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23オーク1

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(何あれ……誘ってるのかしら?)

 私はこれ以上ないほど完璧に作り上げられた全身の筋肉を見て、そんなことを考えた。

 それはあまりに完璧すぎて、作り物ではないかとすら思える。

 しかし筋肉たちは明らかに体温と意思とを持って躍動しており、彫像のような冷たい美しさとはかけ離れていた。

 残念ながら衣服で直接見えない部分もあるのだが、布越しですらその造形美が認識できる。

 露出した部位や衣服のシルエットから、美しい造作がイメージできてしまうのだ。

 この完璧な筋肉たちは、もはやメスを誘っているとしか思えない。

「このメス豚め!腰が高くなってるぞ!もっとしっかり落とせ!」

「は、はいっ」

「なんだその返事は!?返事の仕方は教えたはずだ!」

「サ……サーイエッサー!」

「よし!ワンモアセット!」

 完璧な筋肉に覆われたその人は、私に向かってもう一セットのスクワットを命じた。

 私は歯を食いしばってそれに応じる。

 太ももはすでにパンパンなのだが、指摘された通りにしっかりと腰を落とした。



「いいぞ!お前はいいメス豚だ!言われた通りにできている!いいメス豚だ!」

(褒めてくれてるのかもしれないけど、メス豚って……っていうか、あなたが言う?)

 私は釈然としない気持ちでその人の顔を見た。

 豚面だ。

 例えではない。頭の部分がほぼ豚なのだ。

 ただし牙が生えているからどちらかと言えばイノシシに近いのかもしれないが、顔の造作としては大した違いはないだろう。

 半人半豚の種族、オークだ。

(まぁ、ハンプ教官の体はどう見ても豚って感じじゃないけど。ザ・ボディビルって感じ)

 オークは基本的にガタイが良いが、目の前の鬼教官、ハンプ教官は特にすごい筋肉をしていた。

 バルクといい、カットといい、プロポーションといい、これまで見た中でも抜群のマッスルマスターだ。

(つい見惚れてハァハァしちゃうけど……また集中力を切らしたら怒られちゃうからな)

 私は名残惜しさを感じながらハンプ教官の筋肉から意識を戻した。

 そして自分のスクワットの姿勢に集中する。ハンプ教官は正しくないフォームでトレーニングをしているとすぐに指摘してくるのだ。

「休憩だ!三分!」

 ハンプ教官の号令と同時に、私は腰に手を当てて上を向いた。

 顎を上げて喉を広げ、少しでも酸素を取り込もうとしているのだ。

 同じような姿勢を取っている人が周りにもちらほらいた。中にはその場に倒れ込んでしまった人もいる。

 私は今、街の新兵を対象とした訓練に参加させてもらっている。

 通称ブートキャンプと呼ばれている訓練だ。オークのハンプ教官はそこの先生だった。

(ケイロンさんが『本格的に鍛えたいならハンプです』って言ってたけど、ちょっと本格的すぎないかな?)

 私が今ここにいるのは、ケイロンさんがそう勧めてくれたのが理由だ。

 きっかけは先日、サスケから借りていた体の強度を上げるネックレスを本来の持ち主であるリンちゃんに返したことだった。

 私はモンスターと戦うこともある危険な仕事をしているくせに、魔素で体を強化することすらできない。

 さすがに危ないのでそろそろちゃんと学びたいと思ってケイロンさんに相談したところ、ハンプ教官を紹介してくれた。

 何でも二人は古い友人とのことだった。

(でもまさか、新兵訓練に混ざることになるとは……)

 普通に考えたら新兵訓練なんて部外者が参加できるもんじゃなさそうだが、実は私のような一般参加者も結構いる。

 その方が市民の自衛能力を上げられるということで、希望者は参加可能にしているらしい。

 加えてそれなりの参加費も取られるので、街の運営上もプラスになるということだった。

(普通に鍛えたくて入ってる人もいるんだろうけど……結構若い女の子が多いんだよね。きっとダイエット目的だな)

 新兵訓練なんてどう考えてもダイエット目的にはきつ過ぎるのだが、女子としてなんとなく気持ちは分かる。

 自分で痩せよう、ダイエットしようと思っても、なかなかできるものではないのだ。

 続かなかったり、頑張っても思うような成果が上がらないこともある。

 だから入ったら強制的に痩せられるようなものに踏み込んでしまおうという気持ちには共感ができた。

(実際、ここ入ったら絶対痩せるな。これだけキツイんだから)

 私はパンパンに張った太ももを揉みほぐしながらそう思った。

「おい、そこのメス豚。クウと言ったな」

「サ、サーイエッサー」

 私はハンプ教官に声をかけられて振り向いた。

 うーん、やっぱりいい筋肉だ。

「ケイロンからの紹介状だと、確か召喚士だということだったな」

「まだ駆け出しですが……」

「そうか。しかし、モンスターはそんなこと知ったことではない。俺の仕事は貴様らのような若造の死亡率を下げることだ。励め」

(ハンプ教官ってめっちゃ厳しいんだけど、なんか優しいんだよな……人のことメス豚呼ばわりするけど)

 そこだけはいただけないものの、きっと生徒思いの良い教官なのだろう。

「サーイエッサー!」

 今度は歯切れ良く教わった返事ができた。

 ハンプ教官もそれに満足してうなずいてくれる。

「よし……と言っても、ただ痩せたくてこのブートキャンプにやって来ている女たちも多いのだがな。だが俺はそれも否定はせん。どんな理由であっても己を鍛えた経験は自信に繋がるし、美しい肉体には美しい心が宿る。お前も励めば本物の豚のような美しい肉体を手に入れられるかもしれんぞ」

「……?」

 私は最後の部分がよく分からなくて首を傾げた。

 豚のような美しい肉体とは、どういうことだろう?

 私の困惑はハンプ教官に伝わったようで、話を補足してくれた。

「なんだ、貴様も豚はブクブクと醜く太った生き物だと思っているのか」

「い、いえ。そんなことは……」

 半人半豚のオークを前にしてそんなことはさすがに言えない。

 ただ、世間一般の認識ではそんな感じだと思う。私自身は豚さん可愛いくて好きだけど。

「気を使う必要はない。無知で蔑まれても腹は立たん。むしろ蔑む方が憐れだ。貴様、豚の体脂肪率がどのくらいか知っているか?」

「え?いいえ。知りません、サー」

「では教えてやる。品種や個体にもよるが、概ね十五パーセント前後だ」

「十五パーセント!?」

 体脂肪率十五パーセントって、女性ならかなりスリムな方だ。

 豚=太ってるのイメージがあったが、それは大間違いという事か。

「驚いたか。豚のイメージの多くは、人間が勝手に抱いた勘違いからできている。別に太っているわけではないし、実は知能も高くて清潔な生き物だ。加えて牙もあって力も強いから、戦闘能力も十分ある。貴様も本物の豚のようになれ」

 ハンプ教官はそれだけ言うと、踵を返して他の生徒へと声をかけて回った。

 そしてきっかり三分経ってから、私たちにうつ伏せになるよう命じた。次は腕立てだ。

「いいか貴様ら。何度も言うが、トレーニングする時には必ず鍛えたい筋肉を意識してやれ。そうすることでフォームが改善され、効果も上がる。腕立ての場合は大胸筋、上腕三頭筋、三角筋前部、肘筋だ。では始め!!」

 私はプルプルと震えながら自分の体を押し上げた。キツい。

 キツいと思いながら、ふとあることに気がついた。

(ん?……じゃあメス豚って、いい意味で言ってる?)

 いい意味でメス豚。

 こんな複雑な言葉もなかなか無いだろうと思った。


****************


「……で、そんなにプルプル震えてるわけだ?」

 サスケは私の手元を見ながら可笑しそうに笑った。

 そこではスープの入ったスプーンがプルプル震えて、中身がお皿にポタポタこぼれていた。

 仕方ないので自分の口をスプーンの所へ持っていって飲む。

 私はハンプ教官のシゴキが終わった後、ネウロイさんの食堂でサスケと一緒に夕飯を食べている。

 教官からタンパク質を多く摂るよう言われたので、メニューはチキンサラダとソーセージ、豆のスープにした。

 食事はいつも通り美味しいのだが、普段動かさない筋肉をたくさん使ったので全身のあちこちがプルプルしている。

 スプーンもフォークも震えるので食べづらいことこの上ない。

「こっちは笑い事じゃないよ。ホントにキツかったんだから。今はまだプルプルするだけで済んでるけど、明日には筋肉痛なんだろうなぁ」

「でも明日もあるんでしょ?」

「うん。でも明日は座学が中心らしいよ。筋肉って連続で鍛えても育たないんだって。ちゃんと間に休息を入れないと、むしろトレーニング効率が下がるんだとか」

「あぁ、そういえばそんな話をよく聞くね。超回復とかいうんだっけ?やっぱり鍛える専門家だから、しごくだけじゃなくて理論もしっかりしてるのかな」

「多分そうだよ。明日の座学は解剖学だって言ってたし」

 解剖学とは生物の形態や構造の学問で、要はここにこんな臓器や筋肉があってこんな名前だ、という感じのことを習うはずだ。

 サスケはそれを聞いて眉根を寄せた。

「……え?それって新兵訓練に必要なものなの?っていうか、そもそもクウは魔素で体を強化することを習いたかったわけだよね?」

 それは私も薄々感じていた疑念だった。

 あまり考えないようにしていたが、サスケに改めて指摘されると否が応にも再認識させられる。

「そうなんだよね……魔素で体を強化するのを習いに行ったつもりなのに、今日やったことは魔素関係なしの純粋な筋トレだし。ひたすら使う筋肉とか骨とか関節とかを意識させられながらの運動だったよ。明日の解剖学も何か意味があるのかな?」

「うーん……まぁケイロンさんが勧めてくれたんだから、何かしら意味があるんだろうけど……」

 私が首を傾げているところに、ネウロイさんが水を注ぎに来てくれた。

「チラッと話を聞いていましたが、きっとその訓練はクウさんのためになると思いますよ」

「え?そうですか?」

 ネウロイさんは狼男のウェアウルフなので結構強い。

 以前、スライムを捕獲した時にも魔素で体を強化して私を手伝ってくれた。

 それができるネウロイさんが言うのだから、今の訓練はやはり意味があるだろう。

「どんな風に役に立つんですか?」

「それは……まぁやっていれば分かるので、後のお楽しみにしておきましょう。自分で気づいた方が身につきますしね」

「はぁ……そういうものですか」

「とにかくその教官は間違いないと思いますから、言われた通りを真面目にやっていればいいと思います」

「それが相当しんどいんですけどね……」

 私は腕をプルプルさせながらコップを持ち上げて水を飲んだ。

 それを見たサスケがまた可笑しそうに笑う。

 そして完全に他人事の励ましを口にした。

「頑張れー」

 それを聞いたネウロイさんが、真面目な顔をしてサスケの方へと向き直った。

「できればサスケ君も参加した方がいいと思いますよ。身体強化のトレーニングはまともにしたことないんでしょう?」

 サスケはネウロイさんに手をヒラヒラと振って答えた。

「でもスライムって、どうせ鍛えても大した身体能力持てないからさ」

「スライムでも素早さだけはものすごく高くなると聞いたことがありますよ?それに今は危険な仕事もある程度しているわけですから、鍛えておいて損はありません」

 私もネウロイさんの言う通りだと思ったし、私のしんどさをサスケが笑ってるのがちょっぴり腹立つ。

 巻き添えにしてやりたいと思った。

「そうだよ。途中参加も可能だから、明日からでもサスケも来なよ」

 来たら地獄のシゴキが待っている。

 それが分かっているサスケは軽く笑って首を横に振った。

「いやぁそうしたいのは山々だけどさぁ。僕、明日もスライムローションの工場で仕事があるから。仕事がなかったら行くんだけどなぁ」

「また適当なこと言って……」

「ホントホント。仕事なかったら絶対行くよ」

 サスケがちょっとイラつく笑みを浮かべているところへ、ネウロイさんの奥さんであるルーさんがやって来た。

「ごめん、サスケ君。職場の人から手紙を預かってたのを忘れてたわ。はい、これ」

 サスケはルーさんから受け取った手紙を開けた。そして、それを声に出して読み上げる。

「えーっと……労働組合よりストライキ開始のお知らせ?明日より一ヶ月のストライキに入ります。工場機能が停止しますので、組合員以外の方もお仕事ができない状態になります……」

 サスケの声は段々と小さくなっていった。

 でも、一言目でもう概要は聞いちゃったし。

「……絶対来るんだったよね?」

 サスケは片頬を引つらせるだけでうなずきはしなかったが、私は引っ張ってでも連れて行こうと心に決めた。
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