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「ひぃー……ひぃー……」
「おいそこのオス豚!男が情けない声を上げるんじゃない!いいオス豚になりたければ歯を食いしばって耐えてみせろ!」
「サ、サーイエッサー……」
「声が小さい!」
「サーイエッサー!」
「よし!いいオス豚の返事だ!」
私はサスケとハンプ教官のやり取りを横目に見ながら、ニヤリと笑った。
なぜだかちょっぴりスッキリする。
サスケは先日の私と同じようにプルプルと震えながら一定の姿勢をキープしていた。
パッと見にはそれほどキツそうなトレーニングに見えない。
うつ伏せの状態から肘を立てて上半身を起こし、さらにお腹や膝を地面から浮かせる。
体と足を一直線にしたままその姿勢をしばらくキープするのだ。
(プランクって言ってたっけ。家でも『ながら』で出来そうなトレーニングだけど、地味にキツいんだよね……)
腕立てや腹筋のように強い負荷を繰り返しかけるわけではないが、これはこれでキツいのだ。
やってみると分かるが、腹筋に結構な負荷が来る。
というか、腹筋に力を入れ続けるのが重要なポイントであるとハンプ教官がのたまっていた。
そのハンプ教官が今度は私に注意をしてくる。
「メス豚め!背中が丸くなってきているぞ!あくまで一直線だ!」
「サーイエッサー!」
「よし、いいぞ!では、プランクで意識すべき筋肉を答えろ!」
「お腹では特に腹直筋と腹斜筋、腹横筋、背中では広背筋や僧帽筋です、サー!」
「完璧だ!お前は賢いメス豚だ!他の者も必ずどの筋肉を使っているか意識しながらトレーニングしろ!できればそれに繋がっている骨や関節もだ!先日教えた解剖学の人体図を常に頭に思い浮かべろ!」
私たちは座学でどの筋肉がどの骨に繋がっており、どのようにして体が動くかを繰り返し教わった。
私はもともと筋肉が好きだったので名称が分かる分だけ取っつきやすかったのだが、他の人たちは苦労したかもしれない。
ただ、確かに筋肉などを意識しながらやるとフォームがすごく安定した。
(でも、相変わらず魔素を使った身体強化はやらないけど……ホントに大丈夫かな?)
ちょっぴり不安にはなったが、先日ネウロイさんもこれでいいと言っていた。
だから私もハンプ教官を信じ、真面目にトレーニングに励むことにした。
(それに、なんだかんだですごく褒めてくれるんだよね)
そう、ハンプ教官はただ厳しく叱りつけるだけではない。その後にちゃんと褒めてくれるのだ。
注意する時の言い方がキツい分だけ、褒められた時がとても嬉しく感じてしまう。
「よし、三分休憩だ!」
その言葉と同時に、全員がぐったりとうつ伏せになる。
サスケも地面にへばりついて呼吸以外の動きを一切見せていない。
私は首だけそちらに向けて声をかけた。
「明日にはサスケも筋肉痛だね」
サスケは呼吸で途切れ途切れになりながら、言葉を絞り出した。
「お願いだから……リンの居場所……教えてくれないかな……あいつのマッサージなら……」
最後まで聞かずともサスケの言いたいことはよく分かる。
妹のリンちゃんのスライムローションには血流増加と新陳代謝アップの効果があるのだ。
そのマッサージを受ければ疲労も筋肉痛も大幅に改善される。
「いや、それはちょっと無理かな」
「でも……クウは今日も……行くんでしょ?」
「うん」
実は私は初日から毎日行っている。おかげでなんとかトレーニングについて行けているという感じだ。
「後を尾けないでよ」
私はそう言ったものの、顔すら上げられないサスケを見て心配は要らなさそうだと安心した。
****************
結局リンちゃんはサスケの様子を聞いても会おうとはしなかったが、兄妹のよしみでローションだけは渡してくれた。
そのおかげで私たちは最終日までなんとか脱落せずにハンプ教官のシゴキについていくことができた。
「でも……もう最終日だけど、いまだに魔素を使った身体強化はやってないよね。このままで大丈夫なのかな?」
不安を口にする私に、サスケも同意した。
「そうなんだよね。筋肉とか体の構造にはやたら詳しくなったけど」
「そうそう、ひたすら筋肉とか骨とか関節とかを意識させられながらトレーニングしたもんね。もう体を動かす時にどこの筋肉がどう動いてるか、簡単にイメージできるようになってるもん」
私たちの頭には座学で習った人体構造の図が常に浮かんでおり、それが実際の体としっかりリンクしていた。
約一月間、そればかりを叩き込まれたのだ。嫌でもそのくらいできるようになってしまう。
ちなみにスライムのサスケも主要な身体構造はヒューマンとさして変わらない。
骨も筋肉も半透明のスライム状物質でできてはいるものの、体組織の構成はだいたい同じらしい。
「俺の可愛い豚ども!準備はできているか!?」
ハンプ教官が今日も見事な筋肉で現れた。
私たち生徒は条件反射で直立不動の姿勢を取る。
「「「サーイエッサー!!」」」
全員の返事が綺麗に重なった。
確かに私たちはこの一月でハンプ教官の可愛い豚たちになったのだろう。
「素晴らしい返事だ!お前たちはこの一月で素晴らしい豚になった!今日はその仕上げに魔素を使った身体強化を実践する!」
(ついに来た!!)
私たちはそう思って身を固くした。
ハンプ教官は私たちを見回した後、サスケを指さした。
「サスケ!前へ出ろ!」
「サーイエッサー!」
キビキビとした動作で一歩前へ出る。サスケもこの一月で随分鍛えられたものだ。
「お前には今から短距離を走ってもらう!走るのに使う筋肉はどこだ!?」
「大腿四頭筋とハムストリング、下腿三頭筋が主です、サー!」
「正解だ!ではその筋肉を意識して魔素を込めろ!難しいことではないはずだ!貴様が普段、スライムローションを中和する時のようにすればいい!」
「サーイエッサー!」
ハンプ教官は私たちのことをまとめて豚と呼ぶが、ちゃんと一人一人の名前やプロフィールを覚えてくれている。
普段の激しい言葉とは裏腹に、実は生徒思いなのだ。
「ではこの線の間を走ってみろ!」
「サーイエッサー!」
サスケはハンプ教官の引いた線と線の間、およそ十メートルくらいの距離を走った。
それはただ走っただけだったのだが、私たちは目を見張った。
(……速い!!)
全員がそう思った。
走り始めのごく短距離にも関わらず、足が速い人のトップスピードくらいの速さがある。
サスケ自身も意外なほどのスピードだったらしく、線を大きく超えてから止まった。
「……え?僕、こんなに足の筋肉ついたの?」
呆然とそうつぶやいたサスケに、ハンプ教官が答えてくれた。
「確かに筋肉もついているが、それだけではこれほど速くはならない。魔素が込められているからだ」
「でも……今まで足に魔素を込めて走ってもこんなことにはなりませんでした」
ハンプ教官はさもありなんという様子でうなずいた。
「多くの者がよくやる間違いだ。ただ漠然と『足』などをイメージしても、なかなか魔素は込められない。必要なのは『強化しようとする組織の具体的なイメージ』だ。貴様は今、正確に大腿四頭筋とハムストリング、下腿三頭筋の動きをイメージすることができた。だからきちんと魔素が込められて、脚力が強化されたのだ」
「そうか、ずっと筋肉をイメージしながら動いてきたから……」
「その通りだ。先ほど俺が言った理論は正しいものだが、実はほとんどの人間に伝えても効果が上がらない。なぜなら、体の動きと体組織とが正確にリンクしたイメージを持つのは非常に困難だからだ」
その瞬間、この場のすべての人間がこれまでのトレーニングの意味を理解した。
この一ヶ月の間、解剖学で体の構造と組織を学び、それを意識しながら動くことを強いられてきたのだ。
筋トレを通して動かす部位に疲労を感じ、筋肉痛でその存在のイメージをさらに確固たるものにした。
そして今では意識せずとも、頭のどこかに体の構造図が浮かんでいる。
「誇れ!貴様らは今日までの厳しいトレーニングに耐えてきた!それによって質の高い身体強化が可能になったのだ!貴様らはいい豚だ!努力することができ、その成果を掴むことができた豚たちだ!」
「「「サーイエッサー!」」」
また全員の返事が重なり、胸がグッと熱くなった。
涙ぐんでいる人もいたが、私もその気持ちは分かる。
今日まで苦しい思いをしながらも、ハンプ教官に叱られ、励まされて頑張ってきた。その実がしっかりと結んでいるのだ。
「では、一人一人個別に注意点を伝えていく!自分の順番が来るまで各自、自主トレーニングを行いながら待て!次はクウだ!前に出ろ!」
「サーイエッサー!」
呼ばれた私は一歩前へ出た。
「貴様は垂直に跳んでみろ!どの筋肉が必要だ!?」
「大臀筋、腸腰筋、大腿四頭筋、下腿三頭筋が主です、サー!」
「よし!では実践に移るが、貴様の場合は込める魔素をごく小さくしろ!加えて骨と関節にも意識して魔素を送れ!」
「サーイエッサー!」
「やれ!」
私は言われた通りに筋肉と骨、関節を意識し、使役モンスターたちに魔素を送る要領で力を込めた。そして垂直に跳ぶ。
「……え?」
私は跳び上がってから下を見て驚いた。一メートルくらい跳んでいる。
垂直飛びの女子の平均は四十センチ台だったはずだし、実際、私は高校の時の体力測定でそのくらいだったように思う。
「す、すごい……」
着地してから呆然としている私へハンプ教官の叱責が飛んできた。
「馬鹿者!込める力はごく小さくと言ったはずだ!」
「す、すいません、サー!」
「謝るなら俺ではなく貴様の体に謝れ!痛みを感じているだろう!?」
私は言われて初めて気づいたが、確かに腰から下の下半身、あちこちに軽い痛みを感じていた。
跳び過ぎた驚きですぐに分からなかったのだ。
「他の者もよく聞け!サスケのようなスライムは骨も含めて体全体が柔らかくしなるため、筋力を魔素で強化しても怪我をしにくい!しかしヒューマンなど、ほとんどの種族はそうではないぞ!強化された筋力に骨や関節、皮膚などが耐えられずダメージを受けるのだ!」
ハンプ教官の言っていることは、考えてもみれば当たり前のことだった。
そもそも人の体は一メートルも跳べるようにできていないのだ。それを筋力強化で無理やり実行すれば、体は壊れるだろう。
「魔素で筋力を上げる時には、必ずその力がかかる部位の強度を強化しなければならない!魔素で強度を上げるのも筋力強化と同様に、必要なのはイメージだ!骨や関節、皮膚などの組織をしっかりイメージしろ!」
(一気に難易度が上がったな……)
私はそれを強く実感した。
イメージすることが多すぎるのだ。やってみなくても、かなりの熟練が必要であることは明白だった。
「クウ。特に貴様の場合は召喚士なだけあって魔質が良い分、制御が難しいだろう。弱い力で少しずつ慣らしていけ」
「サーイエッサー!」
「まぁ実戦のことを考えるなら、攻撃は使役モンスターがいるのだから、まずは防御のための強度強化に集中すべきだろう。筋力の強化はそれが身に付いてからおいおい……」
と、ハンプ教官がそこまで言ったところで生徒の間から悲鳴が上がった。
振り返ると、何人かが空を指さして怯えた表情をしている。
「キ、キラービーだ!!」
その言葉通り、空には大型の蜂モンスターであるキラービーが三匹飛んでいた。
私たちがトレーニングをしているのは郊外の練兵場であり、街を囲む防壁の外だ。
街からそれほど遠くはないため強いモンスターは現れにくいが、このくらいのモンスターなら出ることもあるだろう。
キラービーは一般人にとって危険なモンスターかもしれないが、私にとってはそれほどでもない。
使役モンスターを出して仕留めてしまおうか迷っていると、ハンプ教官が腕を上げた。
「全員注目!良い機会だから貴様らに筋力強化の真髄を見せてやる!」
そう言ったハンプ教官は腰をやや落とし、右腕下げて上半身をひねった。
私はその姿に激しい感動を覚えた。
(な、なんて完璧なサイド・トライセップス!!)
サイド・トライセップスはボディビルのポージングの一つだ。
美しく盛り上がった上腕三頭筋。流れるようにしなやかでありながら、しっかりと切れの入った筋肉のライン。
どれをとっても超一流の肉体だった。
(これは……今晩のセルフケアのネタのためにも目に焼き付けておかねば!!)
私はこの勇姿をしばらく見ていたいと思ったのだが、残念ながらそのポージングは一瞬で終わってしまった。
ハンプ教官はその姿勢から、ものすごい勢いで右の拳を突き出した。
遠いキラービーへ向かってパンチを繰り出したのだ。
それと同時に鋭く叫ぶ。
「マッスルビーム!!」
普通に考えたら『何をしているのだろう?』としか思えない行動だ。
キラービーは空高くを飛んでおり、ハンプ教官は地に足をつけている。拳が届くわけがない。
が、キラービーたちの体は次の瞬間、ズタズタに引き裂かれた。
ハンプ教官の拳によって生じた衝撃波が襲いかかったのだ。
ハンプ教官は誇らしげにダブルバイセップスのポージングを決めた。
「見たか!これが筋肉の極地だ!筋肉は強化すれば、ビームにすらなりうる!」
(いや、ならんでしょう普通……)
生徒たちは皆ハンプ教官に心酔気味だったが、さすがにほぼ全員がそう思っただろう。
ただし、私一人だけはそのパンチを放ったヒッティングマッスルにうっとりと見惚れていた。
※おまけイラスト※
トレーニングがだんだん気持ちよくなってきたクウです。
***************
☆元ネタ&雑学コーナー☆
ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。
本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。
〈オーク〉
ファンタジー小説の元祖『指輪物語』で悪の軍団の兵士として戦った種族です。
映画化されたこともあり、筆者も学生時代に読み漁りました。
意外にも神話などには明確な元ネタ種族がいません。
名前だけは拝借しているようですが、指輪物語がほぼ初出だと思っていいでしょう。
その作中では『醜い』とはされていますが、『豚のような顔』だとはどこにも書いてありません。
古いアイルランド語でオークが豚を意味することなどから、その後のファンタジー作品で豚顔にされたのではないかと言われています。
ちなみに指輪物語では『めっちゃ繁殖力が高い』という設定にもなっています。
この辺りのことが『くっ、殺せ!』的な定番イメージに繋がったのかもしれませんね。
設定一つで日本のファンタジー界の闇が深まってしまった……(笑)
〈豚〉
豚はイノシシを家畜化した動物ですが、それがまた野生化したものでも体脂肪率十三パーセント、家畜用に太らせたものでも高くて十八パーセントくらいだそうです。
スリム。
キレイ好きで、トイレの場所も餌場や寝床から離れた所に決めるんだとか。
イメージ変わりますよね。
ちなみにハンプ教官の名前は『ハンプシャー』という豚の品種名から取りました。
あまりメジャーな品種ではないようですが、とても特徴的な外見をしています。
白黒のラインが可愛いので、ぜひ画像検索してみてください。
〈筋トレのやり方〉
筋トレのやり方は専門の雑誌があるほど色々研究されていますが、そのせいか『絶対にこれが正しい』といルールが無い気がします。
筆者も大学の時にフィットネスの講義を取って実践しつつ理論を学びましたが、本やネットで見る筋トレ理論と微妙に違っています。
そして、その本やネットごとでも微妙に違う。
もちろん、
『超回復を考慮して連続で行い過ぎない』
『タンパク質をしっかり摂る』
というように、ある程度のコンセンサスが得られていることもありますが、
『週に何回くらいがいい?』
『何セットがいい?』
『インターバルの休憩時間は?』
などの点は書いている人によって結構違ってるんです。
結局のところ最高のやり方というのははっきりしないので、
『続けられるようにやる』
というのが一番大切な気がします。
***************
お読みいただき、ありがとうございました。
気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。
それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m
「おいそこのオス豚!男が情けない声を上げるんじゃない!いいオス豚になりたければ歯を食いしばって耐えてみせろ!」
「サ、サーイエッサー……」
「声が小さい!」
「サーイエッサー!」
「よし!いいオス豚の返事だ!」
私はサスケとハンプ教官のやり取りを横目に見ながら、ニヤリと笑った。
なぜだかちょっぴりスッキリする。
サスケは先日の私と同じようにプルプルと震えながら一定の姿勢をキープしていた。
パッと見にはそれほどキツそうなトレーニングに見えない。
うつ伏せの状態から肘を立てて上半身を起こし、さらにお腹や膝を地面から浮かせる。
体と足を一直線にしたままその姿勢をしばらくキープするのだ。
(プランクって言ってたっけ。家でも『ながら』で出来そうなトレーニングだけど、地味にキツいんだよね……)
腕立てや腹筋のように強い負荷を繰り返しかけるわけではないが、これはこれでキツいのだ。
やってみると分かるが、腹筋に結構な負荷が来る。
というか、腹筋に力を入れ続けるのが重要なポイントであるとハンプ教官がのたまっていた。
そのハンプ教官が今度は私に注意をしてくる。
「メス豚め!背中が丸くなってきているぞ!あくまで一直線だ!」
「サーイエッサー!」
「よし、いいぞ!では、プランクで意識すべき筋肉を答えろ!」
「お腹では特に腹直筋と腹斜筋、腹横筋、背中では広背筋や僧帽筋です、サー!」
「完璧だ!お前は賢いメス豚だ!他の者も必ずどの筋肉を使っているか意識しながらトレーニングしろ!できればそれに繋がっている骨や関節もだ!先日教えた解剖学の人体図を常に頭に思い浮かべろ!」
私たちは座学でどの筋肉がどの骨に繋がっており、どのようにして体が動くかを繰り返し教わった。
私はもともと筋肉が好きだったので名称が分かる分だけ取っつきやすかったのだが、他の人たちは苦労したかもしれない。
ただ、確かに筋肉などを意識しながらやるとフォームがすごく安定した。
(でも、相変わらず魔素を使った身体強化はやらないけど……ホントに大丈夫かな?)
ちょっぴり不安にはなったが、先日ネウロイさんもこれでいいと言っていた。
だから私もハンプ教官を信じ、真面目にトレーニングに励むことにした。
(それに、なんだかんだですごく褒めてくれるんだよね)
そう、ハンプ教官はただ厳しく叱りつけるだけではない。その後にちゃんと褒めてくれるのだ。
注意する時の言い方がキツい分だけ、褒められた時がとても嬉しく感じてしまう。
「よし、三分休憩だ!」
その言葉と同時に、全員がぐったりとうつ伏せになる。
サスケも地面にへばりついて呼吸以外の動きを一切見せていない。
私は首だけそちらに向けて声をかけた。
「明日にはサスケも筋肉痛だね」
サスケは呼吸で途切れ途切れになりながら、言葉を絞り出した。
「お願いだから……リンの居場所……教えてくれないかな……あいつのマッサージなら……」
最後まで聞かずともサスケの言いたいことはよく分かる。
妹のリンちゃんのスライムローションには血流増加と新陳代謝アップの効果があるのだ。
そのマッサージを受ければ疲労も筋肉痛も大幅に改善される。
「いや、それはちょっと無理かな」
「でも……クウは今日も……行くんでしょ?」
「うん」
実は私は初日から毎日行っている。おかげでなんとかトレーニングについて行けているという感じだ。
「後を尾けないでよ」
私はそう言ったものの、顔すら上げられないサスケを見て心配は要らなさそうだと安心した。
****************
結局リンちゃんはサスケの様子を聞いても会おうとはしなかったが、兄妹のよしみでローションだけは渡してくれた。
そのおかげで私たちは最終日までなんとか脱落せずにハンプ教官のシゴキについていくことができた。
「でも……もう最終日だけど、いまだに魔素を使った身体強化はやってないよね。このままで大丈夫なのかな?」
不安を口にする私に、サスケも同意した。
「そうなんだよね。筋肉とか体の構造にはやたら詳しくなったけど」
「そうそう、ひたすら筋肉とか骨とか関節とかを意識させられながらトレーニングしたもんね。もう体を動かす時にどこの筋肉がどう動いてるか、簡単にイメージできるようになってるもん」
私たちの頭には座学で習った人体構造の図が常に浮かんでおり、それが実際の体としっかりリンクしていた。
約一月間、そればかりを叩き込まれたのだ。嫌でもそのくらいできるようになってしまう。
ちなみにスライムのサスケも主要な身体構造はヒューマンとさして変わらない。
骨も筋肉も半透明のスライム状物質でできてはいるものの、体組織の構成はだいたい同じらしい。
「俺の可愛い豚ども!準備はできているか!?」
ハンプ教官が今日も見事な筋肉で現れた。
私たち生徒は条件反射で直立不動の姿勢を取る。
「「「サーイエッサー!!」」」
全員の返事が綺麗に重なった。
確かに私たちはこの一月でハンプ教官の可愛い豚たちになったのだろう。
「素晴らしい返事だ!お前たちはこの一月で素晴らしい豚になった!今日はその仕上げに魔素を使った身体強化を実践する!」
(ついに来た!!)
私たちはそう思って身を固くした。
ハンプ教官は私たちを見回した後、サスケを指さした。
「サスケ!前へ出ろ!」
「サーイエッサー!」
キビキビとした動作で一歩前へ出る。サスケもこの一月で随分鍛えられたものだ。
「お前には今から短距離を走ってもらう!走るのに使う筋肉はどこだ!?」
「大腿四頭筋とハムストリング、下腿三頭筋が主です、サー!」
「正解だ!ではその筋肉を意識して魔素を込めろ!難しいことではないはずだ!貴様が普段、スライムローションを中和する時のようにすればいい!」
「サーイエッサー!」
ハンプ教官は私たちのことをまとめて豚と呼ぶが、ちゃんと一人一人の名前やプロフィールを覚えてくれている。
普段の激しい言葉とは裏腹に、実は生徒思いなのだ。
「ではこの線の間を走ってみろ!」
「サーイエッサー!」
サスケはハンプ教官の引いた線と線の間、およそ十メートルくらいの距離を走った。
それはただ走っただけだったのだが、私たちは目を見張った。
(……速い!!)
全員がそう思った。
走り始めのごく短距離にも関わらず、足が速い人のトップスピードくらいの速さがある。
サスケ自身も意外なほどのスピードだったらしく、線を大きく超えてから止まった。
「……え?僕、こんなに足の筋肉ついたの?」
呆然とそうつぶやいたサスケに、ハンプ教官が答えてくれた。
「確かに筋肉もついているが、それだけではこれほど速くはならない。魔素が込められているからだ」
「でも……今まで足に魔素を込めて走ってもこんなことにはなりませんでした」
ハンプ教官はさもありなんという様子でうなずいた。
「多くの者がよくやる間違いだ。ただ漠然と『足』などをイメージしても、なかなか魔素は込められない。必要なのは『強化しようとする組織の具体的なイメージ』だ。貴様は今、正確に大腿四頭筋とハムストリング、下腿三頭筋の動きをイメージすることができた。だからきちんと魔素が込められて、脚力が強化されたのだ」
「そうか、ずっと筋肉をイメージしながら動いてきたから……」
「その通りだ。先ほど俺が言った理論は正しいものだが、実はほとんどの人間に伝えても効果が上がらない。なぜなら、体の動きと体組織とが正確にリンクしたイメージを持つのは非常に困難だからだ」
その瞬間、この場のすべての人間がこれまでのトレーニングの意味を理解した。
この一ヶ月の間、解剖学で体の構造と組織を学び、それを意識しながら動くことを強いられてきたのだ。
筋トレを通して動かす部位に疲労を感じ、筋肉痛でその存在のイメージをさらに確固たるものにした。
そして今では意識せずとも、頭のどこかに体の構造図が浮かんでいる。
「誇れ!貴様らは今日までの厳しいトレーニングに耐えてきた!それによって質の高い身体強化が可能になったのだ!貴様らはいい豚だ!努力することができ、その成果を掴むことができた豚たちだ!」
「「「サーイエッサー!」」」
また全員の返事が重なり、胸がグッと熱くなった。
涙ぐんでいる人もいたが、私もその気持ちは分かる。
今日まで苦しい思いをしながらも、ハンプ教官に叱られ、励まされて頑張ってきた。その実がしっかりと結んでいるのだ。
「では、一人一人個別に注意点を伝えていく!自分の順番が来るまで各自、自主トレーニングを行いながら待て!次はクウだ!前に出ろ!」
「サーイエッサー!」
呼ばれた私は一歩前へ出た。
「貴様は垂直に跳んでみろ!どの筋肉が必要だ!?」
「大臀筋、腸腰筋、大腿四頭筋、下腿三頭筋が主です、サー!」
「よし!では実践に移るが、貴様の場合は込める魔素をごく小さくしろ!加えて骨と関節にも意識して魔素を送れ!」
「サーイエッサー!」
「やれ!」
私は言われた通りに筋肉と骨、関節を意識し、使役モンスターたちに魔素を送る要領で力を込めた。そして垂直に跳ぶ。
「……え?」
私は跳び上がってから下を見て驚いた。一メートルくらい跳んでいる。
垂直飛びの女子の平均は四十センチ台だったはずだし、実際、私は高校の時の体力測定でそのくらいだったように思う。
「す、すごい……」
着地してから呆然としている私へハンプ教官の叱責が飛んできた。
「馬鹿者!込める力はごく小さくと言ったはずだ!」
「す、すいません、サー!」
「謝るなら俺ではなく貴様の体に謝れ!痛みを感じているだろう!?」
私は言われて初めて気づいたが、確かに腰から下の下半身、あちこちに軽い痛みを感じていた。
跳び過ぎた驚きですぐに分からなかったのだ。
「他の者もよく聞け!サスケのようなスライムは骨も含めて体全体が柔らかくしなるため、筋力を魔素で強化しても怪我をしにくい!しかしヒューマンなど、ほとんどの種族はそうではないぞ!強化された筋力に骨や関節、皮膚などが耐えられずダメージを受けるのだ!」
ハンプ教官の言っていることは、考えてもみれば当たり前のことだった。
そもそも人の体は一メートルも跳べるようにできていないのだ。それを筋力強化で無理やり実行すれば、体は壊れるだろう。
「魔素で筋力を上げる時には、必ずその力がかかる部位の強度を強化しなければならない!魔素で強度を上げるのも筋力強化と同様に、必要なのはイメージだ!骨や関節、皮膚などの組織をしっかりイメージしろ!」
(一気に難易度が上がったな……)
私はそれを強く実感した。
イメージすることが多すぎるのだ。やってみなくても、かなりの熟練が必要であることは明白だった。
「クウ。特に貴様の場合は召喚士なだけあって魔質が良い分、制御が難しいだろう。弱い力で少しずつ慣らしていけ」
「サーイエッサー!」
「まぁ実戦のことを考えるなら、攻撃は使役モンスターがいるのだから、まずは防御のための強度強化に集中すべきだろう。筋力の強化はそれが身に付いてからおいおい……」
と、ハンプ教官がそこまで言ったところで生徒の間から悲鳴が上がった。
振り返ると、何人かが空を指さして怯えた表情をしている。
「キ、キラービーだ!!」
その言葉通り、空には大型の蜂モンスターであるキラービーが三匹飛んでいた。
私たちがトレーニングをしているのは郊外の練兵場であり、街を囲む防壁の外だ。
街からそれほど遠くはないため強いモンスターは現れにくいが、このくらいのモンスターなら出ることもあるだろう。
キラービーは一般人にとって危険なモンスターかもしれないが、私にとってはそれほどでもない。
使役モンスターを出して仕留めてしまおうか迷っていると、ハンプ教官が腕を上げた。
「全員注目!良い機会だから貴様らに筋力強化の真髄を見せてやる!」
そう言ったハンプ教官は腰をやや落とし、右腕下げて上半身をひねった。
私はその姿に激しい感動を覚えた。
(な、なんて完璧なサイド・トライセップス!!)
サイド・トライセップスはボディビルのポージングの一つだ。
美しく盛り上がった上腕三頭筋。流れるようにしなやかでありながら、しっかりと切れの入った筋肉のライン。
どれをとっても超一流の肉体だった。
(これは……今晩のセルフケアのネタのためにも目に焼き付けておかねば!!)
私はこの勇姿をしばらく見ていたいと思ったのだが、残念ながらそのポージングは一瞬で終わってしまった。
ハンプ教官はその姿勢から、ものすごい勢いで右の拳を突き出した。
遠いキラービーへ向かってパンチを繰り出したのだ。
それと同時に鋭く叫ぶ。
「マッスルビーム!!」
普通に考えたら『何をしているのだろう?』としか思えない行動だ。
キラービーは空高くを飛んでおり、ハンプ教官は地に足をつけている。拳が届くわけがない。
が、キラービーたちの体は次の瞬間、ズタズタに引き裂かれた。
ハンプ教官の拳によって生じた衝撃波が襲いかかったのだ。
ハンプ教官は誇らしげにダブルバイセップスのポージングを決めた。
「見たか!これが筋肉の極地だ!筋肉は強化すれば、ビームにすらなりうる!」
(いや、ならんでしょう普通……)
生徒たちは皆ハンプ教官に心酔気味だったが、さすがにほぼ全員がそう思っただろう。
ただし、私一人だけはそのパンチを放ったヒッティングマッスルにうっとりと見惚れていた。
※おまけイラスト※
トレーニングがだんだん気持ちよくなってきたクウです。
***************
☆元ネタ&雑学コーナー☆
ここから先は筆者が話の元ネタなどを気の向くままに書き記しているコーナーです。
本編のストーリーとは関係ないので興味ない方は読み飛ばしてください。
〈オーク〉
ファンタジー小説の元祖『指輪物語』で悪の軍団の兵士として戦った種族です。
映画化されたこともあり、筆者も学生時代に読み漁りました。
意外にも神話などには明確な元ネタ種族がいません。
名前だけは拝借しているようですが、指輪物語がほぼ初出だと思っていいでしょう。
その作中では『醜い』とはされていますが、『豚のような顔』だとはどこにも書いてありません。
古いアイルランド語でオークが豚を意味することなどから、その後のファンタジー作品で豚顔にされたのではないかと言われています。
ちなみに指輪物語では『めっちゃ繁殖力が高い』という設定にもなっています。
この辺りのことが『くっ、殺せ!』的な定番イメージに繋がったのかもしれませんね。
設定一つで日本のファンタジー界の闇が深まってしまった……(笑)
〈豚〉
豚はイノシシを家畜化した動物ですが、それがまた野生化したものでも体脂肪率十三パーセント、家畜用に太らせたものでも高くて十八パーセントくらいだそうです。
スリム。
キレイ好きで、トイレの場所も餌場や寝床から離れた所に決めるんだとか。
イメージ変わりますよね。
ちなみにハンプ教官の名前は『ハンプシャー』という豚の品種名から取りました。
あまりメジャーな品種ではないようですが、とても特徴的な外見をしています。
白黒のラインが可愛いので、ぜひ画像検索してみてください。
〈筋トレのやり方〉
筋トレのやり方は専門の雑誌があるほど色々研究されていますが、そのせいか『絶対にこれが正しい』といルールが無い気がします。
筆者も大学の時にフィットネスの講義を取って実践しつつ理論を学びましたが、本やネットで見る筋トレ理論と微妙に違っています。
そして、その本やネットごとでも微妙に違う。
もちろん、
『超回復を考慮して連続で行い過ぎない』
『タンパク質をしっかり摂る』
というように、ある程度のコンセンサスが得られていることもありますが、
『週に何回くらいがいい?』
『何セットがいい?』
『インターバルの休憩時間は?』
などの点は書いている人によって結構違ってるんです。
結局のところ最高のやり方というのははっきりしないので、
『続けられるようにやる』
というのが一番大切な気がします。
***************
お読みいただき、ありがとうございました。
気が向いたらブクマ、評価、レビュー、感想等よろしくお願いします。
それと誤字脱字など指摘してくださる方々、めっちゃ助かってます。m(_ _)m
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クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。
これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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