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第二十四話

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「ぐ、はぁ!!」

 そんな悲鳴じみた吐息とともに、アレクサンダーは目を覚ました。
 最初に飛び込んできたのは、見知った白い天井。基地内の医務室の天井だった。消毒液のにおいが混じった独特の空気に、アレクサンダーの意識は一気に覚醒する。
 ベッド上で飛び起きると、横合いから冷たい声を浴びせられた。

「目覚めたか」
「あ、姉貴……」

 声の主は、実の姉・ヴァレリア・リーランドだった。礼装軍服姿の彼女の表情は、いつになく硬い。

「馬鹿者、准将と呼べ」
「……!! し、失礼しました、リーランド准将……」

 静かな叱責に、歯噛みしながら応じる。怒っている。一目でわかるその事実に、肝が縮こまる。

「明日から本日の件について、本格的な聴取が始まる。今日のうちは英気を養っておくがいい」
「ちょ、聴取? いったい何の……」
「最後の攻撃の件だ、馬鹿者!!」

 再び、叱責。今度は文字通りだった。

「馬鹿が……降着姿勢をとった上にセーフティマーカーを出した機体に攻撃を仕掛けるなど、フレームドライバーとして言語道断だ!!」
「そ、それは、あの機体が盗まれたものだから……」
「セーフティマーカーが出てる時点でそれは有り得ん」
「なっ……」

 なぜ。その言葉が出る前に答えが示される。

「知らんのか? セーフティマーカーの点灯にはIDと魔力放射パターンの登録が必要だ。両方が登録されているパイロットが搭乗して初めて点灯が可能になる……お前が考えているような悪用を防ぐための措置だ」
「……!?」

 知らなかった。機能については一通り把握してはいたが、その細かい原理や条件は初めから知ろうともしなかった。
 操縦できればそれでいい……それがアレクサンダーの考えだったからだ。
 それが顔に出ていたのだろう。アレクサンダーの表情を見たヴァレリアは、もう言葉もないとばかりにため息をついた。

「今回の件は、元はと言えばマクドゥガルの暴走が原因だ。着陸までの作戦行動だけを見ればな」
「そ、それなら……」
「だが、着陸し降着姿勢をとった時点で攻撃を仕掛けていい状況ではない!! 少なくともこの基地内ではな!! お前がやるべきだったことは攻撃ではなく、司令所に判断を仰ぐことだ!! 感情に任せた攻撃などでは断じてない!!」

 姉の怒声に絶句した。感情に任せた攻撃……自分がとった行動を、これ以上なく的確に表現されたからだった。

「まったく……閣下は寛大にもおまえにも温情をとおっしゃったが、明確な規律違反をされて無罪放免とはいかん。沙汰が下るまでお前は謹慎だ」
「謹慎って……じゃあ、あの赤毛野郎はどうなるんだ!! あの野郎は試作機を勝手に持ち出したんだぞ!!」
「それがまず間違っている。フローレンス王女殿下を通じて、プロトゼロの試験飛行に関しては明確に通達がなされている。強奪自体がマクドゥガルのでっち上げだ」

 姉がから告げられた事実に、アレクサンダーは世界のすべてが黒く染まるかのような錯覚を味わった。

(なんだよ……これ……)

 約束されていたはずの栄光が、遠のいていくのを感じる。すでに今、一角のパイロットとして認められていた自分は、将来国防を背負って立つのは当然のことで……それにふさわしい立場を与えられるはずで……
 そう思った瞬間、脳裏によみがえったのはあの黒い機体だった。
 まるで聖典に語られる御使いのごとく、神々しい魔力を放散させていた、漆黒の機体……あれが何なのかはわからないが、特別な存在であることは一目でわかった。
 本来なら、自分のような男に与えられるはずの……

「姉貴……」
「だから准将と呼べと……」
「あの野郎が出してきた、黒い機体……ありゃ一体何なんだ?」

 その言葉に、ヴァレリアは眉をひそめた。

「あれは国家機密に関わる存在だ。お前には知る資格はない」
「教えてくれ!!」

 姉の、上官の言葉を無視して声を荒げた。

「あれは……どうすればもらえるんだ!? あんなすげぇ機体があれば、俺は今以上の結果を出せる!! あれにのりゃ、エースまで一直線なんだ!! どうすればあの機体をもらえるのか……教えてくれよ!!」

 その言葉を聞いたヴァレリアは、ふっと笑っていた。それは、思わず漏れた、という感じの、失笑だった。

「……無知とは幸せだな」
「姉貴?」
「あれが欲しい、か……少佐が聞けば譲れるなら喜んで譲ってやると言うだろうな」
「だったら……」
「だが、それはできん」

 言いつのろうとした言葉はあっさりと切り捨てられる。

「なぜなら、あの機体は一種の呪いだからだ。捨てたくても捨てられない……金や名誉よりも、こいつから降ろしてくれ……それがあの方の戦場での口癖だったよ」

 そこまで言って、ヴァレリアは歩き出す。その足は、ドアに向かっていた。

「お前の知らない苦しみが、この世界には満ちている……それがわかるまで、コックピットに戻すことはできん。私の言葉の意味、謹慎の間に考えるのだな」
「ま、待ってくれ、話を聞いてくれ!! 姉貴!! あねきぃいいい!!」

 弟の叫びを背に、ヴァレリアはその場を立ち去った。
 その光景を、遠くから監視している視線が一つ。
 その主は、王宮侍女……カレンだった。

「面白いおもちゃ、みーっけ♡」

 ぐにゃりと、その顔が嗤った。


 ドラグベルム帝国皇太子妃……その言葉を聞いた瞬間、テレーゼとエリナを除くその場の面々の顔色が変わる。

「ああ、そのままでいいわよ。非公式の訪問だから」

 それを敏感に察したセレスティアラが素早く先手を打った。苦笑いに近い複雑な笑顔を浮かべて、右手で皆を制する。
 以前から堅苦しいことは嫌いだと公言していた姉だったが、それは皇太子妃という立場になっても変わらないらしかった。
 いたずらっぽい微笑みをフフッと浮かべる。

「さすがにみんな驚いたみたいね」
「あ、当たり前です……」
「生きてたと思ったら、覇権国家の次期皇妃って……冗談ならタチが悪いわね」
「ドラグベルム皇太子……」

 いたずらな微笑みを浮かべたままのセレスティアラの言葉に、あごに手を当てて考え込むのはゼノンだ。

「あの例の、萌黄の髪と目をした騎士ですか」
「そうよ。そう言えば、あなたは一度会ったことがあったわね」

 ゼノンの得心したという問いを、セレスティアラは肯定した。

「お会いしたことがあるのですか?」
「ああ。戦時中にな。精霊に占領されたガベル王国首都奪還作戦に参戦していたんだ」
「ガベル王国ということは、義勇兵として志願なさったと言うことですか?」
「そういうこと!! あなたも知っての通り、あの辺りは宗教がらみでめんどくさいところだからねー」

 セレスティアラに推測を肯定されたアンジェリーナは、やはりと得心した。
 宗教がらみ……話題に上がったガベル王国の国教は砂漠の神・ラルマーとその神託を受ける預言者ラジーヴを敬う『ラルマー神教』である。
 対するリーズバルトの国教は神の使いによる人類創生を信じる『七芒星教』であり、砂漠の砂を命の源と説く『ラルマー神教』とは真っ向から対立する教えであり、互いにその在り様を認めていないのだ。
 それ故に、ガベル王国の解放作戦では多くの国が政治的な事情から公的な支援ではなく、個々人による支援や義勇兵という形を表向きはとることとなったのだった。

「アンジェ、あなたに見せたかったわぁ……私のレイス・『アールゼスト』とレックスの愛機・『レヴ=アウルメリア』の共闘を……多大な戦果を挙げ、首都奪還に貢献した私たちは、『比翼の双璧』と謳われたのよ!!」
「れ、れいす?」

 耳慣れない単語に、困惑して聞き返すアンジェリーナ。それにこたえるのはゼノンだった。

「『レイス=アーマリア』。マギアフレーム登場以前の主力兵器……と言うより、術式だ。『超越者が象る鎧』を意味する、創造物召喚型の魔術の総称、レイスはその略称だよ」
「マギアフレームとは違うのですか?」
「全く違う。マギアフレームは君が体験したとおり、人の手で作り上げた実体ある存在……魔導具の延長線上にあるものだ。対するレイスは製作者が創造した存在を術式を通して現世に召還する魔術の一種だ。呼び出された存在も、道具というよりは使い魔に近いものだよ。そして、決定的な違いとして、それぞれ操者に専用のレイスが構築されるんだ。一定の魔力資質があればだれでも操縦可能なマギアフレームとはそこが決定的に違う」

 彼女の疑問に整然と答えるゼノンの姿に、アンジェリーナは年相応の情熱を感じ取ってほほえましくなる。

「で、そこのお師匠様はそいつを使ってかの戦場で大暴れしたってわけさ。件の皇太子殿下となかよく、な」
「何、とげのある言い方してんのあんたは」

 名指しされた『お師匠様』が半眼で噛みついた。

「別に……あの殿下のいい性格を思い出してただけですよ」
「いい性格ならあんたも大概でしょう?」
「装星機操者としては先輩だってマウントとるためだけに国家機密をご開陳したそちらの旦那様ほどじゃありませんよ」
「あらあら……叙爵して即日王位継承権放棄を宣言して王室を大混乱に陥れたのは誰だったかしら?」
「そもそも混乱すること自体おかしいでしょうが……俺は養子になっただけの平民ですよ。血筋が通っていないのに、継承権を保有していることの方がおかしい」
「装星機操者の血を王家に組み込む……当然の判断よ。政を司る王室としてはね。そうすれば、王室の子々孫々に代々継承される可能性も出てくるもの」
「その手の下らん『政治判断』に平民を巻き込むなって話ですよ」
「それ言う!? その『政治判断』で命拾いしてるあんたがそれ言っちゃう!?」
「あ、あの……」

 周りを置いてけぼりにしてヒートアップする二人に、アンジェリーナは控えめな声を上げるが、そんなんで止まるはずもなかった。
 どうすれば……おろおろと戸惑ったとき、スパンという何かをはたく音と、強い咳払いが聞こえた。

「こんな所でまで乳繰り合ってんじゃないわよ」
「セレス、アンジェが困っているわよ?」

 イングリッドにテレーゼが口々にツッコんだ。最初のはたく音はイングリッドがゼノンの頭をひっぱたいた音、その次はテレーゼの咳払いだった。

「「す、すいません……」」

 二人そろって小さくなって、頭を下げる。その様子が、なんだかおかしかった。

「話進まないからこっから仕切らせてもらうわ。よろしいですね? 王太后陛下」
「ええ、よろしく頼むわ、イングリッド」

 穏やかな応えに頷いたイングリッドは、セレスティアラに向き直った。

「まず、あなたの今回の来訪、その目的を教えてちょうだい。転生に関することと言っていたけれど、具体的にはどのようなことなの?」
「そうね……どこから話したものかしら」

 セレスティアラはそう言って、遠い目をした。

「私は皇太子殿下に救われてから、そのまま帝国へと護送されたわ。その時に、かの国にてある女性と引き合わされたの」
「ある女性?」

 アンジェリーナが問いかけると、微笑んで口を開く。

竜の神巫ドラグ・ペルフェクティーナ・シエル様よ」
「竜の神巫!?」

 ゼノンが、驚愕の叫びを上げて立ち上がっていた。

「ドラグベルムの守護神竜・グラムの加護と託宣を受け取る神の使い……実在していたのですか!?」
「ええ、ご本人がおっしゃるには、当代で115代目だそうよ」

 コーヒーを一口すすり、気を取り直す。

「話を戻すわね。シエル様は私に告げられたわ『歓迎します。同郷の輩よ』ってね。そこから話を聞いて、驚くことがわかったわ。帝国には、二人の転生者がいることが判明したのよ」
「二人!?」
「それだけじゃないわ。その後の騒乱で……ヴェルディア侵攻で捕らえた者を含めれば、帝国ではこれまで三人の転生者が確認されているの」
「三人の転生者……にわかには信じがたいわね」

 険しい表情のイングリッドがそう言った。その後を引き継ぐように、アンジェリーナが口を開く。

「ヴェルディアで捕らえた者、と言うことは……もしや、その人物がセレスお姉様への婚約破棄に関わっていたのですか?」
「流石に察しがいいわね。その通りよ」

 アンジェリーナににこりと微笑んだ。

「帝国で確認された三人の転生者……一人は、お察しの通り、我が祖国ヴェルディアを滅亡へと追いやった毒婦・マリアベル。二人目は、さっきも話した竜の神巫・シエル様よ」
「シエル様も……では、三人目とは……」

『同郷の輩』……その言葉を思い出しながら、セレスティアラに問うた。

「そう……三人目はこの私、セレスティアラ・ドラグブリードよ」

 時が止まった気がした。それほどの衝撃が、この場にいる面子全てに走り抜ける。

「お姉様が……転生者……」
「ああ、安心してちょうだい、私の場合は前世の記憶と技量を併せ持っていると言うだけで、セレスティアラとしての人格と記憶もちゃんとあるわ」

 そう言って、アンジェリーナに向き直った。

「あなたとの、幼い頃の思い出も、ね」
「!! それを聞いて……安心しました」
「化け物じみた腕っ節は前世譲りってことですか」
「そう言うことよゼノン。化け物じみた、って所には色々反論したいけれどね」

 少し顔を引きつらせながら、セレスティアラはゼノンに答えた。

「さて……捕らえたマリアベルを尋問したときにね、あの女からこんな証言が取れたの。『協力者がいる。カレンはどこに行ったの』ってね」
「協力者?」

 その事実で、場の空気が引き締まった。

「ええ。マリアベルが言うには、カレンと名乗る『お助けキャラ』に多くをお膳立てしてもらったって言うのよ。そして、その後調べたら……」
「……カレンなんて人物は存在しなかった……」

 渋面で引き継いだゼノンを見つめて、セレスティアラは頷いた。

「その通り。カレンという人物を認識していたのは、マリアベルただ一人だった……それに加えて、彼女も生前はニホンで暮らしていたと言っていた……その上、自身のことを『ヒロイン』と称していたわ」
「……二ホンに、『ヒロイン』!? 確か、殿下も……」
「ああ……」

 驚いたアンジェリーナの言葉に、ゼノンが渋面で答える。

「自らを、『主人公』と自称していた……件のマリアベル嬢と、共通点が多い……」
「調べてみる価値はありそうです。もう一度、そこを深堀する方向で殿下を尋問するべきでしょう」
「アンジェの言う通りよ。マリアベルが言うところの『お助けキャラ』……その存在の有無を徹底的に洗いなさい。大きな手掛かりになるはずよ」
「わかりました」
「ありがとうございます、お姉さま。なんとか、一歩前進できそうです」

 笑顔で礼を言ったアンジェリーナは、そのままゼノンに向き直った。

「このことを、速やかに陛下にお伝えしましょう」
「ああ。帰ったらな」

 アンジェリーナの言葉に、ゼノンはそれだけ答えて立ち上がった。

「ゼノン様?」
「久しぶりの再会なんだろ?」

 そういって、セレスティアラを見やり、

「二人でゆっくり話をするといい」

 次いで、アンジェリーナにウインクを送った。

「エリナ、そこのババアを連れてきてくれ。イング姐も来てくれ。俺たちも家族水入らずと行こう」
「かしこまりました」
「ん? 私も? まぁ、いいけど」
「あ、あの……」
「そんじゃ、ごゆっくり」

 何か言おうとしたアンジェリーナをあえて黙殺し、ゼノンは車いすを押すエリナとその隣に並んだイングリッドとともにその場を立ち去った。


 庭園を出て基地内のサロン……とは名ばかりの休憩スペースに三人を連れ込み、ゼノンは扉を閉めて鍵をかけた。
 そうしてからテレーゼが座る車いすに歩み寄り、ひじ掛けに両手をついてテレーゼに詰め寄った。

「いつからだ?」
「ちょっと、ゼノン!?」

 いつになく焦燥した様子のゼノンを制止しようとイングリッドが声を上げるが、テレーゼがさっと手を上げたのを見て、口を噤む。
 それに微笑み返したテレーゼは、その柔和な微笑みそのままに、ゼノンに答える。

「あら、何のことかしら?」
「とぼけるな。お忍びでここに来れるということは、留めおいているのはエメラス宮あたりか?」

 ぎりっと、歯ぎしりする。

「師匠の目的は、アンジェリーナ嬢だな?」
「…………」

 焦燥にかられるゼノンの瞳を、テレーゼはただ穏やかに見つめ返す。

「あの人は、どこまで知っている?」
「そうねぇ……」

 微笑みを絶やさず、テレーゼは答える。

「『水晶宮』の魔力放射については、すでにご存じよ」
「……!?」
「まぁ、それとは関係なく、アンジェを連れて帰るつもりでいるようだけどね」
「…………」
「あなたこそどういうつもりなの?」
「何?」

 唐突に投げかけられた問いに、ゼノンは困惑交じりに返した。

「あの娘の苦境はあなたも知っている通りでしょ?」
「ああ……」
「だったら」

 そこで、テレーゼの視線がゼノンの瞳を鋭く射抜いた。

「そこから救い出してくれるのなら……今回のことは歓迎すべきではなくて?」


「あの方との交流で、わたくしの知見は大いに広がりました!!」

 興奮と昂揚を隠しきれない口調で、アンジェリーナはセレスティアラに答えた。

「ゼノン様と議論を交わすまで、ロワールの古代メスカリウス朝と現在のアルテルン王家がルーツを同じくしているなど、想像したこともありませんでした」

 身振りと手振りを交えた弁舌は、白熱の一途をたどっている。

「例え違う文化を紡ぐ国や王室にも、源流を同じくしていることがある……今まで考えたこともなかったことです!!」
「良かったわね。楽しそうで何よりだわ」

 アンジェリーナの熱弁に、セレスティアラはそう答えた。

「はい!! とっても楽しいです!! 殿下と婚約してから、今が一番楽しいかも知れません!!」
「そう……」

 それだけ答えたセレスティアラは、居住まいを正してアンジェリーナに問いかける。

「アンジェ」
「何でしょう?」
「あのバカ弟子との交流で得られた知見……帝国で生かしてみる気はないかしら?」
「え?」

 突然の誘いに、アンジェリーナは硬直した。

「それは……」
「そうよ。私と一緒に、帝国にきてほしいの。ここに止まっても、いいことなんか何もないわ。首尾良く王太子様も失脚してくれたとこだし、リーズバルトに留まる理由なんて無いでしょう?」

 そう言って、そっとアンジェリーナの手を握った。

「私は、あなたに不幸になってほしくない……私と一緒に、帝国に行きましょう」


「…………」

 歓迎すべき。そう言われて、反論の言葉が思いつかない。

「あなたの様子を見れば、あの娘に特別な感情を抱いているのは一目瞭然。それなのに、あの娘が幸せになれる可能性を、まさか潰すというの?」
「…………」
「もしもそうなら、それはあなたのわがままではなくて? あの娘はあなたの愛玩人形ではないのよ」
「…………」
「お答えなさい……ゼノブライト・アレスマイヤー」

 柔和な微笑みは変わらず、されど口調は鋭くして、テレーゼが詰問する。
 彼女が……アンジェリーナが幸せになれる可能性……その通りだ。セレスティアラに連れられてドラグベルムに移住する方が、少なくともこの王国に止まるよりかはマシな人生を望めるはずである。
 それなのに……そう考えたとき、唐突に、本当に唐突にゼノンは、自分の気持ちに気がついていた。

「……それはいやだ。わがままだろうと……俺は、彼女にそばにいてほしい……」
「それが、あの娘にさらなる不幸と困難を及ぼすことになったとしても?」
「そうなるならば、俺がこの手で守ってみせる……装星機だなんだは関係ない……俺が望むからこそ、彼女に降りかかる困難を振り払ってみせる」
「あらあら……あなたにそこまで言わせるだなんて、アンジェが羨ましいわ」

 コロコロと笑いながら、テレーゼはそう言った。

「あなたが、ようやく一人前になろうとしているのはうれしいわ。きっと、イリスも喜ぶわよ」
「少佐、差し出がましいようですが……」

 そこで、沈黙を保っていたエリナが、おずおずと口を挟んできた。それにイングリッドも同調する。

「そのように望まれるのであれば、セレスティアラ様と二人にしたのはまずかったのでは?」
「同感ね。セレスのアンジェリーナ嬢への溺愛ッぷりは筋金入りだもの。それでなくとも、大好きなお姉様からの申し出なら秒で頷いてそうね」
「あら、確かにそうねぇ、こうしている間にも『是非、お供させてください!!』とか答えてるかも知れないわよ」

 おもしろそうな口調で、テレーゼはそう言った。


「……ありがとうございます、セレスお姉様。そのお申し出、大変うれしいです」
「だったら……」
「ですが、ご一緒することは出来ません」

 アンジェリーナの返答に、セレスティアラは虚を突かれた顔をする。

「どうして……」
「わたくしは、このリーズバルトに生を受けた、ベルリエンデ公爵令嬢でございます。その名と家に根ざした責任がある以上、この地を離れることは出来ません」
「あなた、もう一七歳でしょう? 世間的に見れば立派な行き遅れになるのよ? この国での良縁は望めないわよ?」
「それでも、です」

 気丈に、アンジェリーナは微笑んだ。

「わたくしは、この国が戦争で犯した罪を知りました……その決断に、おそらく我が家が深く関わっていることも」
「アンジェ、あなた……」
「これが償いになる、などとは申しません」

 それでも、と続ける。

「血筋の責任を果たし、高貴なる責務を達するがために……わたくしは、王国に止まります」


「それはないさ」

 確信を持って、ゼノンは答えた。

「あら、どうしてそう信じられるの?」
「知っているからだ」
「何を?」

 重ねられたテレーゼの問いに、ゼノンは拳を自らの左胸に当てた。

「彼女の魂が抱く、正義と、矜持を、だ。それがある以上、彼女はこの地でそれを全うすることを望むと、俺は信じてる」
「そうならなかったら?」
「簡単だ」

 フッと、苦笑する。

「この国は、とっくに彼女には見限られていたってことさ」
「そう言う、反論できないような現実を突きつけるんじゃありません」

 そう言って、お互い笑い合った。


 そこから更にしばらくして、アンジェリーナはセレスティアラとともにゼノン達に合流する。

「楽しかったかな?」
「はい!! 久しぶりに、お姉様とたくさん話が出来ました!! さて……」

 アンジェリーナが最後のつぶやきとともにゼノンに視線を送った。意味深なそれを、ゼノンは戸惑いながら受け止める。

「どうした?」
「わたくしに隠し事をされていたのですね」

 突然な言葉に、ゼノンはさらに戸惑った。

「いや、それは事情があってだな……」
「お黙りやがれです」

 想像していなかったレベルの悪罵が飛び出して、一同硬直する。微笑んではいるが目は全く笑っていないアンジェリーナの様子に、ゼノンは気圧された。

「全く……隠していたことと、今までのわたくしとの接点がなかったこと……その理由は想像がつきますわ……父ですね?」
「……正解だ。養子縁組の話が持ち上がったとき、君の父上が君とは一切交流させないことを賛成するための条件にしたんだ。平民の泥棒とは交流させられないってな」
「なるほど……ですが、今のあなた様なら突っぱねることも出来るはずですわよね?」
「いや、そりゃそうなんだが……」
「これにはわたくし、深く深く傷つきましたわ……色々おだてるようなことを言っておきながら、本心では信用されていなかったのですね……」

 ヨヨッと、アンジェリーナがあからさまな嘘泣きをした。嘘泣きでも、男として女性が泣く姿には弱いゼノンだった。

「そう言うわけじゃない……先入観なしで接してほしかったのと、平民の方が気軽に頼れると思ったからだよ」
「なるほど、あなたなりのお考えがあった、と言うことですね? ぐす」

 わざとらしく鼻をすすり上げるアンジェリーナの姿を見て、苦笑も出てこないゼノン。

「傷つきました……わたくし、本当に傷つきました!!」
「いや、それは……」
「ですので!!」

 きっと、アンジェリーナはゼノンを睨み据えた。

「今後、わたくしのことはアンジェと、愛称でお呼びください!! それで、ここまでのことは水に流します」
「あ、愛称って……」

 流石のことに、ゼノンはようやく出てきた苦笑を浮かべながら、アンジェリーナに答える。

「それは流石に出来ない。俺たちは良くても、周りにいらん憶測を与えるだけだ。君の周りも更に面倒になるぞ」
「そうですか……残念です」

 あっさりと引き下がった。それに一瞬違和感を抱きながらも、微笑んで答えようとすると、

「では、わたくしも伝統ある貴族としての作法に則り、あなた様のことをアレスマイヤー大公閣下と呼ばせていただきます、大公閣下」

 予想外の反撃をブチかまされて、硬直した。

「い、いやそれは……」
「なんでしょうか? 大公閣下」
「…………」
「どうかいたしまして? 大公閣下」

 ニコニコと、魅力的としか表現のしようがないほほえみを浮かべるアンジェリーナの姿に、ゼノンは白旗を上げた。

「あ、アンジェ……俺が悪かった。だから、今まで通りに呼んでくれないか?」
「かしこまりました、ゼノン様」

 華やかな微笑みとともに、アンジェリーナは返答した。
 その様子に、周りの女性陣は大層盛り上がっていた。

「見て、セレス!! あのゼノンが言い負かされているわ!!」
「ふっ、当然です!! ……アンジェなら、あれぐらい朝飯前ですよ!!」
「いやー、こりゃいいもん見れたわ。屁理屈だけは一人前のあんたがガチ論破されるなんてね……今夜の酒の肴は決まりだわ!!」
「ぐうの音も出ない完敗ですね。腹を括りましょう、少佐」

 テレーゼとセレスティアラ、イングリッドのみならず、こう言う時は貝になっているエリナまでもが、そう言ってゼノンに追い打ちをかけた。
 その状況に、渋面を作るしかないゼノンだった。
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