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第二十六話
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場所を変えたゼノンは、目の前の存在を透徹した瞳で見上げる。
巨大で透明な……水晶の壁に閉じ込められたそれは、純白の巨人……白亜の装甲を纏った、一機の人型兵器だ。
甲冑よりも、ドレスや羽衣を思わせる優美なその意匠は、この世界に存在するいかなる美術品よりも洗練されていた。この存在の前には、ウェイジアスでさえ無骨に映る。
全身に点在する乾いた灰色は、魔力を失って不活性化したマナ・エナジストだ。それで構成された巨大な翼を背に負ったその存在……。その両隣には、機体の全高に匹敵する全長の、二枚の盾が機体を守るかのように鎮座していた。
在りし日は、灰の部分全てを黄金に輝かせて、自在に飛ぶ二枚の盾を従えた壮麗な姿を見せていた……戦場の希望として。
白の装星機『レインフィーリア』。かつての聖女、イリス・アルフェノスがその生涯を共にした、神の御使い……『精霊戦争』の最後、扉を閉じ封印を維持するために……彼女は、人柱となった。自らの命と、機体を水晶に封じ込め、楔として封印を安定させるために……
それを外敵より守り、聖女の安息を祈るために建立された。故に……『水晶宮』。
しみじみと考えていると、人の気配がした。呼び出していた面々が到着したと言うことだろう。
入り口に目を向けると、老若男女、合わせて四人の男女が入ってきたところだった。
その中の一人……アルハザードが、ゼノンの服装を見て目を剥いた。
「お前、その格好は……」
「よお、アル。他の御仁も、呼び出してすまないな」
「それはいいが……わざわざここに呼び出すのはどういうことだ?」
「兄さん、私たちをそろって呼び出すとは、いかような話なのでしょうか?」
口々に問いかけてきたのはフローレンスとレオナルド。その横から割り込むように、鼻息の荒い紳士が怒声を上げた。
「聞いたぞ!! 娘の後ろ盾とはどういうことだ!?」
「やあ、公爵閣下。無断ですまなかったな」
「謝罪などはいい!! わけを説明してもらおう!! 事と次第によっては……」
「落ち着け、デュラス」
叫ぶデュラス・ベルリエンデ公爵を、アルハザードがそう言ってなだめた。
「陛下!?」
「ご息女の後ろ盾の件、私も小耳に挟んでいる。何事にも慎重なこの男が、ここまで大胆な手を打ったのだ。理由を聞いてみる価値はあるだろう?」
「……御意」
不承不承という体で引き下がったデュラスを見やり、継いで視線をゼノンに向けた。他の二人とともに。
それを感じ取りながら、ゼノンは懐から取り出したタバコに火を点した。
「改めて謝罪する、ベルリエンデ公爵。性急すぎる手を打ったこと、それを無断で進めたことはすまなく思う」
チリチリと手巻きを吹かし、水晶の前の手すりに身を預けた。
「だが……今回は、相談などしている余裕はなかった。それほどまでに、事態は切迫している」
「一体、何のことだ?」
戸惑い混じりのデュラスの応え。それに紫煙をくゆらせながら。簡潔に告げた。
「帝国が感づいている」
たった一言……それだけで、アルハザードとデュラスは表情を凍らせた。残る二人は話しについて行けずに疑問顔だ。
「ま、まさか……それは」
「まさかでなくてもご息女のことだ」
紫煙を吐きつつ、静かに答える。
「こ、根拠は……」
「そいつはアルに聞いてくれ」
そう言って、咎めるような視線をアルハザードに向けた。
それに従うように、全員の視線がアルハザードに集中する。ゼノン含めた視線に、アルハザードは一瞬息を飲み、観念したように口を開く。
「……セレスティアラ殿下か……」
搾り出すようなその言葉を、ゼノンは無言で肯定する。
「セレスティアラ……まさか……」
「ヴェルディアの……『白銀の戦女神』? 確か、例の婚約破棄以降消息不明って……」
フローレンスとレオナルドは口々に言うのに、ゼノンは頷いた。
「生きておられた。ドラグベルム皇太子妃という肩書きを手に入れて、な」
「なんだと!?」
「それだけじゃない。その皇太子妃殿下は現在、我がリーズバルトにご滞在中だ。あの妖怪ババアの元でな」
「おばあさまの……」
困惑するフレーレンスとレオナルドをよそに、ゼノンはアルハザードを見据えながら口を開く。
「あの人はアーノルドのことに関して、俺たちに助言をくださるために来訪した。あの方の婚約破棄と、あのクソの凶行、この二つは共通点が多い」
そう言ってゼノンは、セレスティアラから聞かされた『お助けキャラ』について、手短に説明する。
同時に、デュラスには今まで伏せていた転生に関しても手短に説明した。信じがたいという顔をしていたデュラスだったが、周りの王族が真剣に聞いているのを見て、事実だと納得した様子だった。
「……では、アーノルドを手助けするものが王宮に潜んでいると?」
「その可能性がある、ということだ。やつを再度尋問した上で、殿下からの情報と突き合せなければ断言はできんがな。これに関しちゃ、後々調査を重ねるしかあるまい。問題は……」
言葉を切る。
「セレスティアラ殿下のもう一つの目的……アンジェの身柄だ」
その言葉に、全員に緊張が走った。
「正直なところ、あの人の真意は分からない。これが、帝国の意志なのか、それともあの人個人の意志なのかを含めてな」
「前者だった場合……」
「ここからは手段を選ばんだろうな。あの帝国が、ほしいオモチャを放っておくとは思えん。その為の後ろ盾だ」
「……王族の後援を受けている令嬢ならば、おいそれとは手を出せん……と言うことか……」
「なぁ、さっきから何の話なんだ?」
ゼノンとアルハザード、デュラスのやりとりにフローレンスが口を挟んだ。
「オモチャだの連れ出すだの……アンジェは王妃教育が終わっているとは言え、一介の貴族令嬢だぞ? それに一国が、それも覇権国家が執着するって考える理由はなんだ?」
その瞬間、バサリという何かが落ちる音が響いた。見ると、呆然としたレオナルドの足下に、書類が散らばっている。これを落とした音だったのだ。
「まさか……うそ、ですよね? アンジェリーナお義姉様が……そんな……」
「アンジェが……?」
唇をわななかせてつぶやくレオナルドの言葉を怪訝に聞き届けて……レオナルドと同じ推測に行き着いたフローレンスが、ゼノンを……その背後の装星機を見上げた。
「まさか……」
「状況証拠だけだが、ほぼ間違いない。次の聖女はアンジェだ」
改めて突きつけられた現実に、重い沈黙がのしかかった。
「少なくとも、ここからの魔力放射についてはすでに師匠も知るところだ。これに関しちゃ帝国も把握していると考えるべきだろう。あそこは未稼働を含めて、現存の装星機の三分の一を保有している。アンジェを確保できればそれが更に増えるってわけだ」
「当代皇帝は野心家だ……ヴェルディア侵攻の手際を見ても、さらなる戦力を手中にする機会を逃すとは思えんな……」
「そういうこった。流石に拉致監禁なんて無茶はやらんだろうがな」
ゆっくりと紫煙をくゆらせて、一同を見渡した。
「アンジェの意思を尊重する。彼女を、望まぬ鉄火場へと送り込むようなことはできない。これに関しちゃ、全員同じ思いのはずだ」
瞳に決意をみなぎらせて、ゼノンは言う。
「そのために、もう一つ手を打つぞ」
「もう一つ?」
訝し気なアルハザードの問い返しにうなずいて、ゼノンは右手を振った。すると、結界と封印の術式が彫刻された壁、その情報に据えられた青い宝玉――通信球が輝いた。
そこから投影された光が、車いすに座った人影を映し出す。
「あらあら、こんばんは。お昼ぶりね、ゼノン」
「お、王太后陛下!?」
素っ頓狂な声を上げたデュラスが、慌てて跪いた。ほかの面々も、それぞれに一礼する。それを見て、テレーゼは苦笑した。
「デュラス、楽になさい」
「はっ……しかし……」
「ここは非公式の場。アンジェの父君で、息子の親友であるあなたに、そのような礼儀は求めないわ」
「は……失礼いたします」
そこまで言われて初めて、デュラスは面を上げて立ち上がった。
それを苦笑交じりに見届けたゼノンは、そのままテレーゼに話しかける。
「よう、妖怪ババア。夜分にすまないな」
「ほんとよー? エリナお手製のハーブティーを楽しんで、もうベッドに入るところだったのに……急にどうしたのかしら?」
「そのエリナに野暮用があるんだ」
穏やかな口調はそのままに嫌味を交えたテレーゼの言を柳に風と受け流し、ゼノンは手早く本題に入る。
「野暮用?」
「なーに、大したことじゃない。ちょっとお使いを頼みたいんだ」
「いったい何かしら?」
「それはなー」
気安い口調で受け答えしていたゼノンは、そこで表情を引き締めた。
「王都を含む教団第一教区を治めるマクハーディ枢機卿に伝言を頼みたい。『真実の巫女、その目をお借りしたい』と」
アルハザードたちが息をのむ気配を背中に感じながら――それを意識して無視しながら、ゼノンはテレーゼをまっすぐに見据えていた。
そんなゼノンの様子と、狂騒が勃発寸前といった風情の家族たちを見比べて、テレーゼは問う。
「どうしてエリナに?」
「あいつはもともと教団騎士――『七星騎士団』の一員だ。今でもあいつを慕う信徒は多い。メッセンジャー役にはうってつけさ」
「……あなたが直接お願いする、というわけにはいかないのかしら?」
「それをやったら反発されるだけだ。波風を極力抑えて、今後の連携に支障がないようにしたい」
「勝手に話を進めるな!!」
背後で、アルハザードの怒声が轟いた。それに、ゼノンは面倒そうに振り返った。
「どうした、アル?」
「どうしたもこうしたもあるか!! 『真実の巫女』を呼ぶと言うことは、お前はあの娘を……!?」
「私としても承服しかねるぞ!! あの娘が心穏やかに過ごすことが我々の願いだったはずだ!!」
「妹を教団に預けたのは、政治と謀略から遠ざけるためだったはず……一体、どうしてしまわれたのですか!? ゼノン兄さん!!」
「…………」
国王の怒声に、第一王女と第二王子が追随した。その様子をゼノンは醒めた目で、彼らの傍らのデュラスは理解不能というような目で、それぞれ見ていた。
「……これは、思ったよりも深刻ね」
「ああ。アル達も影響下にあるだろうとは思っていたが、これほどとはな……」
テレーゼとゼノンが、三人の様子をそう評した。その様子に却って冷静になったらしいアルが、疑問符を上げる。
「母上?」
「アル」
テレーゼは柔和な微笑みはそのままに、鋭くデュラス達を見据えた。
「今の言葉は、あなたの本心かしら?」
「な……決まっているでしょう!! 無論私の……」
そこで、アルは言葉に詰まった。その様子をよそに、二人の孫達に水を向ける。
「あなたたちも、今の言葉は本心かしら?」
「そ、それは……」
「当然……」
やはり言葉に詰まる、二人。
「なぜだ……なぜ今私は、ゼノンに反対した?」
「おかしいぞ……必要ならばあの娘の力を使うのは……教団とも取り交わした決まりで……」
「むしろ……それこそをあの娘は望んだはずだったのに……どうして、僕は……」
呆然とつぶやく三人の様子を、青ざめた顔でデュラスは見届け、視線をゼノンに向ける。
「……これが、奴らの攻撃だと?」
「おそらく。そして、王宮での滞在時間を考えれば、アンジェもすでに何かしらの影響下にあると考えるべきだろう」
タバコを足下に捨て、苛立たしげに踏み潰した。
「それこそ、アーノルドからの仕打ちを唯々諾々と受け入れるくらいにはな」
「言われてみれば……」
「彼女の方から、婚約解消の要望などはなかったんだろう?」
静かなゼノンの指摘に、デュラスは力なく頷いた。
「ああ……一切なかった。殿下からの仕打ちも、その対応を丸投げされていた現状も……不満は言えど、改善しようとはしなかった……王家との婚約の意義を理解しているからだと思っていたが、実際には……」
「奴らの影響下にあったってことさ。連中の狙いは分からんが、アーノルドとアンジェが婚約していると言う状況それ自体が必要だったのだろう……その真意が何にせよ、な」
そこまでを潮に、アルハザードに向き直った。
「『真実の巫女』に、王宮の検分を依頼する。異論はございませんな? 国王陛下」
「ああ……万事、お前に任せる」
うなだれ、力なく答えるアルハザードを見届け、テレーゼに向き直る。
「そう言うわけだ。エリナへの伝言、頼んだぞ」
「承知したわ。明日にでも向かわせましょう」
「そうしてくれ。ここからは時間との戦いだ」
「わかっているわ。それじゃあね」
それを最後に、通信は打ち切られた。
ゼノンは静かに背後の装星機を見上げる。
「これでいいんだよな……イリス」
鋼鉄の相貌は、文字通りの鉄面皮を現し続けた。
同じ頃。
寝室でアンジェリーナは、寝る前の身支度をクレアに手伝ってもらっていた。
「クレア、あなたにも見せたかったわぁ!! どこまでも無限に続く青い空!! あんなに美しい光景があるだなんて……わたし、思いもしなかったわ!!」
「それはようございました!!」
就寝のために髪を結い上げながら、クレアは微笑みを絶やさない。実際、彼女にとっては、仕える主人の幸福は歓迎すべきことだった。
アーノルドとの婚約以降、沈んでいることの多かった主人が、年相応の少女のように、可憐な笑顔と喜びを放散させている。
間違いなく、あの赤毛の紳士のおかげだろう。主にようやく訪れた素敵な出会いに、クレアは胸中で神に感謝した。
「お嬢様のそのような笑顔、久しぶりです!! クレアはうれしゅうございます!!」
「そ、そうかしら?」
テンション高めなクレアの言葉に、ちょっと戸惑い気味にアンジェリーナは返した。
「そうですよ!! 昨夜も申し上げましたが、あの王太子と婚約してからのお嬢様は暗い顔ばかりなさっていました!! 私からも、マクシミリアン卿にお礼を申し上げたいくらいです!!」
「……!!」
お礼。その言葉を聞いて、言葉のお礼だけでいいのだろうか、と自問する。
今日の体験は、間違いなくここまでの人生で最高の体験だった。その後の騒動も、彼らの戦いの一端だけでも体験できたのだから、有意義なものだった。
そんな貴重な体験をさせてもらったというのに、言葉だけで済ませていいのか……。
「いいわけないわ!!」
「お嬢様?」
突然声を上げたアンジェリーナに、クレアは戸惑い気味に問いかけた。
「ありがとう、クレア!! あなたのおかげで大事なことに気づけたわ!! もう、お休みなさい!!」
「は、はぁ……か、かしこまりました」
突如の気炎に戸惑いながらも一礼したクレアは、そのまま寝室を辞した。
ドアが閉まったことを確認してから立ち上がり、一直線にクローゼットへ向かい、勢いよく開く。
そこにはドレスや寝間着、普段遣いの室内着や訪問着などと一緒に、色とりどりの生地が巻き布にして収められていた。
刺繍は令嬢の嗜み……当然、アンジェリーナも未来の王妃として厳しい教育を受けていた。
アンジェリーナは、今日のお礼として贈り物をすることにした。貴族的な習慣、生活を苦手としているらしいゼノンに送るのだから、実用に耐えるものがいいだろう……そう思って、手持ちのリネン生地を検める。
「何色がいいかしら……」
赤、は論外だ。自分の瞳の色であるエメラルドも。自分たち個人を連想させるような色は控えるべきだ。
自分はまだ……アーノルド王太子殿下の婚約者なのだから。
「ゼノン様のご迷惑になるような贈り物は出来ないわ」
手元にある巻布をかき分け、かき分け、一つ一つの色を見ていき……『その色』に行き着いた。
「これよ!! 絶対にこれがいいわ!!」
その生地を木製のソーイングボックスとともに持ち出す。室内の作業机に生地を広げて、裁ちばさみで適切な寸法に切り取る。角をカットして、折り返した縁を縫い合わせて一枚のハンカチを手早く作る。そうしてから、何を刺繍するか少し考えた。
「大公家の家紋は論外ね。絶対に嫌がるわ……」
名乗ることさえ避けようとしていたことを考えれば、彼が属する家に複雑な感情があるのは明らかだ。贈り物とは言え、図案には使えないだろう。
それなら何を……そう考えたときに、閃いた。
プロトゼロの左肩に刻まれていた、紋章。実を言うと、アレには見覚えがあって……
ベッドサイドの書き物机に置いていた、一冊の本を取り上げる。
タイトルは『古代への邂逅 メトラ朝の隆盛と滅亡』。ゼノンの著書だ。
その表紙、著者名の隣に、あの紋章が……盾の前で二振りの剣が交差した意匠のエンブレムが箔押しされていた。
これが何の紋章かは、アンジェリーナにはわからない。だが、著書に刻むくらいなのだ。ゼノンにとっては大切な、思い入れがある紋章なのだろう。今回の贈り物にはうってつけだ。
「決まりね!!」
ソーイングボックスの中から薄紙をとりだして表紙に重ね、軟らかい鉛筆を使って慎重にエンブレムを書き写していく。
写し取ったら薄紙と複写紙を重ね合わせ、刺繍を入れたい場所にマチ針で留めて、エンブレムをトレーサーでなぞって生地に写していく。
それが終わると、生地にエンブレムが写し出されていた。カスレもなく、このままで十分だ。すぐに針に銀糸を通し、刺繍していく。
一針通すたびに、ゼノンとの出会いから今日までのことが心の中に駆け巡っていく。
アーノルドの拳を止めてくれたあの朝、アーノルドの犯行を報告してきたサロンの風景、書庫での運命的な邂逅、そして……その身に抱く悲しみと罪を告白された、あの夜……
それらの光景が流星雨のように一つの場所へと降り注いでいき……あの空の青となって結実した。
「そうよ……」
針を通しながら、つぶやく。
「私は、アンジェリーナ・ベルリエンデは……ゼノン・マクシミリアン卿に、恋をしているのよ」
言い終わったまさにその瞬間、刺繍が終わった。
「出来た!!」
ハンカチを広げて、出来映えを見る。
縁が綺麗に縫い合わされたハンカチは、彼の生業である考古学の発掘現場で使えるよう、ポケットにも簡単に収まるサイズだ。作業中には汗もかくし、場合によってホコリや砂、土をかぶってしまうこともあるだろう。そんなときに、さっと顔や手を拭えるように、考えた一品だった。
「我ながら……いい出来映えね」
微笑んで自讃する。
実用性を重視したリネン生地の角に、銀糸で例のエンブレムを刺繍した。
その生地の色は……
「あの空と、同じね」
深い青。
二人で飛んだ、空の色だった。
「明日、早速渡しましょう!!」
丁寧に折りたたんだハンカチを、紙箱に収めて丹念に包装する。ここは貴族としての作法に則って、ベルリエンデ公爵家の色である浅黄色の色紙で包んだ。
最後に、薄紅色のリボンでラッピングした。
「喜んでくれるかしら……」
きっと喜んでくれる。胸中で自答して、ベッドに潜り込んだ。
巨大で透明な……水晶の壁に閉じ込められたそれは、純白の巨人……白亜の装甲を纏った、一機の人型兵器だ。
甲冑よりも、ドレスや羽衣を思わせる優美なその意匠は、この世界に存在するいかなる美術品よりも洗練されていた。この存在の前には、ウェイジアスでさえ無骨に映る。
全身に点在する乾いた灰色は、魔力を失って不活性化したマナ・エナジストだ。それで構成された巨大な翼を背に負ったその存在……。その両隣には、機体の全高に匹敵する全長の、二枚の盾が機体を守るかのように鎮座していた。
在りし日は、灰の部分全てを黄金に輝かせて、自在に飛ぶ二枚の盾を従えた壮麗な姿を見せていた……戦場の希望として。
白の装星機『レインフィーリア』。かつての聖女、イリス・アルフェノスがその生涯を共にした、神の御使い……『精霊戦争』の最後、扉を閉じ封印を維持するために……彼女は、人柱となった。自らの命と、機体を水晶に封じ込め、楔として封印を安定させるために……
それを外敵より守り、聖女の安息を祈るために建立された。故に……『水晶宮』。
しみじみと考えていると、人の気配がした。呼び出していた面々が到着したと言うことだろう。
入り口に目を向けると、老若男女、合わせて四人の男女が入ってきたところだった。
その中の一人……アルハザードが、ゼノンの服装を見て目を剥いた。
「お前、その格好は……」
「よお、アル。他の御仁も、呼び出してすまないな」
「それはいいが……わざわざここに呼び出すのはどういうことだ?」
「兄さん、私たちをそろって呼び出すとは、いかような話なのでしょうか?」
口々に問いかけてきたのはフローレンスとレオナルド。その横から割り込むように、鼻息の荒い紳士が怒声を上げた。
「聞いたぞ!! 娘の後ろ盾とはどういうことだ!?」
「やあ、公爵閣下。無断ですまなかったな」
「謝罪などはいい!! わけを説明してもらおう!! 事と次第によっては……」
「落ち着け、デュラス」
叫ぶデュラス・ベルリエンデ公爵を、アルハザードがそう言ってなだめた。
「陛下!?」
「ご息女の後ろ盾の件、私も小耳に挟んでいる。何事にも慎重なこの男が、ここまで大胆な手を打ったのだ。理由を聞いてみる価値はあるだろう?」
「……御意」
不承不承という体で引き下がったデュラスを見やり、継いで視線をゼノンに向けた。他の二人とともに。
それを感じ取りながら、ゼノンは懐から取り出したタバコに火を点した。
「改めて謝罪する、ベルリエンデ公爵。性急すぎる手を打ったこと、それを無断で進めたことはすまなく思う」
チリチリと手巻きを吹かし、水晶の前の手すりに身を預けた。
「だが……今回は、相談などしている余裕はなかった。それほどまでに、事態は切迫している」
「一体、何のことだ?」
戸惑い混じりのデュラスの応え。それに紫煙をくゆらせながら。簡潔に告げた。
「帝国が感づいている」
たった一言……それだけで、アルハザードとデュラスは表情を凍らせた。残る二人は話しについて行けずに疑問顔だ。
「ま、まさか……それは」
「まさかでなくてもご息女のことだ」
紫煙を吐きつつ、静かに答える。
「こ、根拠は……」
「そいつはアルに聞いてくれ」
そう言って、咎めるような視線をアルハザードに向けた。
それに従うように、全員の視線がアルハザードに集中する。ゼノン含めた視線に、アルハザードは一瞬息を飲み、観念したように口を開く。
「……セレスティアラ殿下か……」
搾り出すようなその言葉を、ゼノンは無言で肯定する。
「セレスティアラ……まさか……」
「ヴェルディアの……『白銀の戦女神』? 確か、例の婚約破棄以降消息不明って……」
フローレンスとレオナルドは口々に言うのに、ゼノンは頷いた。
「生きておられた。ドラグベルム皇太子妃という肩書きを手に入れて、な」
「なんだと!?」
「それだけじゃない。その皇太子妃殿下は現在、我がリーズバルトにご滞在中だ。あの妖怪ババアの元でな」
「おばあさまの……」
困惑するフレーレンスとレオナルドをよそに、ゼノンはアルハザードを見据えながら口を開く。
「あの人はアーノルドのことに関して、俺たちに助言をくださるために来訪した。あの方の婚約破棄と、あのクソの凶行、この二つは共通点が多い」
そう言ってゼノンは、セレスティアラから聞かされた『お助けキャラ』について、手短に説明する。
同時に、デュラスには今まで伏せていた転生に関しても手短に説明した。信じがたいという顔をしていたデュラスだったが、周りの王族が真剣に聞いているのを見て、事実だと納得した様子だった。
「……では、アーノルドを手助けするものが王宮に潜んでいると?」
「その可能性がある、ということだ。やつを再度尋問した上で、殿下からの情報と突き合せなければ断言はできんがな。これに関しちゃ、後々調査を重ねるしかあるまい。問題は……」
言葉を切る。
「セレスティアラ殿下のもう一つの目的……アンジェの身柄だ」
その言葉に、全員に緊張が走った。
「正直なところ、あの人の真意は分からない。これが、帝国の意志なのか、それともあの人個人の意志なのかを含めてな」
「前者だった場合……」
「ここからは手段を選ばんだろうな。あの帝国が、ほしいオモチャを放っておくとは思えん。その為の後ろ盾だ」
「……王族の後援を受けている令嬢ならば、おいそれとは手を出せん……と言うことか……」
「なぁ、さっきから何の話なんだ?」
ゼノンとアルハザード、デュラスのやりとりにフローレンスが口を挟んだ。
「オモチャだの連れ出すだの……アンジェは王妃教育が終わっているとは言え、一介の貴族令嬢だぞ? それに一国が、それも覇権国家が執着するって考える理由はなんだ?」
その瞬間、バサリという何かが落ちる音が響いた。見ると、呆然としたレオナルドの足下に、書類が散らばっている。これを落とした音だったのだ。
「まさか……うそ、ですよね? アンジェリーナお義姉様が……そんな……」
「アンジェが……?」
唇をわななかせてつぶやくレオナルドの言葉を怪訝に聞き届けて……レオナルドと同じ推測に行き着いたフローレンスが、ゼノンを……その背後の装星機を見上げた。
「まさか……」
「状況証拠だけだが、ほぼ間違いない。次の聖女はアンジェだ」
改めて突きつけられた現実に、重い沈黙がのしかかった。
「少なくとも、ここからの魔力放射についてはすでに師匠も知るところだ。これに関しちゃ帝国も把握していると考えるべきだろう。あそこは未稼働を含めて、現存の装星機の三分の一を保有している。アンジェを確保できればそれが更に増えるってわけだ」
「当代皇帝は野心家だ……ヴェルディア侵攻の手際を見ても、さらなる戦力を手中にする機会を逃すとは思えんな……」
「そういうこった。流石に拉致監禁なんて無茶はやらんだろうがな」
ゆっくりと紫煙をくゆらせて、一同を見渡した。
「アンジェの意思を尊重する。彼女を、望まぬ鉄火場へと送り込むようなことはできない。これに関しちゃ、全員同じ思いのはずだ」
瞳に決意をみなぎらせて、ゼノンは言う。
「そのために、もう一つ手を打つぞ」
「もう一つ?」
訝し気なアルハザードの問い返しにうなずいて、ゼノンは右手を振った。すると、結界と封印の術式が彫刻された壁、その情報に据えられた青い宝玉――通信球が輝いた。
そこから投影された光が、車いすに座った人影を映し出す。
「あらあら、こんばんは。お昼ぶりね、ゼノン」
「お、王太后陛下!?」
素っ頓狂な声を上げたデュラスが、慌てて跪いた。ほかの面々も、それぞれに一礼する。それを見て、テレーゼは苦笑した。
「デュラス、楽になさい」
「はっ……しかし……」
「ここは非公式の場。アンジェの父君で、息子の親友であるあなたに、そのような礼儀は求めないわ」
「は……失礼いたします」
そこまで言われて初めて、デュラスは面を上げて立ち上がった。
それを苦笑交じりに見届けたゼノンは、そのままテレーゼに話しかける。
「よう、妖怪ババア。夜分にすまないな」
「ほんとよー? エリナお手製のハーブティーを楽しんで、もうベッドに入るところだったのに……急にどうしたのかしら?」
「そのエリナに野暮用があるんだ」
穏やかな口調はそのままに嫌味を交えたテレーゼの言を柳に風と受け流し、ゼノンは手早く本題に入る。
「野暮用?」
「なーに、大したことじゃない。ちょっとお使いを頼みたいんだ」
「いったい何かしら?」
「それはなー」
気安い口調で受け答えしていたゼノンは、そこで表情を引き締めた。
「王都を含む教団第一教区を治めるマクハーディ枢機卿に伝言を頼みたい。『真実の巫女、その目をお借りしたい』と」
アルハザードたちが息をのむ気配を背中に感じながら――それを意識して無視しながら、ゼノンはテレーゼをまっすぐに見据えていた。
そんなゼノンの様子と、狂騒が勃発寸前といった風情の家族たちを見比べて、テレーゼは問う。
「どうしてエリナに?」
「あいつはもともと教団騎士――『七星騎士団』の一員だ。今でもあいつを慕う信徒は多い。メッセンジャー役にはうってつけさ」
「……あなたが直接お願いする、というわけにはいかないのかしら?」
「それをやったら反発されるだけだ。波風を極力抑えて、今後の連携に支障がないようにしたい」
「勝手に話を進めるな!!」
背後で、アルハザードの怒声が轟いた。それに、ゼノンは面倒そうに振り返った。
「どうした、アル?」
「どうしたもこうしたもあるか!! 『真実の巫女』を呼ぶと言うことは、お前はあの娘を……!?」
「私としても承服しかねるぞ!! あの娘が心穏やかに過ごすことが我々の願いだったはずだ!!」
「妹を教団に預けたのは、政治と謀略から遠ざけるためだったはず……一体、どうしてしまわれたのですか!? ゼノン兄さん!!」
「…………」
国王の怒声に、第一王女と第二王子が追随した。その様子をゼノンは醒めた目で、彼らの傍らのデュラスは理解不能というような目で、それぞれ見ていた。
「……これは、思ったよりも深刻ね」
「ああ。アル達も影響下にあるだろうとは思っていたが、これほどとはな……」
テレーゼとゼノンが、三人の様子をそう評した。その様子に却って冷静になったらしいアルが、疑問符を上げる。
「母上?」
「アル」
テレーゼは柔和な微笑みはそのままに、鋭くデュラス達を見据えた。
「今の言葉は、あなたの本心かしら?」
「な……決まっているでしょう!! 無論私の……」
そこで、アルは言葉に詰まった。その様子をよそに、二人の孫達に水を向ける。
「あなたたちも、今の言葉は本心かしら?」
「そ、それは……」
「当然……」
やはり言葉に詰まる、二人。
「なぜだ……なぜ今私は、ゼノンに反対した?」
「おかしいぞ……必要ならばあの娘の力を使うのは……教団とも取り交わした決まりで……」
「むしろ……それこそをあの娘は望んだはずだったのに……どうして、僕は……」
呆然とつぶやく三人の様子を、青ざめた顔でデュラスは見届け、視線をゼノンに向ける。
「……これが、奴らの攻撃だと?」
「おそらく。そして、王宮での滞在時間を考えれば、アンジェもすでに何かしらの影響下にあると考えるべきだろう」
タバコを足下に捨て、苛立たしげに踏み潰した。
「それこそ、アーノルドからの仕打ちを唯々諾々と受け入れるくらいにはな」
「言われてみれば……」
「彼女の方から、婚約解消の要望などはなかったんだろう?」
静かなゼノンの指摘に、デュラスは力なく頷いた。
「ああ……一切なかった。殿下からの仕打ちも、その対応を丸投げされていた現状も……不満は言えど、改善しようとはしなかった……王家との婚約の意義を理解しているからだと思っていたが、実際には……」
「奴らの影響下にあったってことさ。連中の狙いは分からんが、アーノルドとアンジェが婚約していると言う状況それ自体が必要だったのだろう……その真意が何にせよ、な」
そこまでを潮に、アルハザードに向き直った。
「『真実の巫女』に、王宮の検分を依頼する。異論はございませんな? 国王陛下」
「ああ……万事、お前に任せる」
うなだれ、力なく答えるアルハザードを見届け、テレーゼに向き直る。
「そう言うわけだ。エリナへの伝言、頼んだぞ」
「承知したわ。明日にでも向かわせましょう」
「そうしてくれ。ここからは時間との戦いだ」
「わかっているわ。それじゃあね」
それを最後に、通信は打ち切られた。
ゼノンは静かに背後の装星機を見上げる。
「これでいいんだよな……イリス」
鋼鉄の相貌は、文字通りの鉄面皮を現し続けた。
同じ頃。
寝室でアンジェリーナは、寝る前の身支度をクレアに手伝ってもらっていた。
「クレア、あなたにも見せたかったわぁ!! どこまでも無限に続く青い空!! あんなに美しい光景があるだなんて……わたし、思いもしなかったわ!!」
「それはようございました!!」
就寝のために髪を結い上げながら、クレアは微笑みを絶やさない。実際、彼女にとっては、仕える主人の幸福は歓迎すべきことだった。
アーノルドとの婚約以降、沈んでいることの多かった主人が、年相応の少女のように、可憐な笑顔と喜びを放散させている。
間違いなく、あの赤毛の紳士のおかげだろう。主にようやく訪れた素敵な出会いに、クレアは胸中で神に感謝した。
「お嬢様のそのような笑顔、久しぶりです!! クレアはうれしゅうございます!!」
「そ、そうかしら?」
テンション高めなクレアの言葉に、ちょっと戸惑い気味にアンジェリーナは返した。
「そうですよ!! 昨夜も申し上げましたが、あの王太子と婚約してからのお嬢様は暗い顔ばかりなさっていました!! 私からも、マクシミリアン卿にお礼を申し上げたいくらいです!!」
「……!!」
お礼。その言葉を聞いて、言葉のお礼だけでいいのだろうか、と自問する。
今日の体験は、間違いなくここまでの人生で最高の体験だった。その後の騒動も、彼らの戦いの一端だけでも体験できたのだから、有意義なものだった。
そんな貴重な体験をさせてもらったというのに、言葉だけで済ませていいのか……。
「いいわけないわ!!」
「お嬢様?」
突然声を上げたアンジェリーナに、クレアは戸惑い気味に問いかけた。
「ありがとう、クレア!! あなたのおかげで大事なことに気づけたわ!! もう、お休みなさい!!」
「は、はぁ……か、かしこまりました」
突如の気炎に戸惑いながらも一礼したクレアは、そのまま寝室を辞した。
ドアが閉まったことを確認してから立ち上がり、一直線にクローゼットへ向かい、勢いよく開く。
そこにはドレスや寝間着、普段遣いの室内着や訪問着などと一緒に、色とりどりの生地が巻き布にして収められていた。
刺繍は令嬢の嗜み……当然、アンジェリーナも未来の王妃として厳しい教育を受けていた。
アンジェリーナは、今日のお礼として贈り物をすることにした。貴族的な習慣、生活を苦手としているらしいゼノンに送るのだから、実用に耐えるものがいいだろう……そう思って、手持ちのリネン生地を検める。
「何色がいいかしら……」
赤、は論外だ。自分の瞳の色であるエメラルドも。自分たち個人を連想させるような色は控えるべきだ。
自分はまだ……アーノルド王太子殿下の婚約者なのだから。
「ゼノン様のご迷惑になるような贈り物は出来ないわ」
手元にある巻布をかき分け、かき分け、一つ一つの色を見ていき……『その色』に行き着いた。
「これよ!! 絶対にこれがいいわ!!」
その生地を木製のソーイングボックスとともに持ち出す。室内の作業机に生地を広げて、裁ちばさみで適切な寸法に切り取る。角をカットして、折り返した縁を縫い合わせて一枚のハンカチを手早く作る。そうしてから、何を刺繍するか少し考えた。
「大公家の家紋は論外ね。絶対に嫌がるわ……」
名乗ることさえ避けようとしていたことを考えれば、彼が属する家に複雑な感情があるのは明らかだ。贈り物とは言え、図案には使えないだろう。
それなら何を……そう考えたときに、閃いた。
プロトゼロの左肩に刻まれていた、紋章。実を言うと、アレには見覚えがあって……
ベッドサイドの書き物机に置いていた、一冊の本を取り上げる。
タイトルは『古代への邂逅 メトラ朝の隆盛と滅亡』。ゼノンの著書だ。
その表紙、著者名の隣に、あの紋章が……盾の前で二振りの剣が交差した意匠のエンブレムが箔押しされていた。
これが何の紋章かは、アンジェリーナにはわからない。だが、著書に刻むくらいなのだ。ゼノンにとっては大切な、思い入れがある紋章なのだろう。今回の贈り物にはうってつけだ。
「決まりね!!」
ソーイングボックスの中から薄紙をとりだして表紙に重ね、軟らかい鉛筆を使って慎重にエンブレムを書き写していく。
写し取ったら薄紙と複写紙を重ね合わせ、刺繍を入れたい場所にマチ針で留めて、エンブレムをトレーサーでなぞって生地に写していく。
それが終わると、生地にエンブレムが写し出されていた。カスレもなく、このままで十分だ。すぐに針に銀糸を通し、刺繍していく。
一針通すたびに、ゼノンとの出会いから今日までのことが心の中に駆け巡っていく。
アーノルドの拳を止めてくれたあの朝、アーノルドの犯行を報告してきたサロンの風景、書庫での運命的な邂逅、そして……その身に抱く悲しみと罪を告白された、あの夜……
それらの光景が流星雨のように一つの場所へと降り注いでいき……あの空の青となって結実した。
「そうよ……」
針を通しながら、つぶやく。
「私は、アンジェリーナ・ベルリエンデは……ゼノン・マクシミリアン卿に、恋をしているのよ」
言い終わったまさにその瞬間、刺繍が終わった。
「出来た!!」
ハンカチを広げて、出来映えを見る。
縁が綺麗に縫い合わされたハンカチは、彼の生業である考古学の発掘現場で使えるよう、ポケットにも簡単に収まるサイズだ。作業中には汗もかくし、場合によってホコリや砂、土をかぶってしまうこともあるだろう。そんなときに、さっと顔や手を拭えるように、考えた一品だった。
「我ながら……いい出来映えね」
微笑んで自讃する。
実用性を重視したリネン生地の角に、銀糸で例のエンブレムを刺繍した。
その生地の色は……
「あの空と、同じね」
深い青。
二人で飛んだ、空の色だった。
「明日、早速渡しましょう!!」
丁寧に折りたたんだハンカチを、紙箱に収めて丹念に包装する。ここは貴族としての作法に則って、ベルリエンデ公爵家の色である浅黄色の色紙で包んだ。
最後に、薄紅色のリボンでラッピングした。
「喜んでくれるかしら……」
きっと喜んでくれる。胸中で自答して、ベッドに潜り込んだ。
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