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第二十二話

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 アレスマイヤー大公家。
 リーズバルト王国最古の貴族と称される家柄である。
 王国勃興の時、すでにその名があり、王家の傍流として今日まで国にあり続けてきた。
 王がその役目を果たせなくなったとき、その権力を遅滞なく引き継ぎ、次なる王へと託すために……

「……その現当主が、あの赤毛野郎の正体だと?」

 いまだに痛みの引かない脚をベッドに投げ出したアーノルドは、吐き捨てるようにつぶやいた。
 王宮の貴人牢、取り調べも一段落した今、することのないアーノルドはベッドの上で、フローレンスとレオナルドから告げられた事実を思い返す。
 大公家の存在自体は知っていた。教育課程で何度か教師から聞かされたことがあるし、『学淫』の裏設定の一つとして、シナリオライターがその名前を出したこともあった。
 だが、その当主にあの赤毛の男が納まっているのと言うのは初耳だった。記憶が確かならば、アレスマイヤー大公家は王太后の実家でもある。その家督を継いだと言うことは、血が繋がらないとは言え、あの男は王弟に当たると言うことだ。
 同時に、自分たち兄弟にとっては叔父に当たると言うことになる。血は繋がっていないが、れっきとした係累だと言うことだ。

「縁もゆかりもない平民が王族の仲間入りかよ……何があったんだ……」
「アーノルド殿下ぁ」

 舌足らずな、甘えた声がアーノルドの思考を打ち切った。カレンだ。

「ご所望の品、整いましてございます」
「うむ、ご苦労」

 カレンが恭しく差し出したそれを受け取り、アーノルドは満足げに頷いた。

「それで、いつ仕掛けますか?」
「……そうだな。平日、二人が乳繰り合う日でいいだろう」
「すぐには仕掛けないのですか?」
「何、時間だけはたっぷりある。二人が確実に同室で過ごす時まで待つんだ」
「……かしこまりましたぁ」

 答える声は不満げだった。


「色々と事情があってね。この子が十歳の時に養子として迎え入れたの」
「迎え入れたんじゃなくて、引きずり込んだんだろうが」
「今はお黙りなさい。アンジェと話をしているの」

 不機嫌な口調の横やりを、テレーゼはピシャリと遮った。
 そのやり取りをアンジェリーナは苦笑交じりに見届けてから、口を開く。

「事情というのは……やはり、装星機の関してのことでしょうか?」
「そのとおりよ」

 アンジェリーナの問いに、テレーゼは柔和なほほえみを崩さずに答えた。それに反するように、ゼノンの顔には忌々し気な表情が浮かんでいる。

「幸か不幸かわからない偶然が積み重なってね……この子が、六十年ぶりに装星機の操者……『聖騎士』に選ばれたの」
「その大層な肩書もお偉いお貴族様を黙らせるための方便だけどな」
「話の腰を折らないの」

 なんだかほほえましい応酬につい微苦笑してしまったアンジェリーナは、核心を問う。

「偶然が積み重なったとおっしゃいましたよね? それは、どのようなものだったのでしょう?」
「あー……それはな……」
「ほら、ゼノン。アンジェが聞いてるわよ? あなたの武勇伝、聞かせてあげなさいな」
「あたしも久しぶりに聞きたいわね。あんたの人外エピソード」
「イング姐まで何言ってんだ……」
「お願いします、ゼノン様。これから王家に属して生きるわたくしには、必要なことでございます」
「……目を輝かせながら言わないでくれるか?」

 言ってる内容に反して、えらくキラキラした目を向けるアンジェリーナに、ゼノンは渋面を返した。

「ゼノン」

 テレーゼに促されて、ゼノンはがりがりと頭をかいてから、渋々といった体で口を開いた。

「当時の俺……もうちょいしたら十年前か……まだ十歳だった俺は、盗みをやって糊口をしのいでいた」
「盗賊だった……ということですか?」
「そんな上等なもんじゃない。ただの、根無し草の盗人だ」

 苦笑交じりにそう返して、ゼノンは遠くを見つめる目になった。

「どういうわけだか、そっちの才能に恵まれていたらしくてな。貴族やら商人やら……そういう連中の屋敷に忍び込んで、まぁまぁ成果を上げていた。おかげで食うには困らなかったし、人を疑う目だけは無駄に良くなったよ。八歳まで面倒見てくれた育ての親からは一通り魔力の使い方を教わっていたのも幸いだった」
「なるほど……魔力感知で、標的の状況を把握してからお仕事をしていたのですね?」

 アンジェリーナの淀みない言葉に、ゼノンはちょっと虚を突かれたような顔になった。

「まぁ、そんなところだ。あまりにもうまくいきすぎて、俺はつい調子に乗って、どでかい仕事を始めちまった」
「どでかい仕事?」

 聞き返すアンジェリーナに、ゼノンはその顔に浮かんだ苦汁を深くする。右手が口元に上がりかけたのに気づいて、ばつが悪そうに下げて、誤魔化すようにコーヒーカップをとった。アンジェリーナは、その動作でゼノンも喫煙者なのだと気づいた。
 そんなアンジェリーナの内心を知ってか知らずか、ゼノンは重い口を開く。 

「王宮宝物庫に忍び込んだんだ」
「………………………は?」

 それを聞いたアンジェリーナはそんな間抜けな声を返すのが精いっぱいだった。

「えっと……それは、何かのたとえでしょうか?」
「いや、そのまんまだ」

 あまりのことに信じられなかったアンジェリーナの問いに、ゼノンはそう答える。傍らのテレーゼはニコニコ、イングリッドに至っては腹を抱えて笑いをこらえていた。このお茶会が始まった時からテレーゼの背後に控えている、眼帯を付けたメイドだけが鉄面皮を保っていた。
 二人の反応を見るに、どうやら真実らしかった。
 王宮宝物庫は、その名の通りの存在であり、その中には建国以来、王国が収集し続けてきた美術品の数々が収蔵されており、その正確な総数は把握されていないとまで言われている。
 当然、そこに収められているものの価値も……。

「あ、あの……」
「どうした?」
「宝物庫の……警備は、どうしたんでしょうか?」

 そんな場所であるから、当然ながら厳重な警備と二重三重の魔術的封印で守られていると言われている。それを突破することは困難だと簡単に想像が付いた。それを、目の前の男とはどうしたのか……。

「魔力感知で罠や施錠の仕掛けと警備の巡回タイミングを把握した。おかげで一か月ばかり城下町で物乞いのまねごとをする羽目になったよ」
「…………」

 アンジェリーナは何も言えない。王宮の外から、その内奥にある宝物庫の構造を感知したと言うことだ。簡単に言っているが、常人には到底実行できない神業だ。イングリッドをして、『人外エピソード』などと表現されるのも当然の話だった。
 あまりのことに、アンジェリーナは絶句するしかない。

「え、えーと……とりあえず、あなた様の過去は理解しました……それが、大公家の養子となり、家督を継ぐこととどう繋がるのでしょう?」
「一言でいうと、そうだな……欲をかきすぎたんだ」
「欲を?」
「ああ。宝物庫内をあらかた探って、持ち出せる上、足がつきにくいお宝も手に入れたところで、宝物庫が更に、地下に続いていることに気が付いたんだ」
「なるほど……地下に降りたら……」
「ご明察だ」

 それだけで、そこに何があったのか、理解できた。
 あの装星機が……ウェイジアスがそこにあったのだろう。

「君の想像通り、地下にはウェイジアスが安置されていた。後から聞いた話だが、六十年前に先代の操者が死亡して以降、後継者が選ばれずに封印されたまま放置されていたらしい。一目見て、本能的に直感したよ。こいつはやばい。さっさとトンズラしなきゃ痛い目見るってな」
「ですが、あなたはそうしなかった」

 ゼノンの口ぶりから、その直感に従えなかったことはすぐに分かった。そうせざるを得ない、何かがあったのだ。

「ああ……それだけなら、衝撃的なご対面で終わった話だ。後日、盗賊仲間に話してほら吹き扱いされて終わってただろうよ……だが、そこで妖怪ババアが言うところの幸か不幸かわからない偶然……俺からすりゃ、不幸な偶然が重なってしまった……地下空間に、先客がいたんだ」
「先客?」

 アンジェリーナの疑問に、ゼノンは彼女に向き直った。その瞳には、曰く言い難い複雑な光が宿っていた。

「幼いころの、アーノルドとレオナルドの兄弟だ」
「!? 殿下と、レオナルド様が!? いったい、どうして……」
「それより以前に、アルの奴からウェイジアスを見せられたことがあったらしい。それから、暇と隙を見つけて地下に忍び込んで見物してたそうだ。まぁ、かわいい子供のいたずらだ」

 そういって、天を見上げるように椅子の背もたれに体を預けた。なぜか、疲れているようにアンジェリーナは感じた。

「それじゃすまなくなったのは、二人がそこで死にかけたからだ」
「死にかけた!?」
「ああ。ウェイジアスは地下空間に設けられた縦穴に直立姿勢で安置されていたんだが、その中にレオナルドが転落しかけたんだ。傍らのアーノルドがギリギリで手を掴んだんだが、しょせんは子供の腕力、もろとも転落するのは時間の問題だった……ここで見なかったことにしてれば面倒ごとに巻き込まれずに済んだんだがな……生憎と、当時の俺はそこまで冷徹にはなれなかった」
「では……あなたが、お二人を助けたのですね?」

 確信をもって、アンジェリーナは問うた。それにゼノンはうなずく。
 それですべてが腑に落ちた。レオナルドが強く彼を慕い、フローレンスが一目置き、アルハザードが強く信頼していたことのすべてが。

「そうだ。気が付いたら飛び出して、二人に飛びついて助け出していた。落ちかかっていたレオナルドをアーノルドと二人がかりで引き揚げたところで……ウェイジアスが目覚めた」

 はぁ、とため息をついて。ゼノンは目を閉じた。

「あの野郎は俺の頭ん中に一言だけ『待っていた』とだけ言って、俺を操者に仕立て上げた。その証として、こいつを俺に刻み込んだんだ」

 そういって、右手を掲げる。

「それは……?」

 次の瞬間、ゼノンの手の甲に魔力が湧き上がり、一角獣を連想させる金色の紋様が浮かび上がった。
 まるで、あの装星機の横顔を象ったかのような紋章だった。

「ウェイジアスの操者であることを示す紋章だ。彼らが認めた人間にだけ、刻み込まれるものらしい」
「あなたは認められたから、これが刻まれたと言うことなのですね」

 そう言って、アンジェリーナは改めてゼノンの瞳を見つめる。

「ゼノン様が、考古学の道に進んだのは……」
「ご明察だ。元々好きだったってのもあるが、一番の理由は装星機だ。あれがどこから来て、なぜ自らの意志で操者を選ぶのか……なぜ、俺が選ばれたのか、知りたくなったのさ」

 遠い目で、空を見上げる。

「なにか、道筋は見えたのでしょうか?」
「いや、いまだ五里霧中だ。できれば、死ぬ前にあれの本音を聞き出すくらいはしたいところだね」

 アンジェリーナの問いに、苦笑混じりにゼノンは答えた。
 それに微笑みを返したアンジェリーナは、目を閉じて、一つ深呼吸した。
 その様子をいぶかしげに見つめてくるゼノンとイングリッドを尻目に、テレーゼへと向き直る。

「王太后陛下……そろそろ、この会合の目的をお話しいただけませんか?」
「あら、どういう意味かしら?」
「お戯れはおやめください。あなた様が表に出てくるような事態……それが、末の息子とのお茶会と言われて信じるほどバカではありません」
「…………」
「私とゼノン様、それにイングリッド先生も交える事態……殿下に、関わることでございますね?」

 決然とした瞳で、アンジェリーナは言い切った。
 そう、王太后と、その養子の大公と、学園と王室とのパイプとなるイングリッドと……これだけの面子をそろえてのことだ。考えられるのはただ一つ……アーノルドについてのことだ。

「……あなたに隠し事はできないわね。エリナ」
「はっ」

 背後に控えた眼帯を着けたメイドが、名前を呼ばれて初めて口を開いた。

「お連れしてちょうだい」
「かしこまりました」

 テレーゼの命令に一礼し、エリナと呼ばれたメイドはその場を後にした。
 それを見送ったゼノンが、テレーゼに向かって口を開く。

「あいつはがんばっているか?」
「ええ。熱心に働いていくれているわ。よく気が利いて、最近じゃあの娘以外はそばに置きたくないくらいよ」
「そりゃよかった」
「あの、お知り合いですか?」

 ゼノンとテレーゼのやりとりに、アンジェリーナは疑問を挟んだ。

「ああ、例によって戦友だよ。一時期は相棒として背中を預けていた相手なんだがな。見ての通りに負傷して前線を引いた。今は妖怪ババアお付きのメイドだよ」

 ズキリ。またあの痛み。唐突に襲ってくるそれに、アンジェリーナは困惑するばかりだった。

「エリナが戻ってくるまでに、大まかなところは話しておきましょう。まず、アンジェ、あなたの予想通りよ」
「やはり、そうですか……」

 正体のわからない痛みについてはとりあえず脇に押しやり、テレーゼが告げる事実に頷いた。

「拘束したアーノルドを尋問した結果、ある事実が判明したわ」
「待ってくれ」

 そこに、ゼノンが口を挟む。

「何か?」
「彼女にはやつのことは……」
「知らせずに済ませる、と?」

 ゼノンの異論を、言わせるまでもなくテレーゼは切り捨てた。

「アンジェは誰の婚約者だったかしら?」
「……アーノルドだ」
「だったら、この娘も当事者よ。隠し立てする方が不誠実だわ」

 そう言って、アンジェリーナに向き直って口を開く。今度は、ゼノンも止めなかった。
  そうして告げられたのは、アンジェリーナの想像を遙に超えた事実だった。

「転……生……?」

 あまりの事実に、それっきり二の句が告げなくなってしまった。

「本人の証言と、真偽宝玉を使った真偽の判定、それに魔力波長の鑑定の結果、真実と判定されたわ」
「……あのクソガキ王子の豹変はそれが理由だったのですね」

 得心したようなイングリッドの言葉。それにテレーゼは頷いた。

「ええ。私も、息子も、そこのゼノンも……皆、訳が分からなかったわ。お世辞にも優秀な子ではなかったけれど、誠実で、優しい子だった……それがあんなふうになってしまって、誰もが困惑した」
「同時に、対応する余裕は誰にもなかったということですか……」
「そういうことだ……君も知っての通り、奴の豹変は終戦後すぐだった。戦後処理に追われる中で、だれも性格が悪くなった王太子にかまう余裕はなかったのさ」

 テレーゼの言に納得した言葉を返したアンジェリーナに、ゼノンがため息交じりにこたえる。その響きは、今日一番、重い。

「……そんなことは、被害にあった御令嬢には関係のないことだがな」
「カティア様は、どうなさっているのでしょうか?」
「……今だ、邸宅で臥せっているそうよ。ご両親以外とは面会も拒否しているらしいわ」
「あたしのほうで名目上、助手ってことにして、今は別件で休学ってことにしてるけど、そろそろ限界だね」

 テレーゼとイングリッドの答えに、アンジェリーナは絶句することしかできなかった。

「君の責任じゃない」

 それを見たゼノンが、口を開いた。

「すべての原因は……アーニーを乗っ取ったクソ野郎にある。君には、なにも……」
「それは……そうかもしれません」

 気遣うようなゼノンの言葉に、アンジェリーナはそう答えて、ですがと続ける。

「……ですが、簡単に割り切れそうもありません……」
「それも無理はないわね……」

 テレーゼはため息をついて、気を取り直したように顔を上げた。

「この事実……転生について、ある方が知恵をお貸しくださるわ」
「ある方……?」
「エリナに呼びに行かせてる相手か?」
「ええ。ここに集まった全員が、よく知っている相手よ」
「……それは、私も含めて、でございますか?」
「もちろんよ、イングリッド」

 そういうと、庭園とつながる入口へと、テレーゼは目を向けた。

「噂をすれば……いらしゃったわね」

 眼帯姿のメイド……エリナの先導で現れたのは、装飾の少ない萌黄色のドラグベルム帝国式ドレスに身を包んだ、銀髪の美女だった。
 帝国式のドレスは、布地に術式を編み込む関係上、マーメイドラインが基本である。素肌に接する面積が大きいほど、効率的な術式行使が可能となるためだ。女性の衣服にはほぼ例外なく、加護や防御の術式が編み込まれ、それを着用者の魔力でもって起動するのが基本であった。
 萌黄色は皇帝家の身に現れる特別な色であり、それを身に着けているということは、その女性は皇帝家にゆかりのある人物だということだ。その胸元で、金糸で刺繡された双頭龍の紋章が輝いていた。
 そして……その左腰には、白い柄巻が巻かれた細身の剣……『異空剣』を佩いていた。
 その姿に、アンジェリーナは弾かれたように立ち上がる。その拍子に、かけていた椅子が大きな音を立てて倒れた。貴族令嬢として最悪のマナー違反……そんなことさえ、アンジェリーナは考えが回らなかった。

「……嘘……」

 足音どころか、衣擦れ一つ立てずにゆっくりと、だが力強い足取りでこちらに向かってくるその女性は、凛とした気品に溢れていた。
 それは、アンジェリーナの思い出の中にある姿そのままで、この人のようになりたいと憧れた在りし日姿のままで……信じられない思いでいっぱいになった。
 公爵家の断絶とともに、その生存が絶望視されていた……大切な、アンジェリーナの『お姉さま』……

「あら……見覚えのある顔が三つもあるわね」
「セレスお姉さま!!」

 叫んで、駆け寄っていた。はしたない、などということはみじんも頭に浮かばなかった。
 涙をにじませるアンジェリーナを、相手は危なげなく抱き留めてくれた。

「そうよ。お姉さまよ。久しぶりね、アンジェ」
「お姉さま、お姉さま!! よく、よくご無事で……」

 あまりの嬉しさに、それ以上言葉にならなかった。
 セレスティアラ・エルディアルト。
 もう会えないと思っていた、大切な姉がそこにいた。
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