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後日談
レネの叙爵④
しおりを挟むリディが来てから一週間。
ジラルディエールのお屋敷は使用人を置かず自分達でやっていたが、細々とした家事をリディが受け持ってくれることで各々時間に余裕ができ始めうまく回るようになった。
子供たちももう懐いてしまったようでリディにくっついては楽しそうに遊んでいる。
「イサーク様、エミリア様、お着替えしましょうか」
「はぁい」
庭で転がって遊んでいた子供たちは服が泥だらけだ。次々違う遊びをしたがる二人、特にエミリアは普段着替えさせるのも一苦労なのにリディの言うことはよく聞いている。
「リディは子供はいないのかしら?」
「あ…子供はおりません。一度結婚したのですが夫がその…あまり良い方ではなくて」
セルトン家を辞めてすぐに年上の男性と結婚したのだが、気性が荒く酒を飲めばすぐに手を挙げるような人だったという。
「もう男性は懲り懲りで。それからは母と二人で暮らしていました」
「そうだったの…大変だったのね」
「でも今はこんなに可愛いお子様のお世話ができてとても幸せです」
「しぁーせー」
「ふふ…そんな風に言ってもらえると嬉しいわ」
和やかに笑いながら子供たちを着替えさせていると子供部屋にノックが響いた。
返事をするとバルニエが顔を覗かせる。
「ああ、アンジェル様ここにいましたか」
「おかえりなさい、バルニエさん。何か用事ですか?」
「王都の不動産売買に詳しい方をお招きしているので少しお話できたらと」
レネとバルニエは叙爵式の後から王都にいるセルトン家の関係者へ挨拶回りに忙しくしていた。
今日も二人で朝早くから出掛けていったのだがお客様を連れて戻ってきたらしい。
「わかりました、すぐに行きます。リディ、応接室にお茶をお願いできるかしら」
「はい、お任せください」
「その後は子供たちを、」
「あ、そんなに畏まった場はないのでお子様もご一緒で大丈夫ですよ。せっかくですのでリディさんも」
そういうことなら、と子供たちもつれて応接室に移動した。
訪ねて来てくれた男性の名はコベール男爵と言った。年はバルニエと同じ四十代くらいの恰幅の良い男性だ。
建築や不動産に明るく、貴族との人脈も広い。儲け主義というよりただただ建築物が好きで趣味が高じたらしい。
「それでは王都の別邸は手離すという方向で考えておられるのですか?」
「はい。そのつもりです」
コベールが問うとレネが頷く。
小さな領地の主だ。宮廷貴族でもない限りはそんなに王都に上る必要もないだろう。
別邸を持てば必然的にそこを管理するための使用人も多数雇わなければならない。
貴族ともなれば王都に屋敷を持つのは一つのステータスではあるが父ベランジェのように見栄を張る必要もないし、レネもそういったことは気にしないだろう。
王都に滞在するならジラルディエールのお屋敷を使っても良いとティトの許可も出ているしここで十分だ。
「正直買い手はいくらでもつくと思います。あの立地、しかも由緒あるセルトン家の屋敷ですからね」
「……あんなことがあってもですか?」
「ええ、あんなことがあってもです」
コベールがハッキリと言い切って笑う。どうやら裏表のない人のようだ。
ベランジェの醜聞はすでに国中に知れ渡っている。いわくつきの屋敷だと嫌厭されてもおかしくないのにそう言い切るのはベランジェより前の先代たちのおかげであろう。
「うーん、しかしあれほどの豪邸を手離すのはもったいない気もしますがね。細部にまでこだわりかなり贅を尽くして造られたものですよね」
「確かに代々のセルトン家が大事にしていた屋敷なので申し訳なくは思いますが…」
「維持費が大変ですからね。今の段階ではどんな小さな額でも領地に注ぎたいというのが本音です」
レネとバルニエの考えに、なるほど、とコベールが頷く。
「それではあの屋敷を高く評価してくれる方に打診してみましょう。もちろんただ単に高額で、ということではなく身元がきちんとした方を当たりますので」
「よろしくお願いいたします」
コベールは本当に建築物が好きなのだろう、せっかくのお屋敷を台無しにされてはたまらない!と我が物のように取り組もうとしてくれている。
また良き人に巡り会えてアンジェルも喜んだ。
「あの…口を挟んで申し訳ありません。ロバナのお屋敷は今どうなっているのですか?」
「あそこも今は違う方が管理しているわ」
リディの疑問にはアンジェルが口を開いた。
新しい領地に移る、とだけしか話していなかったので過去に働いていたロバナのお屋敷の事が気になっていたのだろう。
「そうでしたか…」
「むむ、ロバナのお屋敷ですか。そちらの方も是非見てみたいものです」
コベールが興味深そうに身を乗り出す。
あのお屋敷は今、ロバナの地を任されたダンドリュー伯爵の家門貴族がそのまま移り住んでいる。特に改築などはしないと聞いたがベランジェが無駄に作った豪華な離れだけは壊すと連絡を受けた。
もうセルトン家の物でもないのに慮ってくれるのはさすがダンドリュー家門だ。
「それならミレイユ奥さまが大好きだった鳳凰木はまだあるのでしょうか?」
「ほーぉー?」
聞き返したエミリアにはい、とリディが頷く。
「鳳凰木の木の下に小さなベンチがあって奥さまは庭に出るといつもそこで本を読んでいらっしゃいました。花が咲く時期は本当に真っ赤で美しくて」
「そうなんだ。それは僕も知らなかったな」
「……レネは本当に小さい頃しかあの屋敷にいなかったものね。覚えてなくても当然だわ」
(どういうこと…?)
“鳳凰木”
リディの口からその名が出てアンジェルの心の中はざわつき始めた。
(だってあの木は…)
「まぁま」
「!」
「ぁっこ」
気がつけば後ろのラグで遊んでいたイサークがアンジェルの元に寄り手を伸ばしている。そっと抱き上げるとその温かさにホッとした。
(落ち着かなきゃ…)
突如心の中に落とされた一点の黒いシミ。
アンジェルは自身の動揺を抑えるようにイサークの背中をトントンと撫でたのだった。
***
「う~、やぁっ!」
「どうしたのイサーク。今日はご機嫌ななめね」
今日はイサークがなかなか眠らない。
やっと眠ったと思い、離れようとすると目を覚ましてグズる。それの繰り返しだった。
コベールとの談笑途中からイサークはずっとアンジェルの側を離れなかった。比較的ドライな子であるからこんなことは珍しい。
どうしたもんかも思っていると子供部屋の扉が静かに開きティトが入ってきた。
「何だイサーク。眠れないのか?」
「ティト様…」
「ぱっぱ!」
ティトを目にすると余計に興奮したのかイサークは起き上がり動き始めた。
「ぱっぱ!」
「うん?」
「ひらひら~って!」
「ひらひら?こうか?」
請われたティトが魔力を使いフワッと花びらを散らす。
イサークはその花びらを一枚指で摘まむとアンジェルの方に差し出した。
「まぁま、はぃ」
「……え」
「ぴんく」
「!」
どこまで見透かされているのだろう。時々子供たちの洞察力が恐くなる。
そのピンク色の花びらをくれたイサークは手を伸ばしアンジェルの頭をまるでよしよしするように触った。
何か異変に気がついたのかティトがイサークを抱き上げ、トントンと優しく背を撫でる。
「…イサーク。ママのことはパパが見てるから大丈夫だ。もうおやすみ」
「はぁい」
そう返事してからは一分もかからずイサークは安心したようにスッと眠りについた。
そっとベッドに寝かせて離れても起きない。ずっとグズっていたのが嘘のようだ。
(結局は私の心の中をイサークが感じ取っていたのね…)
感受性が強い子供たちだ。
心配を掛けないように気を付けなければ、と思っているとティトがアンジェルの手を引いて子供部屋のソファに座るように促した。
「何があった?」
「特別何かあったわけではないのですが……もしかしたら失態を犯してしまうかも」
「失態?」
「……レネを傷つけることになるかもしれません」
不穏な言葉にティトが怪訝な顔をする。
今心の中にある不安をすべて話すとそれを聞いたティトはふーむ、と頷く。
「もしそうだとしても、それも経験だ」
「…はい」
「とにかくやれることはあるからあまり今から心配しなくていい。それに勘違いかもしれないだろ?」
「…はい」
頷くとティトは慰めるようにそっと抱きしめてくれた。
――この嫌な予感は外れてほしい――
温かなティトの胸に顔をうずめ、アンジェルは強く願ったのだった。
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