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後日談(短編)
遅れる男・後編
しおりを挟む「アレクシ、準備できた?」
「…うん」
今日からリンデル伯爵領に視察に行く。あの日からアレクシの様子を注意して見ているつもりだ。そんなには変わったことはないように思ったがふとした時に沈んだ表情をすることがあり、その度に胸騒ぎを覚えた。昨夜準備をするときも今朝起きた時もいつも通り元気だったが今また急に沈みだした。
(視察に行くの止めといたほうがいいのかもしれない…)
自分の中でも迷いが生じた。アレクシが気になりながらも村の改善の方に気持ちの大半が傾いていた。一度立ち止まった方がいいのかもしれないと思う一方でドタキャンはさすがに…と悩んでいるうちにベラント兄さまが迎えに来てしまった。
「クリスティナ、アレクシ。そろそろ出発するぞ」
「あ…じゃあ行こうか」
椅子に座っていたアレクシに声を掛けて手を握ろうとした瞬間、アレクシが私に飛び込んできてぎゅっとお腹に抱きついた。
「え」
「っ…いやだ、僕ここにいる!」
「アレクシ?」
アレクシはものすごい力で抱きついている。これはただ事ではない。
「良い子でいるから、ここに、いたい」
「どうしたの!?」
「ティナ様の、とこに…いたい」
様子がおかしい。どうしたら良いのかわからずにいると、ふとアレクシの力が抜けた。アレクシを一度離し両腕を掴んで正面から覗き込む。
「!」
顔が真っ赤になっていて心なしか呼吸も早い。もしかしてと額に手を当てると燃えるように熱い。
「どうした!?」
「すごい熱です!」
馬車の準備をしていたベラント兄さまが戻ってきた。アレクシの様子を見るとすぐに奥の部屋から毛布を持ってきてアレクシをくるむ。
「このまま街の病院に連れて行こう」
「はい!」
さすがにベラント兄さまの決断は早く、視察は急遽中止にして街の病院に急いだ。
『心因性の発熱じゃな。何か不安にさせるようなことはなかったかい?』
帰りの馬車の中でアレクシを抱きしめながら医者に言われたことを思い出す。
「もしかしてベラント兄さまとの会話を聞いてたのかも…」
「…あり得るな」
あの時、眠っていたと思っていたが何かの拍子に起きてしまったのだろう。
ベラント兄さまが父親のことを口にしたしアレクシは隣国出身かもしれないと匂わせたことで、もし父親がわかればそちらに返されるのではと思ったんじゃないか。だから「ティナ様のとこにいたい」と言った。一生懸命勉強するのも家事を手伝うのも「良い子でいるからここにいさせて」という意思表示だったのだろう。
「何で気がつかなかったんだろう…」
「クリスティナ…」
「私がアレクシに言ったんですよ、あなたのことは私が守りますって。それなのに…」
高熱を出すほどアレクシを追い詰めてしまったのは他でもない自分だ。小さい心と頭で一生懸命考えたのだろう。異変を感じた時点で様子見などせず話をするべきだった。
「とりあえず今は安心させてやるしかないだろう」
「…はい」
ベラント兄さまの言葉に深く頷く。家に戻るまでアレクシの背中を祈るように撫で続けた。
帰ってからもアレクシはずっと熱に浮かされていたが夜中にやっと目を覚ました。まだ熱は高い。脱水しないように水分を取らせて着替えをさせるとまた横たわらせる。
「…ティナ様、ごめんなさい」
「謝らなくていいの。アレクシが悪いんじゃないよ」
身体は相当つらいはずなのに自分のせいで視察に行けなくなったという罪悪感を抱えているのだろう。子供にそんな負担をかけて申し訳ないのはこちらの方だ。
「アレクシ、明日も明後日もその先も一緒だよ。アレクシをどこかのお家にやろうなんてことは絶対にないからね」
「本当?ティナ様のとこにいても良い?」
「うん、もちろんだよ。だから安心してお休み」
明らかにホッとした笑顔を見せたアレクシはそのまま目をつぶった。布団の上から胸の辺りをトントンと優しく叩いていると安定した寝息が聞こえてくる。少しは安心させることができただろうか。
「もう大丈夫そうだな」
「はい」
少し離れたところで様子を見ていたベラント兄さまもアレクシの落ち着いた様子にホッとした表情を見せたのだった。
***
翌朝にはすっかりアレクシの熱は下がっていた。精神的ストレスが身体に及ぼす影響はすさまじいのだと実感する。ひとまず今の状況をアレクシに説明した方が良いだろうと三人でテーブルに着いた。
「実は私の両親からアレクシに提案が来てるの」
「ティナ様のお父さんとお母さん?」
「うん。今すぐにではないけどゆくゆくはシルキア家の養子にしたいと言ってるの」
「…ようし?」
「私の両親がアレクシのお父さんとお母さんになってアレクシと私は姉弟になるってこと」
アレクシは首を傾げた。やっぱりそうなるよな、と思ったがアレクシは多分私が思っているよりずっと周りの顔色を窺っている。今は理解できなくともアレクシに関することでこそこそ話し合いをするのは止めた方が良いと思ったのだ。
「…それはティナ様に会える?」
「もちろん!」
「…ティナ様が結婚しても会える?」
「も、」
「もちろんだ!」
私の返事を遮り、なぜかベラント兄さまが食い気味に答えた。…とーっても嫌な予感がする。
「俺はクリスティナと結婚したらアレクシも一緒に迎え入れたいと思っている。アレクシが爵位を継ぐまではリンデル家で勉強すれば良い」
うわ…何か勝手に計画立てられてた!プロポーズさえされてないのに結婚することになっててビックリするわ!
キリッと言い放ったベラント兄さまにアレクシもぽかんとしている。どう説明しようかと思っていると、
「ティナ様は王子様と結婚するんだよ?」
「…………は?」
アレクシの言葉に今度はベラント兄さまがぽかんとした。
「……王子様と、結婚…?婚約者候補から外されたんじゃなかったのか…?」
「確かに一度白紙になりましたよ。でも今は公にはなってないけど王子様二人が私の婚約者候補という不可思議な状態なんです。王妃様がなぜかノリノリで」
「…王妃様、が」
「母から聞かなかったんですか?ああ、シルキア伯爵邸には五分しかいなかったんでしたっけ」
「……」
何ということだ…とベラント兄さまはふらふら立ち上がって部屋の隅の方に行くと項垂れた。一つ情報が遅れるとすべてがずれていく。
『ベラントは優秀なんだけどなぜかワンテンポ遅れるのよねぇ』
母親がいつか言っていたことを思い出して深く納得していた時、バタンと玄関の扉が開いた。鍵かけてるのになぜか入って来れる人は…
「ティナー、来たー」
「え、スレヴィ様!?」
「おっと何か変な空気?」
端っこでいじけてるベラント兄さまに、難しい顔で考え込んでいるアレクシ。今回あったことをかいつまんでスレヴィ様に告げると不思議そうな顔をした。
「何をそんなに焦ってるの?」
「へ」
「アレクシは今年やっと六才になるんだよ」
スレヴィ様が何でもないことのように言う。
「シルキア伯爵は今すぐに答え出せって言ってるの?」
「…言ってない」
「だったらそれがすべてだよ。結婚のことだってうちの家族全員急いでない。用事があったからシルキア伯爵邸に行ったんだ。そしたらメリヤ夫人が心配してたよ、甥っ子が何かしでかすんじゃないかって。だから僕が様子見に行きますって申し出た」
「!」
スレヴィ様は持ってきた箱を開けてアレクシに絵本と手袋を渡した。アレクシは嬉しそうに頬を染めている。どうやら両親から託されたものらしい。
「のんびりで良いよ。ね、アレクシ?」
不思議そうにしながらも頭を撫でられて喜んでいるアレクシを見て私の心でつっかえていた何かがすっと落ちた。そうか、焦ることなかったのか。
「あー!…そうか、急いでるのは…」
「!」
スレヴィ様が何かに気がつきベラント兄さまをチラッと見るとビクッと反応した。
――ベラント・リンデル三十才、婚期も遅れる男であった。
**
「ありがとうございました、ベラント兄さま」
「いや…かき回して済まなかったな」
そろそろ国に戻るというベラント兄さまを皆で見送る。村を改善しようと一生懸命動いてくれたことはとても有り難かった。…早くイヴァロンを片付けて私とアレクシを国に連れ帰りたいという不純な動機ではあったが。
「そうだ。今がチャンスだから即シルキア伯爵に働きかけろよ」
「ああ、身内の病気は堪えるからね。医療関係は即改善すると思う」
ベラント兄さまとスレヴィ様が頷く。「アレクシが高熱!?それはいかん!早急に村に医療を!」と父が慌てるということか。すぐにそこに気がつく二人はさすがだと感心する。私なら心配かけるからと連絡さえしないかもしれない。
「では帰る、が」
「はい」
「俺はまだクリスティナを諦めたわけではないからな!」
そう言い放つと急いで馬車に乗り込んで出発してしまった。あのおっさんしつこいな、とスレヴィ様が呟いたことは聞かなかったことにしよう。
「アレクシ、暖かくなったらベラント兄さまの所に遊びに行こうね」
「うん!」
「じゃあ僕も付いて行こうっと」
スレヴィ様が抱き上げるとアレクシが嬉しそうに笑う。こうして何か事件が起こるからこそお互いわかることもある。決してマイナスではない。
「ティナ、ゆっくり行こうね」
「!」
「僕もー!」
スレヴィ様が私の頬にキスするとそれを見たアレクシも頬にキスしてくれた。恥ずかしさと嬉しさがないまぜになって顔が赤くなる。お花の蕾がついたんだよ、とアレクシがスレヴィ様に教えている声を聞きながら、イヴァロンにももうすぐ春が来るな、と心を躍らせたのだった。
【end】
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