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26イエティ1

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(何あれ……誘ってるのかしら?)

 私はその暖かそうな体を見て、そんなことを考えた。

 誰しも人肌恋しい時はある。生きていれば、心も体も寒くて仕方ない時があるものだ。

 今の私がまさにそうで、目の前の男性に今すぐ抱かれたいと思った。

 全身毛むくじゃらではあったが、その長い体毛がまた私を惹き寄せる。

 きっと私を暖めてくれるその体は、もはやメスを誘っているとしか思えなかった。

「だ、抱いてください……!!」

 その赤面するようなセリフを口にしたのは私ではない。サスケだ。

 サスケは目の前の白い毛むくじゃらの大男へと倒れ込むように抱きついた。

(先を越された!!……っていうか、何これ?どんなBL?)

 私は大男に抱いてくれるよう請うサスケの姿を目に焼き付けた。良いセルフケアのネタになりそうだ。

「おめぇら、この吹雪の中を歩いてきたのか?よく死ななかったな」

 毛むくじゃらの男性は野太い声でそう言った。

 私とサスケの後ろには猛吹雪の真っ白な世界が広がっており、前には大男さんと暖かい山小屋とがあった。

 私たちは吹雪の雪山を進んできて、奇跡的に山小屋へとたどり着いたのだ。

「とりあえず入れ入れ。イエティの体もあったけぇが、それよりも暖炉の前に行け」

 大男さんはサスケを抱きかかえるようにして暖炉のそばに連れて行ってやった。

 サスケは火に当たりながらガタガタと震えた。

 もともと水色の体ではあるが、今はそれがよりいっそう青ざめて見える。

 私も急いで隣りへ行こうとしたが大男さんがそれを止めた。

「ちょっと待て。濡れた服を着たままじゃなかなか暖まらねぇ。まずは隣の部屋で服を脱いでから来な。そんで女の子が脱いでる間にスライムのお前も脱げ」

 大男さんは私に大きなタオルを押し付けながら、奥の扉を指さした。そちらの部屋で服を脱いだ上で、このタオルを巻いて来いと言うことだろう。

 私が言われた通りにして戻ってくると、サスケも同じようにタオル一枚になっていた。

 その終わりに座って暖炉の火に当たった私は、ほぉっと安堵の息を吐く。これほど火がありがたいと思ったことがあっただろうか。



「あ、ありがとうございました」

 まともにお礼も言えなさそうなサスケに代わって私が頭を下げた。

「私たち、仕事でこの山に来てて……でもこんな吹雪になるなんて思わなくて……」

 大男さんは暖炉にかかっていたヤカンを下ろし、中の暖かい飲み物をコップに入れながらうなずいた。

「この時期にこれほど吹雪くことはめったにないからなぁ」

「やっぱりそうなんですか?麓の村の人に聞いた時も、まだ大丈夫だろうって言われました」

「そりゃ必ずしも間違いじゃねぇな。悪く思わないでやってくれ。ほらよ」

 大男さんはコップを私たちに差し出してくれた。

 中身は不思議な香りがするお茶で、飲むと喉から食道が熱くなるような感じがした。

 冷えた体に染み渡るようで、ちょっと驚くほど美味しい。

「寒い時には特に美味いだろう?そういう茶だ」

 大男さんは長い体毛から覗くつぶらな瞳を細めた。

 そばに立つと威圧感があるほどの巨体だが、その笑顔はとても人懐っこい。

「俺の名前はズー。見ての通りイエティだよ。まぁ、ゆっくり休んでいけや」

 ズーさんの外見は、一言で言ってしまえば雪男だ。

 白くて長い体毛が全身を覆っている。それがイエティという種族なのだろう。

「ご迷惑おかけしてすいません。私はクウっていいます。こっちの弱りきってるのはサスケです」

 私はいまだに震え続けるサスケの紹介もしてあげた。サスケはかろうじて頭だけ下げる。

 ズーさんはサスケの濡れたコートを脱がして毛布をかけてやった。

「スライムは他の種族よりも凍りやすいからな。本当によくここまで来られたもんだ」

「えっ!?そんな……サスケがスライムは寒くても大丈夫だっていうから私がレッドを巻いてたのに……」

 私の服の中からレッドスライムのレッドがにゅるりと出てきた。

 寒くなってきた時点で腰回りに巻いて体を暖めていたのだ。それでもだいぶ寒かったが。

 サスケにも交代で使うよう言ったのだが、サスケは大丈夫だと言うばかりでレッドを巻こうとしなかった。

「ちょっとサスケ!そんな無理してまで頑張らないでよ!それで倒れられたら私の方がキツイよ!」

「ごめん……なんか……イケるかなって思って」

「全然イケてないじゃんか!!」

 怒る私をズーさんがなだめた。

「まぁまぁ。仲間思いでやったことだろうからな。だが、雪山で大切なのは客観的な判断と助け合いだ。褒められたことじゃねぇぞ?おめぇが危険になったらツレだって危険になるんだからな」

「……ごめんなさい」

 謝るサスケを見ても私はまだ許す気になれなかったが、それでもこれだけ辛い目に遭えば本人も身にしみてはいるだろう。

 ズーさんはサスケの肩をポンポンと叩いてやった。

「よし。ちゃんと反省してんならこれ以上責めなくてもいいだろう。しかしレッドスライムを巻いての登山は俺も初めて見た。クウって言ったな。おめぇ召喚士か?」

「はい」

「よく考えたもんだが、レッドスライムは快適だったか?」

「それが……寒いと思ってだいぶ熱くしたら、今度は汗かいてそれが冷えて寒くなって……」

 そう、意外にもレッドスライムを巻いておけば快適というわけではなく、それでもかなり寒い思いをしたのだ。

 いま言った汗もそうだし、歩きながら末端まで暖めるのも難しい。

 いないよりはいた方が絶対いいが、レッドスライムがいれば雪山は大丈夫、というレベルには程遠かった。

 ズーさんは腕を組んでうんうんとうなずいた。

「そうだろうな。雪山での体温調節は登山に慣れてる人間でも相当難しい。俺らイエティでも小さい頃は魔素の調節ミスって体調崩すことがあるくらいだ。まぁこんな天気の日は外に出ず、山小屋でじっとしてるのが一番だな」

「それがそうもいかなくて……」

 私はカバンの中から小さな包みを取り出した。

「私たちのお仕事はこの荷物をミイさんって人に届けることなんですけど、今日中に絶対届けるように言われてるんです。でもミイさんの家はもっと山奥らしくて……」

 今回私たちが受けた仕事は荷物の配達だ。

 プティアの街からここまでかなりの距離があったが、ケンタウロスのケイロンさんに乗せてもらったのでそれほどの時間はかからなかった。

 遠方でのお仕事の時にはよくお願いして運んでもらっている。

 ケイロンさんの鞍には二人までは乗れるので、今日はサスケと二人乗りだ。

(先に麓の村の荷物を配ったのが失敗だったんだよね……)

 私はここまでの道中、何度もそれを思い出して後悔していた。

 配達物のほとんどは麓の村宛だったのだ。ミイさんの家が最も遠かったため、最後にしてしまったのが運の尽きだった。

 朝からずっと快晴だったのに、登山中に急に薄暗くなり、雪が降り始め、最終的に今の猛吹雪に至る。

 山の天気は変わりやすいとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。

「詳しくは聞いてないんですけど、中身は薬みたいなんです。切らすとミイさんの体調に関わるとかで、明日の分がもう無いはずだって言われてて……」

 私たちは依頼主からそう聞いていた。だからなんとしても今日中に届けねばと思い、頑張って来たのだ。

 しかし、ズーさんの山小屋がなければ死んでいたかもしれない。

 命の恩人ズーさんは首を傾げた。

「ミイは俺の従兄妹なんだけどよ、別にそんな持病は持ってなかったけどな」

「えっ?そうなんですか?」

 すごい偶然だ。

 しかし、それなら急いで持って行かなくてもいいだろうか。

「ああ。だが……そういえばここ二、三ヶ月は会ってねぇからな。もしかしたら何ぞの病気になってるのかもしれねぇ」

「そうですか……じゃあやっぱり今日中に行かないとですね」

 私は窓の外に目を向けた。

 相変わらず猛烈に吹雪いている。

 二重ガラスになった窓がガタガタと揺れ、高音と低音の入り混じった風音が私の恐怖心をあおった。

「俺らイエティならこんな吹雪でも出られんことはないが……モンスターが出たらちょっと危ねぇな」

「こんな吹雪で活動するモンスターがいるんですか?」

 イエティなら出られるというのもビックリだったが、こんな天候ではモンスターも大人しくしてそうな気がする。

 ズーさんはそのモンスターを思い浮かべて、なぜか舌なめずりをした。

「この山には吹雪いてる時だけ群れる『ショートフェイスベア』ってモンスターがいてな。そいつらの群れに出くわすとマズイ」

「ショートフェイスベア……強いモンスターなんですね。じゃあ私だけでも一緒に……」

「僕も行くよ」

 ようやく回復してきたのか、サスケがようやくまともに口をきいた。

「ズーさん。僕も同行して戦闘になったら戦うから、ミイさんの家まで案内してくれないかな」

 責任感が強いのは結構なことだが、私はさすがにため息をついた。

「あのね、少なくともサスケには無理だって分かったでしょ?スライムがこの吹雪の中を進むのがどれだけ無謀か……そうですよね、ズーさん?」

「いや、大丈夫だぞ」

「ほら、ズーさんもこう言って……え?大丈夫?」

 予想外の返事に私はズーさんを見上げたが、その視界はすぐに暖かい体毛で白く覆われた。


****************


「ぬくい~ぬくい~極楽だ~♪」

 サスケは本当に極楽浄土にでもいるかのような声を上げた。

 私たちは吹雪の中を進んでいる。にも関わらず、サスケは先ほどまでと打って変わって快適な山行を楽しんでいた。

 そしてそれは私も同じだ。寒さなどほとんど感じず、快適な温度環境の中に身を置いている。

「イエティの毛ってすごいんですね。本当にありがとうございます」

 私もぬくぬくほっこりしながらズーさんにお礼を言った。

 ズーさんは肩越しに振り返る。

「イエティの毛は保温性抜群なだけじゃねぇからな。こうやって伸ばして何かをくるむこともできるし、寒かったら魔素で熱を発して暖めることもできる」

 私とサスケはズーさんの体毛にくるまれた上で、背中に担がれていた。

 めちゃくちゃ暖かいし、ふわふわで快適だ。顔だけは呼吸のために出ているが、寒さを感じるのはその部分だけだった。

 それに、ズーさんの体毛は不思議と甘い香りがする。

 サスケも同じことを思っていたようで、それをズーさんに尋ねた。

「なんだかクッキーみたいな香りがするんだけど……もしかしてズーさんクッキー好き?」

 そうだ。この甘くて香ばしい香りはクッキーだ。

 ズーさんは吹雪に負けないような笑い声を上げた。

「ハッハッハ!すぐバレちまうな。イエティの体毛にはよく食べる物の香りが出ちまうんだ。そして寒いところに住むイエティはだいたい甘いもの好きだ。だからほとんどのイエティは甘い香りがする。今から行くミイなんかはチョコレートの香りだぞ」

 言われてみれば、確かに寒いと甘いものが食べたくなる。

 体温を維持するためにカロリーが必要だからかもしれない。

「へぇ、初耳だな。お菓子の香りがする種族なんて、なんか可愛いね」

「でも納豆食いまくったら納豆の香りになっちまうんだぞ?」

「アハハ、ズーさんがクッキー好きで良かったよ」

 私もサスケと一緒に笑った。

 ズーさんは陽気な山男という感じの人だ。私たちは出会って間もないにも関わらず、すぐに気を許していた。

 ただ、それでもこの状況はちょっと申し訳ない気持ちになる。

 私は背で揺られながら尋ねた。

「あの……ズーさん。暖かくしてもらってるだけじゃなくて、担いでもらってるじゃないですか。何だか申し訳なくて。何か出来る事とか、こうすると楽とかないですか?」

 私も初めは歩こうとしたのだが、すぐに諦めることになった。

 ズーさんのスピードに全くついていけないのだ。

 もちろん体のサイズが違うことも原因の一つではあるが、雪山を歩くスキルが全く違う。

 コツを聞くと、足裏全体をフラットにつくとか、斜面の場合はエッジを効かせるとか、急な所は雪を蹴り込むようにするとか、色々技術があるようだ。

 雪山登山というものは、事前にトレーニングが要るものなのだと痛感した。

「気にすることはねぇよ。うちの従兄妹のために吹雪の中を来てくれたんだ。むしろ礼を言わなきゃならねぇのはこっちだな」

 イエティはかなり身体能力が高い種族なようで、ズーさんは私たち二人を体毛で担いでなお、息も切らしていなかった。

「だんだん風がおさまってきたな。このままモンスターに遭わなきゃいいが……」

 言われてみれば、風は徐々に弱まっている気がする。

 雪は降り続けているが、吹雪という感じではなくなってきた。

「そういえば、ショートフェイスベアってどんなモンスターなんですか?吹雪だと群れることがあるって言ってましたよね?」

「そうだ。吹雪になると『フェンリル』っていう馬鹿みたいに強ぇモンスターが現れることがあるんだが、それに備えて集まるとか言われてる。一言で言えば『でっかいクマ』だな。力が強くて防御力も高い」

 サスケはそれを聞いて軽く身震いした。

「それは怖いね……」

 確かに強そうだが、私は昔動物園で見たクマを思い浮かべてまた別の感想を持った。

「でも、クマって実物見ると結構可愛いよね。私好きだけど」

「……クウが見たクマってどんな種類?」

「え?えーっと……なんて名前だっけ?全体的に黒いけど、胸の辺りに白い所があって……」

 ズーさんは少し特徴を聞いただけですぐに答えを教えてくれた。

「そりゃツキノワグマだな」

「あ、そうそう。それです」

「そんでもって、多分サスケが想像したのはヒグマの方じゃねえか?」

 サスケは体毛の中でうなずいた。

「うん。昔、森でヒグマにあったことがあるんだ。二本足で立ち上がって威嚇するそいつを見て、絶望しか浮かばなかった」

「あー、そりゃそうだろう。ツキノワグマとヒグマじゃ全然印象が違うわな」

「え?そうなんですか?」

 私の思い浮かべているツキノワグマは鉄柵の向こうで木の棒を器用に振り回して遊んでいる可愛いやつだった。

 体長も女の私とそう違わなかったように思う。

「犬だってチワワとボルゾイじゃ全然違うだろう?ツキノワグマとヒグマもそうで、サイズも個体によっちゃ倍以上違うな。そりゃ一般人が野生のヒグマに出遭ったら、死を覚悟するしかねぇよ」

 ば、倍も違うのか。それは確かに別生物だ。戦闘力も全然違うだろう。

「そんなに違うんですね……じゃあショートフェイスベアもそのくらい大きいんですか?」

「いや、見ての通りもっとでっかいな」

「ええ?もっと?……ん?見ての通り?」

 頭に疑問符を浮かべまくる私を、ズーさんは体毛を操って前へ向かせた。

 そして、私の目にも入ってくる。

 それは三メートルをゆうに超える高さから私を見下ろしていた。後ろ足で立ち上がって両手を広げ、こちらを威嚇している。

 ズーさんいわく『でっかいクマ』、ショートフェイスベアだ。

 五匹のショートフェイスベアが私たちの前に立ちはだかっていた。

(いや、確かにでっかいけど……でっかいのレベルが……)

 まさかこんな大きさだとは思わなかった。

 四つん這いのままの個体もいたが、その肩までの高さが私の身長よりも高い。

 ショートフェイスベアの外観は、サイズ以外は普通のクマとそれほど変わらなかった。

 ただし名前の通り顔が少し短め、というか、鼻先に向かう出っ張りが低めな感じだ。

 ズーさんは私とサスケをくるんでいた体毛を解き、雪の上に下ろした。

「風もだいぶ弱くなった。多少は動けるな?」

 私たちは緊張とともにうなずいた。

 相変わらず雪は降り続いているものの、気づけば普通の雪の日という程度にまで落ち着いている。

 ついでにショートフェイスベアの群れも解散してくれればいいのだが、どうやらそんな雰囲気ではなさそうだ。

 牙を剥き、低い唸り声を上げて今にも飛びかかってきそうだった。

「モフー、カクさん、出ておいで」
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