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違和感の正体
しおりを挟む中心街からは少し離れた静かで落ち着いた場所にセルトン侯爵邸はある。離れた位置からでも存在感を放っている宮殿のような豪華な建物は今見るととても恐ろしいものに感じた。
「向こうに見えるのは全部セルトン邸?」
『はい』
「さすがは侯爵家ですね」
その広大な敷地の中には母屋の他にいくつもの建物がありそのどれもが贅を尽くしたものだ。例えばそれはティータイムのためだけの温室であったり絵画や骨董品を集めた美術館のようなものであったりエステ専用の離れであったり。
すべて母が亡くなった後に建てられたものでアンジェルはそれらに足を踏み入れたことはなかった。今となっては自分は本当にあの場所に存在していたのだろうかと思うほど無関係なものに感じる。
「ん?何か騒がしくないか?」
『何かあったのでしょうか…』
敷地の周りはいつも静まり返っていたのに近づくにつれて何やら大勢の声が聞こえてきた。門の前には決して少ないとは言えない数の民衆、そしてその侵入を阻むように兵たちがずらりと並んでいる。
「なるほど。ここにも抗議が詰め掛けてるんだな」
セルトン侯爵家への不満を叫ぶ人たち。今はまだ暴力沙汰になるほどではなさそうだがこのまま対策をとらないと抗議も段々エスカレートしていくだろう。
アンジェルは門の向こうの屋敷を眺めた。屋敷の窓はすべてカーテンが閉められており中を窺い知ることはできない。彼らは一切応じる気がないのだろうか。そもそもここに居るのかどうかもわからないが。
しばらく様子を見ていたが、ルシアナが突然小さく声をあげた。
「…違和感わかった」
『え?』
「アンジェルの儀式装束だ」
「!」
ハッとして人々の服装を見た。確かにルシアナの言う通り男性も女性も黒い服を着ている人が多い。女性を見れば特に顕著でアンジェルが着ていたドレスを連想させるような黒いワンピースを着ている人が何人かいる。そしてその胸には。
『白花の刺繍…』
何の意図があって皆がそんな恰好をしているのかはわからないが、アンジェルはあの日のことを思い出してゾクッとした。
黒装束で手に持たされた白花の籠。結果的にはそれがなければティト達には出会えていないのだが儀式の日までに味わった嫌な記憶が胸を掠めた。
「…セルトン領は色々と問題がありそうだな」
何かを察知したのかティトがアンジェルを気遣うように撫で、今日のところは宿に戻ろう、と街に引き返すことにした。
**
夜半、アンジェルをルシアナに任せてティトとアドルフィトは宿を出た。ティトは酒場を探し、アドルフィトは今一度セルトン邸に様子を見に向かう。
ペルラン王都の繁華街とは違い夜の街は閑散としていた。それでも営業している店はゼロではないだろうと細い路地に入ると小さな看板が出ていることに気がつく。店は地下にあるようで階段を下り扉を開ける。薄暗い店内には人数こそ多くないが酒を飲んでいる客がポツポツといた。
(やっぱりそれなりにいるな…)
ルシアナが気がついた黒装束、この店の中にも何人かいる。ティトはカウンターで飲んでいる黒いシャツを着た中年の男に近づいた。年は五十代くらいだろうか、この年代なら先の時代の事も知っているだろう。
「隣良いか?」
「ん?ああ、構わないよ」
席に着いて店員にシェリー酒を注文する。その際テーブルのメニュー表をちらりと見たが他の地域より二倍近い価格だった。値段を上げないと店も存続できないのだろう。
「今日ここに来たんだがロバナはずいぶんと物価が高いな」
「ああ、ここ数ヶ月で一気に物価が上がったんだよ」
何気なく尋ねると役所に並んでいた人と同じように南部の食糧難のことなどを話してくれた。こうして飲みに出てこられるだけまだ裕福な方なのだろう。
「俺は数ヶ月前王都に居たんだが…その服はアンジェル嬢と関係あるのか?黒い服を着てる人がやたらと多くて少し不思議に思ってたんだが」
「!」
ストレートに尋ねると男はピクッと反応し小さくため息を吐いた。
「…ああ。これはアンジェル様への追悼の意を表しているんだ」
「追悼か…。なるほど」
「あんなことになって本当に心が痛いよ。いったい現領主は何をやってんだか…」
はぁ、と男はもう一度、今度は深いため息を吐いた。追悼、ということはセルトン家の一員でもアンジェルは嫌われておらず好意的に見られているということだ。
儀式の事をふと思い出す。ティトはアンジェルがジラルの塔に向かって歩いてくるのを上の窓から眺めていた。あの時その姿を純粋に美しいと思ったのだ。
「儀式を見たんだがアンジェル嬢は涙も流さずしっかりと前を見据えて…とても気高く美しかったよ」
「そうか…。やはりアンジェル様は先代の血が流れた尊い方だったんだな…」
黒いシャツの胸元には白花の刺繍。男は悔しそうにギュッとその胸の刺繍を握りしめた。
「本当に前領主様は民に寄り添ってくれる素晴らしい方だったんだよ。この土地に住んでいることがどれ程誇らしかったか…」
「そうか…」
たった一人の愚かな領主の所為で領地が傾いてしまう事の虚しさ。ぐいっと酒を煽る男を眺めながらティトもまた、国や領地を統べるということの難しさを胸に刻んだのだった。
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