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ケイロンとアステリオス6

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「遅い」

 帰って来たフレイに対し、アステリオスは開口一番そう言った。

 外はすでに暗くなっている。

 今から出ると、海に着くのは明け方近くなってしまうかもしれない。

 アステリオスは何度もフレイを待たずに出発しようとしたが、ミノスとケイロンが必死にそれを止めていた。

「それで、評議長との話はついたんだろうな?」

「駄目でした」

 フレイの返答に、アステリオスはすぐに立ち上がった。

 もはや実力行使しかないと決意したのだ。

「ただし、頼み込んで兵たちの指揮権を私に移してもらいました。気心の知れた私の方が反発が少ないと言って」

「……つまり、お前が指揮官になるから見逃してもらえるってことか?」

「いえ、私は命令を忠実に実行します。こういう命令書にサインももらいました」

 フレイが取り出した紙には、

『兵二百を率い、ミノスの店の扉を塞いで出入りを妨げるべし』

という命令文と、評議長のサインが記されていた。

 アステリオスはそれを流し読み、苛立ちもあらわに頭をかいた。

「んじゃ、俺はぶっ飛ばす第一号をお前にすりゃいいってわけだな?」

 殺気すら放つアステリオスだったが、フレイは表情を変えずに言葉を続ける。

「ちなみに命令書は私が書いたものにサインをもらう形で作りました。口頭の命令では内容があやふやになりますからね」

 フレイへと歩み寄るアステリオスは、もはやその言葉を半分も聞いてはいなかった。

 しかしハッとした表情のケイロンがそれを止める。

「待て、アステリオス」

「もう待たねぇよ」

「違う。大丈夫なんだ」

「大丈夫?何が大丈夫なんだ。テティスはもう……」

「いいから、テティスを私の背に乗せてくれ」

「……?お前はついて来てくれんのか」

「ああ、行くさ。ミノスさんは……人数が多いから手伝ってもらった方がいいでしょうか?」

 ケイロンはフレイの方を向いてそう尋ねた。

 フレイは小さくうなずく。

「申し訳ありませんが、その方が確実でしょう」

「では固くいきましょう。それとミノスさん、私も折半して弁償しますからご勘弁ください」

「「……は?」」

 アステリオスとミノスはケイロンの言う意味が分からず変な顔をしたが、フレイは無言でテティスの所へ向かった。

 そしてよく眠ったその顔を愛おしげに撫でてやると、額に優しくキスをした。

「今日までたくさんの幸せをありがとう。私はあなたのことを娘だと思ってますよ」

 そう言い残し、店から出て行った。

 それからフレイは外で待つヨハンに確認した。

「私に指揮権が移ったことは全軍に伝令してくれましたね?」

「ええ、完了しています。しかし、妙なことは考えないでくださいよ」

「私は評議長の命令を実行するだけですよ。中の方々もよく理解してくださいました」

「……ならいいのですが」

 ヨハンはうろんな視線を送ったが、フレイはごく平然と店の扉を眺めている。

 二人がしばらくそうして監視を続けていると、

 ドゴォン!!

という破壊音が突然聞こえてきた。

 ヨハンが驚いてそちらを向くと、店の壁に大穴が空いている。

 その向こうに大斧を握ったミノタウロスが見えた。

 アステリオスだ。

「なっ……!?」

 ヨハンが驚く間にアステリオスは穴から出てきて、その後ろからケイロンも現れた。

 背中の鞍には荷台が取り付けられている。

 その中には寝具が敷かれ、魔法陣にくるまれたテティスが寝かされていた。

「……やつら結局実力行使に出ましたよ。フレイさん、兵たちに命令を」

 フレイはうなずいて命令を発した。

「全軍待機!!その場を動かないように!!」

「……え?」

 ヨハンはまず聞き間違いかと思った。

 しかし、確かにこのエルフは待機を命じたのだ。

「フ、フレイさん!?どういうことですか!!」

 慌てるヨハンを意にもかけず、フレイはしれっとした顔で返答した。

「どうもこうも、私は評議長の命令を実行しているだけですよ」

「……は?」

「命令書には『扉を塞ぎ出入りを妨げるべし』とあります。壁の大穴に関してはなんら指示はありませんからね」

 その言い草に、ヨハンは唖然とした。あまりと言えばあんまりな理屈だ。

「そ、そんな屁理屈が通用するわけないでしょう!?」

「少なくとも私がこの場の指揮官で、指揮官が命令書をそう解釈する限り、この場では通用するのですよ」

「後で評議長が許すわけがありません!」

「そうかもしれませんが、それはあくまで『後で』という話です。それにあなたが言ったんですよ?『善悪の議論は事後になる』とね」

「…………」

「さらに評議員として言わせてもらうなら、ここプティアは民主主義の街です。市民が薄幸なホムンクルスの少女の身に起こった事件のことを聞いた時、どのような反応を示すかという想像はとても重要です」

 ヨハンは焦りと怒りで無意識に歯ぎしりをしていた。

 フレイの言っていることは正しい。市民がフレイたちの行動を称賛し、軍を糾弾するなら評議長は罰することもできないだろう。

(市民のほとんどは専門家じゃないんだから、学術的価値など理解できるわけがないんだ!!)

 そのことに義憤を覚えたヨハンは己の採るべき行動を決意した。

「……私は一人の学者として、糾弾を受けてでもすべきことをせねばならない!!」

 そう叫んでフレイから離れ、近くの一隊へ向かって駆けた。

 その隊は軍の研究所に近しい兵で構成されている。

 というか、今回動員した兵たちはそのほとんどが研究所に関連した部署に配属されている者たちだ。

 全てとはいかずとも、八割程度はヨハンの言葉を聞いてくれると思った。

「今回の作戦行動の目的は誰もが分かっているはずだ!フレイ評議員の取っている行動は明らかにそれに反する!今からは私が指揮を執るからそれに従え!」

 兵たちは顔を見合わせ逡巡しているようだったが、言うことはヨハンの方が正しいと分かっているだろう。

 ヨハンは言葉を重ねる。

「このままフレイ評議員の命令に従っていたら後で罰せられかねないぞ!」

 しかしその言葉にはフレイがすぐに反論した。

「罰せられることはありません!私が一義的に責任を持つとここで明言しましょう!」

「そんなことは……」

「ただし!!迷う人間もいくらかはいると思います!そういった者はどちらの味方をする必要もありません!ここから離れ、市民に被害が及ばぬよう行動を取ってください!」

 敵になるくらいなら中立にしよう。

 フレイのその判断は効果があったようで、かなりの兵が店の周りから離れていく。

 後で事態がどう転んだとしても、それが一番罰せられない可能性が高くなるだろう。

 ただし、それで動いた兵たちは結局半分にも満たなかった。

(百人以上が相手ということになりますね……)

 それは当然かなりキツいことではあったが、フレイは迷いなく店に開いた大穴の所へ駆けた。

 そしてアステリオスとケイロン、テティスを背にして伝える。

「私は今から指揮に従わない兵たちを懲らしめる立場です。お二人は手を出さないでください」

 言われたアステリオスは大斧を肩に担ぎ上げ、好戦的に笑った。

「そう言うなよ。俺もなんぼかぶっ飛ばしてくぜ」

「そうされると、むしろ後で面倒なんですよ」

「そういうもんか。んじゃ頼む!!」

 アステリオスとケイロンは目でフレイに感謝を伝え、すぐに走り出した。

 海の方、南の街道に繋がる外壁の門へと向かう。

 当然ヨハンはそれを妨げる指示を出した。

「止めろ!怪我をさせても構わん!」

 その道を塞いでいた兵たちが武器を構え、魔法を詠唱を始める。

 フレイはそちらへと手をかざし、ため息混じりにつぶやいた。

「なんてことを言うんです。市民に怪我なんてさせては駄目でしょう」

 その言葉を言い終わる前に、フレイの前には複雑な幾何学模様が浮かび上がっていた。

 目の前の空間に魔素を流し、魔法陣を展開したのだ。

 その魔法陣から植物のつるが幾本も現れ、高速で伸びていく。

 風切り音すら立てるその蔓を、兵たちは誰一人避けることができなかった。

 一瞬の間に一部隊の全員が拘束されて動けなくなる。

 アステリオスとケイロンはその横を駆け抜けて行った。

「追え!遠い者はフレイ評議員にかかれ!」

 数部隊が同時にフレイへと向かって行く。

 しかし先ほどの魔法陣が同時にいくつも展開され、兵たちはなすすべもなく拘束されてしまった。

 その鮮やかな手並みにヨハンは息を呑んだ。

「あ、あんな数の魔法陣を同時に!?フレイ……エルフの国アルフヘイムの王め!!」

エルフの国アルフヘイムの王?久々にその名で呼ばれましたね。しかし私は生まれも育ちもプティアな、生粋のプティアっ子ですよ。よその国の王などではありません」

 そう訂正しながら、今度は足元に魔法陣を展開させる。

 それはフレイを中心にして急速に広がっていった。

 そのサイズはミノスの店どころか、街の一区画を飲み込んでしまうほど大きくなる。

「ただ、エルフの王族にしか伝わらないはずの魔法陣をいくつか知っているというだけです。例えば……こんなのとかね!!」

 フレイが魔素を込めると魔法陣の端に光の壁が現れ、テティスたちを追っていた兵の行く道を塞いだ。

 三人を追えなくなってしまう。

 ヨハンは焦燥に駆られて叫んだ。 
「くそっ!!総員、まずはフレイを……うおっと!!」

 と、最後に声を上げたのは、空から何かが降ってきたからだ。

 慌ててそれをかわしたが、後ろの兵に当たってべチャリと粘着質な音を立てた。

「な、なんだ!?」

「おう、ヨハン!すまないな!」

 その謝罪の声は頭上から聞こえてきた。

 見上げると、店の二階からミノスが顔を出している。

「ここで実験してたスライムがなぜか爆発しちまってよ!店のあっちこっちから飛び出すから気をつけてくれ!」

「気をつけろって……おわっ」

 スライムは窓という窓から降ってきており、幾人もの兵たちに当たっていた。

 ミノスは爆発と言ったが、それにしてはやたらと命中率がいい。どう考えても二階で何かやっているようだ。

「ちなみに当たると接着剤でもかけられたみたいになるから、兵たちに店から離れるよう言ってくれ!」

 その言葉通り、確かにスライムをくらった兵はまともに動けなくなっている。

 しかし、離れろと言われてもフレイは店のすぐそばにいるのだ。襲うなら近づかなければならない。

「ちょっ……ミノス先輩!止めてください!っていうか、このスライムもしかして……」

 ヨハンはミノスが研究所にいた時、このスライムを扱っていた記憶がある。

 もしその記憶通りのものなら恐ろしいことだと思った。

 そして、その恐怖を確かなものにする声があちこちから上がり始める。

「あふぅん」

「はぅっ」

「ほぉうっ……な、なんだこのスライム!?」

 スライムを身に受けた兵たちが妙な声を上げていた。

 それを聞いたミノスは哄笑を上げる。

「あっはっは!!そいつらは生き物の排泄物を糧にして増殖するスライムだからな!しかも貪欲で、尻の中まで侵入して餌を得ようとするぞ!」

 その説明に兵たちは戦慄した。

 スライムの当たってない者も思わずキュッと括約筋を締める。

「でもまぁ体は傷つけないから心配しなくていい。むしろ宿便が取れて健康になるくらいだ」

 とはいえ、それをあえて受けようとする者も少数派だろう。

 兵たちは我先に店から離れ始めた。

 しかし、それを止めるべき立場のヨハンは声を張り上げる。

「おいっ、下がるな!前へ出て攻めるんだ!」

 必死に手を振って前進を促すヨハンへ、ミノスは大きく振りかぶった。

 そして皿ごとスライムをヨハンに投げつける。

 べチャリ

 という背中の気味悪い感触に、ヨハンの顔から血の気が引いた。

 必死にスライムを取ろうとするが、ヌルヌルとして掴めはしない。

 そのヌルヌルが襟元から侵入し、背中を降りてくる。そして肌を撫でながら腰を通過し、さらにその下まで迫ってきた。

「あ……あ……あ……あふぅぅぅん……」

 妙に甘ったるい声を上げながら、ヨハンは己の敗北を認めざるを得なかった。

 複雑な表情の中に悔しさを滲ませる。

 ただ宿便というものは本当に体に良くないのか、ヨハンの肌ツヤは翌日からやけに良くなっていた。

※おまけイラスト※



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