64 / 107
29ワイバーンロード討伐戦4
しおりを挟む
【ドライアド ダナオスの記録】
「ちょっとしみますけど我慢してくださいね」
僕は担架に乗せられた兵隊さんのふくらはぎを水で洗った。
ただ汚れているからではない。モンスターに噛まれて結構な創傷になっていたからだ。
と言っても大きな血管は傷ついていないようで、止血に四苦八苦するほどではなかった。だから医師でもない僕が手当を任されたのだ。
「消毒してから、薬草の入った軟膏を塗りますね。血止めと化膿止め、痛み止めにもなりますから、効き始めるまではもう少し我慢です」
かなり痛むはずだったが、兵隊さんは水や消毒液をかけても小さなうめき声しか漏らさなかった。絶対に大きな声は上げない。
(やっぱりこういう仕事をしてる人はすごいな……僕だったら泣きながらパニックになってそうだけど)
ちょっぴり尊敬の念を抱きながら軟膏を塗った。
この軟膏はうちの研究室の先輩が開発した新薬で、複数の薬草が絶妙な比率で配合されている。
すでに何人にも塗ったが、効果は抜群だった。後輩として誇らしい。
処置を終えた僕は身を起こし、周囲を見回した。
ここは主戦場から少し離れたところに設営された野戦病院のテントで、すでにかなりの兵がベッドを埋めている。
どうやら予想していたよりも多くの怪我人が出ているらしい。
衛生兵たちは目の回るような忙しさで、テントの中は煮えたぎる釜のようだった。
「おいアンタ、すまないが前線の第三部隊にこの薬を届けてくれないか?」
「えっ?僕ですか?」
いきなり衛生兵の一人からそう声をかけられ、僕は耳を疑った。
僕はあくまで後方支援のお手伝いとして雇われている民間人だ。前線まで出るような危険な仕事をさせられるという話は聞いていない。
「いや……それはちょっと……」
渋る僕に対して、その人は拝むように手を合わせた。
「頼む!!見ての通り、人手が足りないんだ。部隊までの道はすでにモンスターが排除されてて、安全が確保されてる。行って帰るだけだからさ……」
そこまで言った所で、その人は他の衛生兵に呼ばれた。どうやら重症者が運び込まれてくるようだ。
「頼むよ……」
薬とその言葉だけを言い残してそちらへ駆けて行く。
残された僕は悩んだ。
このまま無視しても叱られることはないだろう。事前の取り決めには無いことだし、むしろそれを命じたあの人の方が叱られるはずだ。
そんなことを考えている僕の視界に、運ばれてきた重症者の担架が目に入った。
その担架から力を失った片腕がだらりと下がっている。まるで人形のようなその腕が、僕の心をキュッと締め付けた。
(僕が行かないと、ああなる人が増えるのかな……)
そう思った瞬間、気づけば薬の入った袋を持ってテントを出ていた。
「行って帰るだけ、行って帰るだけ……」
僕は先ほど衛生兵が口にした言葉を繰り返しながら走った。
あらかじめ部隊の配置図は見せてもらっているので、第三部隊というのがどちらの方向にいるかは分かる。
(でも移動しているかもしれないよな……すぐには見つからないかも)
そう心配していたのだが、ありがたいことに山中をしばらく走るとすんなり出会えた。
「薬をお持ちしま……だ、大丈夫ですか!?」
僕は部隊の様子を見て、思わず大きな声を上げてしまった。
ほとんどの兵がかなりの傷を負っているようで、ぐったりと倒れるか座り込むかしていた。
ただ一人無傷なのは部隊に必ず配置されている衛生兵の人だけで、倒れた兵のお腹を布で押さえていた。
布には血が滲んでいる。
「来てくれたか!すぐに血止めと昇圧剤をくれ!」
衛生兵は必死の形相で叫び、僕も急いで袋から薬を取り出した。
どうやら失血性のショックを起こしかけているらしい。
「血止めです!!昇圧剤打ちます!!」
軟膏を渡してから、すぐに昇圧剤になる植物の棘を腕に刺した。
危険な状態かもしれない。僕はハラハラしながら兵隊の脈を取った。
衛生兵はそんな僕を見て、安心させるように笑ってくれた。
「多分、大丈夫だ。薬がなかったらヤバかったろうが、あればなんとかなると思う。俺が持ってた薬はモンスターに駄目にされちまってな。来てくれて助かったよ」
この言葉に、僕は胸の奥がジンと熱くなるのを感じた。
僕の行動で一人の命が救えたのだ。
普段から薬の研究はしているものの、こうやって直に誰かを助けられる実感というのは素晴らしいものだと思った。
「他の人たちの手当もしていきますね」
「あぁ、頼む。俺はまだこいつに付いていないといけなさそうだ。ただ、モンスターたちはまだ近くにいそうだから気をつけてくれ」
「えっ?そうなんですか?」
「やたら強くて素早いガーゴイルがいてな。俺たちはそいつから逃れるために後退してきたんだ。なぜかワイバーンが落ちてきて逃げ切れたんだが……もうこの辺りまで追撃して来ているかもしれん」
ガーゴイルは動く石像だから、固くて重い代わりに基本的には遅い。それが素早いとなると、確かに厄介そうだ。
「じゃ、じゃあまずはバリケードを作っておきますね」
僕は頭の蔦を伸ばし、周囲の木へとくくりつけた。
そしてその蔦を木から木へと渡していく。
僕たちドライアドは髪の毛の代わりに頭から蔦が生えている半人半植物の種族だ。その蔦を操って様々なことができる。
僕は普段から研究畑を守るためによくこうして蔦のバリケードを作っていた。
だからおっちょこちょいの僕でも手際よく蔦のバリケードを張り終えることができた。
「よし、こんなもんかな」
蔦を切り離し、ざっと見直す。
何重にもしておいたのでモンスターが入れない程度の隙間しか空いていない。
唯一天井だけは密度が低めだったが、少なくとも体の大きなワイバーンは通れないだろう。
バリケードを見た衛生兵が感心してくれた。
「おお、大したもんだが……強度は大丈夫か?」
「それはこれからです」
ご指摘はもっともで、僕の魔素では大した強度を得られない。このままでは簡単に破られてしまうだろう。
僕はカバンから一本の瓶を取り出した。そして中の液体をバリケードの蔦にかける。
「魔素入りの肥料です。これをこうしてかければ……」
濃縮百倍の液体肥料だ。
本当は千倍を持ってこようかと思っていたが、以前にクウさんに怒られたので百倍を超える濃度のものは持ち歩かないようにしている。
ただ、百倍でも効果は十分だ。蔦はメキメキと太くなり、強度がかなり上がった。
「これで大丈夫だと思います。じゃあ手当を始めますね」
僕は傷の深そうな人から順次応急手当をしていった。
手足の出血がひどければ関節を蔦で縛り、それほどでもなければ薬を塗って本人に圧迫止血をしてもらう。
骨折していそうな人には添え木を当てて蔦で縛った。
途中でオルトロスが数体現れたが、バリケードの蔦は噛みつかれても破れなかった。この様子なら応援が来るまでは持ちこたえられそうな気がする。
僕がそう安心しているところへ、衛生兵が声をかけてきた。
「なぁ、余裕ができたら天井のバリケードの密度をもっと上げておいてくれないか?」
「え?あぁ、そうですね。この幅ならキラービーくらいは入れるかもしれませんしね」
キラービー程度なら何とかなりそうだと思ったが、衛生兵は首を横に振った。
「いや、例のガーゴイルが入ってくるかもしれん」
「ガーゴイル?でもガーゴイルは重いからこんな高さは……」
バリケードは四メートル以上の高さにしてあったので、重いガーゴイルが天井から入ってこられるとは思えなかった。
「いや、それがその個体は……」
衛生兵がそこまで言ったところで、バリケードの向こうの地面でドンッ、と低い音がした。
それと同時に、蔦越しに何かの影が飛び上がるのが見える。その影はバリケードの壁を越えて、天井の蔦の隙間からするりと侵入してきた。
「ぇええっ!?嘘!!」
僕は我が目を疑った。
衛生兵の言った通り、ガーゴイルがジャンプ一発で飛び越えてきたのだ。
ガーゴイルは動く石像だが、様々なモチーフの石像があるようにその姿は様々だ。
動物のこともあれば人間のこともあるし、中には怪物だったり、武器を持っていたりするものも珍しくはない。
そのガーゴイルは半裸の裸婦像だった。見目麗しい裸婦像が、石の槍を構えている。
細身といえば細身ではあるが、それだけでこの身のこなしは説明できない。やはりかなり強い個体だと見て間違いはないだろう。
「こいつだ!!こいつのせいで俺たちの部隊は後退を余儀なくされたんだ!!」
裸婦像のガーゴイルを前にした衛生兵が、恐怖の滲んだ叫び声を上げた。他の隊員たちも同じような悲鳴を上げている。
(い、一体で部隊一つを後退させるモンスターって……)
僕は腰を抜かして尻もちをついた。
このガーゴイルは一般人の僕には想像もつかないような強さなのだろう。
素早いと言っていたし、少なくとも僕程度は一瞬で絶命させられてしまうはずだ。
そのモンスターが無機質な瞳で僕を見下ろしている。どうやら一人目の犠牲者として僕が選定されてしまったようだった。
美しい裸婦像が、槍をしごきながらこちらに一歩踏み出してくる。僕はその足音に完全なパニックを起こし、頭の蔦をメチャクチャにぶん回した。
おっちょこちょいの僕は、思えばよくこうやって蔦をグシャグシャに絡ませてしまうことが多かった。
しかしそれも今日でお終いだ。もう自分の蔦で自分をがんじがらめにすることもないだろう。
(それはそれで、なんだか寂しいな……)
僕はなぜかクウさんに蔦をほどいてもらった時のことを思い出し、妙なことを考えた。自分でも意味が分からない。
だが、もう死んでしまうのだ。何が何だっていいだろう。
僕は半ば諦めの境地で固く目を閉じていた。が、なぜかいつまで経っても槍で突かれる苦痛は訪れない。
(…………?)
僕が不思議に思い目を開けると、ガーゴイルは地面に倒れていた。
「え?なんで?」
僕はそうつぶやいたが、実はその理由はひと目見ればすぐに分かる。
ガーゴイルは僕の蔦に縛られて、完全に拘束されていた。
両手を後ろ手に縛られているだけでなく、足や胴体にも蔦が巻き付いて動けなくなっている。
適当に振り回した蔦が偶然ガーゴイルを縛りつけたようだった。
一度でも縛られた人なら分かるだろうが、多少力が強いくらいでは拘束からは抜け出せない。
人体が思い切り筋力を使える体勢というのは限られており、きちんと縛られた状態で全力を発揮するのはまず不可能だ。
このガーゴイルはかなり強い個体ということだったが、今のように縛られてしまえば僕の蔦でも拘束から逃れることはできないようだった。
「た、助かった……」
ホッと息をつく僕へ、衛生兵が称賛の声をかけてくれた。
「アンタすげぇな。でも……なんで亀甲縛り?」
「へ?」
その縛り方の名前は知らなかったが、確かに蔦の縄目は亀の甲羅によく似ていると思った。
****************
【オーク ハンプの記録】
俺の主な仕事は兵たちの訓練だ。
教官として、豚どもが出来るだけ死なないように、徹底的にしごきあげることを生業としている。
が、それをするには当然ながら俺自身が兵として高い実力を持ち合わせていなくてはならない。
だから俺自身も兵として戦えるし、今回のように大規模な戦い・難しい戦いには参加することが多かった。
「俺の可愛い豚ども……無事でいてくれよ」
祈りを込めてそうつぶやく。そしてハムストリングに魔素を込めて地を蹴った。
今回の戦いで、俺は遊撃隊として動いている。
隊と言っても一人だけなのだが、要は自分の判断で自由に戦場を駆け回っていいことになっているわけだ。
そして俺が主にやっているのが、新兵たちの救援だ。
奴らはまだ経験が浅く、危険を認識する能力が低い。自然、気づかぬうちに死の淵へ落ちかかっていることが多いため、それを救うために動くことが多かった。
「確かにこちらから聞こえたが……」
不思議なことに、俺は教え子の声ならよく聞こえた。
特に助けを求める声は、常人では聞き取れないような遠くの声でも分かるのだ。
ただし、今回はもしかしたら厳しいかもしれない。その声とはあまりにも距離がありすぎた。
(しかも一度悲鳴が聞こえてから静かになった後、しばらくしてからまた新たな悲鳴が上がった。モンスターが集まっている可能性がある)
立て続けに襲われているということは、周囲にモンスターが多い可能性が高いだろう。
一度目の悲鳴の危機はなんとか脱したのかもしれないが、早く行ってやらねば最悪の自体になりうる。
(第三部隊は特に新兵が多かったからな……)
編成の都合上、仕方ないことではあったが、それでも悔やまれる。
「頼む、俺の筋肉たち……!!」
俺は相棒たちに対して、哀願するようにつぶやいた。そして速く走るための筋肉を改めてイメージする。
大臀筋、腸腰筋、大腿四頭筋、ハムストリング、内転筋群、下腿三頭筋……
これまでの人生を共にした、最高の相棒たちだ。
俺は彼らのために最高の環境と最高のトレーニングを施してきた。望めば、きっと応えてくれるはずだ。
果たして俺の体は加速し、風のように森の中を駆け抜けた。
そして、見えてきた。
「あれか!!」
第三部隊はどうやらドライアドの蔦を使ってバリケードを築いているらしい。
そのようなことができる兵はいなかったと思うが、民間人の応援が頑張ってくれたのかもしれない。
(もし負傷兵が多くて動けないなら、悪くないやり方だ。しかし、このままではすぐに破られるな)
そのことは一目瞭然だった。
三体のワイバーンがバリケードに乗って、その天井を食い破ろうとしている。
ワイバーンは下位種とはいえドラゴンだ。その力はそこいらのモンスターよりもずっと強い。
「マッスルビーム!!」
俺はワイバーンたちに向かって思い切り拳を突き出した。
パンチの衝撃波が発生し、ワイバーンたちに襲いかかる。
それが到達するのとバリケードが破られるのがほぼ同時だった。あと一瞬遅ければ、バリケード内に降りた個体によって数人はやられていたかもしれない。
ワイバーンたちは俺のマッスルビームを食らって横に飛ばされた。
(体勢が整う前に一体は仕留める!!)
俺は全身の筋肉を固め、駆けてきた勢いそのままに跳んだ。
そして体を丸くして、一番近いワイバーンに突っ込む。
「マッスルキャノンボール!!」
己の筋肉を砲弾と化してぶつかる大技だ。
それを胴体に食らったワイバーンは詰まったような声を上げて倒れ、ピクピクと痙攣した。
確実に無力化したことを確認した俺はジャンプでバリケードを乗り越え、兵たちの元へと降りた。
「おい、豚ども!!生きてるか!?」
教え子たちは俺を見て、歓喜の声を上げた。
「ハンプ教官!」
「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!助かりました!」
「俺……もう死ぬかと……」
よほどの恐怖にさらされていたのだろう。涙ぐんでいる者が多かった。
一人、兵ではないと思われるドライアドの青年がいたが、おそらく彼がバリケードを作ってくれたのだろう。
しかもそのそばには蔦で縛られたガーゴイルがいる。なかなか優秀な青年のようだが、彼も俺を見てホッとした顔をしていた。
しかし、安心するのはまだ早い。ワイバーンはもう二体いた。
俺が空を見上げると、二体のワイバーンが俺たちの真上を旋回しながらこちらを眺めていた。
「空高くに逃れれば安心だとでも思ったか。先ほどお前たちが食らったように、人は筋肉を鍛えればビームすら放てる。そして……」
俺は身を沈ませ、しゃがみ込んで足に力を溜めた。
そして大臀筋、腸腰筋、大腿四頭筋、下腿三頭筋に魔素を込めて、バネのように跳ね上がる。
「マッスルフラーイ!!」
俺の体は天に向かって真っ直ぐに昇り、ワイバーンへと到達した。
「見たか!鍛えられた筋肉は空を飛ぶことすら可能にするのだ!」
「いや、確かにすごいですけど……めっちゃ高くジャンプしただけでは?」
ドライアドの青年がそうつぶやくのが小さく聞こえたが、全くもって認識間違いだ。
ワイバーンが安全圏だと思っているほどの高さまで行けるのだから、それは飛んでいるのと同じことだ。
(あの青年は見込みがありそうだし、今度しっかり鍛えてやって筋肉の素晴らしさを教えてやろう)
俺はそう思いつつ、驚愕に目を見開いたワイバーンの首に手を回した。
そしてチョークスリーパーでその首をへし折る。
「マッスルレンチ!!」
ゴッと鈍い音がして、一体のワイバーンは動かなくなった。
俺は空中でその死体を蹴り、もう一体のワイバーンの背中へと飛び移った。
突然背中に乗られたワイバーンは驚き、俺を振り落とそうと暴れまわった。
しかし鍛え上げられた俺の屈筋はワイバーンの表皮を掴んで離さない。
そして反対の手で、首の根本に思い切り拳を叩きつけてやった。
「マッスルハンマー!!」
拳はワイバーンの体に深くめり込み、一撃で仕留めることができた。
「よし、これで終わり……しまった!!」
俺は地表に目を向けて自分の油断を知った。
ワイバーンはもう一体いたのだ。
木々やバリケードで死角になっている位置にいて、気が付かなかったようだ。
そのワイバーンは俺がジャンプした後にバリケードへと侵入してきたらしい。
鋭い牙が、今まさにドライアドの青年に襲いかかるところだった。
「間に合え!!」
俺はワイバーンの体を思い切り蹴り、地表に向かって弾丸のように飛んだ。
そして間一髪のところで青年の前に着地し、ワイバーンの牙を掴むことができた。
ワイバーンは顎を横にねじらせ、俺のことを噛み千切ろうと力を込めてくる。
俺は上下の牙をそれぞれ両手で押さえ、腕を広げてそれに耐えた。
「……いいだろう。貴様の咬筋と俺の僧帽筋、どちらが強いか勝負だ!!」
俺は楽しくなってきた。ドラゴンと筋肉比べをできることなど、なかなかないだろう。
ワイバーンの顎の力はさすがに強い。岩ですら噛み砕くと聞いたことがあるが、確かにそれくらいはできそうだ。
「なかなかやるな……しかし貴様程度、俺の相棒の敵ではない。くらえ、マッスルオーガ!!」
俺は肩から背中にかけての相棒を覚醒させた。
そして腕を思い切り開く。
ワイバーンの顎は二つに裂け、それと同時に俺の背後でドライアドの青年のつぶやきがこぼれた。
「せ、背中に鬼がいる……」
****************
【マイコニド ピノの記録】
「第三部隊、救援が間に合ったようです。死者もいません」
私は地面から伸びた腰ほどの高さのキノコに手を当て、評議長のフレイ様にそう報告した。
フレイ様はホッと息を吐いてからうなずいた。
「それはよかった。ですが、応援に向かわせた部隊がもう着いたのですか?随分早いようですが……」
「いえ、この魔素はおそらく遊撃隊のハンプ教官でしょう。危機を察知して向かわれたのだと思います」
「あぁ、なるほど。彼は教え子のピンチに敏感ですからね」
「それと第三部隊が後退する原因になった強個体のガーゴイルですが、どうやら無力化することに成功したようです。こちらは私の知人であるドライアドの学生の功績のようですが」
私は目の前の大きなキノコに意識を集中しながら、考えられる事態を報告した。
もちろんこのキノコはただのキノコではなく、菌糸魔法だ。
キノコから伸びる菌糸が主戦場のほとんどに広がっており、菌糸が感じた魔素をキノコから読み取ることができる。
私はそれを用いて戦場全体の状況を把握できるのだ。
私とフレイ様は全軍に指揮を出す本営にいるが、本営にはいくつかの予備隊が置かれている。
それを状況に応じて必要な箇所に投入していくのがここで一番大きな仕事になる。
それには戦場全体の状況把握が何よりも大切で、そのために私の特殊な菌糸魔法が用いられているのだった。
(ここまで広範囲に広がれる生物は他にいません。やはりキノコは偉大ですね)
私は心の中でそのことに満足し、小さくうなずいた。
しかしフレイ様の方は私の報告に首を傾げた。
「ドライアドの民間人の学生……というと、野戦病院の手伝いで雇われているだけのはずですが。前線に出すような雇用契約にはなっていませんし、何よりそれほど戦えるとは思ってもみませんでした」
それは私にとっても意外なことだった。
キノコから感じる魔素は確かにダナオス様のもののようだったが、彼はさほどの戦闘力を持ち合わせてはいないはずだ。
(そういう星回りの人なのかもしれませんね)
何となく、そう思った。
二百年以上も生きていると、そういう不思議なものを感じることがある。
ハンプ教官の方もそうだ。
いくら教え子のピンチに敏感と言っても、私が感知したハンプ教官の移動距離は間違っても悲鳴などが聞こえるような距離ではない。
そういった説明のつかないことが世の中にはいくつもあるものだ。
「何にせよ、お二人のおかげで第三部隊は救われました。死者が出なくてよかった」
私は胸を撫で下ろした。
これまで上手く予備隊を投入できていたため、死者は一人も出ていないのだ。
それが強個体のガーゴイル一体を契機にして、崩れそうになっていた。
今行かせている予備隊が着けばこの方面も立て直せるだろう。
「死者が出ていないのはピノさんの功績が一番大きいと思いますよ。戦場全体の状況が感知できる魔法、これがあるのとないのでは戦い方がまるで違います」
「ありがとうございます。ですがその情報をきちんと使えているのはフレイさんを始め、首脳部が優秀だからですよ」
「先ほどあわや部隊一つを潰してしまうところでしたがね」
フレイ様は冗談めかして笑ってみせたが、そんなに軽く思ってはいないことを私は知っている。
第三部隊の危機を認識した時、フレイ様は自らを罰するようにして自身の腕に爪を立てていた。
服の下ではきっと内出血になっているだろう。
私はポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認した。
「フレイ様、そろそろお時間のようです」
「分かりました。全部隊に進行速度を下げるよう伝令を出しましょう。無理はせず、危険があるようなら第三部隊のように躊躇なく後退させます」
伝令係の兵が呼ばれ、フレイ様はその旨を伝えた。
「作戦開始前にも伝えましたが、くれぐれも無理はしないように再度伝達してください。こちらの戦場は、あくまで囮ですからね」
※オマケイラストです※
***************
☆元ネタ&雑学コーナー☆
ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。
本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。
〈ロボットアニメとG〉
ロボットアニメ、いいですよね。
血が滾ります。
でも科学的には色々問題がありまして、特に有人機の場合は『中に入ってる人間がGや揺れに耐えられない』という点が指摘されています。
ロボット本体は科学技術や新素材によってある程度可能になっていきそうな気もしますが、人間の強度だけはどうしょうもない。
作中ではファンタジーらしく魔法の道具でなんとかしていますが、純科学の作品では頭を悩ませそうです。
〈亀甲縛り〉
SMに興味がない方でも『亀甲縛り』という縛り方の名前は聞いたことがあると思います。
『体の色んな部位が強調されるいやらしい縛り方』
というイメージがありますが、元々はそんな目的などまったくない、実用的なものだったそうです。
例えば米俵のように大きくて重いものは、普通に縛ると縄がずれたり、中身が片寄ったりしてしまいます。
それで多角形の網目を作ることで安定させようとしたのがその起源だと言われています。
また亀の甲羅は縁起が良いものだという認識もあったため、広まったということもあるらしいです。
そういうことを考えると、『亀甲縛り=恥ずかしいもの』という認識は、その認識自体が恥ずかしいものなのかもしれません。
***************
お読みいただき、ありがとうございました。
気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。
それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m
「ちょっとしみますけど我慢してくださいね」
僕は担架に乗せられた兵隊さんのふくらはぎを水で洗った。
ただ汚れているからではない。モンスターに噛まれて結構な創傷になっていたからだ。
と言っても大きな血管は傷ついていないようで、止血に四苦八苦するほどではなかった。だから医師でもない僕が手当を任されたのだ。
「消毒してから、薬草の入った軟膏を塗りますね。血止めと化膿止め、痛み止めにもなりますから、効き始めるまではもう少し我慢です」
かなり痛むはずだったが、兵隊さんは水や消毒液をかけても小さなうめき声しか漏らさなかった。絶対に大きな声は上げない。
(やっぱりこういう仕事をしてる人はすごいな……僕だったら泣きながらパニックになってそうだけど)
ちょっぴり尊敬の念を抱きながら軟膏を塗った。
この軟膏はうちの研究室の先輩が開発した新薬で、複数の薬草が絶妙な比率で配合されている。
すでに何人にも塗ったが、効果は抜群だった。後輩として誇らしい。
処置を終えた僕は身を起こし、周囲を見回した。
ここは主戦場から少し離れたところに設営された野戦病院のテントで、すでにかなりの兵がベッドを埋めている。
どうやら予想していたよりも多くの怪我人が出ているらしい。
衛生兵たちは目の回るような忙しさで、テントの中は煮えたぎる釜のようだった。
「おいアンタ、すまないが前線の第三部隊にこの薬を届けてくれないか?」
「えっ?僕ですか?」
いきなり衛生兵の一人からそう声をかけられ、僕は耳を疑った。
僕はあくまで後方支援のお手伝いとして雇われている民間人だ。前線まで出るような危険な仕事をさせられるという話は聞いていない。
「いや……それはちょっと……」
渋る僕に対して、その人は拝むように手を合わせた。
「頼む!!見ての通り、人手が足りないんだ。部隊までの道はすでにモンスターが排除されてて、安全が確保されてる。行って帰るだけだからさ……」
そこまで言った所で、その人は他の衛生兵に呼ばれた。どうやら重症者が運び込まれてくるようだ。
「頼むよ……」
薬とその言葉だけを言い残してそちらへ駆けて行く。
残された僕は悩んだ。
このまま無視しても叱られることはないだろう。事前の取り決めには無いことだし、むしろそれを命じたあの人の方が叱られるはずだ。
そんなことを考えている僕の視界に、運ばれてきた重症者の担架が目に入った。
その担架から力を失った片腕がだらりと下がっている。まるで人形のようなその腕が、僕の心をキュッと締め付けた。
(僕が行かないと、ああなる人が増えるのかな……)
そう思った瞬間、気づけば薬の入った袋を持ってテントを出ていた。
「行って帰るだけ、行って帰るだけ……」
僕は先ほど衛生兵が口にした言葉を繰り返しながら走った。
あらかじめ部隊の配置図は見せてもらっているので、第三部隊というのがどちらの方向にいるかは分かる。
(でも移動しているかもしれないよな……すぐには見つからないかも)
そう心配していたのだが、ありがたいことに山中をしばらく走るとすんなり出会えた。
「薬をお持ちしま……だ、大丈夫ですか!?」
僕は部隊の様子を見て、思わず大きな声を上げてしまった。
ほとんどの兵がかなりの傷を負っているようで、ぐったりと倒れるか座り込むかしていた。
ただ一人無傷なのは部隊に必ず配置されている衛生兵の人だけで、倒れた兵のお腹を布で押さえていた。
布には血が滲んでいる。
「来てくれたか!すぐに血止めと昇圧剤をくれ!」
衛生兵は必死の形相で叫び、僕も急いで袋から薬を取り出した。
どうやら失血性のショックを起こしかけているらしい。
「血止めです!!昇圧剤打ちます!!」
軟膏を渡してから、すぐに昇圧剤になる植物の棘を腕に刺した。
危険な状態かもしれない。僕はハラハラしながら兵隊の脈を取った。
衛生兵はそんな僕を見て、安心させるように笑ってくれた。
「多分、大丈夫だ。薬がなかったらヤバかったろうが、あればなんとかなると思う。俺が持ってた薬はモンスターに駄目にされちまってな。来てくれて助かったよ」
この言葉に、僕は胸の奥がジンと熱くなるのを感じた。
僕の行動で一人の命が救えたのだ。
普段から薬の研究はしているものの、こうやって直に誰かを助けられる実感というのは素晴らしいものだと思った。
「他の人たちの手当もしていきますね」
「あぁ、頼む。俺はまだこいつに付いていないといけなさそうだ。ただ、モンスターたちはまだ近くにいそうだから気をつけてくれ」
「えっ?そうなんですか?」
「やたら強くて素早いガーゴイルがいてな。俺たちはそいつから逃れるために後退してきたんだ。なぜかワイバーンが落ちてきて逃げ切れたんだが……もうこの辺りまで追撃して来ているかもしれん」
ガーゴイルは動く石像だから、固くて重い代わりに基本的には遅い。それが素早いとなると、確かに厄介そうだ。
「じゃ、じゃあまずはバリケードを作っておきますね」
僕は頭の蔦を伸ばし、周囲の木へとくくりつけた。
そしてその蔦を木から木へと渡していく。
僕たちドライアドは髪の毛の代わりに頭から蔦が生えている半人半植物の種族だ。その蔦を操って様々なことができる。
僕は普段から研究畑を守るためによくこうして蔦のバリケードを作っていた。
だからおっちょこちょいの僕でも手際よく蔦のバリケードを張り終えることができた。
「よし、こんなもんかな」
蔦を切り離し、ざっと見直す。
何重にもしておいたのでモンスターが入れない程度の隙間しか空いていない。
唯一天井だけは密度が低めだったが、少なくとも体の大きなワイバーンは通れないだろう。
バリケードを見た衛生兵が感心してくれた。
「おお、大したもんだが……強度は大丈夫か?」
「それはこれからです」
ご指摘はもっともで、僕の魔素では大した強度を得られない。このままでは簡単に破られてしまうだろう。
僕はカバンから一本の瓶を取り出した。そして中の液体をバリケードの蔦にかける。
「魔素入りの肥料です。これをこうしてかければ……」
濃縮百倍の液体肥料だ。
本当は千倍を持ってこようかと思っていたが、以前にクウさんに怒られたので百倍を超える濃度のものは持ち歩かないようにしている。
ただ、百倍でも効果は十分だ。蔦はメキメキと太くなり、強度がかなり上がった。
「これで大丈夫だと思います。じゃあ手当を始めますね」
僕は傷の深そうな人から順次応急手当をしていった。
手足の出血がひどければ関節を蔦で縛り、それほどでもなければ薬を塗って本人に圧迫止血をしてもらう。
骨折していそうな人には添え木を当てて蔦で縛った。
途中でオルトロスが数体現れたが、バリケードの蔦は噛みつかれても破れなかった。この様子なら応援が来るまでは持ちこたえられそうな気がする。
僕がそう安心しているところへ、衛生兵が声をかけてきた。
「なぁ、余裕ができたら天井のバリケードの密度をもっと上げておいてくれないか?」
「え?あぁ、そうですね。この幅ならキラービーくらいは入れるかもしれませんしね」
キラービー程度なら何とかなりそうだと思ったが、衛生兵は首を横に振った。
「いや、例のガーゴイルが入ってくるかもしれん」
「ガーゴイル?でもガーゴイルは重いからこんな高さは……」
バリケードは四メートル以上の高さにしてあったので、重いガーゴイルが天井から入ってこられるとは思えなかった。
「いや、それがその個体は……」
衛生兵がそこまで言ったところで、バリケードの向こうの地面でドンッ、と低い音がした。
それと同時に、蔦越しに何かの影が飛び上がるのが見える。その影はバリケードの壁を越えて、天井の蔦の隙間からするりと侵入してきた。
「ぇええっ!?嘘!!」
僕は我が目を疑った。
衛生兵の言った通り、ガーゴイルがジャンプ一発で飛び越えてきたのだ。
ガーゴイルは動く石像だが、様々なモチーフの石像があるようにその姿は様々だ。
動物のこともあれば人間のこともあるし、中には怪物だったり、武器を持っていたりするものも珍しくはない。
そのガーゴイルは半裸の裸婦像だった。見目麗しい裸婦像が、石の槍を構えている。
細身といえば細身ではあるが、それだけでこの身のこなしは説明できない。やはりかなり強い個体だと見て間違いはないだろう。
「こいつだ!!こいつのせいで俺たちの部隊は後退を余儀なくされたんだ!!」
裸婦像のガーゴイルを前にした衛生兵が、恐怖の滲んだ叫び声を上げた。他の隊員たちも同じような悲鳴を上げている。
(い、一体で部隊一つを後退させるモンスターって……)
僕は腰を抜かして尻もちをついた。
このガーゴイルは一般人の僕には想像もつかないような強さなのだろう。
素早いと言っていたし、少なくとも僕程度は一瞬で絶命させられてしまうはずだ。
そのモンスターが無機質な瞳で僕を見下ろしている。どうやら一人目の犠牲者として僕が選定されてしまったようだった。
美しい裸婦像が、槍をしごきながらこちらに一歩踏み出してくる。僕はその足音に完全なパニックを起こし、頭の蔦をメチャクチャにぶん回した。
おっちょこちょいの僕は、思えばよくこうやって蔦をグシャグシャに絡ませてしまうことが多かった。
しかしそれも今日でお終いだ。もう自分の蔦で自分をがんじがらめにすることもないだろう。
(それはそれで、なんだか寂しいな……)
僕はなぜかクウさんに蔦をほどいてもらった時のことを思い出し、妙なことを考えた。自分でも意味が分からない。
だが、もう死んでしまうのだ。何が何だっていいだろう。
僕は半ば諦めの境地で固く目を閉じていた。が、なぜかいつまで経っても槍で突かれる苦痛は訪れない。
(…………?)
僕が不思議に思い目を開けると、ガーゴイルは地面に倒れていた。
「え?なんで?」
僕はそうつぶやいたが、実はその理由はひと目見ればすぐに分かる。
ガーゴイルは僕の蔦に縛られて、完全に拘束されていた。
両手を後ろ手に縛られているだけでなく、足や胴体にも蔦が巻き付いて動けなくなっている。
適当に振り回した蔦が偶然ガーゴイルを縛りつけたようだった。
一度でも縛られた人なら分かるだろうが、多少力が強いくらいでは拘束からは抜け出せない。
人体が思い切り筋力を使える体勢というのは限られており、きちんと縛られた状態で全力を発揮するのはまず不可能だ。
このガーゴイルはかなり強い個体ということだったが、今のように縛られてしまえば僕の蔦でも拘束から逃れることはできないようだった。
「た、助かった……」
ホッと息をつく僕へ、衛生兵が称賛の声をかけてくれた。
「アンタすげぇな。でも……なんで亀甲縛り?」
「へ?」
その縛り方の名前は知らなかったが、確かに蔦の縄目は亀の甲羅によく似ていると思った。
****************
【オーク ハンプの記録】
俺の主な仕事は兵たちの訓練だ。
教官として、豚どもが出来るだけ死なないように、徹底的にしごきあげることを生業としている。
が、それをするには当然ながら俺自身が兵として高い実力を持ち合わせていなくてはならない。
だから俺自身も兵として戦えるし、今回のように大規模な戦い・難しい戦いには参加することが多かった。
「俺の可愛い豚ども……無事でいてくれよ」
祈りを込めてそうつぶやく。そしてハムストリングに魔素を込めて地を蹴った。
今回の戦いで、俺は遊撃隊として動いている。
隊と言っても一人だけなのだが、要は自分の判断で自由に戦場を駆け回っていいことになっているわけだ。
そして俺が主にやっているのが、新兵たちの救援だ。
奴らはまだ経験が浅く、危険を認識する能力が低い。自然、気づかぬうちに死の淵へ落ちかかっていることが多いため、それを救うために動くことが多かった。
「確かにこちらから聞こえたが……」
不思議なことに、俺は教え子の声ならよく聞こえた。
特に助けを求める声は、常人では聞き取れないような遠くの声でも分かるのだ。
ただし、今回はもしかしたら厳しいかもしれない。その声とはあまりにも距離がありすぎた。
(しかも一度悲鳴が聞こえてから静かになった後、しばらくしてからまた新たな悲鳴が上がった。モンスターが集まっている可能性がある)
立て続けに襲われているということは、周囲にモンスターが多い可能性が高いだろう。
一度目の悲鳴の危機はなんとか脱したのかもしれないが、早く行ってやらねば最悪の自体になりうる。
(第三部隊は特に新兵が多かったからな……)
編成の都合上、仕方ないことではあったが、それでも悔やまれる。
「頼む、俺の筋肉たち……!!」
俺は相棒たちに対して、哀願するようにつぶやいた。そして速く走るための筋肉を改めてイメージする。
大臀筋、腸腰筋、大腿四頭筋、ハムストリング、内転筋群、下腿三頭筋……
これまでの人生を共にした、最高の相棒たちだ。
俺は彼らのために最高の環境と最高のトレーニングを施してきた。望めば、きっと応えてくれるはずだ。
果たして俺の体は加速し、風のように森の中を駆け抜けた。
そして、見えてきた。
「あれか!!」
第三部隊はどうやらドライアドの蔦を使ってバリケードを築いているらしい。
そのようなことができる兵はいなかったと思うが、民間人の応援が頑張ってくれたのかもしれない。
(もし負傷兵が多くて動けないなら、悪くないやり方だ。しかし、このままではすぐに破られるな)
そのことは一目瞭然だった。
三体のワイバーンがバリケードに乗って、その天井を食い破ろうとしている。
ワイバーンは下位種とはいえドラゴンだ。その力はそこいらのモンスターよりもずっと強い。
「マッスルビーム!!」
俺はワイバーンたちに向かって思い切り拳を突き出した。
パンチの衝撃波が発生し、ワイバーンたちに襲いかかる。
それが到達するのとバリケードが破られるのがほぼ同時だった。あと一瞬遅ければ、バリケード内に降りた個体によって数人はやられていたかもしれない。
ワイバーンたちは俺のマッスルビームを食らって横に飛ばされた。
(体勢が整う前に一体は仕留める!!)
俺は全身の筋肉を固め、駆けてきた勢いそのままに跳んだ。
そして体を丸くして、一番近いワイバーンに突っ込む。
「マッスルキャノンボール!!」
己の筋肉を砲弾と化してぶつかる大技だ。
それを胴体に食らったワイバーンは詰まったような声を上げて倒れ、ピクピクと痙攣した。
確実に無力化したことを確認した俺はジャンプでバリケードを乗り越え、兵たちの元へと降りた。
「おい、豚ども!!生きてるか!?」
教え子たちは俺を見て、歓喜の声を上げた。
「ハンプ教官!」
「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!助かりました!」
「俺……もう死ぬかと……」
よほどの恐怖にさらされていたのだろう。涙ぐんでいる者が多かった。
一人、兵ではないと思われるドライアドの青年がいたが、おそらく彼がバリケードを作ってくれたのだろう。
しかもそのそばには蔦で縛られたガーゴイルがいる。なかなか優秀な青年のようだが、彼も俺を見てホッとした顔をしていた。
しかし、安心するのはまだ早い。ワイバーンはもう二体いた。
俺が空を見上げると、二体のワイバーンが俺たちの真上を旋回しながらこちらを眺めていた。
「空高くに逃れれば安心だとでも思ったか。先ほどお前たちが食らったように、人は筋肉を鍛えればビームすら放てる。そして……」
俺は身を沈ませ、しゃがみ込んで足に力を溜めた。
そして大臀筋、腸腰筋、大腿四頭筋、下腿三頭筋に魔素を込めて、バネのように跳ね上がる。
「マッスルフラーイ!!」
俺の体は天に向かって真っ直ぐに昇り、ワイバーンへと到達した。
「見たか!鍛えられた筋肉は空を飛ぶことすら可能にするのだ!」
「いや、確かにすごいですけど……めっちゃ高くジャンプしただけでは?」
ドライアドの青年がそうつぶやくのが小さく聞こえたが、全くもって認識間違いだ。
ワイバーンが安全圏だと思っているほどの高さまで行けるのだから、それは飛んでいるのと同じことだ。
(あの青年は見込みがありそうだし、今度しっかり鍛えてやって筋肉の素晴らしさを教えてやろう)
俺はそう思いつつ、驚愕に目を見開いたワイバーンの首に手を回した。
そしてチョークスリーパーでその首をへし折る。
「マッスルレンチ!!」
ゴッと鈍い音がして、一体のワイバーンは動かなくなった。
俺は空中でその死体を蹴り、もう一体のワイバーンの背中へと飛び移った。
突然背中に乗られたワイバーンは驚き、俺を振り落とそうと暴れまわった。
しかし鍛え上げられた俺の屈筋はワイバーンの表皮を掴んで離さない。
そして反対の手で、首の根本に思い切り拳を叩きつけてやった。
「マッスルハンマー!!」
拳はワイバーンの体に深くめり込み、一撃で仕留めることができた。
「よし、これで終わり……しまった!!」
俺は地表に目を向けて自分の油断を知った。
ワイバーンはもう一体いたのだ。
木々やバリケードで死角になっている位置にいて、気が付かなかったようだ。
そのワイバーンは俺がジャンプした後にバリケードへと侵入してきたらしい。
鋭い牙が、今まさにドライアドの青年に襲いかかるところだった。
「間に合え!!」
俺はワイバーンの体を思い切り蹴り、地表に向かって弾丸のように飛んだ。
そして間一髪のところで青年の前に着地し、ワイバーンの牙を掴むことができた。
ワイバーンは顎を横にねじらせ、俺のことを噛み千切ろうと力を込めてくる。
俺は上下の牙をそれぞれ両手で押さえ、腕を広げてそれに耐えた。
「……いいだろう。貴様の咬筋と俺の僧帽筋、どちらが強いか勝負だ!!」
俺は楽しくなってきた。ドラゴンと筋肉比べをできることなど、なかなかないだろう。
ワイバーンの顎の力はさすがに強い。岩ですら噛み砕くと聞いたことがあるが、確かにそれくらいはできそうだ。
「なかなかやるな……しかし貴様程度、俺の相棒の敵ではない。くらえ、マッスルオーガ!!」
俺は肩から背中にかけての相棒を覚醒させた。
そして腕を思い切り開く。
ワイバーンの顎は二つに裂け、それと同時に俺の背後でドライアドの青年のつぶやきがこぼれた。
「せ、背中に鬼がいる……」
****************
【マイコニド ピノの記録】
「第三部隊、救援が間に合ったようです。死者もいません」
私は地面から伸びた腰ほどの高さのキノコに手を当て、評議長のフレイ様にそう報告した。
フレイ様はホッと息を吐いてからうなずいた。
「それはよかった。ですが、応援に向かわせた部隊がもう着いたのですか?随分早いようですが……」
「いえ、この魔素はおそらく遊撃隊のハンプ教官でしょう。危機を察知して向かわれたのだと思います」
「あぁ、なるほど。彼は教え子のピンチに敏感ですからね」
「それと第三部隊が後退する原因になった強個体のガーゴイルですが、どうやら無力化することに成功したようです。こちらは私の知人であるドライアドの学生の功績のようですが」
私は目の前の大きなキノコに意識を集中しながら、考えられる事態を報告した。
もちろんこのキノコはただのキノコではなく、菌糸魔法だ。
キノコから伸びる菌糸が主戦場のほとんどに広がっており、菌糸が感じた魔素をキノコから読み取ることができる。
私はそれを用いて戦場全体の状況を把握できるのだ。
私とフレイ様は全軍に指揮を出す本営にいるが、本営にはいくつかの予備隊が置かれている。
それを状況に応じて必要な箇所に投入していくのがここで一番大きな仕事になる。
それには戦場全体の状況把握が何よりも大切で、そのために私の特殊な菌糸魔法が用いられているのだった。
(ここまで広範囲に広がれる生物は他にいません。やはりキノコは偉大ですね)
私は心の中でそのことに満足し、小さくうなずいた。
しかしフレイ様の方は私の報告に首を傾げた。
「ドライアドの民間人の学生……というと、野戦病院の手伝いで雇われているだけのはずですが。前線に出すような雇用契約にはなっていませんし、何よりそれほど戦えるとは思ってもみませんでした」
それは私にとっても意外なことだった。
キノコから感じる魔素は確かにダナオス様のもののようだったが、彼はさほどの戦闘力を持ち合わせてはいないはずだ。
(そういう星回りの人なのかもしれませんね)
何となく、そう思った。
二百年以上も生きていると、そういう不思議なものを感じることがある。
ハンプ教官の方もそうだ。
いくら教え子のピンチに敏感と言っても、私が感知したハンプ教官の移動距離は間違っても悲鳴などが聞こえるような距離ではない。
そういった説明のつかないことが世の中にはいくつもあるものだ。
「何にせよ、お二人のおかげで第三部隊は救われました。死者が出なくてよかった」
私は胸を撫で下ろした。
これまで上手く予備隊を投入できていたため、死者は一人も出ていないのだ。
それが強個体のガーゴイル一体を契機にして、崩れそうになっていた。
今行かせている予備隊が着けばこの方面も立て直せるだろう。
「死者が出ていないのはピノさんの功績が一番大きいと思いますよ。戦場全体の状況が感知できる魔法、これがあるのとないのでは戦い方がまるで違います」
「ありがとうございます。ですがその情報をきちんと使えているのはフレイさんを始め、首脳部が優秀だからですよ」
「先ほどあわや部隊一つを潰してしまうところでしたがね」
フレイ様は冗談めかして笑ってみせたが、そんなに軽く思ってはいないことを私は知っている。
第三部隊の危機を認識した時、フレイ様は自らを罰するようにして自身の腕に爪を立てていた。
服の下ではきっと内出血になっているだろう。
私はポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認した。
「フレイ様、そろそろお時間のようです」
「分かりました。全部隊に進行速度を下げるよう伝令を出しましょう。無理はせず、危険があるようなら第三部隊のように躊躇なく後退させます」
伝令係の兵が呼ばれ、フレイ様はその旨を伝えた。
「作戦開始前にも伝えましたが、くれぐれも無理はしないように再度伝達してください。こちらの戦場は、あくまで囮ですからね」
※オマケイラストです※
***************
☆元ネタ&雑学コーナー☆
ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。
本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。
〈ロボットアニメとG〉
ロボットアニメ、いいですよね。
血が滾ります。
でも科学的には色々問題がありまして、特に有人機の場合は『中に入ってる人間がGや揺れに耐えられない』という点が指摘されています。
ロボット本体は科学技術や新素材によってある程度可能になっていきそうな気もしますが、人間の強度だけはどうしょうもない。
作中ではファンタジーらしく魔法の道具でなんとかしていますが、純科学の作品では頭を悩ませそうです。
〈亀甲縛り〉
SMに興味がない方でも『亀甲縛り』という縛り方の名前は聞いたことがあると思います。
『体の色んな部位が強調されるいやらしい縛り方』
というイメージがありますが、元々はそんな目的などまったくない、実用的なものだったそうです。
例えば米俵のように大きくて重いものは、普通に縛ると縄がずれたり、中身が片寄ったりしてしまいます。
それで多角形の網目を作ることで安定させようとしたのがその起源だと言われています。
また亀の甲羅は縁起が良いものだという認識もあったため、広まったということもあるらしいです。
そういうことを考えると、『亀甲縛り=恥ずかしいもの』という認識は、その認識自体が恥ずかしいものなのかもしれません。
***************
お読みいただき、ありがとうございました。
気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。
それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m
48
お気に入りに追加
527
あなたにおすすめの小説
分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活
SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。
クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。
これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
社長の奴隷
星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件
フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる