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全面対決編
近隣領主
しおりを挟む政策を打ち出してから約一ヶ月――
セルトン侯爵領は徐々に変わろうとしていた。人々の心に余裕ができたのか殺伐としていた街の空気が柔らかくなってきている。余裕が出れば人々は助け合うことを始め、あちこちで感謝が生まれ笑顔を交わす。
連日あちこち動いていて身体は疲れているが少しずつ見えてくる希望にアンジェルの心は軽かった。
ベッドの中でうつらうつらしながらそんなことを考えていると扉がノックされメイドが顔を覗かせる。
「アンジェル様、お目覚めですか?」
「う…ん…」
「そろそろお支度を為されませんと」
部屋に入ってきたメイドは顔を洗う用の水を用意してくれている。その光景をぼんやり見ているとアンジェルは何だか不思議な気持ちになった。
母が亡くなってからこの屋敷でこんなに丁寧な対応をされたことがないからだ。こちらから頼まないと動いてくれない使用人、または自分でやれとすげなくあしらわれることも一度や二度ではなかった。
(この屋敷でこんな光景が見られるなんて夢にも思わなかったな…)
正直言うと侯爵家の使用人たちとはわだかまりがある。
父親や義母の指示だったのだろうがメイドたちにはかなりキツく当たられたし、中には堂々と嫌がらせをする者もいた。
その辺りは執事のエマールも熟慮したのであろう、今回呼び戻した中には意地悪だったメイドはいないが…
(まだ皆に戸惑いが見えるからこちらも気を遣うわ…)
エマールはさすがに執事長なだけあって、自身の感情は一切表に出さず仕えてくれているが他の使用人たちはそうはいかない。
アンジェルを冷遇してた自覚がある者はばつが悪そうにしているし、こちらも覚えがあるだけに複雑だ。それでも今の状況で新しい者を雇うよりはこの屋敷に慣れている者の方がいい。
「ティト様はどちらに行かれたかわかる?」
「はい。街を一回りして様子を見てくると早朝にロルダン様と出掛けられました」
「そう」
本来自分には何の関わりもないのにティトの方が一生懸命取り組んでくれていて本当に頭が下がる。
「アンジェル様が起きる頃には戻るとおっしゃられてましたのでそろそろかと」
「わかったわ、どうもありがとう」
お礼を言うとメイドは少し驚いた顔をしたのち笑顔で頭を下げて部屋を後にした。
その仕草で今までセルトン一家がどのような対応をしていたかが透けて見える。どうせ使用人たちを当たり前のように扱き使い、礼など告げることもなかったのだろう。
アンジェルはふぅ、と小さくため息を吐くとまだ眠い身体に鞭を入れてベッドから下りたのだった。
***
「ご無沙汰しております」
「噂は本当だったのですね。この目で確認するまでは半信半疑でしたが…アンジェル嬢が生きていて本当に良かった」
「ありがとうございます、ダンドリュー様」
「うん」
テーブルを挟んだ向かい側に座る初老の男性が笑顔で頷く。物腰は柔らかいが目に力があり芯の強さを感じさせる人だ。
今日会いに来たのはセルトン領地の北側に隣接する領地を治めているダンドリュー伯爵だ。先代のセルトン侯爵――アンジェルの祖父の時代までは懇意にしていて何かあればお互いに助け合う間柄であった。
ダンドリュー伯爵が領主となったばかりの頃何もわからず右往左往していた時期に、隣領主である祖父が何度も助けたらしく祖父のことをとても慕ってくれていたのだ。
ベランジェが当主になってからは疎遠になってしまったが、今回連絡をすると快く迎えてくれ、幼い頃しか交流していないのにアンジェルやレネの事も覚えてくれていた。
「しかも共に来られた方々が何とも高貴な方で驚きました。まさかお二人とも王子殿下とは…」
「ハルム殿下はともかく、私は小国の王子なので大したことはありませんよ」
「いやいや、規模は関係ありません。れっきとしたジラルディエールの王太子殿下なのですから本来ならば私みたいな者がこうして話ができる事はあり得ませんよ」
そうは言ってもダンドリュー伯爵が気後れしている感じはなく堂々としている。
なめられているとかそういうことではなく…親族のような温かみを感じるやり取りでとてもありがたい。
「皆驚いたのでは?まぁありがちだが手の平返しもあったでしょう」
「その通りです」
素直に言うと伯爵がおかしそうに笑い何度も頷く。
このひと月、他の近隣領主や世話になった貴族に移民や借金のことなどで頭を下げに行った。
もともと打算的にこちらに近づいていた者は状況が変わる度に損得を計算する。
アンジェルを“悲劇のヒロイン、奇跡の生還!”とでもいうように仕立てあげ、ジラルディエール王太子夫妻とギマールの王子が直接出向いたことで繋がりができれば得だと思ったのだろう、返せと言った借金を返済不要だと言い出した。
こちらが再度不利にでもなろうもんならまた同じことを繰り返すのだろう。いずれにせよ借金に関してはこれ以降禍根を残したくないのできちんと返すつもりだ。
「セルトン領は現領主になってからは下降の一途を辿っていましたからね。言っちゃなんだが圧倒的にセンスがないと残念に思っていたんですよ」
「ぷっ…」
ストレートに言う伯爵に王子二人は吹き出した。その通りだがそのセンス皆無な領主が実父だと思うととても恥ずかしい。
「真面目な話、財源はどうなっているのですか?当てはあるのでしょうか?」
「今はティト殿下やハルム殿下に協力してもらって何とかなってますが…半年後は未知数です」
「うむ…」
半年後には領民から税金を納めてもらうことになるが、今まで高額だった税金額を大幅に下げるつもりだ。他に何か大胆な改革をしないと赤字が続き、結局また領地は苦しくなってくるだろう。
「そこでダンドリュー伯爵に相談があるのですが…」
そうしてアンジェルとティトはセルトン領に関する計画を伯爵に説明した。
*
話を聞き終えた伯爵は小さくため息を吐き目を伏せている。どこか気落ちしているようにも見えた。
「…本当にそれで良いのですか?」
「はい、そう決心しました。まずは領地に関する権限を国王陛下から得ることが第一です。今そのために領民に署名の協力を仰いでいます」
今は勝手に領地に入り、勝手に動かしている状態なのだ。あの父親のことだ、後で訴えてくるだろうしまた国から罰せられるかもしれない。
「後悔はありませんか?」
「はい」
そう言い切るとダンドリュー伯爵も何か決心したように力強く頷いた。
「それならばこちらもできる限りのことは協力しましょう。近隣の領主にも声を掛けて陛下に進言する手筈を整えます」
「っ…ありがとうございます!」
皆して頭を下げると伯爵も笑顔で頷いてくれる。
こうして自ら出向いていくことで協力してくれる人が少しずつ増えていくことにアンジェルは感謝したのだった。
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