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第二十五話

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 それから基地を辞し、アンジェリーナを公爵邸まで送り届けた。

「今日はとても楽しかったです!! 貴重な体験をありがとうございました」
「どういたしまして。俺としても、誰かを後ろに乗せたのは初めてだった……貴重な体験だったよ」

 誰かを後ろに乗せるのは初めて……その事実に、アンジェリーナの頬が熱くなった。
 それはつまり、自分は彼にとって特別な女性なのではないか……そう思った瞬間、自分の想いを、ようやく理解していた。

(そうか……私は……)
「それじゃあ、また学院で会おう。お休み」
「は、はいっ!! お休みなさいませ……」

 一礼して門に向かって歩き出す。
 背中を見送ってくれているゼノンの視線を頼もしく思いながら、アンジェリーナはトクントクンと高鳴る胸を抱いて、邸宅の門扉を押し開いた。


 ゼノンは、無言で車を王宮へと向ける。

「…………」

 かたい無表情の裏で、思索を重ねる。

(もしも……やつの状況が件のマリアベル嬢と同じなら、多くのことに説明がつく)

 それこそ、アルハザードが自分の召喚を最後まで躊躇っていたことも。
 セレスティアラが婚約破棄された時の状況……王族に信用されるような高位貴族や、同盟国の王族が、そろいもそろって子爵令嬢に心酔し、その行動を支持、後援した……改めて振り返っても、ありえないことだ。
 それこそ……何らかの精神干渉でもなければ。

(相手が自身を隠蔽する手段を持っているのなら……これはかなりやばい状況だな……)

 それは、王家だけの話ではない。王宮に定期的に出入りしているアンジェリーナにも無関係とは言えない。
 彼女はまるで、他人事であるかのように、自身の現状の改善に積極的ではなかった。今に思えば、これも相当な違和感だ。いくら婚約者であるとはいえ、あれだけの不祥事を繰り返していたアーノルドの存在を忌避することはなかった……貴族の常識と照らし合わせても、距離をとるには十分すぎる状況だ。
 それを……少なくとも、ゼノンが知る限りは唯々諾々と受け入れていた。
 違和感は、すぐそこにあったはずなのだ。

(そこを踏まえるなら……今の状況はうまくないな)

 セレスティアラが語るところの『お助けキャラ』が本当にいるのなら……すでに、彼女も何らかの影響下にあると考えるべきだ。今のアンジェリーナは、自分に降りかかってくる状況をほぼ無抵抗で受け入れている。
 彼女にとって、不利になるようなことも。
 それは、今後のことも含めて考えるべきことだろう。今、彼女は王国中の貴族に狙われているといっても過言ではない。王太子婚約者として、公爵令嬢として優秀であるからこそ、彼女を欲する貴族は数多である。
 今日のことも、すぐに貴族の間に知れ渡ることだろう。曲がりなりにも王家の一員であるゼノンとの関係を見極め、早急に彼女との縁を繋ごうと先走る貴族が現れることは想像に難くない。

(このまま無策でいれば、一番不幸になるのはアンジェか……)

 仕方がない、と独り言ちる。

「ちったぁ、王族らしいことをするか」

 不敵に笑って、アクセルを踏み込んだ。


 エリック・ベルナルは王宮に勤める文官の一人である。有力伯爵家の次男坊である彼は、生来の博識を文官として生かすことを望んだ。
 志願兵として、あの戦争を間近で見ていたからだ。
 志願したのは、単純に義憤に駆られてのことだ。子供を、それも平民の子供だけに血を流すことを強制するなど、貴族としてあってはならないこと……そんな青臭い正義感でもって志願した。
 それを、両親と兄は賛成しなかったが、反対もしなかった。止めることなく送り出してくれた。家族も、少年兵の投入には疑問を抱いていたということなのだろう。
 そんなことを徒然考えながら、目的の場所であるサロンの扉をノックして押し開くと、先客がいた。

「マトリカ?」

 そこには、浅葱色の髪をした侍女……戦友でもあるマトリカ・キンメルがいた。

「あら、エリック。あなたも少佐に呼ばれたの?」
「ああ、そうだ……君もか」

 代々王宮侍女を輩出してきた子爵家の出である目の前の女性に、困惑交じりに答えた。

「用件は聞いているのか?」
「それが聞いてないのよ。緊急で手伝ってほしいことがあるって、呼び出されただけ」
「君も同じ理由か」

 などと話していたら、サロンの扉が開かれ、二人を呼び出した赤毛の男……ゼノンが足を踏み入れてきた。

「やあ、急に呼び出してすまない」
「いえ、かまいません」
「業務の範疇ですわ」

 それぞれの作法で一礼した二人は、ゼノンに問いかける。

「ところで、なぜ私たちを呼び出したのでしょうか?」
「緊急とのことですが、ご用件は何でしょう?」
「ああ、実はな、ちょっと手伝ってもらいたいんだ。エリック」
「はい」

 指名されたエリックは直立不動となった。

「呼び出して欲しい貴族が二人いる」
「呼び出し……どなたをでしょう?」

 ゼノンから告げられた名前は意外なものだった。

「いったい、何を始めるつもりなのですか?」
「そいつは見てのお楽しみだ」
「見て?」
「ああ、会見の速記も頼みたい」

 ゼノンの言葉を、エリックは意外には思わなかった。ゼノンが呼び出そうとしているのは、控えめに言っても重鎮と言っていい相手だ。
 そんな相手に……ますます訳がわからない。

「次、マトリカ。俺の礼装の保管場所を教えてくれ」
「礼装……どちらの、でしょうか」
「よりクソな、白い方だよ」

 ゼノンに与えられた……というより、王族は基本的に複数の礼装が与えられている。その内訳も含めて、マトリカは承知していた。
 白い礼装は……アレを持ち出すということは、何やら緊急事態だとマトリカは理解した。

「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
「ああ、それから」
「なんでしょう」
「着替え……手伝ってくんね?」

 バツの悪そうなゼノンの頼みに、二人は顔を見合わせ、軽く吹き出した。


「会見の要請とは、一体何用なのだろうな?」
「私が知るか。相変わらず意味のわからん御仁だ」

 短く刈り込んだ青髪に精悍な面差しをした中年の男……アラン・レオディール伯爵は、隣を歩く禿頭に口髭を蓄えた同年代の男……クレイグ・ベルモンド侯爵に問いかけたが、返答はにべもなかった。
 レオディールとベルモンドは、二人とも王国の重鎮と言える人物である。レオディールは次期騎士団長となることが確実視されているし、ベルモンドは次期宰相となることがほぼ内定していた。
 意味のわからん……その評価自体は、ベルモンドだけのものではない。
 大公家当主に王位継承権保有者という、多くの貴族が羨望するであろう地位に恵まれながら、叙爵即日で継承権の放棄を宣言し、以降平民と自称して憚らなかった変人の成り上がり者……それが多くの貴族の彼に対する評価であろう。

「所詮は傾奇者だ。自分や周りの立場、その意味を理解しとらんからこんなバカを平気でしでかすのだ」
「傾奇者、ねえ……それで片付けていい相手とは思えんがな……」

 聞きとがめるものはいないからと言いたい放題なベルモンドに、レオディールはやんわりと異を唱えた。

「何が言いたいのだ?」
「いや、そう見くびっていいものかと思ってな。なにせ、あの王太后陛下の薫陶を受けた御仁だぞ?」

 そう言って、苦笑まじりにベルモンドに視線をやる。

「あの方の辣腕……お前の方がよく知っているだろう?」
「ふん。だからあの成り上がりも同じだけの能力があると?」

 はっと、鼻で笑った。

「私の知見が見くびりなら、お前のは買い被りだな。あんな年がら年中土を掘り返してるような、盗人気質の抜けん道楽者、恐るるに足らんよ」
「変人というのはまあ、同意するがな……戦場でのあの方の戦いぶりを見た身としては、正直心から賛成はできんよ」

 そう、レオディールは『精霊戦争』でかの大公と轡を並べて戦った経験がある。
 その時に見た彼の勇姿……それがどうしても、彼に対する貴族の評価に頷くことを躊躇わせていた。

「それもすぐに思い過ごしだとわかるだろうさ」
「だといいがな……ところで」
「どうした?」
「ベルリエンデ公爵閣下に縁談を持ちかけたそうだな」

 レオディールの言葉に、ベルモンドは我が意を得たりと笑った。

「ああ。ウチの次男との、な。まだ一五歳でかのご令嬢よりも年下ではあるが、家格は十分よ」
「それで、閣下のご返答は?」
「『申し出はありがたいが、娘の意思を尊重したい』だ、そうだ。ここからが勝負所だ。根回しを早急に進めねばな」
「アンジェリーナ嬢に随分と固執しているな」
「当たり前だろう」

 野心に満ちた笑顔のまま、レオディールに反駁する。

「すでに王妃教育を終えたご令嬢だぞ? その頭の中身、我らからすれば宝の山だ!! どれほどの機密を知っているのか……今から楽しみでならんわ!!」
「……縁談が成就すると?」
「させるのだよ!! それこそ貴族の本懐よ!!」
「それならなおさら注意した方がいいのではないか? それこそ、噂の大公閣下も懇意にしておられると言うではないか」
「なんだ、あの書庫での逢瀬とか言う話か? 興味深いが、捨て置いてかまわんだろう。あの大公にその気があるなら、とっくに娶っておるだろうさ」
「だといいがな……少しは立ち止まって冷静に考えろよ?」

 ため息交じりの忠告を返しているうちに、目的地のサロンに到達していた。西側のこのサロンは、王家の区画から離れた立地をしているためか、貴族同士の密会の場として使われることも多い場所だった。
 その扉を押し開いて中に入ると、一人の文官がたたずんでいた。

「お前は……」
「王室付き文官のベルナルにございます」
「閣下はどうされたのだ?」
「もう少々で参ります。お待ちを」

 それだけ返して、鉄面皮を噤んだ。

「全く、呼びつけておいて待たせるとは何事か……」

 苛立たしげにベルモンドが吐き捨て、どっかとソファセットの下座に座り込んだ。レオディールも後に続く。
 ややあって、扉が開かれる。
 まず足を踏み入れてきたのは、侍女だった。確か、マトリカと言ったか……扇動するように礼する彼女に続いて現れたのは……

「「……!?」」

 純白に金糸で飾られた礼装に身を包んだ、赤毛の青年だった。
 純白の天然絹のベストに首元を包むアスコットタイ、かかとまで届く丈のマントには、真紅の裏地が縫い付けられ、やはり金糸で縁が飾られていた。左胸のパッチポケットには、これまた金糸で教団の紋章――七芒星が刺繍されていた。
 飾り気のないスラックスの腰には実用を見越した頑丈そうなベルトが巻かれており、その左側には宝石と純金で荘厳に飾られた宝剣を佩き、反対には対照的に実用一点張りな黒光りする軍用自動拳銃がホルスターに収められていた。
 教団聖騎士の礼装であった。
 左目に銀縁のモノクルをかけたその威容は、堂々たる自信と誇りに満ちていて、聖騎士の称号に、大公位にふさわしい威厳を醸し出していた。
 相手の威厳を前にして、貴族としての本能がベルモンドとレオディールに直立不動の体勢をとらせていた。

「お待たせして申し訳ない。ゼノブライト・アレスマイヤーである」

 フッと柔らかく微笑みながらの言葉に、二人して恐縮するしかない。そんな相手を見据えながら、佩いていた宝剣を取り外してから、ゼノンは対面の上座にどっかと腰を下ろし、納刀されたままの宝剣を両手で杖のように立てて、不敵な笑みはそのままに口を開く。

「着慣れぬ服を引っ張り出したものでな、身支度に手間取ってしまった。そちらも座られるといい」

 着座を進められてようやく、二人は腰を下ろした。
 その胸中で、ベルモンドは戦慄していた。

(こ、こいつは誰だ……本当に、あの平民上がりの傾奇者なのか?)
「ベルモンド侯爵とは初めてだったな。高名は聞き及んでいる。よしなに願いたい」
「ハッ……」

 青ざめた顔でうつむくベルモンドをよそに、レオディールに水を向ける。

「レオディール伯爵とは七年ぶりだったかな?」
「はい……港湾都市奪還作戦にて、お供させていただきました」
「そうだったそうだった……もうそろそろ終戦より丸六年か……月日は早いものだ」

 そこまで言って、居住まいを正した。

「さて……エリック、ここからは速記を」
「はっ」

 指示に答えてペンとメモ帳を取り出したのを見届け、二人に向き直った。

「王国の将来を背負って立つ重鎮たるお二人をお呼び立てしたのは他でもない。お二人の傘下を通して急ぎ、周知してもらいたいことがある」
「周知?」
「なぜ、我々に?」

 口々に疑問の声を上げる二人に、更に笑みを深くする。

「実のところ、それなりに勢力情勢への影響が大きい事案だ。王室広報を通しての正式発表より、あなた方に呼びかけていただいた方が混乱は少ないと判断した」
「なるほど……」

 疑問はあるが、納得は出来る理屈だ。
 実のところ、このような『通達』を特定の貴族を通して行う、というのはそう珍しいことではない。その方が、より広範な拡散と周知が期待できるし、先んじて情報を渡すことそれ自体が、一種の便宜ともなるからだ。
 そう便宜……つまりは、相手も自分をそれだけ一目置いていると言うことか。

(何のことかは知らんが……大いに利用させてもらおう)
「して、いかようなことですかな?」
「何、些細なことだ」

 ゼノンがそう言った瞬間、ベルモンドの背筋を強烈な悪寒が走り抜けた。
 その強烈な眼光に、正面から射すくめられたからだ。

(い、一体……)
「今後、この聖騎士ゼノブライト=マクシミリアン・アレスマイヤーと、我らアレスマイヤー大公家は……」

 眼光が更に鋭くなり、最早思考すら不可能なほどの硬直に、ベルモンドは追いやられていた。

「アンジェリーナ・ベルリエンデ公爵令嬢の後ろ盾となる」
「「!?」」

 青天の霹靂だった。

「お、お待ちください……なぜ、大公閣下が自ら、一令嬢の後ろ盾などと……」
「簡単なことだ。ベルリエンデ公爵令嬢には多大なる迷惑をかけた。その原因は王家にある。これには論を待たぬであろう。婚約が破綻し、立場の弱くなった御令嬢には、これから良からぬ虫が群れをなして押し寄せるだろう。その時に、公爵令嬢御本人の意思を尊重するための後ろ盾だ」

 さりげなく背もたれに身を預け、かすかに剣を鳴らした。

「私のためではなく、ベルリエンデ公爵令嬢のために、しかと周知徹底してもらおう」
「…………」
(こ、この男……)

 つい数分前に鼻で笑ったレオディールの弁……それが正しかったことを、ベルモンドは満身で思い知っていた。
 傘下貴族を通した周知徹底……この手を使った時点で、表向きは自分たち二人に便宜を図った形となる……その時点で、それを裏切るような動きを見せれば糾弾されるのはこちらの方だ。
 背後の文官と先導してきた侍女……二人をそばに置いて宣告したことも、明確な意図がある……証人だ。このやりとりを見届ける証人として、この二人を同室に留めおき、あまつさえ文官には速記で記録までさせている……優秀な文官なら、魔石を使っての録音も同時に行っているはずだ。
 今回の要請を都合良く切り取って解釈、実行しようものなら、すぐさま証言と記録が突きつけられる……こちらが要請を謀った証拠として。
 打つ手はない……仮に、これが目の前の大公の独断……本人や、公爵に無断であったとしても、責められるいわれは一切無い。王族の一員が後ろ盾につくことを忌避する貴族など存在しないからだ。
 そして……『良からぬ虫』……それがこの場において、誰をさしているのか……近頃噂になっていた、目の前の大公と件の公爵令嬢の逢瀬……それを合わせれば、それこそ考えるまでもなかった。
 認めるしかなかった……自分が見誤っていたと。目の前の男は単なる成り上がりなどではない。その力の強大さと使いどころを熟知した、完璧な貴族であると、認めるしかなかった。
 王太后陛下の薫陶……レオディールの知見は、全て正しかったのだ。

「よしなによろしくお願いする」

 穏やかな笑顔と言葉とは裏腹に研ぎ澄まされた眼光が、何よりも雄弁にその本意を語っていた。
 即ち……『手を引け』。

「……委細承知にございます……」

 ここまで燃やしてきた野心、張り巡らすために熟考を重ねた施策の数々、そして王国での輝かしい未来……その全てが一瞬にして灰燼に帰する光景を、ベルモンドは幻視していた。

(……狸が!!)

 精一杯の呪詛は、ベルモンドの胸中を響かせて終わった。


「……無茶をしましたね」

 サロンを辞したベルモンドとレオディールを見送ってから、ため息交じりにエリックはゼノンに話しかける。

「んー? 何のことだぁ?」
「いや、さっきのこと以外なんかありますか?」

 すっとぼけるゼノンに、横合いからマトリカのツッコミも飛んだ。

「大公なんて地位にある御仁が、一令嬢の後ろ盾だなんて……その様子だと、御本人には言ってないんでしょう?」
「まぁ、そうなんだ。今回はちょいと急ぎでね」

 それだけ言って、大儀そうに立ち上がる。

「二人ともありがとう。ここまででいい」
「ここまで……」
「まだ何かあるんですか?」

 宝剣を再び佩いて、扉へと歩き出したゼノンに、二人が口々に問いかけた。
 それに振り返って、ニヤリ。

「家族団らんの時間でね」

 その言葉に、二人の表情は凍り付いた。
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