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ケイロンとアステリオス1
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その日、ケイロンは夜も更けてから店のドアを開けた。
すでに閉店時刻は過ぎているが、明かりは漏れている。店主がまだいるのは外から見ても分かっていた。
「あぁ、すまねぇが今日はもう閉店……」
と、店主のアステリオスは言いかけて、その口を止めた。
それから苦いものでも食べたように、嫌な顔をする。
「そんな顔をしなくてもいいだろう。せっかく旧友が訪ねてきたのに」
ケイロンはそう言って笑った。
しかしアステリオスは表情を変えない。
「旧友だったら、なんで俺がこんな顔をしてるか分かるだろう」
「分かるよ、古い付き合いだ。クウさんのことだろう?」
ケイロンはしばらく前に出会った娘の名を出した。
アステリオスはうなずいて応じる。
「そうだ。なんで黙ってた?初めからちゃんと紹介してくれりゃ色々気も使ってやれたのに」
「それはそうだと思うが、記憶喪失とはいえ彼女はこれからも一人の人間として生きていかなければならない。何から何までおんぶにだっこではなく、自分一人で新たな環境に望むことも経験しないといけないだろう」
「ハッ、相変わらず教師やってやがんな。そういえばお前、俺と初めて会った時にも説教食らわしてきやがったよな」
「そういえばそうだったかな?じゃあ今日は昔話でもしながら一杯やるか」
「お前とは色々ありすぎた。一杯じゃすまねぇだろ」
アステリオスは店の隅から敷物を持ってきて、テーブルの前に敷いてやった。
ケンタウロスは下半身が馬なので、椅子ではなく敷物に座って食事を摂る。
「いつも通り、ブランデーでいいか?」
「ああ。突き合わせもいつも通り、ニンジンのグラッセで頼む」
ブランデーは甘いつまみと相性が良いのでチョコレートがよく好まれるが、ケイロンはケンタウロスらしくニンジンのグラッセを好んで食べる。
そちらも下ごしらえしたものがあったようで、それほど時間を置かずに出てきた。
アステリオスの方はビールジョッキを持ち、皿にジャーキーを並べてから席についた。
そしてビールを三分の一ほど流し込んでから熱い息を吐く。
「……ふぅ。しかしお前が根っからの教師なのは分かるがな、わざわざ秘密にされた身からしたらちょいと馬鹿にされた気持ちになるんだよ」
「別にそういうつもりはないが」
「お前が俺の反応を想像して笑ってるのを想像しちまうんだ」
「ああ、確かにそれは不快だったかもしれないな。しかし、結局は私が想像したのとは少し違う反応だったようだ」
「どう違った?」
「私もクウさんから話を聞いただけだが、私の想像以上に気に入ってるみたいじゃないか。随分と良くしてもらっていると言っていたぞ」
「ああ……まぁ確かにお気に入りだな。性根のいい娘だし、それになんかこう……不思議な魅力があるんだよな」
「そう、私もそう思った」
「だいぶ雰囲気は違うが、笑顔はテティスによく似てる」
その名前が出て、ケイロンはブランデーに伸ばしかけた手を止めた。
目を閉じて、その笑顔を思い浮かべる。
それからブランデーをあらためて手に取り、口に含んだ。
「彼女の笑顔も素敵だったな」
「ああ、最高の笑顔だった。お前は確か、初めて俺に会った日にテティスにも会ったんだよな?」
「そうだよ。まずお前に会って説教して、その後にテティスに会ってお前に説教された」
「そうだったそうだった。俺はお前がいけ好かないインテリ野郎だと思って嫌いだったよ」
「私もお前がどうしようもない荒くれ者だと思って嫌いだったな」
二人はそう言ってから笑い声を上げた。
明るく響くその声は二人しかいない店内にこだまし、夜の街に漏れ出ていく。
窓から月光の差し込む中、二人は懐かしい日のことを思い出していた。
***************
「よせ、もう十分だろう!!」
ケイロンはアステリオスの腕を掴み、その大斧を止めた。
斧の刃はべっとりと血に濡れており、その下では双頭犬のモンスター、オルトロスがミンチになっている。
殺された後も死体がかなり損壊するほど執拗な攻撃を受けていた。
ケイロンはプティアの街までの道中、その残忍な光景を目にして止めに入ったのだった。
「ぁあ?」
と、アステリオスはケイロンのことを振り返った。
完全に目が据わっており、その暗い色合いがケイロンをたじろがせる。
しかし、言うべきことは言わねばならない。
「モ……モンスター相手とはいえ、死体を弄ぶような真似はいけない」
アステリオスは斧を止めたものの、ケイロンの腕を荒っぽく払ってから睨みつけてきた。
「何だてめぇは?」
「私はケイロンという旅の者だ」
「なら文句を言われる筋合いはねぇよ。俺は最近街道沿いにモンスターが増えてるってんで、それを退治する依頼を受けてここにいる。お前ら旅人のために働いてんだ。うるせぇこと言ってくんな」
「しかし、生物というものは尊厳を持って接せられるべきだ」
「元・生物だ。今はただの物だよ」
「死んだから物だという扱いは、生きている間の尊厳すら傷つける」
「……いちいちうるせぇ野郎だな!!俺はとにかく暴れ足りないんだよぉお!!」
アステリオスは大斧を頭上に掲げ、力任せに振り下ろした。
魔素の乗ったその斬撃は衝撃波を発生させ、街道沿いの木をいくつもなぎ倒す。
その威力とアステリオスの様子にケイロンは唖然としてしまった。
(な、なんだこいつは……)
モンスターを倒す仕事をしてくれているわけだが、むしろこの男自身がモンスターのようだ。
そう思いながら、倒れた木の方へ歩いていく。
そして自分の荷物から縄を取り出し、木の一本に結びつけた。
「おい、何してやがる?」
アステリオスの質問に、ケイロンは縄を引きながら答えた。
「街道を塞いだ木をどける。このままだと通る人が困るだろう」
「……チッ」
アステリオスは舌打ちをしてその横と通り過ぎていく。
ただし歩きながら、邪魔そうな木は蹴飛ばして街道脇にどかしていった。
***************
プティアに着いたケイロンはまずアカデミーを訪ね、職員寮へと案内された。
来年からここで教鞭をとるために来たのだ。
もともとはケンタウロスの里で教師をやっていたのだが、ある時人に勧められて哲学書を書いてみた。
すると、それが多くの知識人の目に止まって随分と称賛されることになった。
そういったものを二冊、三冊と書いているうちに、アカデミーから教員になってほしいと依頼があったのだ。
それ自体は嬉しいことだったし、今も期待に胸を膨らませている。
しかし実際に来てみると、田舎から出てきた身に街の雰囲気はこたえた。人が多過ぎるのだ。
ケイロンはいったん荷物を置くと、まずぐったりと横になった。
(都会は気忙しくて疲れるな……)
が、すぐに起き上がって荷物をほどき、それから街に出る準備を始めた。
(要は慣れていないから疲れるんだ。それに、プティアの街を色々知りたい)
ケイロンは知識欲がどの欲よりも強い男なので、その欲で疲れを押し切って職員寮を出た。
それに、ひどく空腹でもある。
「まずは食事……」
つぶやきながら、田舎では考えられない数の飲食店を眺めた。
どの店が良いかなど全く分からないので、とりあえず目についた店に入ってみる。
扉を開けると牛キメラのウエイトレスが迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、お食事ですか?」
「あ、はい」
と答えながら、内心首を傾げた。
(食事以外に何かすることのある店なのか?)
席につきながら店内を見回すと、その疑問はすぐに解消された。
ケイロンの座った席そばの壁一面に、仕事の依頼書がずらっと貼ってあったのだ。
どうやら食事を提供するだけでなく、仕事の斡旋もしているらしい。
「討伐に採取、物品製造、雑用のような依頼まであるんだな……」
そのつぶやきに、水を運んできた牛キメラの男が返事をしてくれた。
「そうだよ。ここではかなり幅広い依頼を扱ってる。お客さん、初めてだな?」
「はい。今日プティアに越してきました」
「俺はここの店主で、ミノスってもんだ。もし仕事を探してるなら良さそうなのを見繕って紹介するよ。遠慮なく相談してくれ」
ミノスは五十絡みの中年で、白が混じってきた髪の毛がいい具合の雰囲気を醸し出している。
目元には小さな笑いジワがあり、それが人柄を匂わせて好感が持てた。
「ありがとうございます。でも来年からアカデミーで教鞭をとることになっていますので、お仕事の方は一応ある状況です」
「おっ、アカデミーの先生か。でも来年って言ったらまだ何ヶ月もあるな」
「そうなんですよ。慣れるために早く来たんですが、少し早すぎましたね」
「ならその間、軽い仕事でもしながら街に慣れていくといいかもしれないな。ただ街を見て回るより、その方が色々分かるだろう」
確かにただ見て回るのと目的を持って動くのとでは、後者の方が圧倒的に得られるものが多い。
そう思ったケイロンは仕事を受けることを本気で考え始めた。
「確かにそうですね……では何か良さそうなものがあれば教えて下さい」
「了解だ。何か得意なものはあるかい?」
「ケンタウロスの里でも教師をしていましたから、人に何か教えることなら自身があります。あ、それと弓矢の授業も担当していましたね」
「なに?ケンタウロスの学校で弓矢の先生って……そりゃあんた、結構な腕前だろう」
「まぁ、それなりに使えます」
「じゃあ戦えるのも戦えるってことだな。それなら仕事はかなりたくさん……」
二人がそう話しているところへ、店の入口から声がかかった。
「ミノスの旦那。街道の往復、終わったぜ」
「ん?おお、お疲れさんだったな」
ミノスはその声に笑顔で応じた。
が、ケイロンの方は苦いものでも食べたような、嫌な顔をしてしまった。
そしてケイロンの顔を見た相手も同じような顔をした。
アステリオスだ。
「お前……」
とそれだけ言ってからプイとそっぽを向く。
ケイロンも別にあれ以上話したいこともないので、メニューへと目を落とした。
ミノスは不思議そうに二人の顔を交互に見た。
「なんだ、二人は知り合いか?」
「いえ……先ほど街道ですれ違っただけです」
「まぁよく分からんが、店の中では仲良くしてくれよ」
ミノスはそれだけ言うと、ケイロンの注文を聞いて厨房へと下がっていった。
アステリオスはそれからケイロンの方へ近づいてきたが、別にケイロンに用事があってそうしたわけではない。
そのそばにある壁の依頼書を見たくて来ただけだ。
ケイロンも別に話しかけず、水を飲みながら料理が来るのを待った。
それからしばらくすると、頼んでいたニンジンのリゾットが届けられた。
ただしそれを持ってきたのはミノスでも牛キメラのウエイトレスでもなかった。
小さな女の子だ。
齢はまだ十歳にもなっていないくらいだろう。
見た目はヒューマンで、歩くたびに揺れる長い髪が可愛らしい。
「はい、おまたせしました。ニンジンのリゾットだよ」
ケイロンは少女に微笑みながらそれを受け取った。
「ありがとう。今日は学校はお休みでお手伝いかな?」
「ううん。私、学校には行ってないの」
「えっ?しかし、君くらいの歳だと……」
「私はここでお客さんとお話するのが好きだから」
少女は明るい笑顔でそう言ったが、ケイロンの眉はしかめられた。
プティアでは一定の年齢までは義務教育を課している。
ただし義務を課されているのは保護者だから、この状況を容認している保護者に腹が立った。
しかもただ学校に行かせていないだけでなく、労働させているのだ。
部外の者とはいえ、一教員として見逃せない状況だと思った。
優しげな笑顔を作って尋ねる。
「君、名前は?」
少女は元気よく答えた。
「テティス!」
「テティスか。素敵な名前だね。私はケイロン。学校の先生をしてるんだ。もしよかったら、お父さんかお母さんと話をさせてくれないかな?」
「お父さんとお母さんはいないけど、このお店のミノスさんが……」
「おい、お前。部外者が余計な口挟むんじゃねぇよ」
と横合いから割って入ってきたのはアステリオスだ。
ケイロンの卓の前に立ち、苛立ちもあらわに見下ろす。
「要らん世話なんぞ焼かず、それ食ったらさっさと出ていけ」
アステリオスは怒っているようだった。
しかしそうされたケイロンの方も怒りを感じる。
「そういう言い方はないだろう。私はこの子のことを考えて……」
「それが要らん世話だと言ってるんだ。学校に行ってないくらいでグダグダと」
「学校に行ってないくらい?何を言うんだ。学ぶことが人にとってどれだけ大切か、分かっていないからそんなことが言える」
「ハッ!そんな御大層なもんかよ。そんなのはそれが性に合ってる奴らだけが喜ぶもんだろうが」
「学びとは学問のことだけじゃない。もっと多角的な視点で……」
そんなふうに二人が言い合っているところへミノスが現れた。
呆れ顔で二人の間に入る。
「おいおい、店の中では仲良くしろって言っただろうが」
アステリオスはそれで押し黙り、ケイロンはとりあえず頭を下げた。
「失礼しました。おっしゃる通り、ご迷惑でしたね。しかしこの子が学校にも行けていないと聞きまして」
「あぁ、それなんだがなぁ……」
ミノスが困ったように頭をかいたのを見て、テティスは自ら口を開いた。
「私、このお店から出ると死んじゃうの」
「……死ぬ?」
少女の口から出た残酷な単語に、ケイロンは驚いて聞き返した。
「うん。実は私、ホムンクルスっていう人口生物なんだけど、体が不安定だから普通の場所では生きられないんだ。このお店の地下には特別な魔法陣があって、それでお店の中では何とか生きていられるの」
「…………」
ケイロンはまだ幼い少女の境遇に愕然とした。
そしてそれを理解すると、まずはアステリオスに向き直った。
(謝らねば)
知らなかったとはいえ、確かに部外者の要らぬ世話だった。
このぶっきらぼうなミノタウロスを好きになれそうにはなかったが、非は自分にあるのだ。
「すまなかっ……」
と、ケイロンの方が謝罪の言葉を口にする前に、アステリオスの方は背を向けて歩き出してしまった。
そして無言で店から出て行く。
その背中にケイロンは閉口した。やはりこのミノタウロスは好きになれそうもない。
しかしミノスがそんなアステリオスをフォローしてくれた。
「悪く思わないでやってくれ。あいつは生まれつき魔素が強すぎるせいで、気持ちが荒ぶりやすくなっちまうんだよ」
そう言われて、ケイロンはアステリオスのことが少し納得できた。
初めに会った時に荒れていたのはそういうことなのだろう。あの凄まじい魔素が破壊衝動になっているのだ。
「世間じゃ狂ったように戦う姿から『狂戦士』なんてあだ名されてるがな、心の芯は割と優しいやつなんだ」
そう言うミノスに続いてテティスもアステリオスを擁護した。
「アステリオスって、本当はすごくいい人なんだよ。思いっきり暴れた後とか、美味しいものを食べた後とかにまた会って欲しいな。そういう時は私以外にも優しいから」
ということは、テティスには常に優しいわけだ。
そう理解したケイロンはアステリオスへの評価を改めた。
子供に優しい人間に悪人はそういない、というのがケイロンの持論だ。
「分かりました。もしまた会う機会があれば改めて謝っておきます。それに、テティスも悪かったね」
「ううん。たまにケイロンさんみたいに聞いてくる人もいるの。心配してくれてありがとう」
心が洗われるようなテティスの笑顔を見て、ケイロンは心にチクリと針を刺された気がした。
その笑顔からは今の境遇に対する悲哀などほとんど感じられない。
むしろ、そのことがひどくケイロンという一教師の胸を打った。
※おまけイラストです※
すでに閉店時刻は過ぎているが、明かりは漏れている。店主がまだいるのは外から見ても分かっていた。
「あぁ、すまねぇが今日はもう閉店……」
と、店主のアステリオスは言いかけて、その口を止めた。
それから苦いものでも食べたように、嫌な顔をする。
「そんな顔をしなくてもいいだろう。せっかく旧友が訪ねてきたのに」
ケイロンはそう言って笑った。
しかしアステリオスは表情を変えない。
「旧友だったら、なんで俺がこんな顔をしてるか分かるだろう」
「分かるよ、古い付き合いだ。クウさんのことだろう?」
ケイロンはしばらく前に出会った娘の名を出した。
アステリオスはうなずいて応じる。
「そうだ。なんで黙ってた?初めからちゃんと紹介してくれりゃ色々気も使ってやれたのに」
「それはそうだと思うが、記憶喪失とはいえ彼女はこれからも一人の人間として生きていかなければならない。何から何までおんぶにだっこではなく、自分一人で新たな環境に望むことも経験しないといけないだろう」
「ハッ、相変わらず教師やってやがんな。そういえばお前、俺と初めて会った時にも説教食らわしてきやがったよな」
「そういえばそうだったかな?じゃあ今日は昔話でもしながら一杯やるか」
「お前とは色々ありすぎた。一杯じゃすまねぇだろ」
アステリオスは店の隅から敷物を持ってきて、テーブルの前に敷いてやった。
ケンタウロスは下半身が馬なので、椅子ではなく敷物に座って食事を摂る。
「いつも通り、ブランデーでいいか?」
「ああ。突き合わせもいつも通り、ニンジンのグラッセで頼む」
ブランデーは甘いつまみと相性が良いのでチョコレートがよく好まれるが、ケイロンはケンタウロスらしくニンジンのグラッセを好んで食べる。
そちらも下ごしらえしたものがあったようで、それほど時間を置かずに出てきた。
アステリオスの方はビールジョッキを持ち、皿にジャーキーを並べてから席についた。
そしてビールを三分の一ほど流し込んでから熱い息を吐く。
「……ふぅ。しかしお前が根っからの教師なのは分かるがな、わざわざ秘密にされた身からしたらちょいと馬鹿にされた気持ちになるんだよ」
「別にそういうつもりはないが」
「お前が俺の反応を想像して笑ってるのを想像しちまうんだ」
「ああ、確かにそれは不快だったかもしれないな。しかし、結局は私が想像したのとは少し違う反応だったようだ」
「どう違った?」
「私もクウさんから話を聞いただけだが、私の想像以上に気に入ってるみたいじゃないか。随分と良くしてもらっていると言っていたぞ」
「ああ……まぁ確かにお気に入りだな。性根のいい娘だし、それになんかこう……不思議な魅力があるんだよな」
「そう、私もそう思った」
「だいぶ雰囲気は違うが、笑顔はテティスによく似てる」
その名前が出て、ケイロンはブランデーに伸ばしかけた手を止めた。
目を閉じて、その笑顔を思い浮かべる。
それからブランデーをあらためて手に取り、口に含んだ。
「彼女の笑顔も素敵だったな」
「ああ、最高の笑顔だった。お前は確か、初めて俺に会った日にテティスにも会ったんだよな?」
「そうだよ。まずお前に会って説教して、その後にテティスに会ってお前に説教された」
「そうだったそうだった。俺はお前がいけ好かないインテリ野郎だと思って嫌いだったよ」
「私もお前がどうしようもない荒くれ者だと思って嫌いだったな」
二人はそう言ってから笑い声を上げた。
明るく響くその声は二人しかいない店内にこだまし、夜の街に漏れ出ていく。
窓から月光の差し込む中、二人は懐かしい日のことを思い出していた。
***************
「よせ、もう十分だろう!!」
ケイロンはアステリオスの腕を掴み、その大斧を止めた。
斧の刃はべっとりと血に濡れており、その下では双頭犬のモンスター、オルトロスがミンチになっている。
殺された後も死体がかなり損壊するほど執拗な攻撃を受けていた。
ケイロンはプティアの街までの道中、その残忍な光景を目にして止めに入ったのだった。
「ぁあ?」
と、アステリオスはケイロンのことを振り返った。
完全に目が据わっており、その暗い色合いがケイロンをたじろがせる。
しかし、言うべきことは言わねばならない。
「モ……モンスター相手とはいえ、死体を弄ぶような真似はいけない」
アステリオスは斧を止めたものの、ケイロンの腕を荒っぽく払ってから睨みつけてきた。
「何だてめぇは?」
「私はケイロンという旅の者だ」
「なら文句を言われる筋合いはねぇよ。俺は最近街道沿いにモンスターが増えてるってんで、それを退治する依頼を受けてここにいる。お前ら旅人のために働いてんだ。うるせぇこと言ってくんな」
「しかし、生物というものは尊厳を持って接せられるべきだ」
「元・生物だ。今はただの物だよ」
「死んだから物だという扱いは、生きている間の尊厳すら傷つける」
「……いちいちうるせぇ野郎だな!!俺はとにかく暴れ足りないんだよぉお!!」
アステリオスは大斧を頭上に掲げ、力任せに振り下ろした。
魔素の乗ったその斬撃は衝撃波を発生させ、街道沿いの木をいくつもなぎ倒す。
その威力とアステリオスの様子にケイロンは唖然としてしまった。
(な、なんだこいつは……)
モンスターを倒す仕事をしてくれているわけだが、むしろこの男自身がモンスターのようだ。
そう思いながら、倒れた木の方へ歩いていく。
そして自分の荷物から縄を取り出し、木の一本に結びつけた。
「おい、何してやがる?」
アステリオスの質問に、ケイロンは縄を引きながら答えた。
「街道を塞いだ木をどける。このままだと通る人が困るだろう」
「……チッ」
アステリオスは舌打ちをしてその横と通り過ぎていく。
ただし歩きながら、邪魔そうな木は蹴飛ばして街道脇にどかしていった。
***************
プティアに着いたケイロンはまずアカデミーを訪ね、職員寮へと案内された。
来年からここで教鞭をとるために来たのだ。
もともとはケンタウロスの里で教師をやっていたのだが、ある時人に勧められて哲学書を書いてみた。
すると、それが多くの知識人の目に止まって随分と称賛されることになった。
そういったものを二冊、三冊と書いているうちに、アカデミーから教員になってほしいと依頼があったのだ。
それ自体は嬉しいことだったし、今も期待に胸を膨らませている。
しかし実際に来てみると、田舎から出てきた身に街の雰囲気はこたえた。人が多過ぎるのだ。
ケイロンはいったん荷物を置くと、まずぐったりと横になった。
(都会は気忙しくて疲れるな……)
が、すぐに起き上がって荷物をほどき、それから街に出る準備を始めた。
(要は慣れていないから疲れるんだ。それに、プティアの街を色々知りたい)
ケイロンは知識欲がどの欲よりも強い男なので、その欲で疲れを押し切って職員寮を出た。
それに、ひどく空腹でもある。
「まずは食事……」
つぶやきながら、田舎では考えられない数の飲食店を眺めた。
どの店が良いかなど全く分からないので、とりあえず目についた店に入ってみる。
扉を開けると牛キメラのウエイトレスが迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、お食事ですか?」
「あ、はい」
と答えながら、内心首を傾げた。
(食事以外に何かすることのある店なのか?)
席につきながら店内を見回すと、その疑問はすぐに解消された。
ケイロンの座った席そばの壁一面に、仕事の依頼書がずらっと貼ってあったのだ。
どうやら食事を提供するだけでなく、仕事の斡旋もしているらしい。
「討伐に採取、物品製造、雑用のような依頼まであるんだな……」
そのつぶやきに、水を運んできた牛キメラの男が返事をしてくれた。
「そうだよ。ここではかなり幅広い依頼を扱ってる。お客さん、初めてだな?」
「はい。今日プティアに越してきました」
「俺はここの店主で、ミノスってもんだ。もし仕事を探してるなら良さそうなのを見繕って紹介するよ。遠慮なく相談してくれ」
ミノスは五十絡みの中年で、白が混じってきた髪の毛がいい具合の雰囲気を醸し出している。
目元には小さな笑いジワがあり、それが人柄を匂わせて好感が持てた。
「ありがとうございます。でも来年からアカデミーで教鞭をとることになっていますので、お仕事の方は一応ある状況です」
「おっ、アカデミーの先生か。でも来年って言ったらまだ何ヶ月もあるな」
「そうなんですよ。慣れるために早く来たんですが、少し早すぎましたね」
「ならその間、軽い仕事でもしながら街に慣れていくといいかもしれないな。ただ街を見て回るより、その方が色々分かるだろう」
確かにただ見て回るのと目的を持って動くのとでは、後者の方が圧倒的に得られるものが多い。
そう思ったケイロンは仕事を受けることを本気で考え始めた。
「確かにそうですね……では何か良さそうなものがあれば教えて下さい」
「了解だ。何か得意なものはあるかい?」
「ケンタウロスの里でも教師をしていましたから、人に何か教えることなら自身があります。あ、それと弓矢の授業も担当していましたね」
「なに?ケンタウロスの学校で弓矢の先生って……そりゃあんた、結構な腕前だろう」
「まぁ、それなりに使えます」
「じゃあ戦えるのも戦えるってことだな。それなら仕事はかなりたくさん……」
二人がそう話しているところへ、店の入口から声がかかった。
「ミノスの旦那。街道の往復、終わったぜ」
「ん?おお、お疲れさんだったな」
ミノスはその声に笑顔で応じた。
が、ケイロンの方は苦いものでも食べたような、嫌な顔をしてしまった。
そしてケイロンの顔を見た相手も同じような顔をした。
アステリオスだ。
「お前……」
とそれだけ言ってからプイとそっぽを向く。
ケイロンも別にあれ以上話したいこともないので、メニューへと目を落とした。
ミノスは不思議そうに二人の顔を交互に見た。
「なんだ、二人は知り合いか?」
「いえ……先ほど街道ですれ違っただけです」
「まぁよく分からんが、店の中では仲良くしてくれよ」
ミノスはそれだけ言うと、ケイロンの注文を聞いて厨房へと下がっていった。
アステリオスはそれからケイロンの方へ近づいてきたが、別にケイロンに用事があってそうしたわけではない。
そのそばにある壁の依頼書を見たくて来ただけだ。
ケイロンも別に話しかけず、水を飲みながら料理が来るのを待った。
それからしばらくすると、頼んでいたニンジンのリゾットが届けられた。
ただしそれを持ってきたのはミノスでも牛キメラのウエイトレスでもなかった。
小さな女の子だ。
齢はまだ十歳にもなっていないくらいだろう。
見た目はヒューマンで、歩くたびに揺れる長い髪が可愛らしい。
「はい、おまたせしました。ニンジンのリゾットだよ」
ケイロンは少女に微笑みながらそれを受け取った。
「ありがとう。今日は学校はお休みでお手伝いかな?」
「ううん。私、学校には行ってないの」
「えっ?しかし、君くらいの歳だと……」
「私はここでお客さんとお話するのが好きだから」
少女は明るい笑顔でそう言ったが、ケイロンの眉はしかめられた。
プティアでは一定の年齢までは義務教育を課している。
ただし義務を課されているのは保護者だから、この状況を容認している保護者に腹が立った。
しかもただ学校に行かせていないだけでなく、労働させているのだ。
部外の者とはいえ、一教員として見逃せない状況だと思った。
優しげな笑顔を作って尋ねる。
「君、名前は?」
少女は元気よく答えた。
「テティス!」
「テティスか。素敵な名前だね。私はケイロン。学校の先生をしてるんだ。もしよかったら、お父さんかお母さんと話をさせてくれないかな?」
「お父さんとお母さんはいないけど、このお店のミノスさんが……」
「おい、お前。部外者が余計な口挟むんじゃねぇよ」
と横合いから割って入ってきたのはアステリオスだ。
ケイロンの卓の前に立ち、苛立ちもあらわに見下ろす。
「要らん世話なんぞ焼かず、それ食ったらさっさと出ていけ」
アステリオスは怒っているようだった。
しかしそうされたケイロンの方も怒りを感じる。
「そういう言い方はないだろう。私はこの子のことを考えて……」
「それが要らん世話だと言ってるんだ。学校に行ってないくらいでグダグダと」
「学校に行ってないくらい?何を言うんだ。学ぶことが人にとってどれだけ大切か、分かっていないからそんなことが言える」
「ハッ!そんな御大層なもんかよ。そんなのはそれが性に合ってる奴らだけが喜ぶもんだろうが」
「学びとは学問のことだけじゃない。もっと多角的な視点で……」
そんなふうに二人が言い合っているところへミノスが現れた。
呆れ顔で二人の間に入る。
「おいおい、店の中では仲良くしろって言っただろうが」
アステリオスはそれで押し黙り、ケイロンはとりあえず頭を下げた。
「失礼しました。おっしゃる通り、ご迷惑でしたね。しかしこの子が学校にも行けていないと聞きまして」
「あぁ、それなんだがなぁ……」
ミノスが困ったように頭をかいたのを見て、テティスは自ら口を開いた。
「私、このお店から出ると死んじゃうの」
「……死ぬ?」
少女の口から出た残酷な単語に、ケイロンは驚いて聞き返した。
「うん。実は私、ホムンクルスっていう人口生物なんだけど、体が不安定だから普通の場所では生きられないんだ。このお店の地下には特別な魔法陣があって、それでお店の中では何とか生きていられるの」
「…………」
ケイロンはまだ幼い少女の境遇に愕然とした。
そしてそれを理解すると、まずはアステリオスに向き直った。
(謝らねば)
知らなかったとはいえ、確かに部外者の要らぬ世話だった。
このぶっきらぼうなミノタウロスを好きになれそうにはなかったが、非は自分にあるのだ。
「すまなかっ……」
と、ケイロンの方が謝罪の言葉を口にする前に、アステリオスの方は背を向けて歩き出してしまった。
そして無言で店から出て行く。
その背中にケイロンは閉口した。やはりこのミノタウロスは好きになれそうもない。
しかしミノスがそんなアステリオスをフォローしてくれた。
「悪く思わないでやってくれ。あいつは生まれつき魔素が強すぎるせいで、気持ちが荒ぶりやすくなっちまうんだよ」
そう言われて、ケイロンはアステリオスのことが少し納得できた。
初めに会った時に荒れていたのはそういうことなのだろう。あの凄まじい魔素が破壊衝動になっているのだ。
「世間じゃ狂ったように戦う姿から『狂戦士』なんてあだ名されてるがな、心の芯は割と優しいやつなんだ」
そう言うミノスに続いてテティスもアステリオスを擁護した。
「アステリオスって、本当はすごくいい人なんだよ。思いっきり暴れた後とか、美味しいものを食べた後とかにまた会って欲しいな。そういう時は私以外にも優しいから」
ということは、テティスには常に優しいわけだ。
そう理解したケイロンはアステリオスへの評価を改めた。
子供に優しい人間に悪人はそういない、というのがケイロンの持論だ。
「分かりました。もしまた会う機会があれば改めて謝っておきます。それに、テティスも悪かったね」
「ううん。たまにケイロンさんみたいに聞いてくる人もいるの。心配してくれてありがとう」
心が洗われるようなテティスの笑顔を見て、ケイロンは心にチクリと針を刺された気がした。
その笑顔からは今の境遇に対する悲哀などほとんど感じられない。
むしろ、そのことがひどくケイロンという一教師の胸を打った。
※おまけイラストです※
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座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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大衆娯楽
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