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ケイロンとアステリオス3

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 フレイはミノスの店の扉を開けるなり、テティスに思い切り舌を突き出された。

 あっかんべーをされた形だ。

 と言っても、テティスの方は別にフレイが憎くてそうしたわけではない。

 ただ単に不味いものを口にして、それで嫌な顔をしただけだった。

「ふふふ……テティス、どうしたんです?何を食べたんですか?」

 フレイはその顔が可笑しくて、つい笑ってしまった。

「あ、フレイさん。こんにちは。あのね、石を食べたの」

「石?石って、地面に落ちているあの石ですか?」

「うん」

「ニワトリのようなことを言いますね……」

 フレイは砂肝を思い浮かべて眉をひそめたが、テティスの隣りに立つミノスはそれを見て笑った。

「石っちゃ石なんだが、ただの石を食べさせたわけじゃないぜ。魔石を削った粉を食べさせたんだ」

「魔石を?」

「ああ、ケイロンが持ってきてくれた魔石がテティスの体に安定的な作用がありそうだって分かってな」

 そう言うミノスの前には当のケイロンが立っている。

 街の評議員に礼儀正しく頭を下げてから事情を説明した。

「こんにちは、フレイさん。実は文献を漁っているうちに、水の魔石が良いのではないかという推論を得られまして」

 事情は分かったフレイではあったが、むしろ困惑に眉間のシワはより深められた。

 というのも、実は水の魔石はフレイとミノスで過去に試しているのだ。

「我々も以前にその可能性を検討したことがありました。人工生命体であるホムンクルスは、生命が初めて生まれた海の力と相性がいいのではないかと思ってのことです。しかし、その時は何の効果もありませんでしたが……」

 ケイロンはさもありなんという風にうなずいた。

「私も生命の起源との関係からそう思いましたが、ミノスさんからその話を聞いていたのでもう一歩踏み込んでみました。この魔石は水の魔石の中でも、海底火山の近辺から採れたものなのです」

「海底火山?」

「ええ。一番初めの生命は海から生まれたとされていますが、その発生には何らかのエネルギーが必要であったと考えられています。そのエネルギーが何だったかは諸説あるのですが、海底火山が有力な説の一つなのです」

 フレイは細い顎に手を当てて唸った。

「むぅ……なるほど。確かに海底火山の魔石なら、ただの水の魔石と違って火の性質も併せ持っているのでしょうね」

「それが絶妙にテティスの体に合っていたようです。一時的ではありますが、触れるだけで体内の魔素の流れが安定しました」

「さすがはアカデミーが獲得を熱望した教員なだけあります。おみそれしました」

 実際、フレイは脱帽するような気持ちだった。

 エルフとしてかなり長く生き、相当な知識を備えたつもりの自分をあっさりと上回ってきたのだ。

(このケンタウロスは街の財産になる人ですね)

 街の評議員らしくそう思うフレイだった。

 一緒にテティスの延命に取り組んできたミノスも当然感心している。ケイロンの背中を何度も叩いた。

「ホント、いい先生が来てくれて助かったぜ。それほど長く効くわけじゃないが、避難を考えたら有用なはずだ」

 ミノスはテティスを娘のように可愛がっている。ケイロンか必死に調べてくれたことに心から感謝していた。

 ただフレイには一点疑問がある。先ほどのテティスの表情を思い出しながらそれを口にした。

「しかし、魔石を食べるというのはあまり聞きません。経口摂取で効果が上がるものなんでしょうか?」

 そう聞かれ、ミノスはテティスの前に置かれたスープを取り上げた。

「昔にやった研究で、不安定なスライムに魔石の粉末を取り込ませることで一時的に安定化できたことを思い出してな。同じようなことにならないかと思って、粉末にした魔石をスープに混ぜてみた」

 テティスは水をゴクゴクと飲みながらスープの感想を述べる。

「なんだか体は元気になるけど……変な味ぃ……」

 ミノスは困ったように頭の角をかいた。

「まぁ……基本的に砂食ってるようなもんだからなぁ……」

 砂の混ざったスープを飲まされても美味いと思える者などいないだろう。

 フレイもその味を想像して苦笑した。

「食にうるさいアステリオスさんがいたら、『こんなもん飯じゃねぇ』って言いそうですね」

 フレイがそう言った時、背後で店の扉が開いた。

 振り返ると、ちょうど話に上がったアステリオスがいる。

 大股でテティスの前まで来て、何やら仰々しい彫り物が施された小箱を置いた。

「おう、買ってきたぜ」

「おかえりなさい。これ、何?」

 アステリオスは小一時間前、魔石が有効そうだということが分かってから突然店を飛び出していったのだ。

 そして帰ってくるなり、何の説明もなく買ってきたものを差し出している。

「海底火山の近くで採れた水の魔石だ。ケイロンの持ってきたやつよりも上等なはずだぜ」

 箱を開けると、確かに拳ほどの魔石が入っている。

 アクアマリンのように、美しい澄んだ水色をしていた。その中に薄っすらとルビーのような赤が揺らめいている。

 その美しい色合いと放たれている魔素、そしてまるで超高級アクセサリーをしまうような小箱に収められたその様相に、テティス以外の三人は息を呑んだ。

 というのも、ひと目で馬鹿高い値段の魔石であることが分かったからだ。

 質の良い魔石には青天井の価格が付けられる。

(い、家が買える……)

 そう思いながら、ケイロンは小さくつぶやいた。

「アステリオス……」

 と、それだけ言ったが、結局それ以上のことは口にしなかった。

 テティスがそのことを知ると、負い目に感じるかもしれないと思ったからだ。

 その横でミノスは小さなため息をついた。

「まぁ……お前はその腕っぷしでかなり稼いでるくせに、使うのは飯くらいだからなぁ」

「なんだよ。人が何に金使おうが自由だろ」

「ああ、お前の言う通りだ」

 もはや呆れてしまった大人たちには気づかず、テティスは吸い寄せられるようにその魔石を手に取った。

「わぁ……すごい。これ持ってると、何だか胸がポカポカする……」

 ほぅ、と温かい息を吐き、魅入られるように魔石を見つめる。

 アステリオスはその様子に満足しながらミノスに尋ねた。

「これならこの魔石も効きそうだな。それで、粉にして食ってみるってのはどうだったんだ?」

「ああ、それも効果はありそうなんだが……やっぱり食べやすくはないよな。テティスの好きなスープに混ぜてみたんだが、味は不評だ」

「スープにただ混ぜたのか?ミノスの旦那、そりゃ飯じゃねぇよ」

 予想通りの反応に、一同は声を上げて笑った。

 しかしアステリオスにはその理由が分からず困惑してしまう。

「な、なんだよ……まぁ石を飯に昇華させろってのは難しいかもしれねぇけどよ、もうちょっと色々やりようがあるだろ」

「そんなに言うならお前がやってみろよ」

「おう、そうするわ。厨房借りるぜ」

 アステリオスはそう言って、ごく当たり前のように店の厨房へと入って行く。

 その慣れた様子がケイロンには意外だった。

「アステリオスは料理もするのか?」

「おうよ。昔からよく作ってたし、ミノスの旦那にもだいぶ習った。下手な店で食うより自分で作った方が美味いからな」

 店より美味いというのは結構な自信だが、プロのミノスもアステリオスの言を肯定した。

「アステリオスの腕前は本気でコック泣かせだよ。食い道楽が高じてってレベルじゃない」

 テティスも厨房に入って行くアステリオスを嬉しそうに見ていた。

「私もアステリオスの料理好き!もちろんミノスの料理も好きだけど、アステリオスのは特別な味がするもん」

 アステリオスは普段の無骨な顔を緩めて笑った。本当に嬉しそうな笑顔だ。

「テティス、そりゃ俺が採算とか気にせず特別な食材を使うからだ」

「採算?」

「要は、とにかく美味けりゃいいって思いながら作ってるんだよ。今日も高い食材使うぜ。確かアウズンブラのミルクがあったな」

 冷蔵庫からミルクを取り出し、鍋に入れて火にかけた。

 それから砂糖や蜂蜜を持ってくる。

 ミノスにはそれだけでアステリオスの意図が察せられた。

 そして腕を組み、このミノタウロスの料理センスに唸るような声を漏らす。

「なるほどな……アステリオス、お前は今みたいな仕事は控えて、飲食店を始めたらいいと思うぞ」

「はあ?何言ってんだよ。旦那も俺がモンスターを相手に暴れなきゃ、まともでいられないって知ってんだろ。今の仕事以外は選びようがねぇよ」

「いや、お前が穏やかでいられる時は暴れた後以外にも、もう二つある。一つは美味いものを食べた時、もう一つは美味いものを作って食べてもらった時だ」

 アステリオスは料理の手をはたと止めた。

 言われてみると、確かにそうかも知れないと思う。

 特にテティスを助けてからは自分の料理を人に出すことが多くなったのだが、それを食べて喜んでいる人間を見ると心が満たされるのだ。

「あぁ……まぁ……そのうち飲食やるのも悪くないかもしれないな……」

 鍋の中でコトコトと煮えるミルクを眺めながら、小さなつぶやきを返した。

 しばらくして出来上がったのは、最高のミルクを使った練乳だ。

 トロトロとした流体の上に甘い香りが漂っている。

 ケイロンとフレイもこの段になって、アステリオスがこれを作った理由が理解できた。

「そうか。練乳ならとろみがあるから魔石の食感をごまかせるし、味も強いから混ぜたものの主張を消せる」

「練乳が嫌いな子供はそういませんしね」

 二人の言う通り、魔石の粉を混ぜた練乳はテティスに大変好評だった。

 スープの時のように舌を突き出すようなことはない。

「甘くておいしぃ~!」

 そう言って、えもいわれぬ幸せな笑顔を見せてくれた。まるで暖かい日差しのような笑顔だ。

 四人の大人はその表情に、心が芯から暖まった。

「これなら毎日でも食べられるよ!お薬の時じゃなくても、イチゴなんかにかけて食べたいな」

「お、練乳イチゴか。テティスはいいもんが分かってるな。今度、少し酸っぱめのイチゴを買ってきてやるよ」

「やったぁ!!」

 喜ぶテティスを見て、アステリオスも至極満足そうだった。

 フレイは二人につられて笑顔になりながら、ミノスの言っていたことを思い返した。

(確かにアステリオスさんは飲食店をやるのが幸せなのかもしれませんね。『狂戦士アステリオス』が戦わなくなるのは街として痛手ではありますが……)

 そんなことを考えながら、テーブルの上に紙の包みを置いた。

「良かったですね、テティス。実は私からもプレゼントが二つあるんです」

「二つも?一つ目はこの袋?」

「ええ。開けてみてください」

 テティスが包みを破って中身を取り出すと、中からは織物が出てきた。

 広げてみると、銀色の糸で大きく魔法陣が描かれている。

 その図柄を見たミノスが声を張り上げた。

「移動式の魔法陣か!!ついに完成したんだな!!」

 テティスの手からそれを取り上げ、銀糸の光沢を恐る恐る撫でる。

「これは……よくもまぁここまで細かい図柄を織り込めたもんだ」

「そうなんです。実は先日行われたタペストリーのコンテストで、やたら精巧な織り込みを施した作品が入賞していまして。その作者に話をしてみたら、試行錯誤を重ねて完成させてくれました」

「タペストリーのコンテスト……っていったら、アラクネの少年が入賞したって話題になってたアレか」

「そうです、まさにその少年が作ってくれたものです。若いのに、本当に天才的な技術でしたよ」

 ケイロンとアステリオスもその見事な魔法陣に目を見張った。

「これはすごいですね……大蜘蛛の糸にしっかり魔素が通っています」

「ああ、これなら店を出てもしばらくはもつな。避難の時間分くらいはもつんだろう?」

 アステリオスに問われたフレイはうなずた。

「そうですね。あまり長い時間は無理ですが、避難の時間くらいなら大丈夫でしょう。ただし、その避難自体が不要になったんですけどね」

「……なに?」

 アステリオスとケイロン、ミノスの目は、最後の一言で魔法陣からフレイへと向いた。

 フレイは笑みを深めて言葉を続ける。

「もう一つのプレゼントはその知らせなんですよ。調査の結果、スタンピードはプティアからだいぶ南を通ることが分かりました。ここには来ません」

 男三人はその知らせに喜ぶというよりも、むしろ脱力した。

 全員が安堵の息を吐き、テーブルにもたれかかる。

「まぁ……もともと確率が高い話じゃなかったんだろうが、安心はしたな」

 ミノスはそうつぶやいてテティスの頭を撫で、それから店の壁を撫でた。

 テティスのことだけではない。スタンピードは街一つを廃墟にする可能性もあるから、この店も危なかったわけだ。

「確報なんだよな?」

「ええ、龍人ドラゴニュートが龍脈をよく調査してくれた結論です。モンスターの異常行動調査とも一致しますし、信じて良いでしょう」

「そうか。他の街や村も大丈夫なのか?」

「ええ。かするかもしれないな村がいくつかありますが、大きな被害は出ないでしょう。そもそも起こるのは一年以上先という予測なので、対策する時間も十分ありますしね」

「なんだ、そんなに先だったのか」

 それだとテティスはもともと関係なかったかもしれない。

 そう思いながら、ミノスは魔法陣に目を戻して笑った。

「嬉しい話だが、一つのプレゼントでもう一つのプレゼントが無駄になっちまったな」

 避難の手段ができた途端、避難の必要がなくなったのだ。

 しかし、フレイはそれが無駄だとは全く思っていない。考えれば分かることだ。

「無駄ではないでしょう。この織物があれば、短時間とはいえテティスは外に出られるんですよ?」

「「「あっ」」」

 三人はテティスの命という大きな視点で見ていたから、ついそのことに思い至らなかった。

 大人たちの視線がテティスに向けられて、本人もようやく気づいたようだ。

 その瞳は窓の外を向いてから、まるで陽でも差したように明るく輝いた。

※おまけイラストです※



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