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16スキアポデス1
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(何あれ……誘ってるのかしら?)
私はその理想的な足の筋肉を見て、そんなことを考えた。
たくましいだけでなく、美しい。
筋肉のカットが深くて鋭い。流れるようにしなやかなのに、輪郭もくっきりと現れている。
筋肉の美しさは太ももなら大腿四等筋、ふくらはぎなら下腿三等筋が特に重要だろう。
だがこの足は、その奥に隠れている素晴らしい深層筋すらも想像させた。それだけ鍛え上げられた足なのだ。
もはや官能的とすら表現できるその脚線美は、メスを誘っているとしか思えない。
「君にはこの足の素晴らしさが分かるのかね?」
私の視線に気づいた男性は、そう尋ねてきた。
私は人の足をジロジロ見て失礼だったかと思い、とりあえず謝った。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝る必要はないよ。この機能美が分かる者は多くはない。もし君さえよかったら、共に高みを目指してみないかい?」
「え?……えーっと」
突然の勧誘に、私は何をどう答えていいのか分からなくなった。
高みというのは足のことだろうか?とりあえず一番明確な部分から突っ込んでみる。
「でも私の足はあなたほど大きくないですし、本数もあなたは一本で私は二本です。目指す高みも違う気がしますけど……」
目の前の男性の足は、腰ほどの太さの左足が一本だけだ。というか、下半身はでっかい左足だけだと思えばいい。
足が一本だけで、それがとても大きな種族。スキアポデスだ。
スキアポデスの男性は大きくかぶりを振ってみせた。
「何を言うのだ。足が一本だろうと二本だろうと、それこそケンタウロスのように四本だろうと目指す高みは変わらない。至高の足による、最高のレースだ」
「レース?ごめんなさい、私よく分からなくて……」
何のレースだろう?
元の世界では車のレースや競馬、競輪など色々あったが、この異世界でもそういったものがあるのだろうか。
「レースを知らない?よほどの田舎か、それとも遠い国から来たのかね?」
「えっと……実は記憶喪失でして、常識的なことが分からないケースが多くてですね……」
私はちょっと久しぶりに記憶喪失設定を使った。
この世界にもだいぶ慣れてきたから最近は使うことも少なくなってきたが、たまにこんな事もある。
レースというのは、どうやら随分とメジャーなものらしい。
「なんと!それは可哀想に……レースを知らないということは、人生の半分を損しているようなものだ」
「はぁ……そうでしょうか」
「しかし悲観することはない。なぜならレースを知れば、君の人生は倍の輝きを持つということになるのだから。さあ、レース場へ案内してあげよう」
グイグイくるな、この人。
別に今忙しいわけではないが、今日はカドゥケウスさんのお店で靴下を買おうと思っていたのだ。
それに足の筋肉は超がつくほど魅力的だとはいえ、知らない男性にホイホイついていくのもちょっとどうかと思う。
「いえ、お時間取らせるのも申し訳ないので……」
私は少し頭を下げながら、回れ右をした。早足で逃げてしまおう。
が、反対方向へ歩き出した私の目の前に、その男性が降ってきた。
どうやらジャンプだけで私の背を飛び越して着地したらしい。足一本なのにすごい脚力だ。
「遠慮することはない。私の名はモノコリ。この街で最も大きなレースである、プティア杯の連覇者だ。人は私のことを『音速の左足』と呼ぶ」
連覇者、ということは連続チャンピオンということなのだろう。
すごい人なのかもしれないが、私にはレース自体が分からないし、靴下に穴が空いたから買いに行きたい。
「いえ、あの……」
「レースは素晴らしいぞ。うまくすれば多少稼げるかもしれないしね」
(え?レースってお金を稼げるの?)
もしかしたら靴下代くらいにはなるのだろうか。
そんなケチなことを考えてしまった私は、音速の左足について行ってみることにした。
****************
「いけー!させー!まくれー!」
私は周囲の熱気に当てられて、意味も分からずそう叫んでいた。
レースが終盤にさしかかり、観客の熱い大歓声が競技場を埋める。ヤカンでも置けば沸騰しそうな熱量だ。
私の叫びに効果があったからでもないだろうが、私のお目当てのゼッケンを付けたケンタウロスが猛スピードで追い上げてきた。
最後の直線に入った時には五番手だったのが、グングンと順位を上げていく。先頭を走るサテュロスまで一馬身に迫った。
が、残り距離を考えるとあと少し届きそうもない。私がそう諦めかけた時、サテュロスの速度がガクッと落ちた。
すでに相当無理をしていたのだろう、体力の限界が突然来たようだった。
両者とも肩を突き出してゴールラインを抜けたが、ケンタウロスの方がやや前に出ている。どうやら私は勝ったらしい。
「やった!モノコリさん、当たりましたよ!」
私は興奮して隣りのモノコリさんの肩をガクガクと揺らした。
「はっはっは、おめでとう。楽しんでもらえたようで何よりだ」
モノコリさんは満足そうにうなずいた。
レースとは、元の世界で言うところの競馬や競輪とだいたい似たようなものだった。
決められた道を誰が一番にゴールするかを競う競技で、公営ギャンブルとしての一面も持つ。
ただし、競馬や競輪とは大きく違う所が三点あった。
一つ目は、走るのがありとあらゆる種族の人たちであることだ。
今のレースは一着がケンタウロス、二着がサテュロスだったが、三着からはラミア、ウェアウルフ、リザードマン、ヒューマン、ウェアラットと続く。本当にバラバラだ。
二つ目は、走る場所がただの平地ではないことだ。
崖のようになった岩場や沼、砂地、木々の生えた獣道まであった。言ってみれば障害物競争に近いだろう。しかも障害物はランダムに設定されるということだった。
二着だったサテュロスは岩場でリードを伸ばしていた。この辺りは種族ごとの得手不得手があるだろう。
選手も観客も当日初めてコースを見てから、作戦方針や自分の賭ける選手を考えることになる。それがまた楽しいらしい。
そして三つ目の違いだが、私はこれに一番驚いた。
「私は上限いっぱいの一万円かけたから……いくらになるんですっけ?」
そう、この異世界のレースでは一度に最大一万円までしか賭けられないという決まりがある。
元の世界では公営ギャンブルであるにも関わらず、ほとんど青天井に近いほどの金額を賭けることができた。
きっとそれで人生を棒に振る人、家族を苦しめてしまう人、家族から見放される人もいたはずだ。
もちろん簡単に良し悪しを言えることではないが、皆がより安心して楽しめる娯楽というものは良いものだと私は思う。
少なくとも運営側が何もしてくれない以上、自分で何かしらのルールを決めてやれない人が手を出すべき娯楽ではない。
「オッズは1.30だから一万三千円の払い戻しだね。どのレースでもケンタウロスは人気だから、こんなものだろう」
モノコリさんが掲示板を見て答えてくれた。
やった!三千円のプラスだ!とりあえず靴下代にはなった。
「モノコリさん、面白いものを紹介してもらってありがとうございます」
「なんの、お礼を言われるのはまだ早い。なぜなら午後のレースには私が出るからだ」
そうか、音速の左足のレースがあるんだった。
朝までの私ならそんなものにはまるで興味が湧かなかったが、今はちょっと見てみたい。
靴下を買いに行くのはその後でもいいだろう。
「楽しみにしてます。私、モノコリさんに賭けますね」
「ありがとう。しかし私は人気過ぎて低いオッズにしかならないがね。それに、もしかしたら君も走れるかもしれない」
「え?」
私はなんのことやら分からず聞き返した。
私が走る?レースをだろうか?
「実は午後からのレースはちょっとしたお祭りみたいなものでね、プティア杯の連覇者である私と素人の希望者たちとが競うものなんだ。君の名前を書いた紙を応募箱に入れておいた」
「ぇええ!?」
この人なに勝手なことしてるんだ。別に鍛えてもいない私が、レースになんて出られるわけがないだろう。
「こ、困ります……私、脚力を魔素で強化することもできないんですよ?」
この世界の人たちは魔素の扱いに慣れている。当然レースを走るのにも魔素を使うのが当たり前になっているだろう。
モノコリさんは私の言葉を聞いて驚いていた。
「なに?私の筋肉を正当に評価してくれているようだったから、君自身も走れるものだと思っていたが……すまない、私の思い違いだ」
「いえ……でも当たったらどうしましょう?」
不安に眉根を寄せる私の顔を見て、モノコリさんは可笑しそうに笑った。
「そう心配する必要はない。毎年人気の企画だから応募者は軽く千人を超える。当てようと思ったところでそうそう当たるものでは……」
『皆様にお知らせいたします』
会場のアナウンスがモノコリさんのセリフを遮った。
音を大きくするマイクのような魔道具があるらしく、広い競技場でも声がよく通る。
『本日午後より行われますレースの参加抽選が終わりました。当選者のお名前を読み上げさせていただきます。まずお一人目、クウ様……』
「はい!?」
「なんと!」
ビックリすることに、なんと一人目で呼ばれてしまった。
さっきのレースも当たっちゃったし、これがビギナーズラックか。
いや、抽選は当たりたくなかったんだからビギナーズアンラックかな。
「どどど、どうしましょう?私にできることなんて、召喚魔法以外にないですよ」
どもる私とは対照的に、モノコリさんは冷静に尋ねてきた。
「召喚魔法?君は召喚士なのかね?」
「はい。って言っても、まだ契約者も使役モンスターもあまりいませんけど」
「……なるほど、じゃあ何とかなるかもしれない。先ほども言ったが、今日のレースはお祭りのようなものだからね。そのくらいの方が盛り上がるだろう」
「……?」
私にはモノコリさんがなぜかちょっぴり嬉しそうに見えた。
なぜならその鍛え上げられた足の筋肉が、期待に胸ふくらませるようにピクピクと動いたのが目に入ったからだ。
****************
「イエロー、頑張ってね」
私はレース出場者の準備室でイエロースライムの前にしゃがみこみ、その頭を撫でてやった。
イエローは嬉しそうにプルプルと震える。
その様子を見て、レースの管理者だというケンタウロスの男性が喜んだ。
「素晴らしい!!君の代走者はその子だね。愛らしい子じゃないか。観衆たちが喜びそうだ」
そう言って、管理者の男性もイエローを撫でてくれた。
モノコリさんの計らいで、私は使役モンスターを代走に立てる許可をもらえた。
普通のレースでは認められるわけがない事だが、今回のレースに限っては問題ないらしい。
「でも……本当にいいんですか?モンスターの代走なんて。お客さんが怒りません?」
心配する私に、管理者の男性は笑って答えてくれた。
「今回はレースというより、お祭りのようなものだからね。例年コスプレして参加するような人もいるし、去年に至っては飼い犬と一緒にお散歩スタイルで参加した人もいたよ」
「私はその飼い犬の頭を撫でながら走ったな」
モノコリさんがそう言って現れた。
先ほどの服装とは違い、今はレースのゼッケンをつけている。
「しかし……どうやら今年のレースはそんな和やかなものにはなりそうもない」
「え?どういうことですか?」
「彼らを見てみたまえ」
モノコリさんは親指で肩越しに後ろを指した。その向こうには今回のレースの当選者たちがいる。
参加者はモノコリさんを含めて八人だ。種族としてはラミア、スネークピープル、ヒューマン、ケンタウロス、サハギン、サテュロスだった。
今回も多種多様な種族がいるが、彼らを見回した私はまずこう思った。
(何あれ……誘ってるのかしら?)
彼らは全員が鍛え上げられた肉体を持っていた。筋肉のサイズといい、肉感といい、キレ具合といい、素晴らしい。
それはもう美味しそうな、もとい、むしゃぶりつきたいような、もとい、サワサワ触りたいような、もとい……とにかく強くて速そうな筋肉たちだった。
「彼らを見て何か感じることはないかね?」
「はい、最高の肉体です」
私はヨダレでも垂らしてしまいそうになりながら、本音でそう答えた。
本当に素晴らしい体つきだ。今晩のセルフケアのため、是が非でも目に焼き付けておかねば。
モノコリさんは多少の誤解をしながらも、満足げにうなずいてくれた。
「やはり君は見る目がある。彼らは全員何かしらの分野で第一級の実力を持つ者たちだろう。プロのレーサーは応募できないことになっているが、素人ながら速さに自信のある人間たちに間違いない。たまにいるのだ、私と本気で戦いたいがためにこのレースに応募してくる者たちが。そして偶然にも、今回はそんな者たちだけが当選してしまったようだ」
確かに全員、目つきがマジだ。お祭り的な和やかなレースになりそうな雰囲気ではない。
「じゃあ今回は本気のレースになるんですか?やっぱりイエローが出るのはまずいんじゃ……」
「何を言うのだ。君はこのスライムの主だろう?なら使役モンスターのことをもっと分かってやらねば」
モノコリさんはイエローの前に来て、その顔を覗き込んだ。
そしてなぜか自嘲するように唇を歪めた。
「え?どういう意味ですか?」
「分からないかね?彼は私と同じように、中毒者だと言っているのさ。少なくともその素質はある」
「ジャンキー?」
私はやはり意味が分からず、オウム返しに聞き返した。
「そう、スピード中毒者だよ」
私はその理想的な足の筋肉を見て、そんなことを考えた。
たくましいだけでなく、美しい。
筋肉のカットが深くて鋭い。流れるようにしなやかなのに、輪郭もくっきりと現れている。
筋肉の美しさは太ももなら大腿四等筋、ふくらはぎなら下腿三等筋が特に重要だろう。
だがこの足は、その奥に隠れている素晴らしい深層筋すらも想像させた。それだけ鍛え上げられた足なのだ。
もはや官能的とすら表現できるその脚線美は、メスを誘っているとしか思えない。
「君にはこの足の素晴らしさが分かるのかね?」
私の視線に気づいた男性は、そう尋ねてきた。
私は人の足をジロジロ見て失礼だったかと思い、とりあえず謝った。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝る必要はないよ。この機能美が分かる者は多くはない。もし君さえよかったら、共に高みを目指してみないかい?」
「え?……えーっと」
突然の勧誘に、私は何をどう答えていいのか分からなくなった。
高みというのは足のことだろうか?とりあえず一番明確な部分から突っ込んでみる。
「でも私の足はあなたほど大きくないですし、本数もあなたは一本で私は二本です。目指す高みも違う気がしますけど……」
目の前の男性の足は、腰ほどの太さの左足が一本だけだ。というか、下半身はでっかい左足だけだと思えばいい。
足が一本だけで、それがとても大きな種族。スキアポデスだ。
スキアポデスの男性は大きくかぶりを振ってみせた。
「何を言うのだ。足が一本だろうと二本だろうと、それこそケンタウロスのように四本だろうと目指す高みは変わらない。至高の足による、最高のレースだ」
「レース?ごめんなさい、私よく分からなくて……」
何のレースだろう?
元の世界では車のレースや競馬、競輪など色々あったが、この異世界でもそういったものがあるのだろうか。
「レースを知らない?よほどの田舎か、それとも遠い国から来たのかね?」
「えっと……実は記憶喪失でして、常識的なことが分からないケースが多くてですね……」
私はちょっと久しぶりに記憶喪失設定を使った。
この世界にもだいぶ慣れてきたから最近は使うことも少なくなってきたが、たまにこんな事もある。
レースというのは、どうやら随分とメジャーなものらしい。
「なんと!それは可哀想に……レースを知らないということは、人生の半分を損しているようなものだ」
「はぁ……そうでしょうか」
「しかし悲観することはない。なぜならレースを知れば、君の人生は倍の輝きを持つということになるのだから。さあ、レース場へ案内してあげよう」
グイグイくるな、この人。
別に今忙しいわけではないが、今日はカドゥケウスさんのお店で靴下を買おうと思っていたのだ。
それに足の筋肉は超がつくほど魅力的だとはいえ、知らない男性にホイホイついていくのもちょっとどうかと思う。
「いえ、お時間取らせるのも申し訳ないので……」
私は少し頭を下げながら、回れ右をした。早足で逃げてしまおう。
が、反対方向へ歩き出した私の目の前に、その男性が降ってきた。
どうやらジャンプだけで私の背を飛び越して着地したらしい。足一本なのにすごい脚力だ。
「遠慮することはない。私の名はモノコリ。この街で最も大きなレースである、プティア杯の連覇者だ。人は私のことを『音速の左足』と呼ぶ」
連覇者、ということは連続チャンピオンということなのだろう。
すごい人なのかもしれないが、私にはレース自体が分からないし、靴下に穴が空いたから買いに行きたい。
「いえ、あの……」
「レースは素晴らしいぞ。うまくすれば多少稼げるかもしれないしね」
(え?レースってお金を稼げるの?)
もしかしたら靴下代くらいにはなるのだろうか。
そんなケチなことを考えてしまった私は、音速の左足について行ってみることにした。
****************
「いけー!させー!まくれー!」
私は周囲の熱気に当てられて、意味も分からずそう叫んでいた。
レースが終盤にさしかかり、観客の熱い大歓声が競技場を埋める。ヤカンでも置けば沸騰しそうな熱量だ。
私の叫びに効果があったからでもないだろうが、私のお目当てのゼッケンを付けたケンタウロスが猛スピードで追い上げてきた。
最後の直線に入った時には五番手だったのが、グングンと順位を上げていく。先頭を走るサテュロスまで一馬身に迫った。
が、残り距離を考えるとあと少し届きそうもない。私がそう諦めかけた時、サテュロスの速度がガクッと落ちた。
すでに相当無理をしていたのだろう、体力の限界が突然来たようだった。
両者とも肩を突き出してゴールラインを抜けたが、ケンタウロスの方がやや前に出ている。どうやら私は勝ったらしい。
「やった!モノコリさん、当たりましたよ!」
私は興奮して隣りのモノコリさんの肩をガクガクと揺らした。
「はっはっは、おめでとう。楽しんでもらえたようで何よりだ」
モノコリさんは満足そうにうなずいた。
レースとは、元の世界で言うところの競馬や競輪とだいたい似たようなものだった。
決められた道を誰が一番にゴールするかを競う競技で、公営ギャンブルとしての一面も持つ。
ただし、競馬や競輪とは大きく違う所が三点あった。
一つ目は、走るのがありとあらゆる種族の人たちであることだ。
今のレースは一着がケンタウロス、二着がサテュロスだったが、三着からはラミア、ウェアウルフ、リザードマン、ヒューマン、ウェアラットと続く。本当にバラバラだ。
二つ目は、走る場所がただの平地ではないことだ。
崖のようになった岩場や沼、砂地、木々の生えた獣道まであった。言ってみれば障害物競争に近いだろう。しかも障害物はランダムに設定されるということだった。
二着だったサテュロスは岩場でリードを伸ばしていた。この辺りは種族ごとの得手不得手があるだろう。
選手も観客も当日初めてコースを見てから、作戦方針や自分の賭ける選手を考えることになる。それがまた楽しいらしい。
そして三つ目の違いだが、私はこれに一番驚いた。
「私は上限いっぱいの一万円かけたから……いくらになるんですっけ?」
そう、この異世界のレースでは一度に最大一万円までしか賭けられないという決まりがある。
元の世界では公営ギャンブルであるにも関わらず、ほとんど青天井に近いほどの金額を賭けることができた。
きっとそれで人生を棒に振る人、家族を苦しめてしまう人、家族から見放される人もいたはずだ。
もちろん簡単に良し悪しを言えることではないが、皆がより安心して楽しめる娯楽というものは良いものだと私は思う。
少なくとも運営側が何もしてくれない以上、自分で何かしらのルールを決めてやれない人が手を出すべき娯楽ではない。
「オッズは1.30だから一万三千円の払い戻しだね。どのレースでもケンタウロスは人気だから、こんなものだろう」
モノコリさんが掲示板を見て答えてくれた。
やった!三千円のプラスだ!とりあえず靴下代にはなった。
「モノコリさん、面白いものを紹介してもらってありがとうございます」
「なんの、お礼を言われるのはまだ早い。なぜなら午後のレースには私が出るからだ」
そうか、音速の左足のレースがあるんだった。
朝までの私ならそんなものにはまるで興味が湧かなかったが、今はちょっと見てみたい。
靴下を買いに行くのはその後でもいいだろう。
「楽しみにしてます。私、モノコリさんに賭けますね」
「ありがとう。しかし私は人気過ぎて低いオッズにしかならないがね。それに、もしかしたら君も走れるかもしれない」
「え?」
私はなんのことやら分からず聞き返した。
私が走る?レースをだろうか?
「実は午後からのレースはちょっとしたお祭りみたいなものでね、プティア杯の連覇者である私と素人の希望者たちとが競うものなんだ。君の名前を書いた紙を応募箱に入れておいた」
「ぇええ!?」
この人なに勝手なことしてるんだ。別に鍛えてもいない私が、レースになんて出られるわけがないだろう。
「こ、困ります……私、脚力を魔素で強化することもできないんですよ?」
この世界の人たちは魔素の扱いに慣れている。当然レースを走るのにも魔素を使うのが当たり前になっているだろう。
モノコリさんは私の言葉を聞いて驚いていた。
「なに?私の筋肉を正当に評価してくれているようだったから、君自身も走れるものだと思っていたが……すまない、私の思い違いだ」
「いえ……でも当たったらどうしましょう?」
不安に眉根を寄せる私の顔を見て、モノコリさんは可笑しそうに笑った。
「そう心配する必要はない。毎年人気の企画だから応募者は軽く千人を超える。当てようと思ったところでそうそう当たるものでは……」
『皆様にお知らせいたします』
会場のアナウンスがモノコリさんのセリフを遮った。
音を大きくするマイクのような魔道具があるらしく、広い競技場でも声がよく通る。
『本日午後より行われますレースの参加抽選が終わりました。当選者のお名前を読み上げさせていただきます。まずお一人目、クウ様……』
「はい!?」
「なんと!」
ビックリすることに、なんと一人目で呼ばれてしまった。
さっきのレースも当たっちゃったし、これがビギナーズラックか。
いや、抽選は当たりたくなかったんだからビギナーズアンラックかな。
「どどど、どうしましょう?私にできることなんて、召喚魔法以外にないですよ」
どもる私とは対照的に、モノコリさんは冷静に尋ねてきた。
「召喚魔法?君は召喚士なのかね?」
「はい。って言っても、まだ契約者も使役モンスターもあまりいませんけど」
「……なるほど、じゃあ何とかなるかもしれない。先ほども言ったが、今日のレースはお祭りのようなものだからね。そのくらいの方が盛り上がるだろう」
「……?」
私にはモノコリさんがなぜかちょっぴり嬉しそうに見えた。
なぜならその鍛え上げられた足の筋肉が、期待に胸ふくらませるようにピクピクと動いたのが目に入ったからだ。
****************
「イエロー、頑張ってね」
私はレース出場者の準備室でイエロースライムの前にしゃがみこみ、その頭を撫でてやった。
イエローは嬉しそうにプルプルと震える。
その様子を見て、レースの管理者だというケンタウロスの男性が喜んだ。
「素晴らしい!!君の代走者はその子だね。愛らしい子じゃないか。観衆たちが喜びそうだ」
そう言って、管理者の男性もイエローを撫でてくれた。
モノコリさんの計らいで、私は使役モンスターを代走に立てる許可をもらえた。
普通のレースでは認められるわけがない事だが、今回のレースに限っては問題ないらしい。
「でも……本当にいいんですか?モンスターの代走なんて。お客さんが怒りません?」
心配する私に、管理者の男性は笑って答えてくれた。
「今回はレースというより、お祭りのようなものだからね。例年コスプレして参加するような人もいるし、去年に至っては飼い犬と一緒にお散歩スタイルで参加した人もいたよ」
「私はその飼い犬の頭を撫でながら走ったな」
モノコリさんがそう言って現れた。
先ほどの服装とは違い、今はレースのゼッケンをつけている。
「しかし……どうやら今年のレースはそんな和やかなものにはなりそうもない」
「え?どういうことですか?」
「彼らを見てみたまえ」
モノコリさんは親指で肩越しに後ろを指した。その向こうには今回のレースの当選者たちがいる。
参加者はモノコリさんを含めて八人だ。種族としてはラミア、スネークピープル、ヒューマン、ケンタウロス、サハギン、サテュロスだった。
今回も多種多様な種族がいるが、彼らを見回した私はまずこう思った。
(何あれ……誘ってるのかしら?)
彼らは全員が鍛え上げられた肉体を持っていた。筋肉のサイズといい、肉感といい、キレ具合といい、素晴らしい。
それはもう美味しそうな、もとい、むしゃぶりつきたいような、もとい、サワサワ触りたいような、もとい……とにかく強くて速そうな筋肉たちだった。
「彼らを見て何か感じることはないかね?」
「はい、最高の肉体です」
私はヨダレでも垂らしてしまいそうになりながら、本音でそう答えた。
本当に素晴らしい体つきだ。今晩のセルフケアのため、是が非でも目に焼き付けておかねば。
モノコリさんは多少の誤解をしながらも、満足げにうなずいてくれた。
「やはり君は見る目がある。彼らは全員何かしらの分野で第一級の実力を持つ者たちだろう。プロのレーサーは応募できないことになっているが、素人ながら速さに自信のある人間たちに間違いない。たまにいるのだ、私と本気で戦いたいがためにこのレースに応募してくる者たちが。そして偶然にも、今回はそんな者たちだけが当選してしまったようだ」
確かに全員、目つきがマジだ。お祭り的な和やかなレースになりそうな雰囲気ではない。
「じゃあ今回は本気のレースになるんですか?やっぱりイエローが出るのはまずいんじゃ……」
「何を言うのだ。君はこのスライムの主だろう?なら使役モンスターのことをもっと分かってやらねば」
モノコリさんはイエローの前に来て、その顔を覗き込んだ。
そしてなぜか自嘲するように唇を歪めた。
「え?どういう意味ですか?」
「分からないかね?彼は私と同じように、中毒者だと言っているのさ。少なくともその素質はある」
「ジャンキー?」
私はやはり意味が分からず、オウム返しに聞き返した。
「そう、スピード中毒者だよ」
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