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葛根湯3
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(クールビューティー……ではないよな)
瑤姫を見た景がまず思ったのはそんなことだったが、口には出さずにおく。
本物のクールビューティーは自分で自分のことをクールビューティーなどとは言わないだろうが、この際それはどうでもいい。
「……何か失礼なこと考えてない?」
(まさか、思考が読まれてるのか!?)
ジトッとした目で見られた景は慌てて首を横に振った。
「い、いや……そんなこと、ない……」
「そう、ならいいけど」
すぐに引き下がられたことで、どうやら思考が読まれるわけではないらしいと安堵できた。
しかし、それにしてもこれはどういうことだろう。
見たことない草を植え直して水をかけたら、女神を自称する美女が現れた。
(そういえば教官がようそうとかなんとか言ってたな)
その名が頭をよぎった景は無意識につぶやいていた。
「ようそうから、ようきが産まれた?」
女はその言葉にちょっと驚いた顔になった。
「あら、そこに上手く気づくなんてやっぱり見込みがあるわね。そういう気づきは大切よ。でもちょっと違うわ。瑤草から私が産まれたんじゃなくて、瑤草が私の化身なだけ」
そう言って地面に落ちていた枯れ枝を拾い、地面に『瑤姫』と書いた。そこから矢印を引き、『瑤草』と書き加える。
どうやらまず瑤姫という女神がいて、それが瑤草という形に変身していたということらしい。
そこは分かったが、それよりも景の目は瑤姫と瑤草の漢字に向いた。
「瑤って、こういう字を書くのか」
瑤姫は細いあごを小さく下げてうなずいた。
「そうよ。現代日本じゃあまり使わない字よね。あなたは?」
「え?」
「あなたの名前」
「ああ」
景は瑤姫の手から枯れ枝を受け取り、自分の名前を瑤姫の隣りに書いた。
「張中景、だよ」
それを書き終えて瑤姫へ視線を上げると、なぜかその目は大きく見開かれていた。
「張仲景……」
驚愕がこぼれ落ちたようなつぶやきだった。
(張仲景?どこかで聞いたことがある気がするけど……)
大学の講義でそんな人名が挙がっていた気がする。しかし思い出せない。
とりあえず自分の名前とはまるで違うので、否定しておいた。
「いや、だから張中景だって。名字を音読みで読まれたことなんかないよ」
「だとしても……これはやっぱりそういうことなのよ。にんべんは無いけど、あなたで間違いないんだわ」
「にんべん?一体何を言って……」
「あなたには責務があるの。医聖の因子を持つ者としての責務が。行きましょう」
瑤姫はわけの分からないことを一方的に喋った挙げ句、景の手を強く引いて立ち上がらせた。
「行くって、どこへ?」
「邪気が濃くなってるの」
瑤姫は質問に十分な答えを返さず、スタスタと歩き出す。手を握られたまま景も仕方なく歩き出した。
「こっちよ。こっちから強い邪気を感じるわ」
瑤姫は川上の方へと登っていく。
薬草園からは離れてしまうが、花から女神が出たという異常な状況に景は飲まれていた。抵抗らしい抵抗もせず瑤姫について行く。
(この先は……カフェだな)
しばらく歩いた先、大学の敷地から外れてすぐのところにカフェが建てられている。
経営しているのはそれなりに大きな全国チェーンの会社で、里山を研究している大学とのコラボということで隣接地に出店したものだ。
里山カフェ。確かに集客を期待できそうな響きである。
現に静かな川のほとりというお洒落かつ落ち着いた環境が人気で、旅行雑誌などにも載っているほどだった。
「あそこね。あそこに邪気が溜まってるわ」
瑤姫は見えてきたカフェを指さした。坂道を登ってきたので少し息が上がっている。
「ん?あの建物ってもしかしてカフェなのかしら?」
「そうだけど……それより、そろそろ事情を説明してくれよ。いきなり花から出て来て、こんなところまで引っ張ってこられて……」
「あー、それはそうね。でも立ち話もなんだし疲れたし、ちょうどいいからあそこのカフェでお茶でもしながらゆっくり話しましょう」
「まぁ……いいけど……」
景の返事が少し淀んだのは、ここのカフェは大学のカップル連中がよく使っているからだ。
別にカップルじゃないと来ないわけでもないが、男女二人で利用していたら付き合っていると思われる可能性が高い。
それに瑤姫のこの髪。緑色だ。目立ち過ぎる。
「何?なんだか不満そうだけど」
「え?いや……えっと……すごく目立つ髪だなと思って」
景がそう言うと、瑤姫は一言、
「ああ」
と言って髪をかき上げた。
すると髪はそこから手品のように黒く染まっていく。毛先まで即座に黒一色になった。
しかもいつの間にか、明るい橙色だった目の色も黒くなっていた。
「ええっ!?」
「服も……そうね。こんな感じかしら?」
瑤姫が着ている服を撫でると、淡い青色のワンピースになった。涼しげな夏色だ。
「行くわよ」
驚く景に構いもせず、瑤姫は川から離れて道へと回った。それからカフェの正面入り口から入っていく。
中は冷房が効いていて涼しかった。
「二人ね。天気がいいし、外のテラスがいいわ」
瑤姫にそう言われ、ウェイターの男が言われた通りに外の席に案内してくれた。
「……外は暑いし、冷房の効いた中の方がよくないか?」
景が席につく前に尋ねると、瑤姫は景の服を指さした。
「あなた汗だくじゃない。私みたいにすぐ着替えられるならともかく、その格好のまま冷房ガンガンの所にいたら風邪引くわよ」
指摘された通り、確かに景の服は汗でビショビショだ。そもそも草引きで大汗をかいていたのに、さらに川上へと登ってきたのだから当然だろう。
暑いのでカフェに入った時は涼しくて気持ちよかったのだが、言われてみればあのまま中にいたら風邪を引いていたかもしれない。
「まぁ、確かにそうかもな。ありがとう」
気を使ってくれたようなので礼を述べつつ、景は席についた。
とはいえやはり暑いからだろう、広いカフェテラスには景と瑤姫以外に客は一人だけしかいなかった。
中年の男がコーヒーを飲みつつ、ノートパソコンを広げて何か打ち込んでいる。大学の研究者が研究内容をまとめているように見えた。
小さく咳をしていたので、この男も冷房を避けてここにいるのかもしれないと景は思った。
瑤姫も座ったところで早速本題に入る。
「で、一体何がどうなってるんだ?いきなり花から人が出てきて、邪気がどうのって言われてもわけが分からないんだけど」
「人じゃないわよ。言ったでしょ?クールビューティーな女神様だって」
(クールビューティーじゃないし、そこは今どうでもいいだろ)
景は多少イラッとしたものの、思いは心の中だけに留めて別のことを口にした。
「いや、いきなり女神って言われてもな……」
そう言って顔をしかめたところでウェイターがオーダーを取りに来た。
「あ、私タピオカミルクティーね」
瑤姫は迷わず注文を入れる。
(女神がタピオカミルクティー?)
別に女神がタピオカミルクティーを飲んではいけない理由などないのだが、どうにもイメージが合わない。ましてやクールビューティーを自称するならブラックコーヒーやエスプレッソではないか。
そんなことを思いながら、景もメニューに目を走らせた。
「えっと……ルイボスティー、アイスで」
カフェに来たのに結局二人ともコーヒーを頼まなかった。
しかし景は喉が渇いている。そしてここのルイボスティーは大きめの容器で出てくることを知っているので、結果的にルイボスティーという選択になった。
「それで、女神が何のために現れたんだ?それに邪気とか医聖の因子とか責務とか、さっぱり分からないんだけど」
景はあらためて聞き直し、ウェイターが置いていったお冷を一気に飲み干した。
特に『責務』という単語に関しては嫌な予感しかしない。何かしなければならないことが生じてしまう単語だ。
瑤姫もお冷に口をつけてから、うなずいて答えた。
「医聖の因子というのはあなたの中にある種のようなものよ。それは力を与えてくれる代わりに、責務を課すの」
「力と責務?」
「そうよ」
景の嫌な予感はいや増した。この青年は現代の若者らしく、野心のような物を持ち合わせていない。
力に責務が付随するのなら力ごと放棄するのが賢い選択だと思っている、いわば恵まれた現実主義者だ。
「いや……一方的に責務とか言われても困るんだけど。それなら力も要らないし」
「大丈夫。私もサポートするから一緒に頑張りましょう」
瑤姫の営業トークのような台詞に、景は苦虫を噛み潰したような顔になった。これは何か面倒なことをさせられる時にしか言われない台詞だ。
(断りたい。それもこれ以上話も聞かず、即座に断りたい)
はっきりとそう思った。
しかし目の前の女はどう考えても普通ではない。というか、おそらく本人の言うように女神なのだろう。これまでの超常現象を思うとそう信じざるを得ないのだ。
ならば無下に扱うわけにもいかないかと思い、一応最後まで話を聞いてみることにした。
「……瑤姫は結局、俺に何をさせたいんだ?」
恐る恐る尋ねた景とは対照的に、瑤姫は明るい笑顔で答える。
「それはね、景に倒して欲しい存在がいるのよ」
その回答に、景は思わず椅子を倒して立ち上がった。
(女神がいきなり現れて、何かを倒せと言ってきた!それってつまり……)
「まさか!勇者として魔王を倒せとか、そういうやつか!?」
声もつい大きくなってしまう。
しかし瑤姫はごくあっさりと返してきた。
「何言ってんの。あなた、どう見ても勇者って顔じゃないわよ」
「あ……はい……すいません」
景はテンションをいたく下げながら、そそくさと倒れた椅子を起こした。それから一回り小さくなって座り直す。
(すいません……モブ顔で本当にすいません……)
心の中で誰にでもなく切ない謝罪をした。
「じゃ、じゃあ俺は何を倒したらいいんだよ?」
「それはね……」
「お待たせしました。タピオカミルクティーです」
瑤姫が答えようとしたところでちょうど注文していたものが届いてしまった。
「やった~♫私、甘いものには目がないのよ♫」
満面の笑みで太いストローに吸い付く瑤姫。
景の方はというと、質問を後回しにされてイラッとしていた。
(そういえばこの女神、声が聞こえてきた直後からやたらイラッとさせてくるんだよな)
小さなイラッ、でも積み重なると大きなイラァッになる。気づけば景はこの女神に対し、結構な大きさの苛立ちを募らせていた。
とはいえ、あと少しの辛抱であるのは間違いない。自分にそう言い聞かせつつ再度尋ねる。
「……で、医聖の責務ってのは?」
「あー、それね」
瑤姫はそう応じながらも、その先を口にする前にまたストローに口をつけた。
しかも、
「ん~♫」
などとモチモチを楽しむ声を上げている。
(いい加減、怒鳴っていいかな)
景はそう思ったものの、その苛立ちをルイボスティーとともに何とか胃の腑に流し込んだ。
そして瑤姫がひとしきり満足した頃になって、景の後ろの方でゴホンッ、と大きな音がした。
どうやら唯一いた別の客が咳き込んだようだ。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……」
あまりに辛そうな咳が何度が続いたので、つい振り返る。
見ると、男がお手拭きのタオルで口元を押さえていた。
「ゴホッ、ゴホッ……あ、すいません。どうも喉の調子が悪くて。昨日、汗をかいて冷房に当たったせいでしょうね」
景の視線に気づいた男は軽く頭を下げてきた。
別に責めるつもりで振り向いたわけではないので、景も頭を下げ返す。
そして瑤姫へ向き直ろうとした視界の隅で、男は身震いしながら自分の肩を揉んでいた。
どうやら調子が悪いのは喉だけでなく、悪寒や背筋のこわばりもあるようだ。これから本格的に熱が出るか、もしくはすでに微熱くらいはあるのかもしれない。
(風邪の引き始めかな?お大事に……)
景がそんなことを考えて前を向くと、そこには先ほどまでとは表情を一変させた瑤姫がいた。
甘味で緩んでいた口元は引き締まり、目は長いまつ毛が塞いでしまいそうなほど鋭く細められている。まるで天敵を前に警戒する獣のような顔つきだった。
「あれは……恐らく風邪の引き始めね」
一段下がったトーンでそうつぶやく。
厳しい表情に反し、口にした内容はあまりに当たり前であり、何でもないことだ。
景は怪訝な顔をしつつも、とりあえず相槌を打った。
「……あ、ああ。それっぽいな」
「危険よ」
「え?そりゃまぁうつるとアレだけど、そんな顔するほどのことじゃ……」
景が瑤姫の過剰反応に眉を寄せていると、後ろから先ほどの咳よりもさらに気を引かれる声が聞こえてきた。
「う……ううぅ……ううううぁあ!」
瑤姫を見た景がまず思ったのはそんなことだったが、口には出さずにおく。
本物のクールビューティーは自分で自分のことをクールビューティーなどとは言わないだろうが、この際それはどうでもいい。
「……何か失礼なこと考えてない?」
(まさか、思考が読まれてるのか!?)
ジトッとした目で見られた景は慌てて首を横に振った。
「い、いや……そんなこと、ない……」
「そう、ならいいけど」
すぐに引き下がられたことで、どうやら思考が読まれるわけではないらしいと安堵できた。
しかし、それにしてもこれはどういうことだろう。
見たことない草を植え直して水をかけたら、女神を自称する美女が現れた。
(そういえば教官がようそうとかなんとか言ってたな)
その名が頭をよぎった景は無意識につぶやいていた。
「ようそうから、ようきが産まれた?」
女はその言葉にちょっと驚いた顔になった。
「あら、そこに上手く気づくなんてやっぱり見込みがあるわね。そういう気づきは大切よ。でもちょっと違うわ。瑤草から私が産まれたんじゃなくて、瑤草が私の化身なだけ」
そう言って地面に落ちていた枯れ枝を拾い、地面に『瑤姫』と書いた。そこから矢印を引き、『瑤草』と書き加える。
どうやらまず瑤姫という女神がいて、それが瑤草という形に変身していたということらしい。
そこは分かったが、それよりも景の目は瑤姫と瑤草の漢字に向いた。
「瑤って、こういう字を書くのか」
瑤姫は細いあごを小さく下げてうなずいた。
「そうよ。現代日本じゃあまり使わない字よね。あなたは?」
「え?」
「あなたの名前」
「ああ」
景は瑤姫の手から枯れ枝を受け取り、自分の名前を瑤姫の隣りに書いた。
「張中景、だよ」
それを書き終えて瑤姫へ視線を上げると、なぜかその目は大きく見開かれていた。
「張仲景……」
驚愕がこぼれ落ちたようなつぶやきだった。
(張仲景?どこかで聞いたことがある気がするけど……)
大学の講義でそんな人名が挙がっていた気がする。しかし思い出せない。
とりあえず自分の名前とはまるで違うので、否定しておいた。
「いや、だから張中景だって。名字を音読みで読まれたことなんかないよ」
「だとしても……これはやっぱりそういうことなのよ。にんべんは無いけど、あなたで間違いないんだわ」
「にんべん?一体何を言って……」
「あなたには責務があるの。医聖の因子を持つ者としての責務が。行きましょう」
瑤姫はわけの分からないことを一方的に喋った挙げ句、景の手を強く引いて立ち上がらせた。
「行くって、どこへ?」
「邪気が濃くなってるの」
瑤姫は質問に十分な答えを返さず、スタスタと歩き出す。手を握られたまま景も仕方なく歩き出した。
「こっちよ。こっちから強い邪気を感じるわ」
瑤姫は川上の方へと登っていく。
薬草園からは離れてしまうが、花から女神が出たという異常な状況に景は飲まれていた。抵抗らしい抵抗もせず瑤姫について行く。
(この先は……カフェだな)
しばらく歩いた先、大学の敷地から外れてすぐのところにカフェが建てられている。
経営しているのはそれなりに大きな全国チェーンの会社で、里山を研究している大学とのコラボということで隣接地に出店したものだ。
里山カフェ。確かに集客を期待できそうな響きである。
現に静かな川のほとりというお洒落かつ落ち着いた環境が人気で、旅行雑誌などにも載っているほどだった。
「あそこね。あそこに邪気が溜まってるわ」
瑤姫は見えてきたカフェを指さした。坂道を登ってきたので少し息が上がっている。
「ん?あの建物ってもしかしてカフェなのかしら?」
「そうだけど……それより、そろそろ事情を説明してくれよ。いきなり花から出て来て、こんなところまで引っ張ってこられて……」
「あー、それはそうね。でも立ち話もなんだし疲れたし、ちょうどいいからあそこのカフェでお茶でもしながらゆっくり話しましょう」
「まぁ……いいけど……」
景の返事が少し淀んだのは、ここのカフェは大学のカップル連中がよく使っているからだ。
別にカップルじゃないと来ないわけでもないが、男女二人で利用していたら付き合っていると思われる可能性が高い。
それに瑤姫のこの髪。緑色だ。目立ち過ぎる。
「何?なんだか不満そうだけど」
「え?いや……えっと……すごく目立つ髪だなと思って」
景がそう言うと、瑤姫は一言、
「ああ」
と言って髪をかき上げた。
すると髪はそこから手品のように黒く染まっていく。毛先まで即座に黒一色になった。
しかもいつの間にか、明るい橙色だった目の色も黒くなっていた。
「ええっ!?」
「服も……そうね。こんな感じかしら?」
瑤姫が着ている服を撫でると、淡い青色のワンピースになった。涼しげな夏色だ。
「行くわよ」
驚く景に構いもせず、瑤姫は川から離れて道へと回った。それからカフェの正面入り口から入っていく。
中は冷房が効いていて涼しかった。
「二人ね。天気がいいし、外のテラスがいいわ」
瑤姫にそう言われ、ウェイターの男が言われた通りに外の席に案内してくれた。
「……外は暑いし、冷房の効いた中の方がよくないか?」
景が席につく前に尋ねると、瑤姫は景の服を指さした。
「あなた汗だくじゃない。私みたいにすぐ着替えられるならともかく、その格好のまま冷房ガンガンの所にいたら風邪引くわよ」
指摘された通り、確かに景の服は汗でビショビショだ。そもそも草引きで大汗をかいていたのに、さらに川上へと登ってきたのだから当然だろう。
暑いのでカフェに入った時は涼しくて気持ちよかったのだが、言われてみればあのまま中にいたら風邪を引いていたかもしれない。
「まぁ、確かにそうかもな。ありがとう」
気を使ってくれたようなので礼を述べつつ、景は席についた。
とはいえやはり暑いからだろう、広いカフェテラスには景と瑤姫以外に客は一人だけしかいなかった。
中年の男がコーヒーを飲みつつ、ノートパソコンを広げて何か打ち込んでいる。大学の研究者が研究内容をまとめているように見えた。
小さく咳をしていたので、この男も冷房を避けてここにいるのかもしれないと景は思った。
瑤姫も座ったところで早速本題に入る。
「で、一体何がどうなってるんだ?いきなり花から人が出てきて、邪気がどうのって言われてもわけが分からないんだけど」
「人じゃないわよ。言ったでしょ?クールビューティーな女神様だって」
(クールビューティーじゃないし、そこは今どうでもいいだろ)
景は多少イラッとしたものの、思いは心の中だけに留めて別のことを口にした。
「いや、いきなり女神って言われてもな……」
そう言って顔をしかめたところでウェイターがオーダーを取りに来た。
「あ、私タピオカミルクティーね」
瑤姫は迷わず注文を入れる。
(女神がタピオカミルクティー?)
別に女神がタピオカミルクティーを飲んではいけない理由などないのだが、どうにもイメージが合わない。ましてやクールビューティーを自称するならブラックコーヒーやエスプレッソではないか。
そんなことを思いながら、景もメニューに目を走らせた。
「えっと……ルイボスティー、アイスで」
カフェに来たのに結局二人ともコーヒーを頼まなかった。
しかし景は喉が渇いている。そしてここのルイボスティーは大きめの容器で出てくることを知っているので、結果的にルイボスティーという選択になった。
「それで、女神が何のために現れたんだ?それに邪気とか医聖の因子とか責務とか、さっぱり分からないんだけど」
景はあらためて聞き直し、ウェイターが置いていったお冷を一気に飲み干した。
特に『責務』という単語に関しては嫌な予感しかしない。何かしなければならないことが生じてしまう単語だ。
瑤姫もお冷に口をつけてから、うなずいて答えた。
「医聖の因子というのはあなたの中にある種のようなものよ。それは力を与えてくれる代わりに、責務を課すの」
「力と責務?」
「そうよ」
景の嫌な予感はいや増した。この青年は現代の若者らしく、野心のような物を持ち合わせていない。
力に責務が付随するのなら力ごと放棄するのが賢い選択だと思っている、いわば恵まれた現実主義者だ。
「いや……一方的に責務とか言われても困るんだけど。それなら力も要らないし」
「大丈夫。私もサポートするから一緒に頑張りましょう」
瑤姫の営業トークのような台詞に、景は苦虫を噛み潰したような顔になった。これは何か面倒なことをさせられる時にしか言われない台詞だ。
(断りたい。それもこれ以上話も聞かず、即座に断りたい)
はっきりとそう思った。
しかし目の前の女はどう考えても普通ではない。というか、おそらく本人の言うように女神なのだろう。これまでの超常現象を思うとそう信じざるを得ないのだ。
ならば無下に扱うわけにもいかないかと思い、一応最後まで話を聞いてみることにした。
「……瑤姫は結局、俺に何をさせたいんだ?」
恐る恐る尋ねた景とは対照的に、瑤姫は明るい笑顔で答える。
「それはね、景に倒して欲しい存在がいるのよ」
その回答に、景は思わず椅子を倒して立ち上がった。
(女神がいきなり現れて、何かを倒せと言ってきた!それってつまり……)
「まさか!勇者として魔王を倒せとか、そういうやつか!?」
声もつい大きくなってしまう。
しかし瑤姫はごくあっさりと返してきた。
「何言ってんの。あなた、どう見ても勇者って顔じゃないわよ」
「あ……はい……すいません」
景はテンションをいたく下げながら、そそくさと倒れた椅子を起こした。それから一回り小さくなって座り直す。
(すいません……モブ顔で本当にすいません……)
心の中で誰にでもなく切ない謝罪をした。
「じゃ、じゃあ俺は何を倒したらいいんだよ?」
「それはね……」
「お待たせしました。タピオカミルクティーです」
瑤姫が答えようとしたところでちょうど注文していたものが届いてしまった。
「やった~♫私、甘いものには目がないのよ♫」
満面の笑みで太いストローに吸い付く瑤姫。
景の方はというと、質問を後回しにされてイラッとしていた。
(そういえばこの女神、声が聞こえてきた直後からやたらイラッとさせてくるんだよな)
小さなイラッ、でも積み重なると大きなイラァッになる。気づけば景はこの女神に対し、結構な大きさの苛立ちを募らせていた。
とはいえ、あと少しの辛抱であるのは間違いない。自分にそう言い聞かせつつ再度尋ねる。
「……で、医聖の責務ってのは?」
「あー、それね」
瑤姫はそう応じながらも、その先を口にする前にまたストローに口をつけた。
しかも、
「ん~♫」
などとモチモチを楽しむ声を上げている。
(いい加減、怒鳴っていいかな)
景はそう思ったものの、その苛立ちをルイボスティーとともに何とか胃の腑に流し込んだ。
そして瑤姫がひとしきり満足した頃になって、景の後ろの方でゴホンッ、と大きな音がした。
どうやら唯一いた別の客が咳き込んだようだ。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……」
あまりに辛そうな咳が何度が続いたので、つい振り返る。
見ると、男がお手拭きのタオルで口元を押さえていた。
「ゴホッ、ゴホッ……あ、すいません。どうも喉の調子が悪くて。昨日、汗をかいて冷房に当たったせいでしょうね」
景の視線に気づいた男は軽く頭を下げてきた。
別に責めるつもりで振り向いたわけではないので、景も頭を下げ返す。
そして瑤姫へ向き直ろうとした視界の隅で、男は身震いしながら自分の肩を揉んでいた。
どうやら調子が悪いのは喉だけでなく、悪寒や背筋のこわばりもあるようだ。これから本格的に熱が出るか、もしくはすでに微熱くらいはあるのかもしれない。
(風邪の引き始めかな?お大事に……)
景がそんなことを考えて前を向くと、そこには先ほどまでとは表情を一変させた瑤姫がいた。
甘味で緩んでいた口元は引き締まり、目は長いまつ毛が塞いでしまいそうなほど鋭く細められている。まるで天敵を前に警戒する獣のような顔つきだった。
「あれは……恐らく風邪の引き始めね」
一段下がったトーンでそうつぶやく。
厳しい表情に反し、口にした内容はあまりに当たり前であり、何でもないことだ。
景は怪訝な顔をしつつも、とりあえず相槌を打った。
「……あ、ああ。それっぽいな」
「危険よ」
「え?そりゃまぁうつるとアレだけど、そんな顔するほどのことじゃ……」
景が瑤姫の過剰反応に眉を寄せていると、後ろから先ほどの咳よりもさらに気を引かれる声が聞こえてきた。
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