逃げやがった!)
そのことに今まで以上の苛立ちを覚えつつ、景は再び叫んだ。
「風邪の引き始めってのは化け物じゃなくて病状だろうが!化け物が出てくるならちゃんとそう教えろ!」
「そんなこと言ったって、そういう名前の病邪なんだから仕方ないじゃない!」
病邪。
どうやら目の前の幽霊もどきはそういう種類の生き物らしい。いや、これは生き物と言っていい存在なのだろうか。
「病邪……病邪……?」
景がその単語を口の中で何度か繰り返している間に、その病邪の口が再び強く発光し始めた。
(ヤバい!)
反射的にまた横へ飛ぶと、案の定その直後に光線が放たれた。
またギリギリでかわせたが、後ろの壁にはいっそう派手な穴が空いてしまった。そしていくつもの悲鳴が上がる。
屋内で優雅なひと時を過ごしていた客たちは当然、我先にと出口へと駆け出した。テロか何かかと思ったのかもしれない。
景もそうしたかったのだが、いつの間にか足が震えてまともに動かなくなっていた。怖いのだ。
一発目は驚きの方が大きかったが、二発目は純粋にその威力を理解している。その分だけ恐怖が強くなり、神経が錯乱してしまったようだ。
ガチガチと歯は鳴るが、指もまともに動かせない。このままだと次の攻撃はよけられないだろう。
直撃後の自分の姿を思い浮かべ、目には涙まで浮かんできた。
(し、死ぬ……マジで死ぬ……)
その現実を必死に拒絶しようとする景へ、再び瑤姫が声を投げてきた。
「気をつけて!当たったら死ぬわよ!」
あまりにも当たり前の注意に、さすがの景も怒りを爆発させた。
「そんなもん見りゃ分かるんだよ!自分だけ逃げやがって!」
そう叫び返してから、硬直していた体が少し動いたことに気がついた。どうやら怒りで神経の錯乱が解けたようだ。
動くようになった筋肉を必死に伸縮させ、床を蹴って一方向へと走る。
瑤姫の方へと向かって。
「ちょっ、ちょっと!何でこっちに来るのよ!?」
「うるさい!」
瑤姫の抗議に怒鳴り返し、カフェテラスから飛び降りた。そして土を蹴って駆ける。
蹴ったすぐ後ろの地面に光線が着弾し、爆発で土埃が舞った。しかし構わず走る。
「お前がここに連れてきたんだろうが!責任取って戦え!」
景は瑤姫の隠れた木へとたどり着き、その陰から瑤姫を押し出そうとした。
当然のことながら、瑤姫は抵抗して押し返してくる。
「病邪と戦うのが医聖の仕事だって言ったでしょ!か弱い私の仕事はあくまでサポート!」
か弱い、という形容詞で景は一つのことを理解した。
こいつは女神だというくせに、少なくとも直接病邪を倒す力はないのだ。マジで役立たずである。
しかしだからといって、はいそうですかなどと言ってやる気分にはならなかった。
「そんなもん知るか!っていうか医聖って何だよ!?そんなもんになった覚えはまるでないわ!」
「覚えがなくてもこれは確定事項なのよ!あなたは医聖として病邪を倒すの!」
「勝手に決めるな!そもそもあんな化け物どうやって……」
ドゴォン!
という轟音で言葉は途切れ、景と瑤姫は吹き飛ばされた。
景たちが盾にしていた木が爆発したのだ。病邪の光線が当たったのだろう。
「……ぐっ」
倒れた景は地面で背を打ち、その痛みにうめき声を上げた。
しかも直後に上から瑤姫が落ちてきて、さらなる呻き声が追加される。
「ぐぇ」
「キャアッ!……もう、ビックリした」
どうやら景をクッションにしたおかげで瑤姫に怪我はないらしい。すぐに起き上がった。
景もサンドイッチされた胴体は痛むものの、爆発自体をモロに浴びたわけではないから大きな怪我にはなっていなかった。
ただし、十秒後にはどうなっているか分からないことではあるが。
「おい、本当にどうする気だよ!?どうやったらあんなの倒せるんだ!?殴って効くのか!?」
景も立ち上がりつつ、早口で尋ねた。
瑤姫は首を横に振って答える。
「殴っても、切っても突いても無駄よ。煮ても焼いても駄目。完全に顕現した病邪には物理攻撃どころか、神術すら効かないんだから」
「神術?……いや、つまり他に効く攻撃手段があるってことだな!?」
神術という聞き慣れない単語に引っかかりはしたが、この際それは無視することにした。
瑤姫はあれもこれも効かないと言ったくせに、医聖の責務は病邪を倒すことだと言っていた。つまり、何かしらの攻撃手段があるはずだ。
そして景の予想通り、瑤姫は今度は首を縦に振った。
「あるわ。闘薬術よ」
「投薬術?」
薬学生である景は頭にそんな漢字を思い浮かべたが、瑤姫はそれを正確に想定していたようだ。すぐに補足してきた。
「投げるっていう字じゃなくて、闘うっていう字の闘薬術よ。薬を使って闘うの。医聖の因子を持つ景にはそれができる」
言われた景は戸惑った。生まれてこの方、闘薬術などという単語は耳にしたこともない。
そもそも薬で闘うとはどういうことなのか。普通の薬は治すものであって、闘うものではないはすだ。
(……いや、傷つけるための薬もあるにはあるな)
景は衛生薬学で習ったいくつかの化学物質を思い出した。
「つまり、毒薬で倒すのか」
病邪に効く毒薬があるということではなかろうか。
これまでの話だとそれ以外に考えられなかったのだが、瑤姫はそれを否定した。
「違うわよ。むしろ体の不調を治す薬を使うわ」
「何?それじゃ……」
その言葉の途中で、いきなり瑤姫が景に飛びついてきた。
瑤姫は細身だが小柄ではない。体重で押し倒されて二人が折り重なった。
そしてその上を病邪の光線が通り過ぎていく。
(し、死ぬところだった……)
瑤姫が景を助けてくれた形にはなったが、景には何となくそうではないように感じられた。
(でもこいつ……俺をクッション代わりにしようとしたんじゃないか?)
再び『ぐえ』っという音を喉から漏らしつつ、ほとんど確信を持ってそう思った。
瑤姫は器用にも全身を景の上に落としている。先ほど吹き飛ばされた時に味をしめたのではなかろうか。
(この自己中女神が!)
やはり女は顔より性格だと景は再認識した。どれだけ瑤姫の顔が綺麗でも、肋骨をミシミシさせられながら肉薄されては苦痛と苛立ちしか芽生えない。
しかも瑤姫は景の頭に手をかけて起き上がったから、後頭部が地面にぶつけられて目から火花が出るような思いがした。
しかもさらに、瑤姫は無茶苦茶なことを命じてきた。
「景、私に攻撃が来ないように前に出てあいつの気を引きなさい」
「はぁ!?」
(何言ってんだ、こいつ)
景はそういう怒りとも呆れともつかないような思いを抱いた。
一方的に責務だなんだと押し付けてきて、しかも自分の盾になれとは傲慢にもほどがある。それは景としては当然の感想だったろう。
「なんで俺が……」
「その間に病邪を倒すための闘薬術を準備するから」
そう言われ、さすがにただ盾になれと命じられていたわけではなかったことを理解した。
(そういえば瑤姫の仕事はサポートだとか言ってたな。つまり瑤姫が闘薬術を使えるようにしてくれるってわけか)
となると、大変に不本意だが従わざるをえない。そういう結論に至った。
「……くそっ!仕方ないな!」
景は毒づきながら病邪のことを睨みつけた。ただ暗いだけの眼窩がぼおっと見返してくる。
やはり、怖いものは怖い。
病邪の顔はよく見ると地獄絵図に描かれた亡者のようで、苦しみとも恨みともつかないような表情をしていた。
ダラリと開かれたその口には再び光が集まり始めており、景にとって致死的な攻撃が準備されつつあるのは明白だ。
しかし他に手段がないのであればやるしかない。景は覚悟を決め、病邪へと駆け出した。
ただし真っすぐではなく、病邪のやや横へ向かってだ。真っすぐ向かえば射線上に瑤姫が入ってしまう。それを避けるため斜めに走った。
「よし、そうだ!こっち向け!」
景たちの意図通り、病邪の顔は景の動きを追ってきた。
計画通りではあるが、つまりそれは死の砲口が景をロックオンしているということでもある。
「また光ってきやがった……来る!」
景は地面に体を投げ出し、光線をなんとか回避した。地面に体を打って痛いが、爆発するよりはマシだ。
何度か繰り返したことで少しタイミングが分かった気もする。しかし失敗すれば死ぬ身からすれば、欠片も安心などできない。
景は地面を転がったついでに適当な石を拾い、病邪に投げつけてみた。
しかし幽霊のような見た目通り、物質は完全に透過するようだ。石は何の抵抗もなくすり抜けて、カフェの壁に当たった。
(牽制にでもなればと思ったけど、何の意味もなかったな)
瑤姫も物理攻撃は無効だと言っていたが、確かにまるで無駄だった。やはり闘薬術とやらでなければ事態は打開できないようだ。
準備中の瑤姫の方を見ると、いつの間にか髪と目の色、そして服装が元に戻っていた。緑色の髪に橙色の目、そして漢服だ。
そしてなぜか病邪に向かって両手を突き出していた。
人差し指と親指で四角を作り、そこから病邪を覗いている。ちょうど写真を撮る前に被写体のアタリをつける時のような格好だった。
「神術、四診スコープ!」
その叫びの直後、指の四角から光る枠のようなものが飛んで倒れている男に当たった。
「おおっ!」
景は神術という超常現象に歓声を上げた。神術ということは神の御業ということだ。
(なんかムカつく駄女神だと思ってたけど、ちゃんと女神っぽいことをしてるじゃないか。もしかしたらこれで倒せるんじゃ?)
などと期待をしてみたが、残念ながら四診スコープという技は殺傷力があるものではないらしい。当たっても病邪には何の変化もなかった。
ただしスコープという名前の通り、何かが分かる技だったようだ。瑤姫が呪文でも唱えるようにつぶやき始める。
「発熱、悪寒、無汗、背筋のこわばり、咳、喉の痛み、肩こり、体力中程度……これは……」
いったん言葉を切り、それからひときわ大きな声で叫ぶ。
「葛根湯証!」
その言葉の直後、景の左手首が急に光り始めた。
この光には見覚えがある。瑤姫が現れた時と同じ光だ。
「うわっ、何かこれ……嫌だ!」
景がそんな印象を持ったのは、やたらイラッとする女神の登場がすでに嫌な思い出でしかなくなっているからだ。
今現在その女神のせいで死の恐怖に晒されているのだから、それも仕方ないことだろう。
思わず腕を振って光を引き剥がそうとしたが、景の腕自体が光っているので効果はなかった。
しかも光の強さに景の印象は影響しないらしく、どんどんと明るさを増していく。
そしてその光量は瑤姫の続く声によって最高潮を迎えた。
「芽生えよ、医聖の因子!」
光が収束し、輝く輪になって景の手首を包んでいく。
気づけば金色の腕輪がぴったりと景の手首にはまっていた。光が固化したような輝く腕輪だ。
「……こ、これは?」
景は瑤姫に腕輪のことを尋ねたのだが、返ってきたのは回答ではなくまた呪文のような言葉の羅列だった。
「葛根、大棗、麻黄、甘草、桂皮、芍薬、生姜!」
瑤姫は朗々とした声を上げながら、舞うように腕を振る。漢服の袖がひらめいて、まるで蝶が羽ばたいているかのようだった。
そしてその動きに合わせ、指先から七つの光る玉が飛んでいく。
それらは一直線に景へと向かい、手首に現れた腕輪へと吸い込まれた。
そうして光の玉が光の腕輪に合わさり、互いを強め合うように輝きを増した。
「いでよ!魔剣 葛根刀!」
輝きは瑤姫の声に従い、あるべき姿に導かれていく。
そして現れたのは、一振りの刀だった。
驚いた景が再び振り返ると、男が胸を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。鼻筋に深いシワを作り、小刻みに震えている。
そしてその体を黒いモヤが包みこんでいた。なにかひどく嫌な感じのするモヤだと景は思った。
男はそのまま椅子から転げ落ちた。意識がまともにないのか受け身も取れず、ドサッいう重い音が響く。
あまりに唐突な容態急変だ。咳と身震いくらいしか症状がなかったのが嘘のような苦しみ方をしている。
「だ、大丈夫ですか!?」
景は急いで駆け寄った。
そして男の肩に手をかけようとした瞬間、瑤姫の鋭い声が響いた。
「景!下がりなさい!」
その言葉が終わるかどうかというところで、男の体からユラリと何か煙のようなものが立ち昇った。
その妙な気体に神経を逆撫でされるような不快感を覚え、景はすぐさま手を引いた。
そして瑤姫に言われた通り数歩後ずさる。
「な……何だ?」
景がつぶやく間にユラユラした気体はさらに容積を増し、それが固まって形が作られていった。
ほんのわずかな時間に胴体と頭、腕のようなものが出来上がった。しかし足はなく、下半身は倒れ伏した男の体から細く伸びた格好になっている。
(幽霊?)
誰でもこれを見たら、まずそう認識するだろう。ごく短時間の間に足なしの幽霊が男から生えた。そういうことだ。
幽霊の顔には暗い眼窩と赤い口が浮かび上がっている。
深い闇に吸い込まれそうな目の窪み、そして鮮血を思わせるような濃い赤に、景はさらに後ずさった。
「え?え?え?」
理解不能な状況に、ただただ疑問と困惑の声だけが口から漏れる。
そんな景に向けて、瑤姫の声がやけに遠くからかけられた。
「それ倒すのが医聖の責務だから!頑張って!」
「……はあ!?」
景が盛大な抗議を込めてそちらを向くと、瑤姫はすでにカフェテラスから飛び降りていた。
そしてさらに距離を取ろうと離れていく。
「ちょ、ちょっと待っ……」
その言葉を最後まで言い切らなかったのは、視界の隅が急に明るくなったからだ。
そして景はこの時、人生で初めて第六感というものを感じていた。激烈に嫌な予感がするのだ。
そう。これはきっと、死の予感。
「うぉおおおお!?」
景はほとんど無意識に、本能に従って横っ飛びに飛んでいた。
そのスレスレを光の線が走っていく。
直後、景の後ろにあったカフェの壁が爆発した。
轟音が閑静な河原に鳴り響き、破片が後頭部や背中を打ってくる。
景はその痛みと爆発音に目を白黒させながらも、急いで体を起こした。
光線はまた来るかもしれない。このまま倒れていたら死を待つばかりだと思った。
「な、何なんだ……何なんだよ、こいつは!?」
景は突然の理不尽に対し、思わずそう叫んだ。
その叫びに対し、瑤姫が太い木の陰に隠れながら答えてくる。
「だから『風邪の引き始め』だって言ったでしょ!聞いてなかったわけ!?」
(この女神、一方的に頑張れとか言って自分だけ逃げやがった!)
そのことに今まで以上の苛立ちを覚えつつ、景は再び叫んだ。
「風邪の引き始めってのは化け物じゃなくて病状だろうが!化け物が出てくるならちゃんとそう教えろ!」
「そんなこと言ったって、そういう名前の病邪なんだから仕方ないじゃない!」
病邪。
どうやら目の前の幽霊もどきはそういう種類の生き物らしい。いや、これは生き物と言っていい存在なのだろうか。
「病邪……病邪……?」
景がその単語を口の中で何度か繰り返している間に、その病邪の口が再び強く発光し始めた。
(ヤバい!)
反射的にまた横へ飛ぶと、案の定その直後に光線が放たれた。
またギリギリでかわせたが、後ろの壁にはいっそう派手な穴が空いてしまった。そしていくつもの悲鳴が上がる。
屋内で優雅なひと時を過ごしていた客たちは当然、我先にと出口へと駆け出した。テロか何かかと思ったのかもしれない。
景もそうしたかったのだが、いつの間にか足が震えてまともに動かなくなっていた。怖いのだ。
一発目は驚きの方が大きかったが、二発目は純粋にその威力を理解している。その分だけ恐怖が強くなり、神経が錯乱してしまったようだ。
ガチガチと歯は鳴るが、指もまともに動かせない。このままだと次の攻撃はよけられないだろう。
直撃後の自分の姿を思い浮かべ、目には涙まで浮かんできた。
(し、死ぬ……マジで死ぬ……)
その現実を必死に拒絶しようとする景へ、再び瑤姫が声を投げてきた。
「気をつけて!当たったら死ぬわよ!」
あまりにも当たり前の注意に、さすがの景も怒りを爆発させた。
「そんなもん見りゃ分かるんだよ!自分だけ逃げやがって!」
そう叫び返してから、硬直していた体が少し動いたことに気がついた。どうやら怒りで神経の錯乱が解けたようだ。
動くようになった筋肉を必死に伸縮させ、床を蹴って一方向へと走る。
瑤姫の方へと向かって。
「ちょっ、ちょっと!何でこっちに来るのよ!?」
「うるさい!」
瑤姫の抗議に怒鳴り返し、カフェテラスから飛び降りた。そして土を蹴って駆ける。
蹴ったすぐ後ろの地面に光線が着弾し、爆発で土埃が舞った。しかし構わず走る。
「お前がここに連れてきたんだろうが!責任取って戦え!」
景は瑤姫の隠れた木へとたどり着き、その陰から瑤姫を押し出そうとした。
当然のことながら、瑤姫は抵抗して押し返してくる。
「病邪と戦うのが医聖の仕事だって言ったでしょ!か弱い私の仕事はあくまでサポート!」
か弱い、という形容詞で景は一つのことを理解した。
こいつは女神だというくせに、少なくとも直接病邪を倒す力はないのだ。マジで役立たずである。
しかしだからといって、はいそうですかなどと言ってやる気分にはならなかった。
「そんなもん知るか!っていうか医聖って何だよ!?そんなもんになった覚えはまるでないわ!」
「覚えがなくてもこれは確定事項なのよ!あなたは医聖として病邪を倒すの!」
「勝手に決めるな!そもそもあんな化け物どうやって……」
ドゴォン!
という轟音で言葉は途切れ、景と瑤姫は吹き飛ばされた。
景たちが盾にしていた木が爆発したのだ。病邪の光線が当たったのだろう。
「……ぐっ」
倒れた景は地面で背を打ち、その痛みにうめき声を上げた。
しかも直後に上から瑤姫が落ちてきて、さらなる呻き声が追加される。
「ぐぇ」
「キャアッ!……もう、ビックリした」
どうやら景をクッションにしたおかげで瑤姫に怪我はないらしい。すぐに起き上がった。
景もサンドイッチされた胴体は痛むものの、爆発自体をモロに浴びたわけではないから大きな怪我にはなっていなかった。
ただし、十秒後にはどうなっているか分からないことではあるが。
「おい、本当にどうする気だよ!?どうやったらあんなの倒せるんだ!?殴って効くのか!?」
景も立ち上がりつつ、早口で尋ねた。
瑤姫は首を横に振って答える。
「殴っても、切っても突いても無駄よ。煮ても焼いても駄目。完全に顕現した病邪には物理攻撃どころか、神術すら効かないんだから」
「神術?……いや、つまり他に効く攻撃手段があるってことだな!?」
神術という聞き慣れない単語に引っかかりはしたが、この際それは無視することにした。
瑤姫はあれもこれも効かないと言ったくせに、医聖の責務は病邪を倒すことだと言っていた。つまり、何かしらの攻撃手段があるはずだ。
そして景の予想通り、瑤姫は今度は首を縦に振った。
「あるわ。闘薬術よ」
「投薬術?」
薬学生である景は頭にそんな漢字を思い浮かべたが、瑤姫はそれを正確に想定していたようだ。すぐに補足してきた。
「投げるっていう字じゃなくて、闘うっていう字の闘薬術よ。薬を使って闘うの。医聖の因子を持つ景にはそれができる」
言われた景は戸惑った。生まれてこの方、闘薬術などという単語は耳にしたこともない。
そもそも薬で闘うとはどういうことなのか。普通の薬は治すものであって、闘うものではないはすだ。
(……いや、傷つけるための薬もあるにはあるな)
景は衛生薬学で習ったいくつかの化学物質を思い出した。
「つまり、毒薬で倒すのか」
病邪に効く毒薬があるということではなかろうか。
これまでの話だとそれ以外に考えられなかったのだが、瑤姫はそれを否定した。
「違うわよ。むしろ体の不調を治す薬を使うわ」
「何?それじゃ……」
その言葉の途中で、いきなり瑤姫が景に飛びついてきた。
瑤姫は細身だが小柄ではない。体重で押し倒されて二人が折り重なった。
そしてその上を病邪の光線が通り過ぎていく。
(し、死ぬところだった……)
瑤姫が景を助けてくれた形にはなったが、景には何となくそうではないように感じられた。
(でもこいつ……俺をクッション代わりにしようとしたんじゃないか?)
再び『ぐえ』っという音を喉から漏らしつつ、ほとんど確信を持ってそう思った。
瑤姫は器用にも全身を景の上に落としている。先ほど吹き飛ばされた時に味をしめたのではなかろうか。
(この自己中女神が!)
やはり女は顔より性格だと景は再認識した。どれだけ瑤姫の顔が綺麗でも、肋骨をミシミシさせられながら肉薄されては苦痛と苛立ちしか芽生えない。
しかも瑤姫は景の頭に手をかけて起き上がったから、後頭部が地面にぶつけられて目から火花が出るような思いがした。
しかもさらに、瑤姫は無茶苦茶なことを命じてきた。
「景、私に攻撃が来ないように前に出てあいつの気を引きなさい」
「はぁ!?」
(何言ってんだ、こいつ)
景はそういう怒りとも呆れともつかないような思いを抱いた。
一方的に責務だなんだと押し付けてきて、しかも自分の盾になれとは傲慢にもほどがある。それは景としては当然の感想だったろう。
「なんで俺が……」
「その間に病邪を倒すための闘薬術を準備するから」
そう言われ、さすがにただ盾になれと命じられていたわけではなかったことを理解した。
(そういえば瑤姫の仕事はサポートだとか言ってたな。つまり瑤姫が闘薬術を使えるようにしてくれるってわけか)
となると、大変に不本意だが従わざるをえない。そういう結論に至った。
「……くそっ!仕方ないな!」
景は毒づきながら病邪のことを睨みつけた。ただ暗いだけの眼窩がぼおっと見返してくる。
やはり、怖いものは怖い。
病邪の顔はよく見ると地獄絵図に描かれた亡者のようで、苦しみとも恨みともつかないような表情をしていた。
ダラリと開かれたその口には再び光が集まり始めており、景にとって致死的な攻撃が準備されつつあるのは明白だ。
しかし他に手段がないのであればやるしかない。景は覚悟を決め、病邪へと駆け出した。
ただし真っすぐではなく、病邪のやや横へ向かってだ。真っすぐ向かえば射線上に瑤姫が入ってしまう。それを避けるため斜めに走った。
「よし、そうだ!こっち向け!」
景たちの意図通り、病邪の顔は景の動きを追ってきた。
計画通りではあるが、つまりそれは死の砲口が景をロックオンしているということでもある。
「また光ってきやがった……来る!」
景は地面に体を投げ出し、光線をなんとか回避した。地面に体を打って痛いが、爆発するよりはマシだ。
何度か繰り返したことで少しタイミングが分かった気もする。しかし失敗すれば死ぬ身からすれば、欠片も安心などできない。
景は地面を転がったついでに適当な石を拾い、病邪に投げつけてみた。
しかし幽霊のような見た目通り、物質は完全に透過するようだ。石は何の抵抗もなくすり抜けて、カフェの壁に当たった。
(牽制にでもなればと思ったけど、何の意味もなかったな)
瑤姫も物理攻撃は無効だと言っていたが、確かにまるで無駄だった。やはり闘薬術とやらでなければ事態は打開できないようだ。
準備中の瑤姫の方を見ると、いつの間にか髪と目の色、そして服装が元に戻っていた。緑色の髪に橙色の目、そして漢服だ。
そしてなぜか病邪に向かって両手を突き出していた。
人差し指と親指で四角を作り、そこから病邪を覗いている。ちょうど写真を撮る前に被写体のアタリをつける時のような格好だった。
「神術、四診スコープ!」
その叫びの直後、指の四角から光る枠のようなものが飛んで倒れている男に当たった。
「おおっ!」
景は神術という超常現象に歓声を上げた。神術ということは神の御業ということだ。
(なんかムカつく駄女神だと思ってたけど、ちゃんと女神っぽいことをしてるじゃないか。もしかしたらこれで倒せるんじゃ?)
などと期待をしてみたが、残念ながら四診スコープという技は殺傷力があるものではないらしい。当たっても病邪には何の変化もなかった。
ただしスコープという名前の通り、何かが分かる技だったようだ。瑤姫が呪文でも唱えるようにつぶやき始める。
「発熱、悪寒、無汗、背筋のこわばり、咳、喉の痛み、肩こり、体力中程度……これは……」
いったん言葉を切り、それからひときわ大きな声で叫ぶ。
「葛根湯証!」
その言葉の直後、景の左手首が急に光り始めた。
この光には見覚えがある。瑤姫が現れた時と同じ光だ。
「うわっ、何かこれ……嫌だ!」
景がそんな印象を持ったのは、やたらイラッとする女神の登場がすでに嫌な思い出でしかなくなっているからだ。
今現在その女神のせいで死の恐怖に晒されているのだから、それも仕方ないことだろう。
思わず腕を振って光を引き剥がそうとしたが、景の腕自体が光っているので効果はなかった。
しかも光の強さに景の印象は影響しないらしく、どんどんと明るさを増していく。
そしてその光量は瑤姫の続く声によって最高潮を迎えた。
「芽生えよ、医聖の因子!」
光が収束し、輝く輪になって景の手首を包んでいく。
気づけば金色の腕輪がぴったりと景の手首にはまっていた。光が固化したような輝く腕輪だ。
「……こ、これは?」
景は瑤姫に腕輪のことを尋ねたのだが、返ってきたのは回答ではなくまた呪文のような言葉の羅列だった。
「葛根、大棗、麻黄、甘草、桂皮、芍薬、生姜!」
瑤姫は朗々とした声を上げながら、舞うように腕を振る。漢服の袖がひらめいて、まるで蝶が羽ばたいているかのようだった。
そしてその動きに合わせ、指先から七つの光る玉が飛んでいく。
それらは一直線に景へと向かい、手首に現れた腕輪へと吸い込まれた。
そうして光の玉が光の腕輪に合わさり、互いを強め合うように輝きを増した。
「いでよ!魔剣 葛根刀!」
輝きは瑤姫の声に従い、あるべき姿に導かれていく。
そして現れたのは、一振りの刀だった。
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よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
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書いてくださいね
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※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
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