上 下
1 / 86

葛根湯1

しおりを挟む


『風邪の引き始め』

 これは誰もが経験したことがあるだろう。

 喉が痛かったり、背筋がゾクゾクしたり、鼻水が出てきたり。

 嫌だな、とは感じるものだ。

 仕事に支障が出る、学校に行けない、予定をキャンセルしなければならない……特にテストや試合、大切なイベントが近いと本当に困ってしまう。

 ただし、風邪の引き始めに対して死の恐怖まで感じることはあまりないはずだ。よほどの免疫力低下や重篤な基礎疾患がなければ、しばらくすれば治るのが普通だろう。

 しかしとある薬学生、張中景はりなかけいは死の恐怖を感じていた。風邪の引き始めに対して、だ。

「うぉおおおお!?」

 景が叫び声を上げたのは、脇腹のスレスレを光線が通り抜けていったからだ。

 直前に全力で横っ飛びしていたのだが、そうしていなければ彼の体は爆裂四散していたことだろう。

 事実として、景の後ろにあった壁はそうなった。

 爆裂四散だ。飛び散った破片が背中や後頭部を打ち、細かな痛みが皮膚を走る。

「な、何なんだ……何なんだよ、こいつは!?」

 そう叫ぶ景の視線の先にいるのは一人の男だった。

 年の頃は四十前後で、外見上は特段変わったところのない普通の男である。

 と言っても外見上普通というのはあくまでその男自身の話であって、実際にはまるで普通でない光景が眼前に広がっていた。

 床に伏した男の体からユラユラと煙のようなものが立ち昇っている。そしてそれが宙に集まって固まった結果、まるで幽霊のような恐ろしげな存在が現出していた。

 その顔に当たる部分には暗い眼窩と赤い口とが開いていて、地獄の門を思わせた。その口から先ほど景を狙った光線が放たれたのだ。

 ビームを吐く幽霊。要はそんな存在が景の目の前にいる。

 完全に化け物だ。『何なんだこいつは?』という叫びは全くもって正常な反応だろう。

 しかし、それを責めるような声がその場に響いた。

「だから『風邪の引き始め』だって言ったでしょ!聞いてなかったわけ!?」

 景はその声がした方をキッと睨んだ。

 睨んだ先には女がいる。長い髪と青いワンピースが木の後ろに見え隠れしていた。

 景と化け物から距離を取り、物陰に隠れながら先ほどの台詞。

 自分だけ安全圏へ逃げようとしつつ無茶苦茶な文句まで言ってくるのだから腹が立った。

「風邪の引き始めってのは化け物じゃなくて病状だろうが!化け物が出てくるならちゃんとそう教えろ!」

 景が叫び返すと、完全に身を隠した女は声だけを返してきた。

「そんなこと言ったって、そういう名前の病邪なんだから仕方ないじゃない!」

 病邪。それがこの化け物の名前らしい。

 ただ現実問題として、景にとっては名前が分かったところで何が改善するわけでもない。

 むしろそんな話をしている間にも病邪の口は光を帯び、それが徐々に強くなっていった。

 何となくだが、エネルギーが溜められているように感じられる。それも破壊的なエネルギーだ。

 そしてその光が眩しいほどになった時、景は反射的に横に飛んでいた。

 直後、再びビームが放たれる。

 紙一重。本当に紙一重だが、景はまた破壊光線をかわすことができた。

 しかし背後の壁には轟音とともにさらなる大穴が開き、残念なくらい開放的な建築物になってしまった。

(し、死ぬ……マジで死ぬ……)

 自分の体が壁より強いとは思えない。

 景は今年で二十一だが、叱られた子供のような涙目になった。いや、刑の執行を待つ死刑囚のような目だろうか。

 迫りくる死の恐怖に震えながら、景はほんの一時間足らずで破壊された己の平穏について、走馬灯のように思い返していた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

敏腕ドクターは孤独な事務員を溺愛で包み込む

華藤りえ
恋愛
 塚森病院の事務員をする朱理は、心ない噂で心に傷を負って以来、メガネとマスクで顔を隠し、人目を避けるようにして一人、カルテ庫で書類整理をして過ごしていた。  ところがそんなある日、カルテ庫での昼寝を日課としていることから“眠り姫”と名付けた外科医・神野に眼鏡とマスクを奪われ、強引にキスをされてしまう。  それからも神野は頻繁にカルテ庫に来ては朱理とお茶をしたり、仕事のアドバイスをしてくれたりと関わりを深めだす……。  神野に惹かれることで、過去に受けた心の傷を徐々に忘れはじめていた朱理。  だが二人に思いもかけない事件が起きて――。 ※大人ドクターと真面目事務員の恋愛です🌟 ※R18シーン有 ※全話投稿予約済 ※2018.07.01 にLUNA文庫様より出版していた「眠りの森のドクターは堅物魔女を恋に堕とす」の改稿版です。 ※現在の版権は華藤りえにあります。 💕💕💕神野視点と結婚式を追加してます💕💕💕 ※イラスト:名残みちる(https://x.com/___NAGORI)様  デザイン:まお(https://x.com/MAO034626) 様 にお願いいたしました🌟

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

異世界帰りの底辺配信者のオッサンが、超人気配信者の美女達を助けたら、セレブ美女たちから大国の諜報機関まであらゆる人々から追われることになる話

kaizi
ファンタジー
※しばらくは毎日(17時)更新します。 ※この小説はカクヨム様、小説家になろう様にも掲載しております。 ※カクヨム週間総合ランキング2位、ジャンル別週間ランキング1位獲得 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 異世界帰りのオッサン冒険者。 二見敬三。 彼は異世界で英雄とまで言われた男であるが、数ヶ月前に現実世界に帰還した。 彼が異世界に行っている間に現実世界にも世界中にダンジョンが出現していた。 彼は、現実世界で生きていくために、ダンジョン配信をはじめるも、その配信は見た目が冴えないオッサンということもあり、全くバズらない。 そんなある日、超人気配信者のS級冒険者パーティを助けたことから、彼の生活は一変する。 S級冒険者の美女たちから迫られて、さらには大国の諜報機関まで彼の存在を危険視する始末……。 オッサンが無自覚に世界中を大騒ぎさせる!?

天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜 

八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。 第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。 大和型三隻は沈没した……、と思われた。 だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。 大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。 祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。 ※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています! 面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※ ※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※

【実話】友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
青春
とあるオッサンの青春実話です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...